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第11章 革命家たち(キャラクター紹介編)
第11章 革命家たち(キャラクター紹介編) 3~Captain Wonderer(流浪の船乗りルシエ)
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第11章 革命家たち(キャラクター紹介編) 2~Captain Wonderer(流浪の船乗りルシエ)
●S-1:男爵領/沖合
飛行船夜明け号は空島エルフ世界以外では……少なくとも帝国世界ではおそらく唯一の空を飛ぶ乗り物だろう。
様々な偶然と異世界召喚者たちの後知恵によって、空島の飛行船をコピーしたものである。
全長は200mをはるかに超える……といっても巨大な気嚢部分がだ。
気嚢の中には男爵領で井戸を掘る過程で発見されたヘリウムが充填されており、外皮はミスリル鉱を薄く伸ばした板を骨組みに貼りつけてある。
いわゆる硬質飛行船である。
金属製の外皮のためにミスリル鉱とはいえ重量は多めになってしまうが、強度が高い骨組みのために大型化が可能なのだ。
また、風圧による変形がしにくい分、速度も出しやすい。
外皮が簡単に変形してしまうと空気抵抗になってしまうからだった。
もっともこれは原型である空島の飛行船の構造そのままである。
この世界では驚くほどの巨体ではあるが、実質的な本体は気嚢の下に吊り下げられたゴンドラ部分でしかない。
このゴンドラ部は帆のない帆船そのままと言って良い。
高速帆船スカーレット号を基本にそのままコピーした船体である。
長さが約50m弱、幅が10m強。
新しい挑戦よりも既存の技術の組み合わせで作り上げてある、人類最初の飛行船である。
あまり冒険的には造られていない。
最も特徴的な部分は構造よりも。その外見だったろう。
陽光の反射で視界が奪われることを恐れて、気嚢の上部3分の2ほどが艶消しの限りなく黒に近い青い塗料で塗られていた。
残り3分の1とゴンドラ船体部分は、やはり艶のない薄っすらと黄色がかった白色である。
そして、側面に上昇下降および安定用の大き目の前翼が取りつけてあった。
その姿は沙那に言わせれば「おおきなペンギンさん」だ。
ユーモラスな外見な上、沙那の要望で描かれたディフォルメされた大きなペンギンのエンブレム。
これを可愛らしいと見るか、グロテスクと見るかは人によるだろう。
こんな巨大なものが空を飛ぶこともそうだが、帝国世界の人間でペンギンを見たり知ったりしている人間は皆無に近い。
クローリーの仲間たちでも実物を知る者は少ない。
水族館の常連だった沙那や、各地を航海して南方にも行ったことのあるルシエくらいかもしれなかった。
事実、男爵領の子供たちからは「おおきなクジラ」と呼ばれていた。
そして、男爵領のものだと識別するために大きな『車輪』のマークが描かれている。
これは空島のエルフたちに認識されるためであると同時に、クローリーの郵便馬車の印でもあった。
つまり『車輪屋』さんの船だ。
想定していた使用目的が航空郵便だったからである。
実際には郵便というよりも貨客船ではあった。
郵便事業に使いたいものの他の町へ運用するには、なにしろ大きすぎた。
更に現状で所有している飛行船はこれ1隻しかない。
運航可能な要員もルシエとその配下の船員くらいしかいないのだ。
将来的にはともかく、2番船の建造も人員の育成もまだしばらく時間が必要だった。
そのディルクロのゴンドラ船体の艦橋にルシエはいた。
艦橋は通常の帆船と異なり、船体最前部にある。
これは視界を確保するためである。
通常の船のように船尾に舵を付けるわけではないので、とにかく見通しのよさが重要なのだった。
構造的にもまだまだ洗練されているとは言い難い。
船を推進させる方法は左右に3基づつ合計6基、気嚢に取り付けられた魔素機関である。
1つ1つは直径1.5mほどの細長い円筒形だ。
大きな土管のようではある。
これは魔素を魔法的に活性化させて空気の流れを作り、筒の内部の羽根車を回転させる。
その回転運動で直径10m近い巨大な4枚羽のプロペラを回転させて進むのだ。
魔素によるタービン・エンジンと言って良い。
もし出力が大きければそのままジェットエンジンのように噴射できるのだろうが、それには流速が足りない。
なので推進力をプロペラで得る機構だった。
なんとも回りくどいシステムに思えるが、効率を考えるとこれが現状での最適解なのだ。
「速度原速、ようそろう」
「前後、水平」
高速帆船スカーレット時代からの部下たちが慣れた様子で報告する。
原速は15ノットほど。
ディルクロの巡航速度である。
これは帆船としても高速なスカーレット号の5割増しだった。
飛行船は船としてはかなり速い。
最大速度は30ノットを超える。
ただし、最大速度で連続航行すると魔素機関への負荷が大きすぎるので滅多に行えない。
まだまだ魔素機関の製造も修理もかなり困難なのだ。
壊しては大変なことになる。
現在の高度は400mといったところか。
空を飛ぶことの利点は遠くまで見通せることかもしれない。
マストの頂点から見るよりも遥かに遠くが見える。
今、ディルクロが飛んでいるのは周辺の監視のためなのだ。
アレキサンダー男爵領の経済を大きく支えるのが船による交易なのだが、海にはしばしば海賊が現れる。
