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第三節 夜の闇と追憶の月影5

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 揺れる漆黒の前髪の下で鋭く細められた澄み渡る紫水晶の右眼に、再び、虚空から振り落ちてくる女妖の爪の鋭利な切っ先が映り込んだ。
 後方に素早く身を翻してそれを退くと、シルバは、振り返り様、間髪入れずに白銀の美しい刀身を横に一閃させた。
 ほの暗い闇に純白のマントが棚引いて、煌く銀色のオーラを纏うジェン・ドラグナの鋭利な斬撃が、真っ向からアルアミナの首を狙って閃光の弧を描く。

 黒き炎を纏い瞬時に空間を飛び越えたアルアミナは、その迅速で鋭利な一閃をまんまと退いてしまう。
 不気味な鐘の音が鳴り響くほの暗い闇。
 闇の色を映したような女妖の漆黒の髪が、まるで生き物であるかのように虚空に揺れ、持ち上がる前髪の下で、憎悪に満ちた水色の瞳がカッと大きく見開かれる。

 同時に、黒衣に包まれた細身の肢体から、鈍い音を立てて闇の炎が伸び上がると、それは揺らめきながら千々に砕けて舞い踊るかのように虚空に乱舞した。
 大きく広げられたその両腕を、眼前で白銀の剣を構え直したシルバに向けると、彼女は甲高い声で叫んだのである。

『嘆きの闇より来たれ!!!アーシェヘル・アンセサスト(炎の流星)』

 刹那。
 ぐらりと、シルバの足元が波打つように揺れた。

「!?」

 ほの暗い闇の空間に、嘆きの精霊の号泣と轟音が響き渡り、千々に砕けた黒炎が業火の如く燃え盛ると、それはまるで、炎の纏う流星が如く黒い帯を闇の最中に引きながら、豪速でシルバの頭上へと降り注いできたのである。

 煌々と燃え盛る爆炎の流星が、嘆きの精霊の声と共に、古の塔の床も外壁も打ち砕き辺り一面を、暗黒の炎の海へと変貌させていく。
 燃え上がる黒き炎の海の最中、鋭い表情をするシルバが、瞬時に白銀の剣を虚空に翳すと、その足元から、轟音と共に銀色の結界が伸び上がった。

 同時に、木々を渡る黒豹の如く柔軟に引き締まった彼の肢体が、ほのかに煌く、結界とはまた別の神々しい光が包み込まれていく。
 それは、白銀の守護騎士にのみ森の女王から与えられる、『加護の名(アプロテクサード)』と呼ばれる、森での真実の名が、ありとあらゆる魔力から彼を守るために発動したことを意味していたのである。

 魔物の手から解き放たれた爆炎の流星群が、強固な結界と加護の名によって弾き返され、それは火の粉を散して虚空を跳ねると、【封印の塔】と呼ばれる古の建物が、闇の業火で殊更激しく燃え上がって行った。
 外壁は砂のように砕け散り、床は抉り取られ、彼の体ごと焼き尽くすが如く、ごうごうと火柱を上げる黒き炎が揺らめき立つ。

 古の塔が、ぐらりと振動して、緩やかに傾いていくのが解る。
 だが、シルバは尚も臆すことはない。
 深き地中に眠る紫水晶のような右目を鋭く煌かせると、白銀の剣を構え直し、その俊足が瓦礫に埋もれる床を蹴った。
 同時に彼の凛々しい唇が、呪文と呼ばれる古の言語を紡ぎ出す。

『遠雷 轟かせし空に走るは猛き紫電 その雷の切っ先は 無敵となりぬ』

 彼の声と共に、その手に構えられた聖剣の美しい刀身が、まるで呼応するように果てしなく輝き始めた。
 俊足でアルアミナの元へと走り込んでいく彼の肢体に、白銀の輝きが眩いばかりに煌きながら絡み付いていく。
 地獄の業火の如く燃え盛る黒き炎の中に、神々しい程に輝く銀色の閃光が、一直線に天空を目指して虚空を駈けた。

『遍く全てを貫き通す気高き雷光 今 空より来たれ!』

 全ての言葉が紡ぎ出された時、嘆きの霧と夜の闇が支配する天空に、凄まじいほど紫色に輝く閃光がった。
 それは細く鋭利な紫電の帯を作り上げ、轟く雷鳴と共に、暗黒の業火を操るアルアミナの頭上へと、真っ直ぐな直線を描いて降り落ちて来たのである。

 『この!!』

 苦々しく歪んだ女妖の白い顔が、吹き上がった黒き炎に包み込まれていく。
 暗黒の炎に包み込まれた空間に同化するように、女妖の姿がみるみる消えていく。
 雷鳴を轟かせて、その炎を一直線に貫いた紫電の凄まじい残光が、古の塔の全体を奇妙な形に歪ませ、次の瞬間、その天辺にある錆付いた銅の鐘が、鈍く輝きながら千々に粉砕したのだった。

