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第2章
第2章 多島海 12
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11 かれいなる美食の野望
お風呂から上がるとお腹が空くのは何故だろう?
沙那にも良く判らない。
一つ言えることがあるとすれば、『ダイエットの時はお風呂は食前に!』と何かの雑誌で見た覚えがあるだけだった。
つまりそこから導き出すと……お風呂の後はお腹が空くから気を付けろ!という意味なのではないだろうか。
そんなどうでも良いことを考えてしまうのには理由があった。
時間帯のせいなのか何なのか。辺りに漂う色んな料理の匂いであった。
狙われている!?お風呂上がりの客を呼び込むために意図的に美味しそうな匂いを流すという食堂の計略なのでは!
夜店の屋台のイカ焼きや焼き鳥あるいはリンゴ飴のようなものに違いない。
沙那にはそうとしか考えられなかった。
何か美味しいものを食べたい!
この世界に来て強く惹かれるような食べ物はほとんどなかった。
味のパターンが少ない、調味料の少ない……言い方によってはヘルシーな食べ物ばかりだったのだ。
おかげであまり食欲が出ずにナチュラルダイエットになってしまっていた。
それなのに、どこか懐かしいような、そして胃袋を刺激するような芳香がここにはあった。
帝国内では高価で貴重だったためになかなか使われないであろう香辛料が幾重にも重なった香り。
日本の小学生のキャンプのお供。手軽で美味しく大量に制作しやすいために色んなイベントで作られるアレだ。
その料理のお祭りのために海上自衛隊の艦艇が一箇所に大量集結したために、「大規模な戦闘準備では!?」と近隣の国を慌てさせたアレ。
「この匂いは……カレーだあーっ!」
風呂上がりで結い上げた髪の上に小さな妖精を乗せた沙那が港に向かう坂道を駆け下りていく。
「……カレー?っスか?」
クローリーは目の前で不思議な踊りをしながら駆け出す沙那の行動が読めない。
「東方世界に、っていうか砂の国の方の民族料理さ。香辛料を贅沢に使ったやつでな。……エルフって物知りなんだな」
リンザットが口を挟む。
「俺も数えるほどしか食ったことはねえがなかなかいけるぜ。ほら、あそこ」
さらに坂の下の一角を良く日焼けした太い人差し指で指し示す。
食堂らしい店の入り口で沙那がこっち向いて、手をぶんぶん振り回していた。
「故郷の味を懐かしむ一部の船乗りたちのために店を出したらしい。どういうわけか不思議とあんまり高くなんだよな」
「へえ」
「なんなら喜んでるみたいだし、行ってみねえか?」
これはシュラハトだ。
懐かしい名前の妖精を沙那が連れ出してから色々気になっているのだ。
「せっかくの海外だし変わった料理も試してみたいしねぇ」
マリエッラも海を越えたのは初めてなので初めて見るもの聞くものは多い。
「……っていうか。もう店に入って行っちまってるぜ?あの娘」
リンザットが呆れたように呟く。
「金払うのはオレなんスけどなー。ま、行ってみるっスか」
香辛料をふんだんに使った料理と聞くだけで財布の中身が心配になるのだが、興味の方が勝った。
同じ名前や雰囲気でも、エルフ世界で食される料理とこの世界の料理はどのくらい違うのだろうか。
沙那の反応を見てみたいという、魔術師としてのクローリーの探求心からだった。
石鹸の儲けで何とか埋め合わせられると良いなあ、などと皮算用しつつクローリーも後を追うことにした。
「お。お…おおー……!」
沙那は店内にずらりと並んだお品書きの札を見まわした。
カレーの種類だけでも驚くほど多かった。
名前が長すぎて中身が想像できない。