男爵領の交易船は容量よりも速度を重視したスカーレット号の量産モデルなので、たいていの船を振り切れるのだが囲まれたり待ち伏せされては逃げられない場合もある。
そのために護衛艦を付けるのも良いだろうが、男爵領には戦闘要員がとても少ない。
操船できて戦える人員はさらに少ない。
だから、上空から監視し海賊船を発見次第、速度に任せて振り切るのだ。
その監視役に飛行船はうってつけだった。
将来的には飛行船を増やして、船団1つごとに随伴させたかった。
いや、さらに先々には飛行船の船団による交易も視野に入れたいとルシエは考えていた。
ただ、惜しむらくは飛行船の積載量はそう多くはない。
船体部分はスカーレット号に準拠はしているものの、重量的にはその半分も運搬できないのが現在の飛行船だった。
便利そうであちらを立てればこちらが立たず。
地形を無視できる以外はなかなかに使いどころが難しい。
意外と、クローリーが言うように航空郵便に特化するのもありかもしれなかった。
「周辺に怪しい船影は見えません」
「そうか。ご苦労様」
ルシエは満足そうに頷いた。
クローリーの仲間の異世界召喚者の中でルシエは唯一の船乗りであった。
だからこそ、交易船の管理運航は彼女が責任者になっていた。
部下たちに経験を積ませて成長させないと、彼女の仕事の負担は重いままである。
こういった随伴監視飛行は確実に経験値を蓄積していく。
そもそも彼女自身も元々が飛行船の経験を持っているわけではないのだ。
ルシエは深く被った大きなベレー帽を指で直した。
その帽子の下にはセント・バーナードのような大きな獣耳があるので、普段は目立たないように隠してあるのだ。
彼女の部下たちはもちろん知っているので見せても問題はない。
クローリーたちもだ。
しかし、初見の人間は驚くだろう。
彼女もまた異世界召喚者ではあるが、沙那たちとは違う世界から召喚された存在だ。
帝国世界の魔術師たちの異世界召喚儀式はまだまだ未完成なので、ランダムで呼び出すために必ずしも同じ世界から呼び出せるわけではない。
それはショートカットされた彼女の青銀色と、同じ色の耳、そしてふさふさの尻尾が証明していた。
沙那に言わせれば「ふさふさー!もふもふー!かわいー!」なのだが、異形であることには変わらない。
ただ、それらを目立たなくすればヒトとほとんど変わらない外見のために違和感はそれほどない。
すると沙那と同じような10代半ばに見える、スレンダーな美少女なのだ。
実年齢は不明ではあるが。
ルシエもまた沙那のように役に立たなそうということで廃棄された『ハズレエルフ』だった。
ただ、全く役に立たないかというとなかなか判断が難しい存在ではあった。
期待されるような大魔法は使えない。
超人的な運動力もない。
とはいえ、平均水準をはるかに超える剣技を持っていた。
下手な騎士など一蹴されてしまうだろう。
だが、圧倒的ではない。
多島海のテリューのような超人的な戦闘力には及ばない。
これは召喚者たちを落胆させた。
彼らは一軍を蹴散らすようなエルフを求めていたからだ。
魔法も確かに使えない。
であるが、魔法の文字を読むことができた。
それらはクローリーにとってはとても有り難い能力ではあった。
召喚者たちからすれば中途半端に映ったのだ。
ルシエの戦闘力は膂力を除けばシュラハトに匹敵する。
技量だけなら互角以上かもしれない。
また、魔法文字を読めるのは需要だった。
帝国世界の魔法のアイテム……魔法の杖などの魔法を発動させるには魔法の文字を読めなくてはならない。
逆に言えば、魔法のアイテムを発動させることが可能になるのだ。
これが彼女をディルクロの船長にした理由でもある。
飛行船の魔法システムを稼働させるために必須の技能だった。
クローリーが魔法の研究で最も苦心していた部分でもある。
生活に便利な魔法のアイテムを領民たちに配りたいと思っても魔法文字どころか、庶民は帝国語の読み書きもできないのだ。
それで苦戦してきたのだから、いきなり魔法文字を読めて魔法装置を作動させることができるルシエの存在はありがたかった。
本来のスカーレット号の船員たちも魔法文字は読めない。
そうなれば飛行船はルシエに任せるべきだった。
そして、ルシエは元々が船乗りである。
肉体労働者的な意味ではなく、元々の世界で専門教育を受けた航路計算ができる航海士なのだ。
帝国世界にはかなり貴重な数学ができる人材ということだった。
船が必要かつ重要な男爵領でこれほど頼りになる存在がいるだろうか。
剣に優れて、船を動かせる。
直接的な戦略兵器になるエルフにしか興味のない召喚者たちにとって価値は認められなくとも、クローリーたちにはありがたかった。
なので、船の運航管理から海洋交易全般を任せられていた。
実はとんでもなく激務のはずだが、ルシエは嫌な顔一つせずに働いた。
いや。意外と彼女はこの役回りが好きだったのかもしれない。
かつて。
海賊に封鎖された港町で、海賊を迎え撃とうとしたクローリーたちに興味を持った。
魔術師とはいえ戦闘を生業にしているわけでもなく、戦える人間も少ない面々で勇敢にも海賊に立ち向かおうというのだ。
そういった心意気にルシエは共感してしまったのだ。
共に海賊を退治した後は、クローリーたちに同行した。
彼らは何をするつもりなのだろう?
