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第9章 竜の世界

第9章 竜の世界 3~Memories of Sage

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第9章 竜の世界 3~Memories of Sage

●S-1:ドラゴン気流/ディルクロ艦橋

 気流に乗った船はゆらゆらと左右に揺れながらも結構な速度で流れて行っていた。
 激しく振動はしないものの、逆にゆったりと揺れるために船酔いするものも出ている。
 元々、船に強くないクローリーも同様だった。
 すぐに忘れてしまうが彼は揺れにとても弱い。

 生来のものなのか揺れ方によるものなのかは何とも判断しかねる。
 ただ、エチケット袋が必要かもしれない。
 司令席という名の安楽椅子でクローリーはぐったりとしつつあった。
 
「クロちゃんはいつもどーりだねー」

 逆に揺れにはめっぽう強い沙那がお気楽に笑った。

「バケツが良い?それともジュース?」

「……飲み物でお願いするっス……」
 クローリーは力なく手をひらひらさせた。

「ん。はい。どーぞ」
 速い。
 時間を感じさせないくらいの速さで沙那がグラスを差し出す。

 ガラスで作られたものだからそこそこ高級品だ。
 ペンギン模様が入っているあたり、沙那の特別注文で作らせたものなのだろう。
 グラスの低い位置に取っ手が付いている。
 ビールジョッキとはだいぶ意匠が違う。
 ゆっくり少しづつ飲めるようにバランスがとられているようだった。

「ん……」
 クローリーがよろよろと受け取ると……冷たい!
 ひんやりどころかガッツリと冷たい。
 ぱっと目が覚めるようで、じーっと見てみる。

 肉薄のグラスの中には淡いオレンジ色の液体が入っている。
 沙那の好きなオレンジの果汁を薄めた水の様だった。
 鈴も濁りはなく極めて透明に近いものに果汁を落とし込んだように見える。
 なにより、表面にはうっすらと氷が浮いている。

 口をつけるとしゃりしゃりとフレーク状の氷が口に当たる。
 不思議なのは液体の底にも氷があったことだ。
 氷は本来水に浮くものなのだが……。

「どーお?おいしいー?」
 沙那がクローリーの顔を覗き込む。
 
「……旨いっス。が……凍ってるのはなんスかね?」

「あー。イズミちゃんに冷やしてもらったのー」

「なるほどっス。でも、沈んでる氷はなんスかねー?」

「あ、それはねー」
 沙那が自慢げにニヤニヤ笑う。
「砂糖入れて氷作ると沈むんだよー」

「へぇ?」

「うん。砂糖は比重が重いから水に沈むのー」
 左右の人差し指で山を作る。
 その仕草に意味はない。
 沙那の何かの癖なのだろう。

「その分、舐めたらすっごく甘いけどー、普通の氷より溶けにくいから大丈夫とは思うー」
「ほー」
「でも、あんまり時間たつと激甘砂糖水になるから気を付けてねー」

「ふぅむ……」
 からんとグラスの中で氷が当たる音がする。
 説明されてもすぐに納得はできないが、目の前で実際に起きている現象だ。
 沙那が言う科学とかいうものなのだろう。
 魔術とは違った世のことわりか。

 これがもっといろんな形で可能なら色々と使い道が……と考えた瞬間に気が付いた。
 氷自体がイズミちゃんの精霊魔法なのだ。
 ヒンカとマーチスが苦戦しながら制作中の『冷蔵庫』の完成が待ち遠しくなる。
 ラベルがより単純な構造で動力の要らないヒートシンク式のものを考案中だが、商売で使えるような規模にはできないのが弱点だった。

「もっと気軽に作れると良いっスなー」
 クローリーはオレンジ水を舐めるように口にした。
 少しすっきりする。
 領民も気軽に口にできるようになったら、どれだけ良いことだろう。

「さにゃたちの世界では普通にあるものなんスな」
 しみじみと感じると同時に数年前のことを思い出す。




●S-2:懐かしい記憶

「拙者の名はせいじ。知恵あるものの意でござるよ。ぐふふぶひぃ」
 
 その太った男はそう名乗った。
 白い薄手の木綿地らしい服に身を包んでいる。
 そこにはオーガの雌をディフォルメしたような模様。
 何を使って染めたのかも見当もつかない。
 
 いや。そもそも。あのオーガの娘はどうして下着よりも生地の少ない服で、過剰なほど胸が大きいのだろう。
 虎柄で胸と下半身を最低限しか隠していない。
 どのような意味があるのだろうか。
 異世界の何かの儀式に使うものなのだろうか。