とにかくもチキンとかトマトとか名前に入っているものはきっと想像からそうは外れないものが出るだろう。という浅はかな読みしかできなかった。
「じゃ、ボク、これ!チキンマサラー!」
チキンにトマトが何たらと書いてあるから、そうトンデモなものは出ないだろうと思ったのだ。
まず安心できる基本のタイプを押さえておいてから変わったものには挑戦するタイプだ。
何なら危なそうなメニューはクローリーにでも頼ませればいいのだ。
意外とずる賢い。
「店中がすごい匂いっスなー。何種類もの香辛料が混ざった感じなんスかねー」
しかし、沙那の思惑とは別にクローリーはキーマカレーを頼んでいた。
「……ち」
もっと変なのを食べさせたかったのに最も無難なのを選ばれた。
なんとなく沙那の表情が分かるようになってきたマリエッラは、その様子に吹き出しそうになる。
「イズミちゃんは食べるー?」
小さい姿の温泉妖精は沙那の頭の上で首を横に振った。
妖精って肉食?草食?そもそも何を食べるのだろう。
「ふーん。妖精さんって何食べるのかなー」
「妖精は気まぐれっスから決まってはいないっスな。一欠けらのお菓子とかでも良いことあるっス」
「へー」
「その分、妖精召喚には対応した宝石を喰われるっスけどね。水系妖精だとサファイヤとかだったっスかな……」
このくらいの。とクローリーは人差し指と親指で大きさを示す。
大きなものではないが指で作れるサイズは十分に高価な代物だ。
「うへー。……あれ?じゃあ、なんでイズミちゃんは出てきたのかなー?」
クローリーたちのような魔術師なら確実に召喚できる系統だった魔術儀式が確立されてはいる。
ところが、何の理由もなくひょっこり妖精が出現することがある。
まさしく気まぐれとしか言いようがないのだが、クローリーはそれは人間が未だに理解していない理屈や道理があるのではないかとも思っていた。
「妖精は気まぐれとしか言いようがないスな」
もしも妖精を確実にコントロールする方法があったら、魔術の形態に取り込まれていただろう。
未だにお願いする程度にしか意思疎通ができないのが妖精なのだ。
「……ほんとに強烈な匂いなのねえ」
店中に漂うエスニックな香りに興味津々なマリエッラだ。
冒険者を始めて数年経つが帝国内というか大陸から外に出たのは初めてなのだ。
見るもの聞くもの全てが目新しい。
小さな子供が市場に並ぶたくさんのものに圧倒されるのに似た感覚を感じていた。
「あたしは……おすすめメニューでお願いするわ」
正直名前を見ても想像がつかないのだ。
よほど意地悪いな店主でもなければ無難なものを出してくれるはず。
食堂はリピーターになってもらえる方が後々良いので、そう無茶なものは選ぶまい。
「俺はムルグマッカーニ」
シュラハトはメニューを見ずに注文した。
その様子にクローリーは少し驚いた。
「シュラさんはカレーっていうやつに詳しいんスか?」
「……いや。昔、食べる機会があっただけさ」
「んじゃ。オレはアルバラク」
リンザットが頼んだのはホウレン草とジャガイモのカレーだ。
この町に何度か来ている彼はそれなりに知ってるのだろう。
やがて次々に運ばれてくるカレーの皿の中身をクローリーはしげしげと眺めた。
「この……コロコロした塊は何スかね?」
スプーンで具材の中のジャガイモを突く。
「それはジャガイモだよー……って、あ」
沙那はふと気づいた。
そう言えばこの世界でジャガイモはおろか、芋類をほとんど見たことがない。
植えてある様子も収穫する様子も、料理の中にも見たことはない。
「あー、そっかー……」
芋類は主に南国の植物である。
しかもジャガイモは沙那の世界でも南米原産で、大航海時代まではヨーロッパでは知られることがなかった。
おまけに当初は毒があるというので食用にはされずに、花を観賞するための植物だったくらいである。