帝国世界では高価な貴重品である石鹸を作り、香水の香りという付加価値を付けて販売した。
その販路を拡大し、帝国外へ運ぶことを始めた。
石鹸を量産すれば大量のグリセリンが出来上がって余る。
今度はそれを化粧品や食品添加物として販売した。
そして、行く先々で植物の種や苗を探してくるように頼まれた。
沙那曰く、「インチキヨーロッパがあるならインチキ南米やインチキアフリカとかもあるはず!」ということで、彼女の言うインチキ南米(らしい大陸に)出かけて交易しながら種や苗を手に入れてきた。
ジャガイモやサツマイモなどイモ類、トウモロコシなどの穀物類、トウガラシなどの香辛料からトマトのような野菜まで。
パイナップルのような果物もだ。
中には気候に合わないものもあったが、森を切り開いた痩せた土地でも育つ作物もあった。
ついでに運んできた天然硝石は肥料としても大きな効果を上げた。
賢者は硝石というと火薬しか想像できなかったようだが、理系寄りの中学生の沙那にしてみれば窒素化合物は肥料になるとしか考えなかった。
それらの多くは沙那の義務教育の知識からの提案ばかりであったのだが、男爵領は劇的に食糧事情が改善した。
帝国世界は常に食糧不足に悩まされており、近隣の領を襲って収奪するのが常という野蛮な世界である。
それが一気に農作物の収穫量が増えることで平和で安定した生活が可能になったのだ。
現在は麦よりも作付面積あたりの収穫量が多い穀物である『米』を探しているが、熱帯の植物なので寒い男爵領で育つかはなんともいえない。
より寒さに強い種類か。あるいは品種改良をしていくかだが……いずれ解決するかもしれない。
なにより、食事が1日2回だった生活が1日3回になり、子供がお小遣いで屋台のおやつを購入して口にできる環境になりつつあることは驚くべきことだった。
その重要な手助けを自分がしているという達成感はルシエを満足させた。
仲間たちは何処か滅茶苦茶な連中ばかりなのだが、目指すところが『みんなで楽しく豊かに』『腹いっぱい』などの文化的な生活の確立なところが彼女には居心地がよかった。
革命的なこともあれば、時間がかかることもある。
どちらにしても『みんな笑顔に』は共通認識のようだった。
●S-2:通信
ルシエが少し頭を悩ませていたものに『通信』があった。
船による交易が拡大しつつあるものの、例えば今この時、海賊を発見しても船団に連絡する手段があまりない。
現在のところは上空から手紙を入れて落とす連絡筒か、手信号、緊急時のロケット花火式信号などがあるが、もう少し効率の良い手段が欲しかった。
コスト度外視すれば魔法による通信も可能ではあったが、通信可能距離がとても短かった。
せいぜいのところ数百mといったところで、ルシエが欲しいレベルのものには程遠かった。
彼女の元の世界には魔法による無線装置は存在してはいたが、使い方は理解しているものの構造は判らない。
魔術師ではなかったからだ。
そこで最初、魔術師であるクローリーに相談したのだが、「うーん」という反応しか得られなかった。
この世界では魔法通信手段はないらしい。
おそらく魔法理論が異なった発達をしているのだろう。
ならば、アナログな方法で!
帝国世界でも手旗信号などは存在する。
帆船であるスカーレット号時代はそれでも良かった。
だが、ディルクロのような飛行船に張り出しを設けて船員を立たせるのはなかなかに恐ろしい。
海に落ちるのとは違い、飛行中に転げ落ちるとまず助からない。
したがって、腕木を使ってみた。
複数の腕木の位置で文字を表す、手旗信号に似たものだった。
悪くはなかった。
天候が悪いときを除いては。
晴天では全く問題ないが、夜間や悪天候時には視界が悪くなって判別しにくいのだ。
やはり魔法的な装置が必要ではないだろうか。
ルシエは考え込んだが、予想外の方向からヒントが出てきた。
沙那であった。
ある食事の時の雑談だった。
「あれー?船とかってアレじゃないのー?なんだっけ。トンツー、トンツー、トントントンってやつはー?」
「おー。モールス信号でスナ」
マーチスが頷いた。
「それはちょっと良いかもしれまセンナ」
「へっへー♪」
「で、それはどういう意味なのだ?」
ルシエの世界にモールス符号は存在しない。
魔法の電話のようなものがあったからだ。
「え?今の?……んーっと、トレイに行きましょう!かな」
「嘘を吐くな!」
ヒンカが沙那の後頭部を水平チョップした。
「A、A、Sでは、尻にもなっておらんのじゃ」
「あ。ああ、なるほどな。2つの信号を組み合わせることで、文字に変換するのか」
ルシエは勘が良い。
もっとも原始的なデジタル信号だと見当を付けたのだ。
0と1の組み合わせで信号を作るのは単純なだけに判りやすい。
「で、それをどうするんだ?」
「む?むー?」
沙那は単に映画などで見たシーンを適当に口にしただけだった。
だから、突っ込まれても判らない。
「えっと、無線?」
「簡単なものなら火花式送信機なら作れるかもな」
これはラベルだ。
技術者というよりも何でも修理業者でもあった男だ。
元々が電気家電から自動車の修理まで何でもこなしていたのだ。
簡単な構造のものならすぐに理解できるうえに作成可能であった。
「低圧電気放電を利用してモールス信号を作るんだ」
「へー。低圧ってどのくらいー?3Vとかー?」
沙那はスマホのバッテリーをイメージしたようだった。
