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第8章:迷走
第91話
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「毎日毎日よく飽きないものだ。」
「今の僕にとって、彼の手紙が1番の楽しみだからね。」
朝起きて、食堂で朝食を済ませ、部屋に戻る前に郵便の確認をする。そしてステラ様の手紙を手に、部屋へ戻って返事を書く。それが僕の毎日の日課になっていた。
「奴もマメだな。お前の戯言に、付き合ってる場合ではないだろうに。」
「戯言じゃないよ。ちゃんと吸血鬼について勉強して、人間と吸血鬼が争わなくなる方法について考えて提案してるんだから。」
「吸血鬼を産み出した悪魔に、吸血鬼との契約を止めさせるなど…戯言と言わずなんと言う?」
「やってみなきゃわからないでしょ?それにほら!ステラ様だって、検討してみる価値はあるって言って下さってるし!」
「検討か…悪魔の存在すらわからない状態で、よく言えたものだな。」
「それは…」
ーコンコン
急に扉をノックする音が聞こえ、僕は慌てて扉を開いた。すると、廊下に立っていたリーシア様が僕に向かって1枚の紙を差し出した。
「ライガから預かって参りましたわ。あなたへの依頼ですって。」
「わ、わざわざありがとうございます…。」
「彼の部屋に立ち寄ったついでですわ。では私はこれで。」
簡潔に話を済ませ、彼女は足早に去っていった。受け取った紙に視線を落とすと、その内容に僕は言葉を失った。
「ほう。エーリの特別講師か。面白そうじゃないか。」
「ど、どこが!?はぁ…。ルシュ様の後釜の次は、ラギト様の代役かぁ…。気が重いよ…。」
僕は深く息を吐き、突きつけられた現実を素直に受け入れることしか出来なかった。
数日後。僕はリーシア様と共にエーリを訪れた。
「本日は、レーガの代わりにフランに来ていただきましたわ。彼はレーガの弟子のような存在ですので、分からない事があれば遠慮なくお聞きになって下さいね。」
「ご紹介にあずかりました、フランドルフルクです。ラギト様のように…とはいかないかもしれませんが、精一杯頑張らせて頂きます。よろしくお願いします。」
下級吸血鬼の生徒達の前で、僕は軽く会釈をした。生徒達は僕を見て、ざわつき始める。
「…あれ?この前どこかで…」
「…廊下で見かけた人?本当に幹部…」
「…かっこいい!後で話…」
彼等の小言を遮るようにリーシア様が手を叩くと、実技の授業が始まった。今回の授業内容は、それぞれの先生の元で苦手な事や分からない事を質問し、克服すると言うものだった。
「あの…フルク様…!私…剣を使えるようになりたいんですけど、中々上手く作れなくて…」
「フルク様~!俺と模擬戦をやってもらえませんか?」
「フルク様フルク様!僕に合ってる武器ってなんだと思いますか?どれもイマイチしっくり来なくて…。」
予想以上に沢山の生徒に囲まれ、僕が戸惑っているとそれを見兼ねたルドルフが口を開いた。
「1度に聞き取れないから、1人1人順番に話を聞くよ。まずは君からね?とりあえず、剣を作ってみてくれる?」
「は、はい…!」
俺はフランのような優しい口調を心掛け、生徒と言葉を交わす。正直かなり面倒ではあるが、奴の為に一肌脱いでやる事にした。
「お疲れ様でしたわ。予想以上に大人気でしたわね。」
「もうこれっきりにして欲しいものだ。」
「それはレーガ次第ですわね。」
「この俺様が、奴の尻拭いをさせられるとはな。」
「…先程の好青年と、同一人物とは思えませんわね。」
「リーシア様は、僕の事…好青年だと思って下さっているのですね。…嬉しいです。」
「なっ…!?あ、あなた!私の声が聞こえて居るのなら、そう仰っ…」
「貴様好みの好青年を演じてやっただけだ。何を動揺している?」