歴史に弱い沙那には分からなかったが、フリードリヒ大王が荒れ地でも大量に育つ主食にできる植物ということで栽培を奨励するまでは食品ではなかったのだ。
中世時代は人口5万人を超える都市がないといわれたドイツ諸都市は、18世紀にジャガイモの栽培によって貧困地域から脱出して人口が激増した歴史的事実がある。
沙那の知る時代にはジャガイモは様々な料理に使われる便利な食材なのだ。
「そういえばーお芋を全然見てないものねー。美味しいよー?休耕地に植えるのにちょうど良い作物だっていうしねー」
スプーンを動かしつつ沙那はうろ覚えの知識を披露した。
「あ。それに、このカレー。ナンじゃなくてお米だー?」
カレーにはナンというのが沙那のいた日本では常識化しているが、実はそうではない。
見た目はあまり変わらないが手軽なチャパティと呼ばれるパンが基本なのだが、この店では何故か米だった。
ただし沙那の良く知る短粒米ではなく、南国特有の長粒米だった。
少しパサついた粒は汁物を良く吸うのでカレーとの相性は良い。
「ん。んー?んー?」
考えてみれば芋類同様に米も見たことはなかった。
実のところ米が存在しないわけではなかったが、帝国の多くの地域は米が育つには寒すぎるのだ。
沙那は少し首を捻った。
米は熱帯の植物だが品種改良の結果、日本でも主食として栽培されている。
縄文や弥生時代からあったのだから作れなくはないだろう。
何より沙那の世界の日本は割と高緯度で、フランスあたりとそう変わらない。
ヨーロッパに似た世界であるこの世界でも気候が余程違っていなければ栽培できそうな気がした。
「これって食料革命起こせないかなー……」
米の強みは面積当たりの収穫量の多さだ。
大雑把に言えば小麦の倍近く取れる。
食べなれた食材を得るとともに食材の種類も量も増やせるんじゃないかと考えた。
ジャガイモもそうだし、今まさに目の前のカレーの中にあるトマトもそうだ。
同じく南米原産の植物である。さらに唐辛子も南米原産だ。
そう考えていくと、沙那は色々仮定できた。
ここは大航海時代以前のヨーロッパに近い(あくまで似て非なるものだが)文化の世界なのではないかと。
逆に考えれば、目の前の皿の中にジャガイモもトマトもある。
ということは……それらを持ち帰って栽培すれば商売も成り立つかもしれない。
「よーし。種芋とかー種籾とか―……」
海を越えることは大きなチャンスなのかもしれない。
沙那は心の中で入手すべき植物リストを思い描いた。
もしかしたら数年のうちには色んな料理が食べられるようになるかも知れない。
本当は忘れないようにメモしておきたいところだが、無念なことにこの世界では紙は貴重品なのだ。
「紙の大量生産も必要だねー……」
もぐもぐと口を動かしながらも頭をフル回転させているところだ。
そして……そして……ふと気づいた。
何で自分は何年も先のことを考えているのだろう?
ここは夢の世界なのから目が覚めればそれで終わりのはずなのだ。
いや。でも、夢の中では夢の中なりに色々やっておくべきとも考えなおした。
しかし。……いつまでこの夢は覚めないのだろうか。
沙那はちょっぴりだけ不安になった。
食事を終えたクローリーたちは閑散とした港を散策していた。
交易の中継港というのに船がとても少ない。
大きな船は見当たらず、彼らの乗ってきたアダマストール号がやけに目立つほどだった。
とにかく全体的に人が少なかった。
考えてみれば温泉も客がほとんどいなかった。
思ったより商人が少ないので、彼らの目的である石鹸の宣伝と販売は暗礁に乗り上げかけていた。
とはいえこの島では不案内なクローリーをはじめ、シュラハトもマリエッラもできることがない。
そもそも伝手がないのだ。
途方に暮れた彼らは港で海を眺めるくらいしかできなかった。
