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ショコラ編-鍛冶屋というのは、家事をしながらなるものだ

第七話 クーリ・グラス

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「なぁ、白森の魔獣ってのは、いつもあぁなのか? 誕生日のケーキに立てる蝋燭には困らなさそうだが」
「いや、あんなの見たことないですよ! ありゃあ、むしろ――」

 農夫は言いかけて、口をつぐむ。
 木箱を端から投げ捨てつつ走る馬車は、けたたましく車輪を鳴らす。その先では次から次に炎柱が上がっている。
 それは、太陽すら焼き尽くすほどの苛烈さと、大樹のような威容を放って。

「なんだか、地獄に行く気分よ……」
「良いことじゃないか。チョコレィトのやつに会える」
「なら、良いんだけどねっ!」

 荷台に仁王立ちするショコラが、鋭く腕を振る。同時、礫が飛んだ。

「キャウンッ?!」

 馬車道の脇の茂みから飛び出した魔狼の眉間に、それは命中する。
 続け様に現れる魔狼数匹に、彼女は過たず飛礫を見舞う。

 パレ。

 彼女の背後に浮かぶホールケーキ大の渦潮で加速した泥を、任意のタイミングで集積。発射する魔法。
 左右に二門それを構えたショコラは、鴨打ちよろしく魔狼を昏倒させていく。

「妙ね」
「あぁ、そうだな。魔狼っていうのは確かに複数で群れ、獲物を取り囲む。二匹見えたなら、周囲に十匹は潜んでいるものだが」
「襲い方がお粗末よ。彼らがそんなにも群れるのは、群れても獲物の取り合いにならないくらい、統率が取れているからなのに」

 なるべく射線に入らないように身を低くしているヌガーは、神経を張り巡らすショコラの代わりに思考を巡らせる。
 魔狼はその統率力、知性をおけば、ちょっと瞳が赤く輝くくらいの魔獣だ。単体ではそこらの獣と変わらないし、それを彼ら自身がよく踏まえている。

 行手に上がる炎柱。
 またも単身、御者台の農夫に跳びかかる魔狼。
 ショコラのパレが、その横腹を滅多撃つ。

 その隙に、もともと荷台からでは狙いにくい前方に数匹躍り出る。

「くそっ、増えてきた!」

 悪態を吐きながら。ショコラはウエイターを呼ぶように手を打ち鳴らす。パレの砲台がさらに四つ彼女の上方に出現し、その様は雷雲を従えるという神の一柱のようでもあった。

「掃射《フゥ》!」

 何の了承もなしにヌガーを踏み台にしたショコラ。それによって射角を得た六つの砲門が、飛沫を上げて礫をばら撒く!
 殺到するそれらはあまりにも小さく、魔狼の赤い瞳には捉えきれない。
 無機質な殺意の大群が、魔狼の目を潰し、顎を砕き、脚をへし折っていく。
 うずくまってしまった彼らを待つのは、農夫に急き立てられた馬の鉄蹄だった。

「ほんと、何で前からしか来ないのよ!」

 大きくぐらつく荷台の上でバランスをとりながら、ショコラがぼやく。その言葉に、ヌガーが顎をさすった。

「それは、前から来てるからだろう」
「……ごめんねヌガー。頭を踏んでしまったかしら」
「そうじゃない、そうじゃなくてだな」

 すっかりと泥を撃ち尽くしてしまい、本当にただの渦潮となってしまった砲門に魔力を補充しながら、ショコラはヌガーを本気で気遣う。ヌガーは手を振ってそれを拒んだ。

「逃げてきてるんだろう。あの大きな蝋燭から。万全の態勢で襲い掛かってみたところ、返り討ち。仕方がないから逃げてきたと、そう考えれば辻褄が合う」
「でも、あんな元素魔法を使える人間、魔狼が襲うわけない」
「そう、そうだショコラ。大事なのはそこだ。知能に優れるはずの魔狼が、これだけの規模を組織して襲撃し、しかしそこには元素魔法使い。つまりはおそらく」

 ヌガーの言葉を切るように、炎柱。
 またも現れる魔狼だったが、今のショコラにはそれが、まるで炎柱に尻を叩かれて出てきたように映る。

「やつは魔狼の包囲網に、それこそあの火柱が生えるように、予定外に闖入したということだ」
「どうでもいいですけど、もう見えますよ?!」
「ということだが、ショコラ、どうする?」
「どうもこうも、いつもと同じよ?」