「それなら乾電池を直流すればできそー」
「ああ。500Vくらいで良いかな」
「ぶっ!」
沙那は吹いた。
彼女が判るのは日本の家庭用電源が100Vということくらいだ。
その5倍ということだった。
「そんな強い電気が作れるかなあ……」
アレキサンダー男爵領ではすでに発電はできていた。
沙那が来てすぐの頃には、コイルを作って水車や風車を利用して発電機をテストしてはいた。
ただ、欠点があったので長い間そのままになっていた。
その欠点というのは……電気を使うものが何もなかったのだ。
最初に電球は試作した、
ガラスの球内を真空にするのはそれほど難しくはない。
エジソンで有名な竹を使ったフィラメントであった。
だが、実用には程遠かったのだ。
LEDの明かりが普通の時代から来た沙那は当然だが、白熱電球が一般化し始めた時代を知っているヒンカから見ても、あまりにも暗かったのだ。
それまでのオイルランプと大差なかった。
これでは莫大な投資をして電化を進める気にはなれない。
むしろ、井戸掘削やヘリウム採掘のオマケで発見されたメタンガスによるガス灯の方がずっとマシだった。
なによりガスにはまだ使い道がないので都合も良かった。
そのために電気がなかなか普及していなかった。
例外は沙那が持ち込んだ細やかな電気製品くらいで。
その充電のために家庭用発電機をたまに稼働させていた。
「ああ。使う宛がなかったから言わなかったが、水車や風車よりも遥かに効率の良い発電機は造れる」
ラベルはこともなげに言った。
「ディルクロがあるだろう」
「へ?」
沙那は眉を顰めた。
言われた意味が解らない。
「エンジンだよ。エンジン。魔素機関だったか」
「んんんんんん?」
「あれはタービン機関みたいなものだろう?水力でも火力でも原子力でも何でも良いが、発電はどうやってすると思う?」
「あ……あーっっ!」
「分かったか?」
ラベルは出来の悪い生徒を見るように頷いた。
「魔素がどういう働きをしているか俺には判らないが、魔法で発電する発電機になるだろう?」
「つまりー。飛行船には付けられるってことー?」
「飛行船も何も。魔素機関を設置すればこの男爵邸とかにも設置可能だろうな。もちろん受信機もだが」
「でも、それには欠点があるっスなー」
クローリーが口を出す。
彼はこの中で唯一の魔術師なのだ。
「その装置を起動させるには魔術師の素養が必要っス。オレか、ルシエさんか、ヴァースか、そのあたりが貼りつかなくちゃいけなくなるっス」
「あら、じゃあ、魔法文字を教えて作動技師を養成しなくちゃいけないわねえ」
マリエッラが笑う。
「学校の選択授業に魔法文字を入れておいて素養のある子を育てておけば、人材育成にもなるわねえ」
「でも、ボクは魔法文字なんて知らないよー?」
沙那が口を尖らせる。
「教える先生がいな……」
「いるわよお?それも暇そうな人が」
「どこにー?」
「ヴァースさん」
マリエッラが目を向ける。
全員の視線がヴァースに集中した。
「お、俺が?おい、待……」
「よーし。じゃあ、けってー!働かかざる者、食うべからずー!今日からキミも先生するよーに!」
沙那が仁王立ちで指さした。
「ちょ……ま……」
ヴァースは狼狽えた。
彼の正体はドラゴンである。
強大な力を持つ古竜の一頭だ。
竜族の中でも屈指の力を持つ存在なのだが……。
クローリーたちに興味を持って住み込んでいるのだ。
たしかに、普段は領内を見て回るためにふらふらしてるだけだった。
遊んでいると言われても文句は言えない。
そもそも。
正体を知らないドラゴンとはいえ、平気で居候させているクローリーも変わっていた。
「俺はな……!」
「ということで宜しくー!」
沙那がヴァースの肩をバンと叩く。
「ボクも聴講して覚えるからさー」
なんとも軽い、ノリと勢いだけの娘だ。
ルシエは堪らず思い出し笑いをしてしまう。
クローリーたちと一緒にいるのが楽しいのだ。
しばしば無理なんだを押し付けてくるのが問題だったが。
「そういえば通信のテストだったな」
船長席からもはっきり見える位置に吊り下げられた時計を見る。
直径1mはあろうかという巨大なものだ。
中身は沙那が持ってきた百円均一なのだが、この世界では貴重品なのである。
精度もかなり怪しいのだがないよりマシだ。
この世界でも機械式時計があることはあるのだが故障も多く、飛行船のように揺れる場所での実用性がまだまだだった。
男爵邸にも同じものが設置されている。
文字盤には印がつけてあった。
これは電信用の時間を知らせるためだった。
短波を使うので昼と夜で電離層の電波の反射が異なるからである。
もちろん。
この世界の地球が沙那たちの世界の地球と同じ状態のものであることが前提ではあるが。
「副長!」
ルシエに長らく付き従ってきた部下を呼ぶ。
スカーレット号時代は航海士の一人であったが今は飛行船の副長である。
やがては2番船の飛行船の船長になるのかもしれない。
「電信!『発 ディルクロ 天気良好』」
「は。復唱します『発 ディルクロ 天気良好』マァム!」
この時のためにモールス符号を訓練した通信士が緊張した面持ちで打電する。
映画やドラマにあるような慣れた高速打刻ではない。
慎重に、確実にをモットーに打ち込んだ。
果たして届くのだろうか。
「返信来ました!」
おおっ!と艦橋内にざわめきが走る。
ルシエは驚かないが、他の船員たちは全てこの世界の人間なのである。
