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第四節 息吹(アビ・リクォト)10

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 その視線を追って、リューインダイルの金色の瞳もまた、ゆっくりとレダを振り返る。
 彼女は、その紅の瞳を僅かに細めると、甘い色香が漂う裸唇を開くのだった。

『リューイがそれを望むなら・・・・別に、私は何も言わないわ』

『・・・・だそうだ・・・シルバ、ならば、このまま我らと来るがいい・・・それに・・・』

 そこまで言って、リューインダイルは、ふと言葉を止めた。
 怪訝そうに首を傾げたシルバに、どこか思惑有りげな視線を向けると、彼は、まるで笑うように金色の両眼を細めたのである。

『シルバが行くなら、私も行く!』

 その時、先程から実に不安そうな表情でシルバの端正な横顔を見ていたサリオが、彼の二の腕を掴んだ。
 シルバは、いつになく厳(いかめ)しい表情で彼女の可愛らしい顔を見やると、華奢なその肩を柔らかく掴み、虹色の瞳を真っ直ぐに見つめながら諭すような口調で言うのだった。

『此処から先に、君を連れて行く訳にはいかない・・・・俺ですら命を落とすかもしれないんだ。
君を巻き込む訳にはいかない。大人しくディアネテルの元へ帰るんだ』

『嫌よ!だって・・・・!』

 虹色の瞳を潤ませて、尚も食い下がるサリオに、先程からずっと口を閉ざしたままだったアノストラールが、落ち着き払った声色で言うのである。

『シルバの言うと通りだサリオ。

そなたは私と共に森へ帰るが得策・・・シルバとて、次期女王たるそなたを命の危機に晒す訳にはいかぬのだ』

『でも!・・・アノス!だって私は、シルバと離れたくないもの!!』

 涙目の彼女がアノストラールを振り返った瞬間、白銀の衣を纏う彼の腕が、強引に彼女の体をシルバの元から離したのである。

『聞き分けのない子だな、そなたは?』

『やだ!離して!アノス!!』

じたばたともがくサリオの体をしっかりと腕に抱きかかえたまま、アノストラールの黒い瞳が、ふと、どこか困ったような表情をするシルバの端正な顔を見た。

『行くがいいシルバ。
白銀の森の事は心配するな、私が守るゆえ・・・・だが、決して・・・死ぬでないぞ・・・』

 感慨深い彼のその言葉に、シルバは、広い肩を僅かにすくめると、やけに穏やかに微笑して小さく頷いたのだった。

 『ああ・・・・』

 『時々、様子を見に行く・・・・・・気をつけろ』

 『おまえに言われなくとも』

 シルバの答えにアノストラールは、くったくなく微笑すると静かに首を縦に振った。

 不意に、そんな彼の肢体を銀色の輝きを伴う旋風が包み込んだ。
 類まれな美貌を持つ彼の背に大きな白銀の翼が伸び上がると、音もなく巻き起こる銀の風の中で、優美なその姿がゆるやかに変化していき、やがて、人であった彼の姿は、輝くばかりの白銀の鱗を全身に纏い、その額に一角の角を持つ、美しい銀竜の姿へと成り果てたのである。

『シルバ!必ず帰って来て・・・・必ず!!』

 本来の姿に戻ったアノストラールの掌から、今にも泣き出しそうな顔のサリオが叫んだ。
 同時に、眩いばかりの白銀の輝きが周囲に乱舞すると、大きな光の球が巨大な銀竜とそして、妖精の少女の姿を一瞬にして包み込んだのである。
 弾けるような閃光が虚空にほとばしり、それが大きく伸び上がると、次の瞬間、その姿は、吸い込まれるように空間の狭間へと消えて行ったのだった。

 急速に遠ざかっていく、白銀の森の姫を抱いた銀竜の気配。
 周囲に迸る銀色の閃光が、完全にその場から消え失せた時、カルダタスの峰より吹き付ける冷たい風だけが、横たわる瓦礫の合間を深い森に向け、ざわめきながら渡っていく。

