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彼が僕を抱いた夜

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「……うそ……」

「ずっと前から好きだった。どうこうする気はなかった。お前が俺のそばにいてくれるならそれだけでよかったから。でも……」

 泉の声が一段低くなる。静かな怒りが、電流のように迸った。

「でもお前が他人のものになるくらいなら、俺がここで壊してやる」

 血を吐くように告げた唇が、要の唇に重なる。触れ合う寸前まで、決然と燃える視線が要を射貫いて身動きを封じた。

「……っん、んぅ」

 差し伸ばされた厚い舌が、すぐに整った要の歯列をなぞってくる。要が息苦しさに喘いだ瞬間、狙っていたように口腔へ入りこんだ泉の舌に上顎を弄ばれた。

(く、るし……っ)

 混乱に縮こまる舌を、泉の器用な舌が引っ張りだす。息が苦しい。鼻腔に流れこんでくる匂いは、嗅ぎなれたお揃いのローズマリーとティーツリーのシャンプーの香り。それから泉が愛用しているさっぱりとした香水。

 紛れもなく泉とキスしているのだと、酸欠で痛みだした頭が嫌でも理解する。唾液を送りこまれて、行き場のない要は細い喉を苦しげに上下させた。

 頭が白んできた頃、ようやく泉の唇が離れる。銀色の糸が尾を引き、泉の真っ赤な舌が要の唇ごとそれを舐めた。

 ぼやけた視界に映る泉が、凄絶なまでに美しく――――でも鷹のような瞳は、雄の色を孕んでいた。

「あ、は……う、ゲホッ」

 初めてのキスに慣れず、解放された瞬間に要は咳きこむ。途端に肺いっぱいに流れこんだ空気に溺れ、要は激しく息を繰り返した。

 今のキスで、いやでも意識してしまう。泉は本気だと。本気で彼は要のことが好きで、そして――――本気で怒っている。

(犯される……)

 家族のように思っていた泉に。希望と思っていた泉に。

「や、だ……っ」

(そんなのは嫌だ……!)

 もがいた拍子に、リモコンに腕がぶつかりテレビがついた。液晶の明るさで暗い室内が一瞬白く浮かびあがる。皮肉にもテレビに映しだされたのは、二日前に放映が開始された泉の清涼飲料水のCMだった。

『渇いた俺を満たして』

 画面を隔てた向こうにいる泉と、要に覆いかぶさる泉は、はたして同一人物なのだろうか。

 許容量を超えた頭がショートしそうだ。頭がガンガンする。それでも、泉は待ってはくれない。彼の一回り大きな手が股間に伸びてきたので、要は切羽つまった声を上げた。

「や、待って、泉……っ」

 まだ今なら引き返せる。今ならまだ、冗談で済ませられる。そんな一縷の希望に縋ろうとする要を、泉は絶望の底に叩き落とした。

「そうやって、竜胆のことも焦らすつもりだったのか?」

「――――は……っ!?」

「竜胆に見せてたポーカーフェイスはどうしたよ。盗聴アプリで聞いてたぜ? 随分上手に誘ってたじゃねぇか。もしかして今までも同じように誘ってきた奴と寝てたのか?」

「……っそんなことしてない! オレは……っ」

 泉を守りたかっただけだ。渋谷のビジョンをジャックして、道行く人の視線を釘付けにするような――――そんな非凡な魅力の持ち主である彼を守りたかっただけだ。

 泉の心無い言葉に、左の胸がナイフで刺されたような痛みを覚える。しかしその気持ちに溺れる前に、金属の擦れあう音が響き、要は現実に引き戻された。

 器用にベルトのバックルを外され、下着ごとスラックスを引き下ろされる。暗いとはいえテレビの明かりが助けとなって、何の兆しも見せていない性器の様子が泉からはよく分かるはずだ。見られた。

 せりあがる羞恥と恐怖に、要はシーツの海をもがいた。しかし泉の下に敷かれた体は、あっけなく彼の手に捕まる。熱い手によって無遠慮に性器を握りこまれ、要は虐げられた犬のような悲鳴を上げた。

「あぁ……っ。やめ、触るな……っ!」

「何だよ、勃たねぇな。それとも女になら反応するのか? 抱く気だったんだもんな? あの女を」

 要は下唇を噛みしめる。別に望んでいたわけじゃない。苦渋の選択だったのに、冷たい言葉でなじられて心が悲鳴を上げる。

 それにあの時は泉のためにそうせねばと腹をくくっていたが、今となっては好きでもない竜胆を抱けたのか怪しい。それでも、心を殺してでも泉のためなら身代わりになろうと思った。

 その思いをなじられるとは思わなかった。まして……。

(何で、泉がそんな傷ついた顔をしてるんだ……)