彼女と共に海を渡り歩いて鍛えられてきたとはいえ魔法装置とは無縁だったのだ。
「報告します!『宛 ディルクロ 発 さな』」
「ほう。向こうでは沙那がいたのか」
「『ルーちゃん もふもふ だけど つるんぺたん』……」
通信士は笑いを噛み殺そうとして、少し失敗した。
艦橋に噴き出す声が響く。
「……あのアホ娘が!」
ルシエが珍しく激昂
した。
「こっちも言い返せ!『デカいだけ いばるな だいじなのは カタチ』」
「え……?」
「早くしろ!」
こうして男爵領、というよりも帝国初の電信実験は成功したのだった。
●S-1:男爵領/沖合
飛行船夜明け号は空島エルフ世界以外では……少なくとも帝国世界ではおそらく唯一の空を飛ぶ乗り物だろう。
様々な偶然と異世界召喚者たちの後知恵によって、空島の飛行船をコピーしたものである。
全長は200mをはるかに超える……といっても巨大な気嚢部分がだ。
気嚢の中には男爵領で井戸を掘る過程で発見されたヘリウムが充填されており、外皮はミスリル鉱を薄く伸ばした板を骨組みに貼りつけてある。
いわゆる硬質飛行船である。
金属製の外皮のためにミスリル鉱とはいえ重量は多めになってしまうが、強度が高い骨組みのために大型化が可能なのだ。
また、風圧による変形がしにくい分、速度も出しやすい。
外皮が簡単に変形してしまうと空気抵抗になってしまうからだった。
もっともこれは原型である空島の飛行船の構造そのままである。
この世界では驚くほどの巨体ではあるが、実質的な本体は気嚢の下に吊り下げられたゴンドラ部分でしかない。
このゴンドラ部は帆のない帆船そのままと言って良い。
高速帆船スカーレット号を基本にそのままコピーした船体である。
長さが約50m弱、幅が10m強。
新しい挑戦よりも既存の技術の組み合わせで作り上げてある、人類最初の飛行船である。
あまり冒険的には造られていない。
最も特徴的な部分は構造よりも。その外見だったろう。
陽光の反射で視界が奪われることを恐れて、気嚢の上部3分の2ほどが艶消しの限りなく黒に近い青い塗料で塗られていた。
残り3分の1とゴンドラ船体部分は、やはり艶のない薄っすらと黄色がかった白色である。
そして、側面に上昇下降および安定用の大き目の前翼が取りつけてあった。
その姿は沙那に言わせれば「おおきなペンギンさん」だ。
ユーモラスな外見な上、沙那の要望で描かれたディフォルメされた大きなペンギンのエンブレム。
これを可愛らしいと見るか、グロテスクと見るかは人によるだろう。
こんな巨大なものが空を飛ぶこともそうだが、帝国世界の人間でペンギンを見たり知ったりしている人間は皆無に近い。
クローリーの仲間たちでも実物を知る者は少ない。
水族館の常連だった沙那や、各地を航海して南方にも行ったことのあるルシエくらいかもしれなかった。
事実、男爵領の子供たちからは「おおきなクジラ」と呼ばれていた。
そして、男爵領のものだと識別するために大きな『車輪』のマークが描かれている。
これは空島のエルフたちに認識されるためであると同時に、クローリーの郵便馬車の印でもあった。
つまり『車輪屋』さんの船だ。
想定していた使用目的が航空郵便だったからである。
実際には郵便というよりも貨客船ではあった。
郵便事業に使いたいものの他の町へ運用するには、なにしろ大きすぎた。
更に現状で所有している飛行船はこれ1隻しかない。
運航可能な要員もルシエとその配下の船員くらいしかいないのだ。
将来的にはともかく、2番船の建造も人員の育成もまだしばらく時間が必要だった。
そのディルクロのゴンドラ船体の艦橋にルシエはいた。
艦橋は通常の帆船と異なり、船体最前部にある。
これは視界を確保するためである。
通常の船のように船尾に舵を付けるわけではないので、とにかく見通しのよさが重要なのだった。
構造的にもまだまだ洗練されているとは言い難い。
船を推進させる方法は左右に3基づつ合計6基、気嚢に取り付けられた魔素機関である。
1つ1つは直径1.5mほどの細長い円筒形だ。
大きな土管のようではある。
これは魔素を魔法的に活性化させて空気の流れを作り、筒の内部の羽根車を回転させる。
その回転運動で直径10m近い巨大な4枚羽のプロペラを回転させて進むのだ。
魔素によるタービン・エンジンと言って良い。
もし出力が大きければそのままジェットエンジンのように噴射できるのだろうが、それには流速が足りない。
なので推進力をプロペラで得る機構だった。
なんとも回りくどいシステムに思えるが、効率を考えるとこれが現状での最適解なのだ。
「速度原速、ようそろう」
「前後、水平」
高速帆船スカーレット時代からの部下たちが慣れた様子で報告する。
原速は15ノットほど。
ディルクロの巡航速度である。
これは帆船としても高速なスカーレット号の5割増しだった。
飛行船は船としてはかなり速い。
最大速度は30ノットを超える。
ただし、最大速度で連続航行すると魔素機関への負荷が大きすぎるので滅多に行えない。
まだまだ魔素機関の製造も修理もかなり困難なのだ。
壊しては大変なことになる。
現在の高度は400mといったところか。
空を飛ぶことの利点は遠くまで見通せることかもしれない。
マストの頂点から見るよりも遥かに遠くが見える。
今、ディルクロが飛んでいるのは周辺の監視のためなのだ。
