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最終話 一つのベッドで
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夜七時過ぎ。
街は夜闇に包まれている頃。
俺は大学の講義を終え、疲労を滲ませながらアパートへ帰宅した。
玄関を開けると、やたらと暗い。
不気味なほどの静寂が辺りに漂う。
パチッ、と玄関横の照明を押す。
明るくなったが、それでも虚しい空気が完全には霧散しない。
下を見ると、靴はなかった。
俺の「ただいまー」という声は空虚に消えていく。
スニーカーを脱いで、短い廊下を進む。
リビングのドアを開けると明かりはついていなかった。
しん、と静まり返る室内で軽く息を吐く。
重いリュックを床に下ろして、さて電気でもつけようかと思った。
その時だった――。
「お誕生日おめでとう! 蓮!」
「うわぁぁぁぁあっ?!」
突如大音声が響き渡ったかと思うと、パンッと小気味良い音が鳴った。
それと同時に部屋に明かりが灯り、クラッカーを持った瀬奈の姿が目に入る。
「び、びっくりした……いないのかと思ってた。……あ、ありがとう」
ヒラヒラと宙を舞う紙片を横目に、俺は感謝を告げる。
「今日は蓮の誕生日なんだもん。家で豪勢な夕食準備してるに決まってるじゃん」
「決まってる……のか?」
「さあさあ、主役はこちらのお席へ」
瀬奈はにやにやと嬉しそうな顔を浮かべ、椅子を引いてくれる。
俺は流されるままに着席した。
テーブルの真ん中にはホールケーキと、トロトロに煮込まれた好物のビーフシチューが置かれていた。
その手前にはサラダ、チキン、空のワイングラスがある。
きゅぽっ、と横からいい音がした。
瀬奈が瓶に入った赤紫色の液体を、俺のワイングラスへと注いでいく。
グラスを持ち上げると、その角度に合わせてゆらりと液体が揺れる。
鼻腔を突くのは、芳醇な香り。
口に含むと、甘みと微かな酸味が舌に広がっていく。
「うまいな、このぶどうジュース」
「でしょ! ……ってそこはワインと言えワインと」
「なんでだよ」
「いやー雰囲気といいますか、なんといいますか……ワイングラスまで用意したのに」
「来年な、来年」
来年俺は二十歳だ。
本物のワインだって飲めるようになる。
「さらっと来年も一緒にいようね……って照れますなぁ……」
瀬奈は顔を赤らめ、頬に手を添える。
「言ってないけど、まあ……意味的には間違ってはいない」
「さあて、冷める前にいただこっか! あー、ケーキ美味しそーっ!」
瀬奈は俺の対面へと腰掛け、ホールケーキを一切れ皿に盛り付ける。
フォークを手に取った。
いきなりケーキから食べる気のようだ。
「主役よりケーキ多く食う気だろ」
「やー、そんなことは……あるかも」
「今日くらいは自重しろ」
「あははっ、考えとく」
遠慮する気のなさそうな笑い方でケーキをぱくりと食べる。「んまぁ~」と随分幸せそうだ。
「いつの間にか、出会ってからもう一年以上経つんだな」
俺はしみじみと呟く。
「ほんとあっという間だったね。でも忙しかったなぁ、色々と」
俺は大学受験をなんとか合格し、晴れて第一志望の大学に進学した。
普段の授業に加えて教職課程もこなさなければならないのは骨が折れるが、自分の夢のために、応援してくれる家族や瀬奈のために、挫けるわけにはいかない。
学業が多忙なせいでバイトはあまりできていない。金銭面は他に頼っている状態だ。
瀬奈はあの後、転校と転居について親にかけあったそうだ。
この春から、瀬奈は通信校へ通っている。今までの高校ではここからだと遠くて通えないこと、そしてクラスに馴染めない抵抗感などから、大きな決断をしたのだ。
しかし転校も転居もどちらも瀬奈一人ではできない。親の許可が必要だった。
だが意外にもすんなりいったそうだ。
瀬奈の母親的にはさっさと出ていってほしい一心だったのだろう。
互いに壁を越えてきた。