「っ…あなたと言う人は…。ハンス!帰りますわよ!」
奴は俺を睨みつけ、呼び出した使い魔の背にまたがって空高く舞い上がった。
「ちょっとルドルフ!せっかくリーシア様と仲良くなれそうだったのに…!」
「お前の気持ちを代弁してやっただけだ。何か間違っていたか?」
「間違ってはいないけど…言い方って言うのものが…。」
「俺にこんな事をさせておいてよく言えたものだ。そこまで言うなら、レジデンスへはお前の力で帰るんだな。」
「あ、ちょっ…ルドルフ!」
その言葉通りレジデンスへ帰るまで彼が身体を動かす事はなく、近くの馬車乗り場まで街中を歩く羽目になった。
翌日。僕の元へラギト様がやってきた。
「昨日は僕の代わりにエーリへ行ってくれたんだってね。エレナから聞いたよ。」
「…仕事ですから。」
「生徒に大人気だったんだってね。今後も、僕の代わりに行くかい?」
「い、いいえ!僕にラギト様の代役は、務まりませんから!」
「そう?それは残念だなぁ。」
彼はそう言いながら、上着のポケットに手を突っ込んだ。そして小さな紙袋を取り出すと、それを僕に向かって差し出した。
「これは昨日のお礼。」
「え?その…お礼を貰えるような事は…。」
「いいからほら!」
彼は僕の手を掴み、強引に手渡した。中身は軽く、どこか甘い匂いがする。
「じゃあ、僕は部屋に戻るよ。次は君にお声がかからないように、しっかり身体を治さないとね。」
そう言い残し、彼は部屋を去っていった。彼から受け取った紙袋を恐る恐る開けてみると、そこにはピンク色の可愛らしい木の実が数個入っていた。
「これ…木の実?なんでこれを僕にくれたんだろう?」
「俺に聞くな。そもそもそれは木の実なのか?」
「ちょっと食べてみよっか。」
木の実と思われるそれを1つ摘むと、口の中へ放り込んだ。すると、とてつもない苦味が口いっぱいに広がり、思わず咳き込んだ。
「げほっ…!に、苦ぁ!」
「なんだ…これは…。この世の…食べ物なのか…?」
「薬草…の一種かな?お礼って言ってたから、身体に悪いものではないと思うけど…。」
「こんなもの、身体に良いと言われても食べたいものではないな…。口の中が渋くてかなわん…。」
「紅茶でも飲もうか…。砂糖たっぷりの甘いやつをね…。」
こうして僕は食堂へ向かい、口の中の渋さを忘れられるくらい砂糖たっぷりの紅茶を飲み干した。
その日は思いのほか仕事が捗り、すこぶる体調も良かった。彼がくれた木の実のおかげだろうか?
都合のいい話かもしれないが、たまには彼の代わりに働くのも悪くない…そう思ったのだった。
「フラン。」
誰かが、僕の名前を呼んだ。
「どうかした?クラーレ。」
僕もつられて、彼の名前を呼んだ。
「これ、この間街で見かけて買ってきたんだ。良かったら一緒にお茶でもしないかい?」
「もちろんいいよ。ちょうど休憩しようと思ってたんだ。」
椅子から立ち上がり、戸棚からカップとポットを用意する。ティーポットにお湯を注ぐ彼の背中は、どこか寂しそうに見えた。
「ねぇクラーレ。何か悲しい事でもあった?」
「えー?どうしたの?急に。」
「いや…気のせいならいいんだ。なんでもないよ。」
「ふふっ。これからフランとお茶するのに、悲しい訳がないじゃないか。」
彼は僕の方を振り返って、微笑んだ。その柔らかい笑顔に、僕は胸を撫で下ろした。
「このお菓子、リアーナが勧めてくれたんだよ。今、街で流行ってるんだって。」
「じゃあ、クラーレも食べた事ないの?」
「うん。正直…美味しいかどうかも知らないんだよね。だから僕が食べられなかった時でも、フランが一緒ならなんとかなるかなー?って思ったんだ。」
「僕は甘党で、クラーレは辛党だからね。」
「はいこれ。フランの分ね。」
彼から紅茶を受け取ると、中を覗き込んだ。透き通った赤い液体がカップを満たし、茶葉のいい香りが広がる。ゆっくり口元へ運び、口へ含む。すると、強烈な苦味に襲われた。