アレキサンダー男爵領の経済を大きく支えるのが船による交易なのだが、海にはしばしば海賊が現れる。
男爵領の交易船は容量よりも速度を重視したスカーレット号の量産モデルなので、たいていの船を振り切れるのだが囲まれたり待ち伏せされては逃げられない場合もある。
そのために護衛艦を付けるのも良いだろうが、男爵領には戦闘要員がとても少ない。
操船できて戦える人員はさらに少ない。
だから、上空から監視し海賊船を発見次第、速度に任せて振り切るのだ。
その監視役に飛行船はうってつけだった。
将来的には飛行船を増やして、船団1つごとに随伴させたかった。
いや、さらに先々には飛行船の船団による交易も視野に入れたいとルシエは考えていた。
ただ、惜しむらくは飛行船の積載量はそう多くはない。
船体部分はスカーレット号に準拠はしているものの、重量的にはその半分も運搬できないのが現在の飛行船だった。
便利そうであちらを立てればこちらが立たず。
地形を無視できる以外はなかなかに使いどころが難しい。
意外と、クローリーが言うように航空郵便に特化するのもありかもしれなかった。
「周辺に怪しい船影は見えません」
「そうか。ご苦労様」
ルシエは満足そうに頷いた。
クローリーの仲間の異世界召喚者の中でルシエは唯一の船乗りであった。
だからこそ、交易船の管理運航は彼女が責任者になっていた。
部下たちに経験を積ませて成長させないと、彼女の仕事の負担は重いままである。
こういった随伴監視飛行は確実に経験値を蓄積していく。
そもそも彼女自身も元々が飛行船の経験を持っているわけではないのだ。
ルシエは深く被った大きなベレー帽を指で直した。
その帽子の下にはセント・バーナードのような大きな獣耳があるので、普段は目立たないように隠してあるのだ。
彼女の部下たちはもちろん知っているので見せても問題はない。
クローリーたちもだ。
しかし、初見の人間は驚くだろう。
彼女もまた異世界召喚者ではあるが、沙那たちとは違う世界から召喚された存在だ。
帝国世界の魔術師たちの異世界召喚儀式はまだまだ未完成なので、ランダムで呼び出すために必ずしも同じ世界から呼び出せるわけではない。
それはショートカットされた彼女の青銀色と、同じ色の耳、そしてふさふさの尻尾が証明していた。
沙那に言わせれば「ふさふさー!もふもふー!かわいー!」なのだが、異形であることには変わらない。
ただ、それらを目立たなくすればヒトとほとんど変わらない外見のために違和感はそれほどない。
すると沙那と同じような10代半ばに見える、スレンダーな美少女なのだ。
実年齢は不明ではあるが。
ルシエもまた沙那のように役に立たなそうということで廃棄された『ハズレエルフ』だった。
ただ、全く役に立たないかというとなかなか判断が難しい存在ではあった。
期待されるような大魔法は使えない。
超人的な運動力もない。
とはいえ、平均水準をはるかに超える剣技を持っていた。
下手な騎士など一蹴されてしまうだろう。
だが、圧倒的ではない。
多島海のテリューのような超人的な戦闘力には及ばない。
これは召喚者たちを落胆させた。
彼らは一軍を蹴散らすようなエルフを求めていたからだ。
魔法も確かに使えない。
であるが、魔法の文字を読むことができた。
それらはクローリーにとってはとても有り難い能力ではあった。
召喚者たちからすれば中途半端に映ったのだ。
ルシエの戦闘力は膂力を除けばシュラハトに匹敵する。
技量だけなら互角以上かもしれない。
また、魔法文字を読めるのは需要だった。
帝国世界の魔法のアイテム……魔法の杖などの魔法を発動させるには魔法の文字を読めなくてはならない。
逆に言えば、魔法のアイテムを発動させることが可能になるのだ。
これが彼女をディルクロの船長にした理由でもある。
飛行船の魔法システムを稼働させるために必須の技能だった。
クローリーが魔法の研究で最も苦心していた部分でもある。
生活に便利な魔法のアイテムを領民たちに配りたいと思っても魔法文字どころか、庶民は帝国語の読み書きもできないのだ。
それで苦戦してきたのだから、いきなり魔法文字を読めて魔法装置を作動させることができるルシエの存在はありがたかった。
本来のスカーレット号の船員たちも魔法文字は読めない。
そうなれば飛行船はルシエに任せるべきだった。
そして、ルシエは元々が船乗りである。
肉体労働者的な意味ではなく、元々の世界で専門教育を受けた航路計算ができる航海士なのだ。
帝国世界にはかなり貴重な数学ができる人材ということだった。
船が必要かつ重要な男爵領でこれほど頼りになる存在がいるだろうか。
剣に優れて、船を動かせる。
直接的な戦略兵器になるエルフにしか興味のない召喚者たちにとって価値は認められなくとも、クローリーたちにはありがたかった。
なので、船の運航管理から海洋交易全般を任せられていた。
実はとんでもなく激務のはずだが、ルシエは嫌な顔一つせずに働いた。
いや。意外と彼女はこの役回りが好きだったのかもしれない。
かつて。
海賊に封鎖された港町で、海賊を迎え撃とうとしたクローリーたちに興味を持った。
魔術師とはいえ戦闘を生業にしているわけでもなく、戦える人間も少ない面々で勇敢にも海賊に立ち向かおうというのだ。
そういった心意気にルシエは共感してしまったのだ。
共に海賊を退治した後は、クローリーたちに同行した。
彼らは何をするつもりなのだろう?
