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第2章

第2章 多島海 8

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8 快賊テリュー

 彼女がどうやってこの世界に来たのかは定かではない。
 まだ幼いころに遊んでいたら……たまたま世界の扉を潜ってしまったとしか言いようがない。
 右も左も分からないまま彷徨う彼女を拾ったのが交易商人テイロだった。
 テイロは若いころから苦労してやっと交易船を手に入れたばかりの気鋭の船乗りで、忙しさにかまけて独身のまま30を過ぎていた。
 そんな中年男がどんな気まぐれで子供を拾ったのかは判らない。
 しかし、彼は自分の子のように育てた。
 ある時は船に乗せ、あるときは港の知り合いの女性に預けたり。
 もし、彼女の人生を決定づけることがあったとしたら、多島海サウザンアイランズの遥か東の果トエに住んだ時期かもしれない。
 トエは貴金属の豊富な国と言われ、テイロも度々立ち寄った馴染みの国である。
 その大きな港町ナノツに数年預けられたことがある。
 トエは絹の国シリカに比べればずっと遅れた地域であったが、常に絹の国シリカのような国になりたいと文化や知識を取り入れようと必死の新興国であった。
 その向上心溢れる雰囲気は庶民にも影響を与え、識字率は5割を超えるといわれるほど教育にも熱心だった。
 それもそのはず。絹の国シリカでは家柄や出自だけではなく、国の高官は試験による選抜で行うという変わった構造で、庶民から成りあがるための道が辛うじてだが存在していたのだ。
 トエもそれを真似して導入したため、なんとか学問の費用を捻出できる庶民は教会学校に通わせた。
 子供たちはそこで字を覚えて、新聞や本を読むことができた。
 帝国で紙がいまだに貴重品である時代にトエのような国ですら茶色い再生紙が流通しており、木版印刷された新聞として使われたり、チリ紙としても利用されていた。
 もしも帝国の貴族階級の人間がこの状態を見たら、驚愕と恐怖で金縛りにあうかもしれない。
 絹の国シリカの文化圏は豊かで壮大であった。
 その中でトエは少し変わった地域だった。
 そこに住む人々は特殊で、農耕民族であると同時に戦闘民族としても知られていた。
 特殊な武器、変わった戦技……それ故に傭兵としても重宝され、海を渡るものも少なくない。
 テリューが惹かれた部分はそこだった。
 優美で頑強な細剣ワオドゥ
 絹の国シリカの交易圏でも人気と評価の高い武具だ。
 トエ独特の作り方で、少ない鉄の量で、そして途轍もなく強く硬くしなやかに作る。
 その美しさから芸術品としても珍重されたりしたが、実は鉄が貴重すぎてなかなか手に入らないトエ故のものだった。
 一度折れたら、代わりをすぐに作ったり手に入れたりができない。
 その鉄に貧しい環境から、折れず鋭い剣を……そして鉄の量を節約する剣が生まれたのだ。
 鉄をも斬れる鉄の剣。鋼。
 テリューもそれに魅了された。
 勉強もそこそこに剣術を教えてくれそうな場所に通い詰めた。
 異世界召喚者ワタリだからなのか、たちまち腕を上げていった。
 覚えが早いというよりも何かを超越した超自然的な力にも見えた。