だからこそ幸せな今があるのだ。
「わたしもいつか、蓮みたいに夢を追いかけたいな」
目を細めながら、羨望するように瀬奈は遠くを見やる。
「司書になる夢か?」
「そう。お金貯めて大学か短大に進むんだ」
俺が夢を再び取り戻したからか、瀬奈も夢に向かって邁進するつもりのようだ。
「瀬奈ならきっとなれるさ」
「えへへ……」
力を込めて告げると、瀬奈は頬を緩めまくって笑顔を作った。
そのまま食事をしていると、突然瀬奈が手を止めた。
考え込むような仕草をしてから、俺へ訊いてくる。
「あれ、わたしたちっていつから付き合ってるんだっけ?」
「……いつからだろうな」
そういえば明確に付き合うと決めた瞬間がない。
いつの間にかこんな関係になっていた。
「告白もなかったし……」
「今日から一年前でいいんじゃないか? 大体そのくらいからこんな感じだった気もするし」
「雑っ!」
瀬奈が鋭く突っ込みを入れてきたが、反論はしてこない。渋々受け入れるということだろう。
「昔のこと振り返ってふと思ったんだが、瀬奈って最初から距離感おかしくなかったか?」
「あーあれか」
瀬奈は初めて出会った時からやたらと距離が近かった。女子と付き合ったことのなかった俺は平常心を保つのに苦労したものだ。
「なんでだろーね」
「無意識に助けを求めてたんじゃないか?」
心の何処かでは誰かに救ってもらうことを願っていたのかもしれない。
それが表面上に現れた結果があの行動だという可能性がある。
「確かに、そうかも」
瀬奈はハッと気付かされたような顔で頷いた。
「……俺だけ、だよな?」
急に不安になって尋ねる。
もしかしたら俺以外にも瀬奈と距離が近かった人がいるかも知れない。
「大丈夫。蓮だけだよ、あんなことしたのは」
瀬奈は席を立って俺のそばまでやってきた。
その可愛らしい顔が近付いてくる。
「わたしのこと救ってくれて本当にありがとね。蓮はわたしの一番の恩人だよ。これからはわたしが蓮のこといっぱい支えるから」
そう言って、瀬奈は唇を重ねてきた。
* * *
夜も深まった頃。
「……」
わたしはなかなか寝付けずにいた。
蓮には言っていないが、実はこの生活がいつまで続くのか少しだけ不安に感じる時がある。
夜だからか、その不安感がいつにもまして大きい。
友達も家族も、最後にはわたしを必要とはしてくれなかった。
みんな見捨てていった。
蓮はどうなのだろう。
来年は、いてくれるかもしれない。
じゃあ再来年は? その先は?
いつか愛想がつきて、置いていかれちゃう日が来たりしないかな。
部屋には二つベッドが置かれている。
わたしのと、蓮のと。
ゆっくりとかけ布団をめくって、起き上がる。
数歩歩くと蓮のベッドにたどり着いた。
蓮はわたしに背中を向けて寝ている。
その身体にかけられた布団をおそるおそるめくった。
中にもぐると身体が少しはみ出てしまった。一人用だからしょうがないか。
蓮のぬくもりが身体にまとわりつく。
背中大きいな……落ち着くなぁ。
不安が熱に溶けてじんわりと薄くなっていく。
「ん……」
蓮が寝返りを打とうとした。
慌ててわたしは布団から出る。
起こさないように出られたことに安心しきって、ベッドに置いたままだった手を、不意に握られた。
「れ、蓮!?」
びっくりしてつい声を上げてしまう。
「一緒に寝る……?」
薄く開いた目で蓮が問いかけてくる。
その語調は弱々しい。
もしかしたら寝ぼけているのかも。
わたしの心拍数は急上昇した。
自分を落ち着かせるために胸の前に手を持ってくる。
「う、うん!」
返事をすると、蓮はスペースを空けてくれた。
ベッドにもう一度入ると、蓮の腕がわたしの背中に回された。
蓮の顔がずっと近くにある。
愛しくてたまらないその顔が。
目蓋は既に閉じられていて、小さな寝息が聞こえる。
そっと蓮の頬に手をやる。
すべすべしてて、あったかい。
ぷにぷにと人差し指で押すと跳ね返ってきて、わたしは微かに笑みを零した。
蓮に向かって「おやすみ」と小さく呟いて、目を閉じた。