賢者セージっスか!?」

 クローリーは驚いた。
 自分で賢者を名乗るなんて一歩間違えばアタオカな人だ。
 ただし、目の前の男の言葉は古代ラティオ語に似た発音だった。
 無教養な人間が使うものではない。

「うむ。拙者を崇めよ!」
 賢者セージを名乗る男はむしゃむしゃとパンを頬張った。

 彼の言葉には抑揚が少ない。
 異世界召喚者ワタリのエルフとはこのようなものなのか。
 クローリーは初めて出会い、話した異世界人を前にわくわくしていた。

 魔術師とはいえクローリーのような落第生に近い末端の存在は異世界人召喚の儀式とは無縁だ。
 優秀とされた魔術師が数十人も動員されて行われる大規模な儀式に呼ばれるほどの存在ではなかったのだ。
 見聞を広めるべく冒険者に身を置いているが、さほどの成果を上げたわけでもない。
 そもそも研究している魔術も悪かった。
 呪文なしで動作する魔法の研究で、指先一つで着火できる方法などを考えるような男なのだ。
 魔術師としては異端を通り越して、ド変人だった。

 そのクローリーの前に異世界召喚者ワタリがいる。
 エルフ……というには目の前の男はあまりにも容姿が悪かった。
 チビ、デブ、ブサ……いやいや。
 あれこそエルフの美かもしれない。
 なにより、彼の髪の毛は金属光沢の黒髪だった。
 その色合いはエルフのものなのだ。

「このビールは……少し変わった味わいでござるな。げぇぇっぷっ」

 賢者セージはなみなみと注がれたエールのジョッキを一気に飲み干した。
 ジョッキは陶器だった。
 帝国世界ではごく一般的なものなのだが、透明なグラスに慣れた賢者セージは意外に思っていた。
 それでもここが異世界であると理解していた彼は、無理やり自分を納得させる。

「いやはや。この食事の礼は必ずするでござるよ。三顧の礼ならぬ三食の礼!……まだ一食でござるがな」

 賢者セージがガッハッハッと笑う。

「そこはツッコミどころでござるよ?」
「へ?」
「三十郎。もうすぐ四十郎になるがな!ってあるでござろうが」

「意味わかんねーっス……」

「うーむ。そういう映画があるでござるよ。まあ、どうせ、どこの馬の骨かわからんヤツってことでござる。ブホホゥ」

 クローリーは少し頭が痛くなった。
 判りにくいボケへのリアクションを理不尽に要求されても困る。

「真面目な話をすると……本当に感謝してるでござる。このまま野垂れ死にするかと思ってたので……」

 賢者セージはスープ皿をじっと見詰めた。
 3日食べてないのだ。
 この世界に来て人間扱いされたこともない。
 儀式で召喚されたものの、大魔法が使えない上に剣も使えない。
 無能極まりないと城外に捨てられたのだった。

 異世界からエルフを召喚しても、何かしらの能力のあるものはごく一握り。
 特別な才能のないものはただ打ち捨てられるのだ。
 エルフ自体は稀に存在するのだから、誰も気にも留めない。
 多くは野垂れ死にする未来しかなかった。

 その行き倒れた賢者セージを偶然拾ったのがクローリーだった。
 冒険者の仕事で少し財布が重くなった彼は、ほんの気まぐれで助け起こし、食事を奢ったのだ。
 せいぜい暇つぶしの話し相手になるかも?くらいのつもりで。


「……ここは、アレでござろう?」

「アレ?」

「拙者は昔の世界にタイムスリップしたのでござろう」

「へ?」 

「中世ヨーロッパのような世界。言葉は英語イングリッシュしか通じないようでござるし」

英語イングリッシュ?」
 
 クローリーは首を傾げた。
 タイムスリップがどうとかもそうだが、ヨーロッパだの英語だの固有名詞が判りづらい。

「ここは帝国っス。賢者セージはどこから来たんスか?」

「拙者は日本ジャパンでござる。この時代ならさしずめジパングでござろうか」

「ジパ……」
 ますます判らない。
 クローリーも魔術師であるから一応は知識階級の端くれ。
 それでも何一つ聞いたことのない名前だ。
「どういう国なんスか?」

「どうと訊かれても昔の人間には……黄金の国と呼ばれていたらしい」

「黄金の?」

「国中に金があふれた国とか勘違いされていたようだが、実際に金ぴかのものは銀閣寺と中尊寺金色堂くらいのものでござるかな」

 クローリーにはますます判らない。
 この世界にはマルコ・ポーロもいなければ東方見聞録も存在しない。
 それでも何やら金でできた宮殿や城郭があるのだろうと想像した。