帝国世界では高価な貴重品である石鹸を作り、香水の香りという付加価値を付けて販売した。
その販路を拡大し、帝国外へ運ぶことを始めた。
石鹸を量産すれば大量のグリセリンが出来上がって余る。
今度はそれを化粧品や食品添加物として販売した。
そして、行く先々で植物の種や苗を探してくるように頼まれた。
沙那曰く、「インチキヨーロッパがあるならインチキ南米やインチキアフリカとかもあるはず!」ということで、彼女の言うインチキ南米(らしい大陸に)出かけて交易しながら種や苗を手に入れてきた。
ジャガイモやサツマイモなどイモ類、トウモロコシなどの穀物類、トウガラシなどの香辛料からトマトのような野菜まで。
パイナップルのような果物もだ。
中には気候に合わないものもあったが、森を切り開いた痩せた土地でも育つ作物もあった。
ついでに運んできた天然硝石は肥料としても大きな効果を上げた。
賢者は硝石というと火薬しか想像できなかったようだが、理系寄りの中学生の沙那にしてみれば窒素化合物は肥料になるとしか考えなかった。
それらの多くは沙那の義務教育の知識からの提案ばかりであったのだが、男爵領は劇的に食糧事情が改善した。
帝国世界は常に食糧不足に悩まされており、近隣の領を襲って収奪するのが常という野蛮な世界である。
それが一気に農作物の収穫量が増えることで平和で安定した生活が可能になったのだ。
現在は麦よりも作付面積あたりの収穫量が多い穀物である『米』を探しているが、熱帯の植物なので寒い男爵領で育つかはなんともいえない。
より寒さに強い種類か。あるいは品種改良をしていくかだが……いずれ解決するかもしれない。
なにより、食事が1日2回だった生活が1日3回になり、子供がお小遣いで屋台のおやつを購入して口にできる環境になりつつあることは驚くべきことだった。
その重要な手助けを自分がしているという達成感はルシエを満足させた。
仲間たちは何処か滅茶苦茶な連中ばかりなのだが、目指すところが『みんなで楽しく豊かに』『腹いっぱい』などの文化的な生活の確立なところが彼女には居心地がよかった。
革命的なこともあれば、時間がかかることもある。
どちらにしても『みんな笑顔に』は共通認識のようだった。
●S-2:通信
ルシエが少し頭を悩ませていたものに『通信』があった。
船による交易が拡大しつつあるものの、例えば今この時、海賊を発見しても船団に連絡する手段があまりない。
現在のところは上空から手紙を入れて落とす連絡筒か、手信号、緊急時のロケット花火式信号などがあるが、もう少し効率の良い手段が欲しかった。
コスト度外視すれば魔法による通信も可能ではあったが、通信可能距離がとても短かった。
せいぜいのところ数百mといったところで、ルシエが欲しいレベルのものには程遠かった。
彼女の元の世界には魔法による無線装置は存在してはいたが、使い方は理解しているものの構造は判らない。
魔術師ではなかったからだ。
そこで最初、魔術師であるクローリーに相談したのだが、「うーん」という反応しか得られなかった。
この世界では魔法通信手段はないらしい。
おそらく魔法理論が異なった発達をしているのだろう。
ならば、アナログな方法で!
帝国世界でも手旗信号などは存在する。
帆船であるスカーレット号時代はそれでも良かった。
だが、ディルクロのような飛行船に張り出しを設けて船員を立たせるのはなかなかに恐ろしい。
海に落ちるのとは違い、飛行中に転げ落ちるとまず助からない。
したがって、腕木を使ってみた。
複数の腕木の位置で文字を表す、手旗信号に似たものだった。
悪くはなかった。
天候が悪いときを除いては。
晴天では全く問題ないが、夜間や悪天候時には視界が悪くなって判別しにくいのだ。
やはり魔法的な装置が必要ではないだろうか。
ルシエは考え込んだが、予想外の方向からヒントが出てきた。
沙那であった。
ある食事の時の雑談だった。
「あれー?船とかってアレじゃないのー?なんだっけ。トンツー、トンツー、トントントンってやつはー?」
「おー。モールス信号でスナ」
マーチスが頷いた。
「それはちょっと良いかもしれまセンナ」
「へっへー♪」
「で、それはどういう意味なのだ?」
ルシエの世界にモールス符号は存在しない。
魔法の電話のようなものがあったからだ。
「え?今の?……んーっと、トレイに行きましょう!かな」
「嘘を吐くな!」
ヒンカが沙那の後頭部を水平チョップした。
「A、A、Sでは、尻にもなっておらんのじゃ」
「あ。ああ、なるほどな。2つの信号を組み合わせることで、文字に変換するのか」
ルシエは勘が良い。
もっとも原始的なデジタル信号だと見当を付けたのだ。
0と1の組み合わせで信号を作るのは単純なだけに判りやすい。
「で、それをどうするんだ?」
「む?むー?」
沙那は単に映画などで見たシーンを適当に口にしただけだった。
だから、突っ込まれても判らない。
「えっと、無線?」
「簡単なものなら火花式送信機なら作れるかもな」
これはラベルだ。
技術者というよりも何でも修理業者でもあった男だ。
元々が電気家電から自動車の修理まで何でもこなしていたのだ。
簡単な構造のものならすぐに理解できるうえに作成可能であった。
「低圧電気放電を利用してモールス信号を作るんだ」
「へー。低圧ってどのくらいー?3Vとかー?」
沙那はスマホのバッテリーをイメージしたようだった。
「それなら乾電池を直流すればできそー」
「ああ。500Vくらいで良いかな」
「ぶっ!」
沙那は吹いた。
彼女が判るのは日本の家庭用電源が100Vということくらいだ。
その5倍ということだった。
「そんな強い電気が作れるかなあ……」
アレキサンダー男爵領ではすでに発電はできていた。