さっきまで感じていた恐怖心はいつの間にか消えていて、朝までぐっすり眠った。
街は夜闇に包まれている頃。
俺は大学の講義を終え、疲労を滲ませながらアパートへ帰宅した。
玄関を開けると、やたらと暗い。
不気味なほどの静寂が辺りに漂う。
パチッ、と玄関横の照明を押す。
明るくなったが、それでも虚しい空気が完全には霧散しない。
下を見ると、靴はなかった。
俺の「ただいまー」という声は空虚に消えていく。
スニーカーを脱いで、短い廊下を進む。
リビングのドアを開けると明かりはついていなかった。
しん、と静まり返る室内で軽く息を吐く。
重いリュックを床に下ろして、さて電気でもつけようかと思った。
その時だった――。
「お誕生日おめでとう! 蓮!」
「うわぁぁぁぁあっ?!」
突如大音声が響き渡ったかと思うと、パンッと小気味良い音が鳴った。
それと同時に部屋に明かりが灯り、クラッカーを持った瀬奈の姿が目に入る。
「び、びっくりした……いないのかと思ってた。……あ、ありがとう」
ヒラヒラと宙を舞う紙片を横目に、俺は感謝を告げる。
「今日は蓮の誕生日なんだもん。家で豪勢な夕食準備してるに決まってるじゃん」
「決まってる……のか?」
「さあさあ、主役はこちらのお席へ」
瀬奈はにやにやと嬉しそうな顔を浮かべ、椅子を引いてくれる。
俺は流されるままに着席した。
テーブルの真ん中にはホールケーキと、トロトロに煮込まれた好物のビーフシチューが置かれていた。
その手前にはサラダ、チキン、空のワイングラスがある。
きゅぽっ、と横からいい音がした。
瀬奈が瓶に入った赤紫色の液体を、俺のワイングラスへと注いでいく。
グラスを持ち上げると、その角度に合わせてゆらりと液体が揺れる。
鼻腔を突くのは、芳醇な香り。
口に含むと、甘みと微かな酸味が舌に広がっていく。
「うまいな、このぶどうジュース」
「でしょ! ……ってそこはワインと言えワインと」
「なんでだよ」
「いやー雰囲気といいますか、なんといいますか……ワイングラスまで用意したのに」
「来年な、来年」
来年俺は二十歳だ。
本物のワインだって飲めるようになる。
「さらっと来年も一緒にいようね……って照れますなぁ……」
瀬奈は顔を赤らめ、頬に手を添える。
「言ってないけど、まあ……意味的には間違ってはいない」
「さあて、冷める前にいただこっか! あー、ケーキ美味しそーっ!」
瀬奈は俺の対面へと腰掛け、ホールケーキを一切れ皿に盛り付ける。
フォークを手に取った。
いきなりケーキから食べる気のようだ。
「主役よりケーキ多く食う気だろ」
「やー、そんなことは……あるかも」
「今日くらいは自重しろ」
「あははっ、考えとく」
遠慮する気のなさそうな笑い方でケーキをぱくりと食べる。「んまぁ~」と随分幸せそうだ。
「いつの間にか、出会ってからもう一年以上経つんだな」
俺はしみじみと呟く。
「ほんとあっという間だったね。でも忙しかったなぁ、色々と」
俺は大学受験をなんとか合格し、晴れて第一志望の大学に進学した。
普段の授業に加えて教職課程もこなさなければならないのは骨が折れるが、自分の夢のために、応援してくれる家族や瀬奈のために、挫けるわけにはいかない。
学業が多忙なせいでバイトはあまりできていない。金銭面は他に頼っている状態だ。
瀬奈はあの後、転校と転居について親にかけあったそうだ。
この春から、瀬奈は通信校へ通っている。今までの高校ではここからだと遠くて通えないこと、そしてクラスに馴染めない抵抗感などから、大きな決断をしたのだ。
しかし転校も転居もどちらも瀬奈一人ではできない。親の許可が必要だった。
だが意外にもすんなりいったそうだ。
瀬奈の母親的にはさっさと出ていってほしい一心だったのだろう。
互いに壁を越えてきた。
だからこそ幸せな今があるのだ。
「わたしもいつか、蓮みたいに夢を追いかけたいな」
目を細めながら、羨望するように瀬奈は遠くを見やる。
「司書になる夢か?」
「そう。お金貯めて大学か短大に進むんだ」