 要を傷つける言葉を吐くたびに、泉はまるで自分が切りつけられたように痛そうな顔をしている。状況を忘れ、つい、手を伸ばしたくなった。

 ペリドットを閉じこめたような両眼が、孤独に細められるのを見たくない。

 自分を今追いこんでいるのは紛れもなく泉なのに、襲われているのは自分なのに、救ってあげねばいけない気になる。

 しかし伸ばしたい手は、血が通わないほど固くネクタイで結ばれてしまっている。もがけばもがくほど食いこむ布に歯がゆい思いをしていると、それを抵抗と受けとった泉が、白刃のように鋭く冷たい目を吊りあげた。

 泉の奥歯がギリ、と鳴るのを、要は間近で聞いた。砕かれそうなほど強い力で顎を掴まれ、怒りを燃やした双眼と目を合わせられる。

「残念だったな」

 出会ってから、今までで一番冷酷な声だった。

「二度と女なんて抱かせねぇよ。お前は俺のものだ。俺が見つけたんだ」

「……っ。え……? や、待って、何して……泉、やめて!」

 極度の緊張で萎えたままの股間に、湿った呼気が当たる。要が叫んだ瞬間、泉の温かい口腔に性器を含まれた。

「や、やだ……っ。あ、やぁっ」

 肉厚の舌がすぐに先端をくすぐる。未知の刺激を前に、熱した鉄を押し当てられたように要の腰が跳ねた。熱い口内に芯から溶かされそうだ。くびれを平たい親指でなぞられ、裏筋を確かめるように舐められた瞬間、背中に電流が走った。

「ああっ、や、ん、泉、やめ」

「嫌なはずないだろ」

「んぁ……っ。やだってば……っ」

「黙れよ。ほら、見てみな。気持ちよさそうだぜ?」

 散々甘くなぶられて泉の口腔から解放された性器は、糸を引き健気にそそり立っていた。生理現象だ。それでも男相手に反応した、腹につきそうなほど反り返った自身の昂ぶりが信じられず、要の脆くなった目元から一粒涙が零れた。

「なん、そんな……」

 長い睫毛に引っかかった涙の珠を、泉があやすように吸う。暴力的な快感を与えながら慈しむ仕草を見せる泉に、要は心の均衡を崩された。

 泉に反応した。泉に。

 男に反応した以上に、そのことに要は絶望した。泉は出会ってからずっと特別な存在だった。泉はオフの時は手のかかる甘え上手の弟みたいに要と共におり、オンの時は孤高の獣のように凛々しく、レンズ越しに老若男女を魅了した。

 気弱な要は、そんな泉を誰よりも誇りに思っていた。気高いとさえ思っていた。圧倒的な美の暴力と天性の演技力で日本に旋風を巻き起こす新星は、自分が見出したのだ。大切な大切な宝物なのだ。

 そんな神聖視さえしていた彼に、抱かれようとしている。そして体が反応してしまった。そのことに、要は自身を軽蔑したくなった。

「……もうやめて……ねえ、泉、お願いだ……もう……」

 ひくっとしゃくりあげ、要が訴える。まろい額にはりついた髪を払い、要の幼い輪郭を泉が撫でた。

「……きけない願いだな」

 毒のように甘く、絶望的に優しい声だった。

「や、ぁ、いやだ……っ」

 膝裏に手を当てられて体を折られ、赤子のように大事な部分を晒される。要の鋭い悲鳴を無視し、薄い尻の奥を覗きこまれる。羞恥で目の前が真っ赤に染まり、もう泉を蹴り飛ばしたくなった。

 それでも泉に怪我をさせたらと思うと、抵抗が中途半端になってしまう。諦めて身を預けることもできず、かといって満足な抵抗もできない。しまいにぐずりだした要の尻の窄まりに、容赦のない指が潜りこんだ。異物感に体が悲鳴を上げる。

「ひ、なに、やだ……泉ぃっ」

 ギチギチと食いこむ指を追いだすように、粘膜が締まる。女の身体とは違い滑りの悪い穴に難儀した泉は、ベッドわきの小机の引き出しからボディクリームを出した。その際に一瞬だけ、泉の視線が要から外れる。逃げるなら今しかない。

「……っ」

 決死の思いで起きあがり、要はベッドから抜けだそうともがく。しかしフローリングに足が着く前に、襟首を掴まれ、ベッドへ引き倒された。

「う……っ」

「逃げんな!」

 低い恫喝が頭を揺らす。泉が吠えるところなど見たことがない。元々冷たく整った容貌の泉が怒ると、気弱な要は恐怖で気がくじけてしまう。逃亡を試みた体はひっくり返され、屈辱的なことにうつ伏せで尻を高く掲げる形にされた。