「に、苦ぁ…!これ、僕の分じゃなくてクラーレの…」
彼の方に視線を向けると、口から紅茶が滴り落ち、胸元に赤い染みが出来ていた。
「わ…!ちょっ…大丈夫?すごいこぼして…」
「フラン…僕…許せないよ。」
「え…?」
「吸血鬼を…許せない。僕の大事なものを奪って…今度は君と話す時間も奪われた。」
彼の目から光が失われていた。まるで死人のような瞳は、前方をぼんやりと眺めている。僕は彼の異変に気付き、腕に手を伸ばす。
「クラーレ…!落ち着…」
僕の手をすり抜け、彼は床に倒れ込んだ。手に持ったカップが床に叩きつけられ、破片と共に赤い液体が床に広がる。
リーガルの腕の中で、息を引き取る彼の姿が脳裏を過ぎった。
「吸血鬼…許…さない…。」
彼の目から、赤い涙が溢れ出る。彼の柔らかい笑顔は、吸血鬼の手によって失われた。
優しかった彼はもう居ない。吸血鬼に強い恨みを残したまま、空高く旅立ってしまったのだ。
「っ…!」
自室のベッドの上で、目が覚めた。部屋の中は薄暗く、まだ日は昇っていないようだ。
「今日は随分早起きだな…。」
「ごめ…起こしちゃって…。」
「…どうした?夢でも見たのか?」
彼の一言で、赤い涙を流すクラーレの顔を思い出す。僕は俯き、膝を抱えて身体を丸めた。
「泣くなら今のうちだ。今なら俺しか見ていない。」
「泣いてる…暇なんか…。」
「長々と抱え込むより、思い切り泣いた方がスッキリする。」
「…っ。うっ…。」
彼を失ってから、泣く暇も無ければ悼む時間もなかった。僕にとって彼の存在がどれだけ大きかったとしても、時間は平等に過ぎていく。残された者は、亡くなった者の分まで生きなければいけない。
その事を、改めて思い知ったのだった。
「今の僕にとって、彼の手紙が1番の楽しみだからね。」
朝起きて、食堂で朝食を済ませ、部屋に戻る前に郵便の確認をする。そしてステラ様の手紙を手に、部屋へ戻って返事を書く。それが僕の毎日の日課になっていた。
「奴もマメだな。お前の戯言に、付き合ってる場合ではないだろうに。」
「戯言じゃないよ。ちゃんと吸血鬼について勉強して、人間と吸血鬼が争わなくなる方法について考えて提案してるんだから。」
「吸血鬼を産み出した悪魔に、吸血鬼との契約を止めさせるなど…戯言と言わずなんと言う?」
「やってみなきゃわからないでしょ?それにほら!ステラ様だって、検討してみる価値はあるって言って下さってるし!」
「検討か…悪魔の存在すらわからない状態で、よく言えたものだな。」
「それは…」
ーコンコン
急に扉をノックする音が聞こえ、僕は慌てて扉を開いた。すると、廊下に立っていたリーシア様が僕に向かって1枚の紙を差し出した。
「ライガから預かって参りましたわ。あなたへの依頼ですって。」
「わ、わざわざありがとうございます…。」
「彼の部屋に立ち寄ったついでですわ。では私はこれで。」
簡潔に話を済ませ、彼女は足早に去っていった。受け取った紙に視線を落とすと、その内容に僕は言葉を失った。
「ほう。エーリの特別講師か。面白そうじゃないか。」
「ど、どこが!?はぁ…。ルシュ様の後釜の次は、ラギト様の代役かぁ…。気が重いよ…。」
僕は深く息を吐き、突きつけられた現実を素直に受け入れることしか出来なかった。
数日後。僕はリーシア様と共にエーリを訪れた。
「本日は、レーガの代わりにフランに来ていただきましたわ。彼はレーガの弟子のような存在ですので、分からない事があれば遠慮なくお聞きになって下さいね。」
「ご紹介にあずかりました、フランドルフルクです。ラギト様のように…とはいかないかもしれませんが、精一杯頑張らせて頂きます。よろしくお願いします。」
下級吸血鬼の生徒達の前で、僕は軽く会釈をした。生徒達は僕を見て、ざわつき始める。
「…あれ?この前どこかで…」
「…廊下で見かけた人?本当に幹部…」