 冷たい風の只中で、リューインダイルの金色の瞳が、同朋を見送ったシルバの端正な横顔を、その足元から静かに仰ぎ見たのである。
 彼の持つ艶やかな長い黒髪が、吹き付ける風の合間にゆるやかに跳ね上がった。
 リューインダイルは、そんな彼に向かって、やけにゆっくりとした口調で言うのである。

『シルバ、そなた、随分と好かれているようだな?白銀の姫君に?』

 その言葉に、シルバは、唇の隅で困ったように小さく笑うのだった。

『そのようだな』

『そなたは・・・・あの姫君の父がどんな男であったか、知っているのか?』

『いや・・・・実は人間であったと、以前アノストラールが言っていたが・・・それ以外は・・・』

『・・・・・そなたと同じ、実直な眼差しをした強い男であった・・・あやつは』

『・・・・え?』

 怪訝そうに眉根を寄せて、深い地中に眠る紫水晶のようなシルバの隻眼が、ふと、リューインダイルを振り返る。
 吹き付ける風に、彼の艶やかな長い黒髪と、純白のマントがゆるやかに虚空へと翻った。
 リューインダイルの金色の両眼が、どこか愉快そうに細められる。

『そなたが知る訳もないがな・・・・・・・あやつは、400年前のあの戦の最中に命を落とした・・・・・・
そなたは、決して二の舞を踏むでないぞ』

『・・・・・』

 僅かに細められたシルバの澄んだ紫水晶の右目が、澱みなく真っ直ぐに、リューインダイルの顔を見つめすえた。
 遥か遠い昔、強力な呪文と共にその命を散らした白銀の守護騎士の姿に思いを馳せて、リューインダイルは、静かに両眼を閉じたのである。

~ どちらにせよ、私の命はもうすぐ尽きる・・・・ディアネテルに伝えてくれ・・・・愛していると・・・

 そう言ってやけに穏やかに微笑んだ、あの白銀の守り手の最後の姿を、忘れられるはずもない。
 ゆっくりと開かれたリューインダイルの金色の眼差しが、静かに、背後に立っている美しき青珠の守り手レダに向いた。

『さて、急ぐとするか、レダ?レイルの命が危うい、早く森へ戻らねばな』

 リューインダイルのその言葉に、レダは、秀麗な顔を凛と強く引き締めると、藍に輝く黒い髪を疾風に棚引かせて、無言のまま小さく頷いたのだった。
 そして、集落の入り口へと歩み出した彼女の鮮やかな紅の瞳は、決して、白銀の守り手たるシルバの方を向くことはない。

 彼女の態度は、相変わらずだった。
 ゆるやかに遠ざかって行く、彼女のしなやかな背中を見やっていたリューインダイルが、僅かに潜めた声で、変わりなく冷静な表情のシルバに言った。

『レダは・・・本当に腕の良い弓士だ・・・・・だが、憎しみにその身を窶し過ぎている・・・・
それは決して、レダにとって幸福なことではないのだ・・・・
あの憎しみの炎をレダの中から消せるのは・・・・憎しみを作ったそなたしか、いないのかもしれぬ・・・・・・・・シルバ』

『・・・それはどうかな?彼女は頑固そうだからな』

 どこか困ったような、どこか可笑(おか)しそうな、そんな複雑な表情でそう言ったシルバが、純白のマントを翻しながら、片手を白銀の剣に置いた姿勢で、ゆっくりと歩き出す。
 それを追うように、リューインダイルの四本の足もまた、足音も立てずに歩き出したのだった。

 『・・・・いや、そなたしかおらぬのだ、恐らくな』

 カルダタスの高峰から吹き付ける冷たい風に、実に意味深なリューインダイルの声が舞い散った。
 天空に輝く太陽の断片が、虚空を渡る風の精霊の不穏な歌声の最中に乱舞する。
 
 この晴れ渡る空の向こう側に、一体、何が待ち受けているかは、例え魔法を司る者であろうと、知る由もない・・・・
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