俺が夢を再び取り戻したからか、瀬奈も夢に向かって邁進するつもりのようだ。
「瀬奈ならきっとなれるさ」
「えへへ……」
力を込めて告げると、瀬奈は頬を緩めまくって笑顔を作った。
そのまま食事をしていると、突然瀬奈が手を止めた。
考え込むような仕草をしてから、俺へ訊いてくる。
「あれ、わたしたちっていつから付き合ってるんだっけ?」
「……いつからだろうな」
そういえば明確に付き合うと決めた瞬間がない。
いつの間にかこんな関係になっていた。
「告白もなかったし……」
「今日から一年前でいいんじゃないか? 大体そのくらいからこんな感じだった気もするし」
「雑っ!」
瀬奈が鋭く突っ込みを入れてきたが、反論はしてこない。渋々受け入れるということだろう。
「昔のこと振り返ってふと思ったんだが、瀬奈って最初から距離感おかしくなかったか?」
「あーあれか」
瀬奈は初めて出会った時からやたらと距離が近かった。女子と付き合ったことのなかった俺は平常心を保つのに苦労したものだ。
「なんでだろーね」
「無意識に助けを求めてたんじゃないか?」
心の何処かでは誰かに救ってもらうことを願っていたのかもしれない。
それが表面上に現れた結果があの行動だという可能性がある。
「確かに、そうかも」
瀬奈はハッと気付かされたような顔で頷いた。
「……俺だけ、だよな?」
急に不安になって尋ねる。
もしかしたら俺以外にも瀬奈と距離が近かった人がいるかも知れない。
「大丈夫。蓮だけだよ、あんなことしたのは」
瀬奈は席を立って俺のそばまでやってきた。
その可愛らしい顔が近付いてくる。
「わたしのこと救ってくれて本当にありがとね。蓮はわたしの一番の恩人だよ。これからはわたしが蓮のこといっぱい支えるから」
そう言って、瀬奈は唇を重ねてきた。
* * *
夜も深まった頃。
「……」
わたしはなかなか寝付けずにいた。
蓮には言っていないが、実はこの生活がいつまで続くのか少しだけ不安に感じる時がある。
夜だからか、その不安感がいつにもまして大きい。
友達も家族も、最後にはわたしを必要とはしてくれなかった。
みんな見捨てていった。
蓮はどうなのだろう。
来年は、いてくれるかもしれない。
じゃあ再来年は? その先は?
いつか愛想がつきて、置いていかれちゃう日が来たりしないかな。
部屋には二つベッドが置かれている。
わたしのと、蓮のと。
ゆっくりとかけ布団をめくって、起き上がる。
数歩歩くと蓮のベッドにたどり着いた。
蓮はわたしに背中を向けて寝ている。
その身体にかけられた布団をおそるおそるめくった。
中にもぐると身体が少しはみ出てしまった。一人用だからしょうがないか。
蓮のぬくもりが身体にまとわりつく。
背中大きいな……落ち着くなぁ。
不安が熱に溶けてじんわりと薄くなっていく。
「ん……」
蓮が寝返りを打とうとした。
慌ててわたしは布団から出る。
起こさないように出られたことに安心しきって、ベッドに置いたままだった手を、不意に握られた。
「れ、蓮!?」
びっくりしてつい声を上げてしまう。
「一緒に寝る……?」
薄く開いた目で蓮が問いかけてくる。
その語調は弱々しい。
もしかしたら寝ぼけているのかも。
わたしの心拍数は急上昇した。
自分を落ち着かせるために胸の前に手を持ってくる。
「う、うん!」
返事をすると、蓮はスペースを空けてくれた。
ベッドにもう一度入ると、蓮の腕がわたしの背中に回された。
蓮の顔がずっと近くにある。
愛しくてたまらないその顔が。
目蓋は既に閉じられていて、小さな寝息が聞こえる。
そっと蓮の頬に手をやる。
すべすべしてて、あったかい。
ぷにぷにと人差し指で押すと跳ね返ってきて、わたしは微かに笑みを零した。
蓮に向かって「おやすみ」と小さく呟いて、目を閉じた。
さっきまで感じていた恐怖心はいつの間にか消えていて、朝までぐっすり眠った。
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