「…かっこいい!後で話…」
彼等の小言を遮るようにリーシア様が手を叩くと、実技の授業が始まった。今回の授業内容は、それぞれの先生の元で苦手な事や分からない事を質問し、克服すると言うものだった。
「あの…フルク様…!私…剣を使えるようになりたいんですけど、中々上手く作れなくて…」
「フルク様~!俺と模擬戦をやってもらえませんか?」
「フルク様フルク様!僕に合ってる武器ってなんだと思いますか?どれもイマイチしっくり来なくて…。」
予想以上に沢山の生徒に囲まれ、僕が戸惑っているとそれを見兼ねたルドルフが口を開いた。
「1度に聞き取れないから、1人1人順番に話を聞くよ。まずは君からね?とりあえず、剣を作ってみてくれる?」
「は、はい…!」
俺はフランのような優しい口調を心掛け、生徒と言葉を交わす。正直かなり面倒ではあるが、奴の為に一肌脱いでやる事にした。
「お疲れ様でしたわ。予想以上に大人気でしたわね。」
「もうこれっきりにして欲しいものだ。」
「それはレーガ次第ですわね。」
「この俺様が、奴の尻拭いをさせられるとはな。」
「…先程の好青年と、同一人物とは思えませんわね。」
「リーシア様は、僕の事…好青年だと思って下さっているのですね。…嬉しいです。」
「なっ…!?あ、あなた!私の声が聞こえて居るのなら、そう仰っ…」
「貴様好みの好青年を演じてやっただけだ。何を動揺している?」
「っ…あなたと言う人は…。ハンス!帰りますわよ!」
奴は俺を睨みつけ、呼び出した使い魔の背にまたがって空高く舞い上がった。
「ちょっとルドルフ!せっかくリーシア様と仲良くなれそうだったのに…!」
「お前の気持ちを代弁してやっただけだ。何か間違っていたか?」
「間違ってはいないけど…言い方って言うのものが…。」
「俺にこんな事をさせておいてよく言えたものだ。そこまで言うなら、レジデンスへはお前の力で帰るんだな。」
「あ、ちょっ…ルドルフ!」
その言葉通りレジデンスへ帰るまで彼が身体を動かす事はなく、近くの馬車乗り場まで街中を歩く羽目になった。
翌日。僕の元へラギト様がやってきた。
「昨日は僕の代わりにエーリへ行ってくれたんだってね。エレナから聞いたよ。」
「…仕事ですから。」
「生徒に大人気だったんだってね。今後も、僕の代わりに行くかい?」
「い、いいえ!僕にラギト様の代役は、務まりませんから!」
「そう?それは残念だなぁ。」
彼はそう言いながら、上着のポケットに手を突っ込んだ。そして小さな紙袋を取り出すと、それを僕に向かって差し出した。
「これは昨日のお礼。」
「え?その…お礼を貰えるような事は…。」
「いいからほら!」
彼は僕の手を掴み、強引に手渡した。中身は軽く、どこか甘い匂いがする。
「じゃあ、僕は部屋に戻るよ。次は君にお声がかからないように、しっかり身体を治さないとね。」
そう言い残し、彼は部屋を去っていった。彼から受け取った紙袋を恐る恐る開けてみると、そこにはピンク色の可愛らしい木の実が数個入っていた。
「これ…木の実?なんでこれを僕にくれたんだろう?」
「俺に聞くな。そもそもそれは木の実なのか?」
「ちょっと食べてみよっか。」
木の実と思われるそれを1つ摘むと、口の中へ放り込んだ。すると、とてつもない苦味が口いっぱいに広がり、思わず咳き込んだ。
「げほっ…!に、苦ぁ!」
「なんだ…これは…。この世の…食べ物なのか…?」
「薬草…の一種かな?お礼って言ってたから、身体に悪いものではないと思うけど…。」
「こんなもの、身体に良いと言われても食べたいものではないな…。口の中が渋くてかなわん…。」
「紅茶でも飲もうか…。砂糖たっぷりの甘いやつをね…。」
こうして僕は食堂へ向かい、口の中の渋さを忘れられるくらい砂糖たっぷりの紅茶を飲み干した。
その日は思いのほか仕事が捗り、すこぶる体調も良かった。彼がくれた木の実のおかげだろうか?