 強張った顔で叫ぶ農夫に、荷台のショコラは自信たっぷりの笑みを返して。

「樽から出した酒は飲むものよ。一緒に飲もうというならそうするし、そうしないなら、腹がはち切れるまで飲ませてやるわ」

 ◇◆◇

 辿り着いたその場には、悪臭が漂っていた。
 厨房では家具ことのない、毛皮ごと獣を焼いたが故の悪臭が鼻をつく。

 馬こそ逃げ出しているが、馬車はあった。御者台で、痩せぎすの男が必死に身を縮こまらせている。

「おぉい! スティン!」

 農夫がその姿を捉えるなり、片手を振って呼びかける。スティンと呼ばれた男は振り返り、その表情を安堵に緩めた。
 そして声を返そうとして。

「それ以上寄るな! お前らも燃やされるぞ!」

 鋭い声が森の空気を裂く。農夫が咄嗟に手綱を引き、馬車は速度を緩める。
 冒険者の声だった。彼らの守る馬車の周囲を取り囲む三人は、一様に抜き身の剣を構え、明らかな警戒を見せている。
 その様は、はっきり言って異様だった。

「あの人たちは、何に剣を向けているの……?」

 彼らの不躾に憤るより先、ショコラが疑問を口にした。農夫ですら、一度は引いた手綱を手の中で遊ばせる。

 彼らの周りに、敵の影などないのだ。
 あるのはただひたすらの炭の塊。あまりの灼熱に影が地面に焼き付いたようなそれらは、おそらく魔狼なのだろう。ヌガーの言う通り、あの炎柱が焼いたのは魔狼だったのだ。

 しかし、冒険者は警戒を説いていない。身に纏ったライトアーマーすら頼らないとばかりに、ありもしない何かに剣を向け続ける。

 それは例えば英雄譚に語られる、悪霊の森に立ち入ってしまった愚か者の如く。

「ぎゃあああ!」

 途端、三人のうちの一人の足元に、火炎が吹き寄せる!
 見る見るうちに炎に包まれるその体は、黒く焦げ、燃え細り、崩れ去る。
 二つ、三つ。
 瞬く間に冒険者たちは火葬され、泡を拭いて気絶したスティンだけがその場に残る。

「逃げなさい!」

 荷台から飛び降りるショコラ。

「逃げると言いましたって、馬車はそう簡単に――」
「なら、乗り捨てればいいでしょう?!」

 敵は、元素魔法使いだ。
 姿見えない以上、元素魔法の使えないショコラ以外が残っても戦力にならない。ショコラだけでなく、ヌガーもその判断を下していた。
 頭の追いついていない農夫を御者台から引き下ろし、自分共々その場から離れてゆく。

「わかってるな、ショコラ」
「えぇ、わかってるわよ。わたしが死にそうになったら、あなたが庇いに入って死ぬ。でも俺はお前のために死にたくないから死ぬなって、そう言うんでしょ」
「あぁ、よく覚えてるじゃないか」
「覚えさせられたのよ」

 ふんと言い返すショコラに、ヌガーの言うべき言葉はなかった。
 そして、白森の中には主人を失った馬車と、馬を失った馬車が残り。その間で、ショコラはエスプレッソ色のドレスをはためかせて立ちはだかる。

 吹き抜ける風が、冒険者たちの遺灰をかさりと鳴らして。

 すぅ、と。息を吸う。

「さぁ、わたしが相手よ! やるならやるで――っ?!」

 言い終わるを待たず、ショコラに炎が吹き寄せた。
 彼女の足元から這い上がった漆黒がそれを阻み、じゅうと白煙を上げ、彼女を覆い隠す。

 一瞬の空白。いるはずのない何者かの動揺。

 その隙に乗じ、ショコラは白煙から飛び出した。
 そして、白煙に乗じ展開しておいたパレの十二砲門を自身を囲む二つの円周上に配し、その円軌道ごと回転させる。

「ヴェルミセルッ!」

 乱れ打たれたパラが弾幕を形成。毎秒三十六発の石礫が三百六十度を埋め尽くす。
 チーズのように虫食い状になっていく馬車、樹木。気絶したスティン以外の全てを蹂躙していけば。

 炎風。
 突如巻き起こった小さな熱風の嵐が、ショコラの眼前にちょうど人一人分の空白を作り出す。

 今なら、ショコラにもその正体が見える。
 注視しなければ見えないほどの、わずかな空間の揺らぎとでも言うべきそれが。

「やっと姿を見せたわね? ただでさえ顔を見せない礼儀知らずなのだから、わたしの言葉くらい遮らずに聴いて欲しいのだけど」

 どう、引き摺り出してやったわよ?
 ショコラはツーサイドアップにした銀髪の一房を手の甲で掬い上げ、誇るように空になびかせることで、そう挑発した。
 しばしの沈黙。果たして、空間の揺らぎが言葉を発する。