 淡い色をした大事な部分が、泉の纏わりつくような視線に犯される。恥辱で熱くなった背中に、汗が浮く。浮きでた肩甲骨に、泉の唇が落ちた。

「やっ、つめた……っ」

 クリームでぬめりを帯びた指が、再び直腸に侵入してくる。異物が中を這う感触に要は泣きたくなった。圧迫感に歯を噛みしめる。

 それでも泉の手は止まらない。それどころか二本に増えた指が、探るように中を掻きまわし、とある部分を大きな爪がひっかく。

 その瞬間、目の前に火花が散った。

「や、あ、なに、そこ、やだっ。やめて!」

「ああ、ここか……」

「やぁっ、や、そこだめ、だめ……っ何? いや! こわぃ……」

「ダメじゃねえよ。前立腺だ。ここが気持ちいいんだろ?」

「ちが……っ」

「違うのか? 腰、揺れてるぞ」

 それからここも、と逆の指で性器の先端を弾かれ、要は大きな瞳をギュッと閉じた。

 そんなわけない。そんなはずはない。大切な家族のような存在の泉に触られて、達しそうになるなんて。しかしそのまま中の敏感な部分と性器を同時に擦られ、要は目の前が白むのを感じた。

 ぞくぞくとした痺れが這いあがり、限界を迎えた昂ぶりが泉の大きな手の中で終わりを迎える。

「……っあ、あー……あ……」

 熱を吐きだした後に襲いくる虚脱感と、自己嫌悪。うつ伏せでシーツに倒れむと、慣れ親しんだシーツがやけによそよそしく感じられた。

 自分の体温が上がっているからそう思うのか。答えを見出す前に、肩に口付けを落とされまた仰向かされる。涙で曇る目に、自身の薄い腹に飛びちった液体が見えた。瞬きして鮮明になった黒曜石の瞳に、泉が映る。

 泉の指が、要の腹に散った体液を掬いあげている。ねばついた濃い精液を指でこね、そのまま唇に含まれる。

 やめてくれと発狂したくなるのに、指を舐める泉のあまりの妖艶さに言葉を忘れる。伏せられた金の睫毛も、形のよい薄い唇から覗く白い歯も、乱れた髪が高い鼻梁にかかっているのも、すべてが艶っぽい。

 興奮にギラリと目を光らせる彼を捉え、泉は息をすすった。

「もう、やだ……」

 もう終わりにして。夢なら醒めてほしい。唾液と涙と汗でぐちゃぐちゃになった顔を向け、もう何度も聞き入れられなかった懇願を唇に載せる。

 しかし、尻の窄まりに当たった熱が、まだ悪夢は終わらないと残酷に嗤った。

「自分だけイッて満足すんなよ」

「泉……やだ……」

「……ダメだ」

「ねえ、お願い……っ」

 最後の嘆願に、返事はなかった。贖罪のような口付けが、ただ落ちる。

 身体をくの字に折られ直後に襲いくる圧迫感に、要は我を忘れて暴れまわる。入口の粘膜をこじ開けられているという表現が正しい。体を貫かれる恐怖に怯え、思わず泉の猛りを見て後悔する。

「はい、んない……っ。無理、死んじゃう」

泉の大きな体躯に見合うだけのサイズをしたそれは、十分にほぐされた尻の穴をそれでも容易には進めない。しわの伸びきった粘膜が裂ける痛みに、要は呻いた。

「あああっ、痛い、痛いよ……っ」

「……要。力抜けって……」

「や、あ、ぃた……挿れない、で……っ」

 性器の一番太く張りだした部分が穴を潜る。痛みに激しく暴れる要を抱きこみ、泉は舌打ちした。その刹那、グイと突き進まれ、要の悲鳴が寝室に響いた。黒目がちの瞳から、涙腺が崩壊したように涙があふれた。

「……っくそ」

 泉が腰を引く。うねる中が、そのまま引きずられていくようで要はますます泣いた。繋がってしまった恐怖に泣いているのに、それをしたのは泉なのに、縋るものがほしくて泉の名を呼ぶ。

「や、あ……っずみ……っいずみ……っ」

 迷い子のようにひたすら泉の名を呼び続ける要を見下ろし、泉は表情を歪める。しかし要を抱きしめたまま、華奢な身体を揺すりあげた。

「あ、あ、あぁ……っあぅ……」

 内臓が引きずり出されそうな痛みと、わずかに体が拾いあげた快感に怯え、要は現実から目を背けるように目を閉じた。

 瞼の向こう、荒い息遣いの泉が

「……俺だけの光だ」

 そう悲しげに呟いた気がした。
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