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終 節  月影の詩(うた)4

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 黒絹の夜空に、薄く頼りない月が金色に輝き出した頃、大街道銀楼の道(エルッセル)沿いの小さな村ランドルーラにある、一番大きなその宿の中は、にわかに騒々しく動き出していた。

「リタ・メタリカの姫君ですって・・・!」

「え?ほんとに・・・?何でそのような方が此処に!?」

「しっ!静かに・・・・っ」

 ひそひそと聞こえてくるジプシーの少女達の声に、リーヤティアは、胡桃の椅子に腰を下ろしたまま、きょとんとした顔つきをすると、その晴れ渡る空を映した紺碧色の瞳を、ちらりと戸口に向けたのである。

 驚いたように肩を震わせて、少女達は、巣穴に駆け込む子兎のように、ハッと扉の向こうに顔を隠してしまった。
 その様子が可笑しかったのか、彼女は、綺麗な桜色の唇で小さく笑いを噴き出したのである。

「こらっ、おまえ達!姫君に失礼だぞ、向こうへ行っていなさい!」

 少女達がこそこそと覗いている戸口に向かってそう言ったのは、先刻盗賊どもに襲われていたあのジプシーの一団の頭(かしら)である、パルヴィス・ローディという名の中年男性であった。
 彼の声に、慌てて、少女達が戸口から逃げ去っていく。
 パルヴィスは、実に申し訳なさそうな顔をして、目の前にいる、リタ・メタリカの高貴な姫君の綺麗な顔を、緊張した面持ちでまじまじと見やるのだった。

「も、申し訳ありません!躾の行き届かぬ子達で!あの・・・・・」

「いいえ、そんなことはありせん。元気で可愛らしい子達ではないですか?」

「そ、そう言っていただけると、た、助かります」

 おどおどしながら頭を垂れたパルヴィスに、リーヤは、穏やかな表情をして、ごく自然に微笑んで見せたのである。
 一介のジプシーが、まさかこのような所で、リタ・メタリカの高貴な姫君に遭遇し、しかも、命まで救ってもらえる事になろうとは、思ってもいなかったのであろう。
 パルヴィスの両眼は、先程から落ち着き無くふらふらと宙を漂うばかりである。

「はいはい、あんたもさっさと出ておいきよ、姫君は湯浴(ゆあ)みの準備をなさるんだからさ!」

 椅子に座ったままでいるリーヤの背後から、パルヴィスの妻たるメテリの張りのある元気な声が響いてきて、彼は、ハッと肩を震わせると慌てて戸口に走り込んだのだった。
 そして、「ごゆっくりと」と言う言葉と共に、扉の向こうへといそいそと姿を消してしまったのである。
 リタ・メタリカの勇ましい姫君は、威勢良く閉まった部屋の扉を眺め、再び可笑しそうに笑った。

「騒々しくて、落ち着きませんでしょう?すいませんね・・・・」

 余りの愉快さに、肩を小刻みに震わせた彼女の背後から、メテリの申し訳なさそうな声が響いてくる。
 その言葉に、リーヤは、ゆっくりと後ろを振り返ると、手に櫛を持ったまま、困ったように眉間にしわを寄せるメテリに、三度、微笑して見せたのだった。

「いえ、賑やかで楽しいではないですか?」

「そうでございますか?それならばいいのですが・・・・
まさか、こんな所でリタ・メタリカの姫君にお会いできるなんて、思ってもいませんでしたから・・・・・今宵は、本当に、ありがとうございました・・・お陰で、皆命拾いしました」

 メテリは、どこかほっとしたように大きくため息をつくと、きちんと結い上げられていたリーヤの紺碧色の髪から、金の髪留めを丁寧に外したのだった。
 輝くような艶を持つ長い巻髪が、高貴な姫君の肩にふんわりと広がる。
 美しいその髪に優しく櫛を入れながら、メテリは、申し訳なさそうな口調で言葉を続けた。

「まさか、アランの連れがリタ・メタリカの姫君だなんて・・・
あら、まぁまぁ・・・美しいお髪(ぐし)がこんなに埃をかぶっておられる・・・先刻の盗賊どもとの格闘のせいですね」

「よく侍女にも叱られていました。武芸を習うたびに埃にまみれていましたから」

 綺麗な桜色の唇で、リーヤの紡いだその言葉に、メテリは、驚いたように目を丸くすると、ひどく感心したように声を上げたのである。

「まぁ!だからあれほど、お強かったのですね?」

「王宮では誰も誉めてはくれませんでしたが・・・・」

 肩で小さくため息をつきながら、さほど広くない粗末な部屋の中をゆっくりと見回した時、リタ・メタリカの姫君は、ふと、ある事に気付いて、大きな紺碧色の瞳をぱちぱちと瞬きさせたのだった。
 つい先程まで窓際にいた、あの口の悪い魔法剣士の姿がそこに無い。
髪を梳くメテリを僅かに振り返ると、リーヤは、彼女に聞くのだった。

「・・・・ジェスターは、どこへ行ったのです?」

「ジェスター・・・・?ああ、アランの事ですね?さっき外の方へ行きましたけど・・・」

 メテリの口から再び出たその聞き慣れない彼の呼び名に、怪訝そうに綺麗な眉を寄せると、リーヤは、率直な疑問を、髪を梳き続ける彼女にぶつけたのだった。

「何故、貴女たちはジェスターをアランと呼ぶのです?」

 姫君のその質問に、メテリは、ほんの少しだけ恰幅のいい肩をすくめると、やけに静かな口調で答えて言うのだった。

「アランデューク・・・これが、彼の本当の名ですのよ・・・・
私達ローディ一家は、エトワーム・オリアの出です・・・あの子も、五つの頃から、ずっと、エトワーム・オリアで育ちました・・・」

「エトワーム・オリア?」

「はい・・・・」

「・・・・何故ジェスターは、本当の名を名乗らないのです?」

「私も詳しくは知りませんが・・・・13の頃から、自分の名を『ジェスター』と名乗るようになったとか・・・・
私達ジプシーは、年に何度かしか故郷に戻りませんから、その間に何かあったようで・・・実のところは、よく知らないのですよ。
アランのことは、私よりイリーネの方が良く知っているはずです・・・・・」

「イリーネ・・・・」

 その名がメテリの口から出た瞬間、リーヤの脳裏に、夕闇に曇る街道で真っ直ぐに彼と対峙していた、あの美しい踊り子の姿が過ぎっていった。

「ええ、イリーネは・・・・何と言うか・・・その・・・・アランとは恋仲のようなものでしたから・・・・」

「・・・・・・そう、だったのですか・・・・・」

 メテリの言葉に、リーヤは、なにやら感慨深げな表情をすると、その紺碧の瞳を、ふと、薄い月明かりが照らし出す窓の外へと向けたのである。

 夜の女神が両手を広げる黒絹の窓の向こう側には、金色の月影を散らす夜風が、音も立てず静かに舞い踊っていた。
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