「……冒険者にしては、手慣れている」

 その声は、またも揺らぎと形容するにふさわしい。最初の一音は深い人生を織り込んだような老人の声であるし、次の音はうら若き乙女を予感させる。
 高音を、低音を、男声を、女性を。常に行き来し続けるそれは、悪魔の囁きのようにショコラの背筋をなぞった。
 それでもヌガーの粘着質よりはマシと、彼女は気を取り直す。

「手慣れている? ヌガーとは逆で、あなたは言葉が足りない人なのかしら」
「お前、等級は?」
「えっ? あぁ、等級? そうね……そう、普通よ!」
「なるほど、冒険者ではないな?」

 けれど、二言三言交わしただけで、ショコラは如何様にでも言葉をこねくり回せるヌガーがいないことに歯噛みした。
 冒険者としての等級なんて、偽造の通行証に書いてこそあるけれど、気にしたことがない。
 冒険者という建前をあっさり失ったショコラだが、代わりに得た疑問点を問いかける。

「でもあなた、冒険者であるかどうかが関係あるような人ってことかしら。例えばそうね」

 揺らぎは言葉を返さない。自分の聞きたいことだけを聞こうとするその様は、ショコラの嫌うものだ。
 だから、ショコラも一方的に言葉を投げつけることにした。

「義賊とか」
「……」

 やはり揺らぎは言葉を返さない。返さないが、ショコラは肌で感じるのだ。
 敵意。明確な殺意。肌を粟立たせるその感覚。

「あなた、クーリ・グラスね」

 口に出した途端、揺らぎから現れた火球がショコラに向かって発射される。彼女は手をかざした。追従して、地面から漆黒の壁が聳《そそ》り立つ。
 その時、風が吹いた。
 土壁によって視界の絶えたショコラは目を見張る。壁に衝突するはずだった火球が壁の横へ飛び出したのだ!

「ウソで、しょっ!」

 鋭角的に壁を迂回した火球から、ショコラは持ち前の反射神経で飛び退る。だが、追尾する。
 躱し、追われ、躱す。
 いい加減ショコラも気づいていた。
 風だ。風が火球を操り、獲物を追い立てる猟獣《りょうじゅう》へと変えている。

「あぁ、もう。じれったい!」

 振り切れない。そう判断したショコラは大きく横に飛び、自分の乗ってきた馬車の車輪を掴む。

「いい加減に、しなさいっ!」

 滅多に使わない事象魔法を起動する。『重』により重さの低減された馬車が、ショコラの細腕で振り回される。その先には、ショコラを追いかけてきた火球。
 風が火球を流そうとするが、遅い。ショコラの振り回す馬車は事象魔法で加速する。

 爆音。

 火球が爆ぜ、火の波を生み、馬車を炎の舌に絡めとる。
 すぐさま馬車を投げ捨てたショコラは、自分のドレスの土埃を払い、辺りを見渡す。

「ほんとにもう……あと少しだったのに」

 そこに揺らぎはなかった。パチパチと、馬車の燃え朽ちる音が響くのみ。
 奇襲に身構えるショコラだが、待てど暮らせど追撃はない。
 逃げたのだとしたら、追うべきだろうか。そう考えるショコラだが、ヌガーと農夫のことが頭を掠めた。この騒ぎで魔獣が近寄る可能性は低いとはいえ、心配は心配だ。

 諦めをつけ、いい加減スティンの目を覚まさせてやろうと歩き出すショコラ。そんな彼女に、どこからともなくあの不思議な声が振りかかる。

「今回は、見逃してあげる。あなたは、あの人に似ているから」

 あまりにも、あまりな言葉だろう。ショコラは思った。
 勝手に襲ってきたくせに、なんて言い草だろう。しかも、変わらず会話する気のない一方的に、ショコラは腹が立って仕方ない。
 だから、ヌガーにならい嫌みを返すことにした。

「あらそう? 誰に似ているのかしらないけれど、隠れてばっかりなあなたに立派なお知り合いはいないでしょうから。あまり嬉しくは」
「あの人を侮辱しないで」

 半分森の木々に八つ当たりする心地で口を回していたショコラは目を丸くする。
 初めて成立した会話。ピシャリとした物言いには明らかな感情が見えた。ショコラが興味を示したのは言うまでもない。

 そして、所在のわからぬ声が言う。

「あの人を、チョコレィトを、侮辱しないで」
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