沙那に至っては、船を係留する係柱の上に座って足をぶらぶらさせている。
挙句の果てには、髪の毛の中に隠れていた温泉の妖精イズミを指で摘まんで、話しかけたりまでしていた。
「はい。イズミちゃん。お湯出してー?」
「……いいけど。辺り一面お湯になるよ?」
「いっぱいじゃなくてーすこーしすこーし。すごーく少なくしてどのくらい出せるのー?」
全くの興味本位だった。
特に質問の意味はない。
「……あななたたちに理解できるかわからないけど。最小単位で1キロリットル」
「へー。いちきろ……いちきろ!!!?りっとる!?」
沙那は驚いた。
メートル法だというよりも何よりも。その量にである。
もしも沙那の世界と同じ単位であるとしたら……1000リットル。つまり重さにして水が1トン。
最小単位でとしたら膨大な量である。
沙那の世界の一般家庭のバスルームの浴槽なら3杯か4杯分だ。
そんなものを用意もしてない場所に出されたら堪らない。
しかし、この時点では沙那は何も気が付いていなかった。
何も存在しないところから1トンものお湯を発生させるという物理原則を無視する現象に。
クローリーの使う魔法はあくまでも何かを代償に発生する自然現象というかこの世界特有の自然科学なのであるが、今、妖精が言いだしたことはその範疇を大きく超えている。
ある意味、こちらの方がよほど魔法なのだった。
特別な代償なしに、無から何かを発生させる。
もしもこれらを完全にコントロール出来たら、今までの魔法理論を全て根底から破壊しかねないほどのものなのだ。
もちろん。沙那がそのことに思い当たるまでには、ずいぶんと長い年月が係ることになるのだが。
「もちょっと上手く使えないのー?ちょっと不便だね。あ。でも、船でお風呂作るのには丁度いいくらいかもしれないー」
今の沙那はその程度の利用法しか思いつかなかった。
彼女の欠点は自分の周りの生活の質的向上が最優先で、他に野心を持たないところだった。
今の沙那にとってはイズミは雑談相手兼どこでもお風呂発生器でしかなかったのだ。
「あとで甲板にお風呂用の枠でも作って貰おうかなー」
「ふーん?それって覗き放題ってことっスよなー?」
隣でンコ座りしたクローリーが船虫を指で弾きながら言った。
「それとも……さにゃは自分の裸を見せつけたい変態な趣味がっ……痛いっ痛いっス!マリねーさん」
マリエッラが笑顔でクローリーのこめかみに梅干しをキメていた。
「船はキャンバス地が余分にあるっスから、目隠しくらい幾らでも作れると思うっスよ」
まったくうちの女性陣は乱暴なんスから、とクローリーが痛むこめかみを手で押さえて立ち上がると叫び声が聞こえた。
「なんだって!?そりゃどういうことだ!?」
港湾役人の胸ぐらを掴みかからん勢いのリンザットだった。
港湾事務所に顔出してくると言って別れてすぐのことだ。
そして、三々五々と集まってくる武装した兵士。
冒険者でもあるクローリーには嫌な予感がした。
トラブルの予感だった。
お風呂から上がるとお腹が空くのは何故だろう?
沙那にも良く判らない。
一つ言えることがあるとすれば、『ダイエットの時はお風呂は食前に!』と何かの雑誌で見た覚えがあるだけだった。
つまりそこから導き出すと……お風呂の後はお腹が空くから気を付けろ!という意味なのではないだろうか。
そんなどうでも良いことを考えてしまうのには理由があった。
時間帯のせいなのか何なのか。辺りに漂う色んな料理の匂いであった。
狙われている!?お風呂上がりの客を呼び込むために意図的に美味しそうな匂いを流すという食堂の計略なのでは!
夜店の屋台のイカ焼きや焼き鳥あるいはリンゴ飴のようなものに違いない。
沙那にはそうとしか考えられなかった。
何か美味しいものを食べたい!