 ぐらりと歪んだ塔の石壁の全てが、闇と霧に曇る外界へと凄まじい破裂音と共に弾け飛んでいく。
 アルアミナの撒き散らしたあの地獄の業火の如き黒炎は、紫電の激しい残光にかき消されていき、弾ける紫の閃光に覆い尽くされたその瞬間、その場からものの見事に消え去ったのである。

 轟音を上げて倒壊していく古の塔が、砕け散った瓦礫を嘆きの大地に雨のように降らせた。
 沸き立つ土埃の最中、ゆるやかに地面に倒れていく古の塔。
 夜の闇と嘆きの霧が激しく振動して、その役目を終えた封印の塔が、瓦礫の山を作りながら跡形もなく崩れ去る。
 少しずつ、辺りを埋め尽くしていた紫電の残光が、その輝きを失い、雷鳴と共にゆっくりと夜に曇る天空へと引き戻されていく。

 沸き立つ土埃と砂塵の最中、純白のマントと、ゆらゆらと揺れる神々しいまでの白銀の輝きを纏うシルバは、尚も鋭い顔つきをしながら、眼前に現れた夜の闇と嘆きの霧に覆われた外界を、その深き地中に眠る澄んだ紫水晶のような右目で、睨むように見つめすえたのだった。
 重く横たわるようにその場に戻った静寂に、ひーひーとか細い泣き声を上げる、嘆きの精霊の慟哭だけが響き渡っている。

 悲嘆に暮れるすすり泣きを孕んだ冷たい夜の疾風に、シルバの艶やかな黒い髪が揺らめくように棚引いた。
 利き手に握った聖剣の鋭利な切っ先を地面に下ろしながら、彼は、形の良い眉を僅かにしかめて、思わず苦々しく呟いたのである。

 「逃がしたか・・・・」

 そんなシルバの背後に、ふと、誰かが立つ気配がした。
 その気配の主が誰であるか察知した彼は、純白のマントを緩やかに翻しながら、鋭い顔つきをしてゆっくりとそちらに振り返る。

 嘆きの霧と懇々と湧き上がる夜の闇の中に、なにやら愉快そうに薄く笑いながら立っていたのは、他でもない、彼の旧知の友にしてアーシェ一族の魔法剣士たるジェスター・ディグであったのだ。

「派手にやりやがったな?おまえ?」

 何の気無しにそんな事を言いながら、若獅子の如き見事な栗毛の髪を虚空に揺らし、瓦礫の山を軽く飛び越えた ジェスターは、前で腕を組んだ姿勢でその燃え盛る炎のような緑玉の瞳を、シルバの精悍で端正な顔に向けたのである。
 聖剣と呼ばれる白銀の美しき魔剣ジェン・ドラグナを、慣れた手つきで鞘に収めると、シルバは、純白のマントが翻る広い肩で大きく息をつきながら、澄み渡る紫水晶の視線で、眼前で愉快そうに笑うジェスターを顧みたのだった。

「寸前のところで逃した・・・・・・」

「おまえは女に甘過ぎるんだよ」

「悪かったな」

 珍しくふてくされたような顔つきになって、そんな事を呟くと、シルバは、再び、肩で大きく息を吐きながら言葉を続けたのである。

「あの女妖、随分と白銀の守り手に恨みがあるようだ・・・飛んだ逆恨みだが」

「魔物にも、青珠の守り手にも恨まれてるなんてな・・・・損な役回りだ、シルバ?」

 そんな事を言いながらも、さして気の毒そうな顔をする訳でもなく、それどころか殊更可笑しそうに笑って、ジェスターは、鮮やかな緑玉の瞳で真っ直ぐに、どこか困ったような表情をするシルバの顔を見た。

「ああ、お陰様でね」

 片手を漆黒の長い髪に入れて、開き直ったようにそんなことを言うと、シルバは、緩やかに純白のマントを翻し、そのままゆっくりと、辿ってきた道へと踵を返したのだった。
 鮮やかな群青の衣の長い裾を翻し、ジェスターもまた、ゆっくりと踵を返す。
 懇々と湧き上がる夜の闇の中に、嘆きの精霊のすすり泣く悲痛な声がこだまして、彼らによって作り出される白い濃霧が、未だ、美しかったエトワーム・オリアの町を覆い尽くしている。

 この深い嘆きの霧も、あの美しきの守り手の力があれば、一瞬にして晴れるのだろうと、深き地中に眠る紫水晶のように澄んだシルバの右目が、何気なく、峠の森の方へと向いた、正にその時だった・・・・
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