 テリューの最初の戦いは父親の船に乗り合わせいて遭遇した海賊との戦いだった。
 その後いくばくかの戦いを経て、交易路の護衛を行うようになった。
 テイロはそんな娘に資金を援助し、1隻の海賊船を持たせた。
「あたしは、海賊を狩る海賊さ」
 その言葉に偽りなく、海域を荒らす海賊を退治して回った。
 快賊などと好意を持って呼ばれたのはこのころだった。
 数年と経ずにそこから大きな飛躍をすることになる。
 それは西の大陸にある帝国の軍勢が多島海サウザンアイランズの一角を占領した時だった。
 先住民を奴隷として酷使し、法外な通行料を要求したのだ。
 航路の安全と引き換えに通行料をもらうのは海賊の世の習いである。
 それ自体には問題はない。
 商人は安全を金で買ってくれる。
 ただ、帝国のやり方は少し違った。
 通行料が法外なうえに、海域の治安を悪化させるために正規軍による海賊行為を度々行ったのだ。
 危険な海域だからこそ高価な通行料が必要。それが帝国の言い分だった。
 もちろんその航路を交易船は避けるようになったが、帝国はさらに遠征して高価な積み荷を狙って交易船を襲撃した。
 交易商人たちの度重なる陳情でついに絹の国シリカ砂の国アルサも出兵を検討せざるを得なかった。
 そこで立ったのがテリューだった。
 様々な交易商人が行き来する自由闊達さが好きだった彼女は、どこか大国が多島海サウザンアイランズを支配することを望まなかった。
「海は海の民が守ってみせるさ」
 テリューは仲間を集い、賛同する同志たちとわずか3隻の船を率いて戦いを始めた。
 獲物を狙って遊弋する帝国軍軍船二段櫂船ドロモンを見つけ次第叩き潰し、同調する奴隷がいれば仲間にした。
 そうして勢力を拡大したテリューは、ついに多島海サウザンアイランズの帝国拠点を襲撃した。
 異世界召喚者ワタリたる彼女の剣捌きは圧倒的で、帝国軍を率いていたヴェント侯は全てを捨てて逃げ去ることになった。
 この時から海の守護者テリューの名は絶対的なものになり、絹の国シリカにも砂の国アルサからも海上自治権を得た。
 以降、適正な……というよりは少し安めの通行料で海域の治安を守る集団ができた。
 国……という体裁ではない。
 組合とでもいいのだろうか。
 その拠点は多島海サウザンアイランズのあちらこちらに存在するが、もっとも有名なのは帝国からの入り口に近い火山島が選ばれた。
 現地人の言葉でテリューの島テリリンカと呼ばれるようになったそこは、交易路の分岐点として発展することになる。 
 そして、テリューは息子に跡を継がせると隠居した。
 テリリンカから少し離れた静かな島に小さな村を開いたのだ。
 ただ、そこには他にも引退したかつての仲間やその家族、色々訳アリで行き場のない人間たちが集まった。
 隠れ里と言ってもよい。
 そこに、治癒の秘術の能力を持って生まれた曾孫のアユがやってきた。
 知られれば死ぬまで利用されるだろう、その能力を人目につかないように。
 可愛い曾孫に看取られるのも本望だと思っていた。
 だが、ある時、テリューは病に倒れた。
 そしてこともあろうに、アユは無意識に治癒の術を使ってしまったのだ。
 テリューは全快した。そして同時に肉体が少し若返ったことにも気づいた。
 自分が孫娘の未来(寿命)を奪ってしまったことへの恐怖と後悔。
 激しく苦悩した。
 しかし、過ぎてしまったことは戻せない。
 彼女はアユの成長を見守ることを生涯の糧とした。
 周囲の老人たちもテリューに賛同した。
 彼らは今現在の自分たちが一方的に幸福を甘受するよりも、今日より明日、明日より明後日……自分より子供、子供より孫へと後世に行くほど少しづつ幸せになることを望んでいた。
 いつも未来を見るのが大人の役目。
「いいかい、みんな?太く短くとか細く長くとかじゃあない。どうせなら太く長く生きるんだよ!」
 テリューはアユのおかげで少し寿命が延びたようだったが、それも今にも尽きようとしていた。
 今回の揉め事は最後の輝きになるだろう。とテリュー自身が思っていた。
 ただ、心配だったのは、帝国軍がこの隠れ里を知っていたことと、正確にそこを狙ってきたことだった。
 多島海サウザンアイランズの誇るテリリンカの戦闘力もここには殆どない。
 それを知って襲ってきたとしか思えなかった。
 計算外だったのはテリューがいまだに存命だったことか。
「もう何年も持たないと思うんだけどねえ」
 このところ激しい動きで簡単に息が上がる。
 医者には心の臓だろうと言われていた。
「念のため……テリラには連絡入れておくかねえ」


 ゲイザーは少し悩んでいた。
 島の連中が悪逆非道の海賊というイメージから程遠かったのもある。
 そして海の民を自称する島民たちの変わった死生観。
 海に出る以上、嵐があったり何か不測の事態で命を落とすことがある。
 悲しみはしても素直に仲間の死を受け入れるのだ。
 帝国の襲撃で殺された人の肉親もそれが変わらない。
 そのかわり、彼らは死者を祀り敬う。
 死者は精霊となって島に戻ってくる。そう言うのだ。
 アユが話す精霊もそういうものなのだろうか。
 ゲイザーには判らない。
「イズミちゃんが、大きなお風呂にたくさんの人で入ってみんな仲良しにーっていってる」
 イズミちゃんというのはアユが名付けた温かい泉の精のことだ。
 ゲイザーには何も見えないが、アユはいると言い張る。
 そんなことよりも早く帰りたかった。
 帝国騎士が捕虜になるのは必ずしも不名誉ではない。
 むしろ生きて帰って更なる功績をあげれば名誉は回復される。
 ただ……テリューから言われたように、この島でだけでもそれまで知りえなかったことを見たし、知った。
 通行料が船を止めて回収するものではなく、寄港した港へ港湾使用料という形で納められる。
 それを様々に分配し、一部がテリューたち海の民へと還元される。
 額はそう大きくない。むしろ1隻1隻から受け取る額はかなり少ない。
 テリューの考えはこうだ。
「なあに。船が増えればその数の分だけ増えるじゃないか。船の数が10倍になったら収入も10倍になるのさ」
 気の長い話である。
「儲けってのは誰かが独り占めするよりは、みんなで少しづつ沢山の人がありつけた方が良いのさ。みんな少しづつ豊かになったら少しづつ余分に買い物するようになるだろう?」
 その考えがゲイザーには理解できない。
絹の国シリカで思ったのさ。中産市民が豊かだと国全体はもっと激しく豊かになるんだってことをさ」
 確かにこの村に住んでいれば、少しだけ判る気がした。
「もっとあちこちを見てくれば……もっと分かるのだろうか」
 ゲイザーの心が少しだけ動きかけた、その時。
 半鐘の甲高い音が鳴り響いた。
 長く、短く、そして長く。独特のリズムだ。
 それは騎士であるゲイザーには意味がわからなかったが、海の民であるテリューたちはすぐに反応した。
「襲撃―!旗は帝国軍ー!」
 小さな港村の沖に数十隻の二段櫂船ドロモンが整列していた。
 ざっと40隻はいる。
 帝国軍というよりエステルラレン王国の海上戦力の全てといって良い大軍だった
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