この世界に来て強く惹かれるような食べ物はほとんどなかった。
味のパターンが少ない、調味料の少ない……言い方によってはヘルシーな食べ物ばかりだったのだ。
おかげであまり食欲が出ずにナチュラルダイエットになってしまっていた。
それなのに、どこか懐かしいような、そして胃袋を刺激するような芳香がここにはあった。
帝国内では高価で貴重だったためになかなか使われないであろう香辛料が幾重にも重なった香り。
日本の小学生のキャンプのお供。手軽で美味しく大量に制作しやすいために色んなイベントで作られるアレだ。
その料理のお祭りのために海上自衛隊の艦艇が一箇所に大量集結したために、「大規模な戦闘準備では!?」と近隣の国を慌てさせたアレ。
「この匂いは……カレーだあーっ!」
風呂上がりで結い上げた髪の上に小さな妖精を乗せた沙那が港に向かう坂道を駆け下りていく。
「……カレー?っスか?」
クローリーは目の前で不思議な踊りをしながら駆け出す沙那の行動が読めない。
「東方世界に、っていうか砂の国の方の民族料理さ。香辛料を贅沢に使ったやつでな。……エルフって物知りなんだな」
リンザットが口を挟む。
「俺も数えるほどしか食ったことはねえがなかなかいけるぜ。ほら、あそこ」
さらに坂の下の一角を良く日焼けした太い人差し指で指し示す。
食堂らしい店の入り口で沙那がこっち向いて、手をぶんぶん振り回していた。
「故郷の味を懐かしむ一部の船乗りたちのために店を出したらしい。どういうわけか不思議とあんまり高くなんだよな」
「へえ」
「なんなら喜んでるみたいだし、行ってみねえか?」
これはシュラハトだ。
懐かしい名前の妖精を沙那が連れ出してから色々気になっているのだ。
「せっかくの海外だし変わった料理も試してみたいしねぇ」
マリエッラも海を越えたのは初めてなので初めて見るもの聞くものは多い。
「……っていうか。もう店に入って行っちまってるぜ?あの娘」
リンザットが呆れたように呟く。
「金払うのはオレなんスけどなー。ま、行ってみるっスか」
香辛料をふんだんに使った料理と聞くだけで財布の中身が心配になるのだが、興味の方が勝った。
同じ名前や雰囲気でも、エルフ世界で食される料理とこの世界の料理はどのくらい違うのだろうか。
沙那の反応を見てみたいという、魔術師としてのクローリーの探求心からだった。
石鹸の儲けで何とか埋め合わせられると良いなあ、などと皮算用しつつクローリーも後を追うことにした。
「お。お…おおー……!」
沙那は店内にずらりと並んだお品書きの札を見まわした。
カレーの種類だけでも驚くほど多かった。
名前が長すぎて中身が想像できない。
とにかくもチキンとかトマトとか名前に入っているものはきっと想像からそうは外れないものが出るだろう。という浅はかな読みしかできなかった。
「じゃ、ボク、これ!チキンマサラー!」
チキンにトマトが何たらと書いてあるから、そうトンデモなものは出ないだろうと思ったのだ。
まず安心できる基本のタイプを押さえておいてから変わったものには挑戦するタイプだ。
何なら危なそうなメニューはクローリーにでも頼ませればいいのだ。
意外とずる賢い。
「店中がすごい匂いっスなー。何種類もの香辛料が混ざった感じなんスかねー」
しかし、沙那の思惑とは別にクローリーはキーマカレーを頼んでいた。
「……ち」
もっと変なのを食べさせたかったのに最も無難なのを選ばれた。
なんとなく沙那の表情が分かるようになってきたマリエッラは、その様子に吹き出しそうになる。
「イズミちゃんは食べるー?」
小さい姿の温泉妖精は沙那の頭の上で首を横に振った。
妖精って肉食?草食?そもそも何を食べるのだろう。
「ふーん。妖精さんって何食べるのかなー」
「妖精は気まぐれっスから決まってはいないっスな。一欠けらのお菓子とかでも良いことあるっス」
「へー」
「その分、妖精召喚には対応した宝石を喰われるっスけどね。水系妖精だとサファイヤとかだったっスかな……」
このくらいの。とクローリーは人差し指と親指で大きさを示す。
大きなものではないが指で作れるサイズは十分に高価な代物だ。
「うへー。……あれ?じゃあ、なんでイズミちゃんは出てきたのかなー?」
クローリーたちのような魔術師なら確実に召喚できる系統だった魔術儀式が確立されてはいる。
ところが、何の理由もなくひょっこり妖精が出現することがある。
まさしく気まぐれとしか言いようがないのだが、クローリーはそれは人間が未だに理解していない理屈や道理があるのではないかとも思っていた。
「妖精は気まぐれとしか言いようがないスな」
もしも妖精を確実にコントロールする方法があったら、魔術の形態に取り込まれていただろう。