「拙者の時代では1億総中流と言われていてな……」

「1億?」

「日本の総人口はだいたい1億2千万くらいでござるよ。そのほとんどが中流階級の生活ができているということで大雑把にそう呼ばれているのでござるよ」

 クローリーは戦慄した。
 1億というと帝国の推定される人口よりも多い。
 よほどの大国なのかもしれなかった。

「その日本というのはよほど巨大な国家なんスな……」

「いや。日本は小さい国でござる。世界的に見ればとても小さい領土しかない。経済的には3年もすれば世界最大になるの確実の様でござるが」

「なんスか、それは!?」

「世界最大最強の軍事力と経済力を持つアメリカを経済だけで征服可能だという話でござる」

 クローリーの想像を超えていた。
 もしもそんな国があるのなら、エルフの大魔法など意味をなさない。
 経済で世界を支配するなんてことがあるのだろうか。

「大商人が多い国なんスか?」

「どうだろう。世界に冠たる技術大国とはいわれておるでござるな」

「技術……。呪文なしに火をつける魔法とかあったりするんスか?」
 クローリーは冗談のつもりで訊いてみた。
 それを目にするまでは。

「火?それは簡単でござる」
 賢者セージは汚いジーンズのポケットから銀色の小箱を取り出した。
 掌に収まるほどの大きさのそれは表面が鏡のように滑らかだった。
「こう」
 
 賢者セージは親指で跳ね上げるようにすると、小箱の蓋が開いた。
 クローリーが何か声をかけようかと思った瞬間、じゅっと賢者セージの親指が小さな車輪を弾いた。
 ぼっ。
 そこには火が点いていた。
 何が起きたのか判らない。

「ライターでござる。火打石を回転するヤスリをこすりつけて火を起こすのでござる。あとはオイルを浸みこませた芯に火が点くっていう原始的なものでござる」
 もしここに沙那がいたのなら、もうちょっと科学的解説をしてくれただろうが、賢者セージはオイルがベンジンということすら知らない。
 マニキュア落としだよ!と沙那なら言うだろう。

「す……すごいものっスな!まったく呪文の詠唱がなかったっス」
 
 クローリーが目を丸くするのも当たり前だった。
 火打石で火花を出して着火するんはこの世界でも同じだ。
 ただ、火花を種火にするのにも手間がかかるものだ。
 それが着火して、しばらく燃えたままというのは驚きだった。

「これは、簡単に作ることができるものなんスか!?」
 食い気味のクローリーに賢者セージは少し引いた。
「ど、どうでござるかな。食事の礼に差し上げるでござるよ」

「マジっスか!?」

「大昔からあるらしいから、再現は難しくないでござろうな」

「おおおお。……もっと色んなことを聞きたいっス!」

 ライターだけでもクローリーには驚きだった。
 何よりも、日常生活の利便性向上のちゃめの魔法の研究をしていた男だ。
 火を点けるというそれ一点だけでもこれほど簡単に行えるのは福音だった。
 
 銀色の小箱を受け取ったクローリーは賢者セージの動作を真似てみた。
 一度では点かなかった。
 だが、数回行うとコツをつかんだ。

「これは凄いことっス……」

 
 クローリーは様々なことを聞いた。
 日本という平和で豊かな世界。
 社会弱者を救済する様々な社会制度がありながら国も豊かだという。
 まさに理想郷だった。

 これだ!
 そうクローリーは確信した。
 全てを再現することは難しいだろうが、その一部だけでも世界を変えられる。
 なんという素晴らしい世界。

 賢者セージは1989年、バブルただ中の日本から来訪したのだった。
 それはそれは煌びやかな世界に聞こえても当然だったろう。
 令和の時代から来た沙那ならまた違ったことを言い出しただろうけど。


「Z…i………ザイポ?ザイッポ?」
 クローリーはライターに彫り込まれた文字を読んだ。
 何か新しい扉が開いた気がした。

 
 

「あ、何か見えてきたー!」
 沙那の鈴を転がすような高い声がクローリーを現実に呼び戻した。
 
 そうだった。
 あの時から日本の再現を夢見てきたのだった。
 そして今、空飛ぶ船に乗っている自分が夢の中にいるように感じた。

 あれから新しい異世界召喚者ワタリの仲間が増えた。
 この先に何があるのだろうか。
 更に不思議な体験ができそうだと思うと身震いしてくる。

 クローリーは襟を正すと、ぺんぎん人形たちときゃあきゃあ騒いでる沙那を見ていた。
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