都合のいい話かもしれないが、たまには彼の代わりに働くのも悪くない…そう思ったのだった。
「フラン。」
誰かが、僕の名前を呼んだ。
「どうかした?クラーレ。」
僕もつられて、彼の名前を呼んだ。
「これ、この間街で見かけて買ってきたんだ。良かったら一緒にお茶でもしないかい?」
「もちろんいいよ。ちょうど休憩しようと思ってたんだ。」
椅子から立ち上がり、戸棚からカップとポットを用意する。ティーポットにお湯を注ぐ彼の背中は、どこか寂しそうに見えた。
「ねぇクラーレ。何か悲しい事でもあった?」
「えー?どうしたの?急に。」
「いや…気のせいならいいんだ。なんでもないよ。」
「ふふっ。これからフランとお茶するのに、悲しい訳がないじゃないか。」
彼は僕の方を振り返って、微笑んだ。その柔らかい笑顔に、僕は胸を撫で下ろした。
「このお菓子、リアーナが勧めてくれたんだよ。今、街で流行ってるんだって。」
「じゃあ、クラーレも食べた事ないの?」
「うん。正直…美味しいかどうかも知らないんだよね。だから僕が食べられなかった時でも、フランが一緒ならなんとかなるかなー?って思ったんだ。」
「僕は甘党で、クラーレは辛党だからね。」
「はいこれ。フランの分ね。」
彼から紅茶を受け取ると、中を覗き込んだ。透き通った赤い液体がカップを満たし、茶葉のいい香りが広がる。ゆっくり口元へ運び、口へ含む。すると、強烈な苦味に襲われた。
「に、苦ぁ…!これ、僕の分じゃなくてクラーレの…」
彼の方に視線を向けると、口から紅茶が滴り落ち、胸元に赤い染みが出来ていた。
「わ…!ちょっ…大丈夫?すごいこぼして…」
「フラン…僕…許せないよ。」
「え…?」
「吸血鬼を…許せない。僕の大事なものを奪って…今度は君と話す時間も奪われた。」
彼の目から光が失われていた。まるで死人のような瞳は、前方をぼんやりと眺めている。僕は彼の異変に気付き、腕に手を伸ばす。
「クラーレ…!落ち着…」
僕の手をすり抜け、彼は床に倒れ込んだ。手に持ったカップが床に叩きつけられ、破片と共に赤い液体が床に広がる。
リーガルの腕の中で、息を引き取る彼の姿が脳裏を過ぎった。
「吸血鬼…許…さない…。」
彼の目から、赤い涙が溢れ出る。彼の柔らかい笑顔は、吸血鬼の手によって失われた。
優しかった彼はもう居ない。吸血鬼に強い恨みを残したまま、空高く旅立ってしまったのだ。
「っ…!」
自室のベッドの上で、目が覚めた。部屋の中は薄暗く、まだ日は昇っていないようだ。
「今日は随分早起きだな…。」
「ごめ…起こしちゃって…。」
「…どうした?夢でも見たのか?」
彼の一言で、赤い涙を流すクラーレの顔を思い出す。僕は俯き、膝を抱えて身体を丸めた。
「泣くなら今のうちだ。今なら俺しか見ていない。」
「泣いてる…暇なんか…。」
「長々と抱え込むより、思い切り泣いた方がスッキリする。」
「…っ。うっ…。」
彼を失ってから、泣く暇も無ければ悼む時間もなかった。僕にとって彼の存在がどれだけ大きかったとしても、時間は平等に過ぎていく。残された者は、亡くなった者の分まで生きなければいけない。
その事を、改めて思い知ったのだった。
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