未だにお願いする程度にしか意思疎通ができないのが妖精なのだ。
「……ほんとに強烈な匂いなのねえ」
店中に漂うエスニックな香りに興味津々なマリエッラだ。
冒険者を始めて数年経つが帝国内というか大陸から外に出たのは初めてなのだ。
見るもの聞くもの全てが目新しい。
小さな子供が市場に並ぶたくさんのものに圧倒されるのに似た感覚を感じていた。
「あたしは……おすすめメニューでお願いするわ」
正直名前を見ても想像がつかないのだ。
よほど意地悪いな店主でもなければ無難なものを出してくれるはず。
食堂はリピーターになってもらえる方が後々良いので、そう無茶なものは選ぶまい。
「俺はムルグマッカーニ」
シュラハトはメニューを見ずに注文した。
その様子にクローリーは少し驚いた。
「シュラさんはカレーっていうやつに詳しいんスか?」
「……いや。昔、食べる機会があっただけさ」
「んじゃ。オレはアルバラク」
リンザットが頼んだのはホウレン草とジャガイモのカレーだ。
この町に何度か来ている彼はそれなりに知ってるのだろう。
やがて次々に運ばれてくるカレーの皿の中身をクローリーはしげしげと眺めた。
「この……コロコロした塊は何スかね?」
スプーンで具材の中のジャガイモを突く。
「それはジャガイモだよー……って、あ」
沙那はふと気づいた。
そう言えばこの世界でジャガイモはおろか、芋類をほとんど見たことがない。
植えてある様子も収穫する様子も、料理の中にも見たことはない。
「あー、そっかー……」
芋類は主に南国の植物である。
しかもジャガイモは沙那の世界でも南米原産で、大航海時代まではヨーロッパでは知られることがなかった。
おまけに当初は毒があるというので食用にはされずに、花を観賞するための植物だったくらいである。
歴史に弱い沙那には分からなかったが、フリードリヒ大王が荒れ地でも大量に育つ主食にできる植物ということで栽培を奨励するまでは食品ではなかったのだ。
中世時代は人口5万人を超える都市がないといわれたドイツ諸都市は、18世紀にジャガイモの栽培によって貧困地域から脱出して人口が激増した歴史的事実がある。
沙那の知る時代にはジャガイモは様々な料理に使われる便利な食材なのだ。
「そういえばーお芋を全然見てないものねー。美味しいよー?休耕地に植えるのにちょうど良い作物だっていうしねー」
スプーンを動かしつつ沙那はうろ覚えの知識を披露した。
「あ。それに、このカレー。ナンじゃなくてお米だー?」
カレーにはナンというのが沙那のいた日本では常識化しているが、実はそうではない。
見た目はあまり変わらないが手軽なチャパティと呼ばれるパンが基本なのだが、この店では何故か米だった。
ただし沙那の良く知る短粒米ではなく、南国特有の長粒米だった。
少しパサついた粒は汁物を良く吸うのでカレーとの相性は良い。
「ん。んー?んー?」
考えてみれば芋類同様に米も見たことはなかった。
実のところ米が存在しないわけではなかったが、帝国の多くの地域は米が育つには寒すぎるのだ。
沙那は少し首を捻った。
米は熱帯の植物だが品種改良の結果、日本でも主食として栽培されている。
縄文や弥生時代からあったのだから作れなくはないだろう。
何より沙那の世界の日本は割と高緯度で、フランスあたりとそう変わらない。
ヨーロッパに似た世界であるこの世界でも気候が余程違っていなければ栽培できそうな気がした。
「これって食料革命起こせないかなー……」
米の強みは面積当たりの収穫量の多さだ。
大雑把に言えば小麦の倍近く取れる。
食べなれた食材を得るとともに食材の種類も量も増やせるんじゃないかと考えた。
ジャガイモもそうだし、今まさに目の前のカレーの中にあるトマトもそうだ。
同じく南米原産の植物である。さらに唐辛子も南米原産だ。
そう考えていくと、沙那は色々仮定できた。
ここは大航海時代以前のヨーロッパに近い(あくまで似て非なるものだが)文化の世界なのではないかと。
逆に考えれば、目の前の皿の中にジャガイモもトマトもある。
ということは……それらを持ち帰って栽培すれば商売も成り立つかもしれない。
「よーし。種芋とかー種籾とか―……」
海を越えることは大きなチャンスなのかもしれない。
沙那は心の中で入手すべき植物リストを思い描いた。
もしかしたら数年のうちには色んな料理が食べられるようになるかも知れない。
本当は忘れないようにメモしておきたいところだが、無念なことにこの世界では紙は貴重品なのだ。
「紙の大量生産も必要だねー……」
もぐもぐと口を動かしながらも頭をフル回転させているところだ。
そして……そして……ふと気づいた。
何で自分は何年も先のことを考えているのだろう?