沙那が来てすぐの頃には、コイルを作って水車や風車を利用して発電機をテストしてはいた。
ただ、欠点があったので長い間そのままになっていた。
その欠点というのは……電気を使うものが何もなかったのだ。
最初に電球は試作した、
ガラスの球内を真空にするのはそれほど難しくはない。
エジソンで有名な竹を使ったフィラメントであった。
だが、実用には程遠かったのだ。
LEDの明かりが普通の時代から来た沙那は当然だが、白熱電球が一般化し始めた時代を知っているヒンカから見ても、あまりにも暗かったのだ。
それまでのオイルランプと大差なかった。
これでは莫大な投資をして電化を進める気にはなれない。
むしろ、井戸掘削やヘリウム採掘のオマケで発見されたメタンガスによるガス灯の方がずっとマシだった。
なによりガスにはまだ使い道がないので都合も良かった。
そのために電気がなかなか普及していなかった。
例外は沙那が持ち込んだ細やかな電気製品くらいで。
その充電のために家庭用発電機をたまに稼働させていた。
「ああ。使う宛がなかったから言わなかったが、水車や風車よりも遥かに効率の良い発電機は造れる」
ラベルはこともなげに言った。
「ディルクロがあるだろう」
「へ?」
沙那は眉を顰めた。
言われた意味が解らない。
「エンジンだよ。エンジン。魔素機関だったか」
「んんんんんん?」
「あれはタービン機関みたいなものだろう?水力でも火力でも原子力でも何でも良いが、発電はどうやってすると思う?」
「あ……あーっっ!」
「分かったか?」
ラベルは出来の悪い生徒を見るように頷いた。
「魔素がどういう働きをしているか俺には判らないが、魔法で発電する発電機になるだろう?」
「つまりー。飛行船には付けられるってことー?」
「飛行船も何も。魔素機関を設置すればこの男爵邸とかにも設置可能だろうな。もちろん受信機もだが」
「でも、それには欠点があるっスなー」
クローリーが口を出す。
彼はこの中で唯一の魔術師なのだ。
「その装置を起動させるには魔術師の素養が必要っス。オレか、ルシエさんか、ヴァースか、そのあたりが貼りつかなくちゃいけなくなるっス」
「あら、じゃあ、魔法文字を教えて作動技師を養成しなくちゃいけないわねえ」
マリエッラが笑う。
「学校の選択授業に魔法文字を入れておいて素養のある子を育てておけば、人材育成にもなるわねえ」
「でも、ボクは魔法文字なんて知らないよー?」
沙那が口を尖らせる。
「教える先生がいな……」
「いるわよお?それも暇そうな人が」
「どこにー?」
「ヴァースさん」
マリエッラが目を向ける。
全員の視線がヴァースに集中した。
「お、俺が?おい、待……」
「よーし。じゃあ、けってー!働かかざる者、食うべからずー!今日からキミも先生するよーに!」
沙那が仁王立ちで指さした。
「ちょ……ま……」
ヴァースは狼狽えた。
彼の正体はドラゴンである。
強大な力を持つ古竜の一頭だ。
竜族の中でも屈指の力を持つ存在なのだが……。
クローリーたちに興味を持って住み込んでいるのだ。
たしかに、普段は領内を見て回るためにふらふらしてるだけだった。
遊んでいると言われても文句は言えない。
そもそも。
正体を知らないドラゴンとはいえ、平気で居候させているクローリーも変わっていた。
「俺はな……!」
「ということで宜しくー!」
沙那がヴァースの肩をバンと叩く。
「ボクも聴講して覚えるからさー」
なんとも軽い、ノリと勢いだけの娘だ。
ルシエは堪らず思い出し笑いをしてしまう。
クローリーたちと一緒にいるのが楽しいのだ。
しばしば無理なんだを押し付けてくるのが問題だったが。
「そういえば通信のテストだったな」
船長席からもはっきり見える位置に吊り下げられた時計を見る。
直径1mはあろうかという巨大なものだ。
中身は沙那が持ってきた百円均一なのだが、この世界では貴重品なのである。
精度もかなり怪しいのだがないよりマシだ。
この世界でも機械式時計があることはあるのだが故障も多く、飛行船のように揺れる場所での実用性がまだまだだった。
男爵邸にも同じものが設置されている。
文字盤には印がつけてあった。
これは電信用の時間を知らせるためだった。
短波を使うので昼と夜で電離層の電波の反射が異なるからである。
もちろん。
この世界の地球が沙那たちの世界の地球と同じ状態のものであることが前提ではあるが。
「副長!」
ルシエに長らく付き従ってきた部下を呼ぶ。
スカーレット号時代は航海士の一人であったが今は飛行船の副長である。
やがては2番船の飛行船の船長になるのかもしれない。
「電信!『発 ディルクロ 天気良好』」
「は。復唱します『発 ディルクロ 天気良好』マァム!」
この時のためにモールス符号を訓練した通信士が緊張した面持ちで打電する。
映画やドラマにあるような慣れた高速打刻ではない。
慎重に、確実にをモットーに打ち込んだ。
果たして届くのだろうか。
「返信来ました!」
おおっ!と艦橋内にざわめきが走る。
ルシエは驚かないが、他の船員たちは全てこの世界の人間なのである。
彼女と共に海を渡り歩いて鍛えられてきたとはいえ魔法装置とは無縁だったのだ。
「報告します!『宛 ディルクロ 発 さな』」
「ほう。向こうでは沙那がいたのか」
「『ルーちゃん もふもふ だけど つるんぺたん』……」
通信士は笑いを噛み殺そうとして、少し失敗した。
艦橋に噴き出す声が響く。
「……あのアホ娘が!」
ルシエが珍しく激昂
した。
「こっちも言い返せ!『デカいだけ いばるな だいじなのは カタチ』」
「え……?」
「早くしろ!」
こうして男爵領、というよりも帝国初の電信実験は成功したのだった。
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