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第三節 忘却の街12

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 「!?」

 びゅうんと高い音を立てて、砂混じりの風が、彼女の艶やかな紺碧色の巻髪を浚って通り過ぎていく。
 気付けば、あの荘厳な神殿の風景は既に消え失せて、そこには、荒涼とした大地に抱かれて、象牙色の砂に埋もれた幾本もの石柱が、ただ、孤高に立つ光景があるだけであった・・・・

 そう、彼女が立っていたのは、先ほどアーシェの末裔たるジェスターに連れられて来たはずの、あの朽ち果てた神殿の最中だったのである。

「・・・・・」

 リーヤは、どこか戸惑ったような、しかし、ひどく厳(いかめ)しい顔つきをして、凛と輝く、晴れ渡る空の色をした両眼でゆっくりと辺りを見回した。
 そして、赤い刃を持つ優美な三日月型の短剣を持ったまま、一つ小さくため息をつくと、砂に侵食された白い床に落ちたままの、『無の三日月』の鞘を拾い上げ、赤い刃を静かにその中に収めたのであった。
 細身の剣を腰の鞘に戻すと、鞘を履くベルトに鞘ごと赤き短剣を差して、彼女は再びゆっくりと辺りを見回したのである。

 岩と砂利と砂に埋もれた大地に抱かれる、忘却の街。
 砂混じりの風に艶やかな紺碧色の髪と、緋色のマントが翻る。

 しなやかな肢体ごと、その晴れ渡る空の色を映す瞳を朽ち果てた街の東に向けた時、ふと、そんな彼女の視界に、見たことのある、朱の衣を纏った背中が飛び込んで来たのであった。

「・・・・ジェスター?」

 リーヤは、静かに爪先を向けると、足元の砂を蹴りながら、崩れ果てた建物の合間を、ゆっくりと、遠くに見える彼の元へと歩み寄って行った。

 忘却の街の東の外れ。

 砂に埋もれるように立ち並ぶ荒削りの石柱が示すものは、その命が終(つい)えたアーシェ一族の者達が眠っていることを示す、墓標であるようだった。
 その中の一つの前に立ち尽くし、鋭い無表情で墓標である石の柱を見つめやっている、若獅子の鬣のような見事な栗毛を持つ、長身の青年の姿。

 砂混じりの風が吹きすさぶその最中に、衣の長い裾が緩やかに翻っている。
 天空から注ぐ、金色の太陽の切っ先が、彼の背中に負われた大剣の柄を鋭利に輝かせていた。
 燃える緑の炎を思わせる、鮮やかな緑玉の瞳を僅かに細め、彼は、ただ、身動ぎもせず、真っ直ぐに、何も書かれていない墓標を見つめ据えるばかりであった。

 そんな彼の少し後ろに立って、リーヤティアは、ふと、緋色のマントを羽織った肩を小さく揺らしたのである。

 鋭い無表情・・・・だが、どこか悲哀にも似た、言い知れぬ陰影が彼のその端正な横顔を縁取っていて、彼女は、彼の名前を呼ぶことを一瞬、躊躇った。

 びゅうんと高い音を立てて、砂混じりの風が忘却の街の合間を吹き抜けていく。
 リーヤには、一体彼が、誰の墓標を見つめているのか、全く見当もつかない、ただ、常に豪胆な彼にこんな表情をさせるだけの人物が、おそらく、そこには眠っているのであろう。

 何をも言葉に出せずに、リーヤは、腰に差した『無の三日月』にさりげなくしなやかな手を置いたまま、綺麗なその顔をどこか複雑な表情に満たして、彼女もまた、真っ直ぐな瞳で黙って彼の広い背中を見つめすえたのだった。

 その時、太陽の光を受けて金色に輝く栗毛の髪を揺らして、彼、アーシェ一族の末裔にして妖剣アクトレイドスを操る魔法剣士ジェスター・ディグが、ゆっくりとリーヤを振り返ったのである。
 燃え盛る炎のような美しい緑玉の瞳が、複雑な表情でその場に立ち尽くしているリタ・メタリカの果敢な姫君の秀麗な顔を真っ直ぐに見た。

そこで、彼女はふと気付いた・・・・心なしか、彼の顔色が悪い・・・
 リーヤの桜色の唇が、その時初めて彼の名を呼んだ。

「ジェスター・・・・・」

「『無の三日月(マハ・ディーティア)』は、無事にお前の手に渡ったようだな・・・・・・」

「この短剣のことを、貴方は知っていたのですか?」

「まぁな・・・・・行くぞ、長居は無用だ・・・・・痛くてたまらねぇ・・・・・」

 相変わらずの無粋な物言いでそう言うと、形の良い眉を僅かにしかめて、朱の衣を風に棚引かせながら、ジェスターは、リーヤの目の前を通り過ぎて行った。
 リーヤは、怪訝そうに眉根を寄せると、ふと、その視線を、先程まで彼がじっと見つめていた、あの墓標へと向けてみる。

 砂に埋もれるようにして立てられた低い石柱・・・そこには何をも刻まれてはおらず、ここに誰が眠っているのかすら、全く彼女にはわからない。

 しかし・・・・

 もしかしたら、彼にとってかけがえのない誰かが、そこに眠っているのかもしれない・・・・
 彼女は、何故か、一抹の切なさをその心に覚えながら、きびすを返すと、慌てて彼の後を追いかけたのだった。
 緋色のマントが砂混じりの風に翻る。

「ジェスター・・・・貴方、どこか怪我でもしているのですか?」

 怪訝そうな顔つきをして、まじまじと彼の端正な横顔を覗き込んだ彼女に、彼は、ちらりとだけ、その緑玉の視線を向けたのだった。

「・・・・いや」

「顔色が優れないようですね?」

「・・・・・大丈夫だ、この地を離れれば楽になる」

「どういうことです?」

「お前には関係ねぇよ」

 その言葉に、いつもの事ながら、リタ・メタリカの美しい姫の眉が吊り上がった。

「関係ないとはなんですか?私は貴方の身を案じたのですよ!?」

「頼んでねぇだろ?」

「貴方は、どうしてそうも無粋なのですか!?」

「あーあー・・・どうせ無粋だよ、王宮でぬくぬく育ったお前とは違うからな」

 どこか不愉快そうに眉根を寄せて、ジェスターは、こちらを睨みつけているリーヤの顔を見つめやる。
 リーヤが、次の言葉を出しかけた時、不意に、吹きすさぶ風が天空で高い唸り声を上げた。
 
 風の精霊の放つ警告の声が、ジェスターの聴覚を迅速で駆け抜けていく。
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