ここは夢の世界なのから目が覚めればそれで終わりのはずなのだ。
いや。でも、夢の中では夢の中なりに色々やっておくべきとも考えなおした。
しかし。……いつまでこの夢は覚めないのだろうか。
沙那はちょっぴりだけ不安になった。
食事を終えたクローリーたちは閑散とした港を散策していた。
交易の中継港というのに船がとても少ない。
大きな船は見当たらず、彼らの乗ってきたアダマストール号がやけに目立つほどだった。
とにかく全体的に人が少なかった。
考えてみれば温泉も客がほとんどいなかった。
思ったより商人が少ないので、彼らの目的である石鹸の宣伝と販売は暗礁に乗り上げかけていた。
とはいえこの島では不案内なクローリーをはじめ、シュラハトもマリエッラもできることがない。
そもそも伝手がないのだ。
途方に暮れた彼らは港で海を眺めるくらいしかできなかった。
沙那に至っては、船を係留する係柱の上に座って足をぶらぶらさせている。
挙句の果てには、髪の毛の中に隠れていた温泉の妖精イズミを指で摘まんで、話しかけたりまでしていた。
「はい。イズミちゃん。お湯出してー?」
「……いいけど。辺り一面お湯になるよ?」
「いっぱいじゃなくてーすこーしすこーし。すごーく少なくしてどのくらい出せるのー?」
全くの興味本位だった。
特に質問の意味はない。
「……あななたたちに理解できるかわからないけど。最小単位で1キロリットル」
「へー。いちきろ……いちきろ!!!?りっとる!?」
沙那は驚いた。
メートル法だというよりも何よりも。その量にである。
もしも沙那の世界と同じ単位であるとしたら……1000リットル。つまり重さにして水が1トン。
最小単位でとしたら膨大な量である。
沙那の世界の一般家庭のバスルームの浴槽なら3杯か4杯分だ。
そんなものを用意もしてない場所に出されたら堪らない。
しかし、この時点では沙那は何も気が付いていなかった。
何も存在しないところから1トンものお湯を発生させるという物理原則を無視する現象に。
クローリーの使う魔法はあくまでも何かを代償に発生する自然現象というかこの世界特有の自然科学なのであるが、今、妖精が言いだしたことはその範疇を大きく超えている。
ある意味、こちらの方がよほど魔法なのだった。
特別な代償なしに、無から何かを発生させる。
もしもこれらを完全にコントロール出来たら、今までの魔法理論を全て根底から破壊しかねないほどのものなのだ。
もちろん。沙那がそのことに思い当たるまでには、ずいぶんと長い年月が係ることになるのだが。
「もちょっと上手く使えないのー?ちょっと不便だね。あ。でも、船でお風呂作るのには丁度いいくらいかもしれないー」
今の沙那はその程度の利用法しか思いつかなかった。
彼女の欠点は自分の周りの生活の質的向上が最優先で、他に野心を持たないところだった。
今の沙那にとってはイズミは雑談相手兼どこでもお風呂発生器でしかなかったのだ。
「あとで甲板にお風呂用の枠でも作って貰おうかなー」
「ふーん?それって覗き放題ってことっスよなー?」
隣でンコ座りしたクローリーが船虫を指で弾きながら言った。
「それとも……さにゃは自分の裸を見せつけたい変態な趣味がっ……痛いっ痛いっス!マリねーさん」
マリエッラが笑顔でクローリーのこめかみに梅干しをキメていた。
「船はキャンバス地が余分にあるっスから、目隠しくらい幾らでも作れると思うっスよ」
まったくうちの女性陣は乱暴なんスから、とクローリーが痛むこめかみを手で押さえて立ち上がると叫び声が聞こえた。
「なんだって!?そりゃどういうことだ!?」
港湾役人の胸ぐらを掴みかからん勢いのリンザットだった。
港湾事務所に顔出してくると言って別れてすぐのことだ。
そして、三々五々と集まってくる武装した兵士。
冒険者でもあるクローリーには嫌な予感がした。
トラブルの予感だった。
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しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
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