僕の大好きなあの人

始動甘言

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終わった記憶の追走

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 僕が居候として働き始めてから2か月程度は経った頃、
 「私たち、少し留守にしてもいいかな?」
 バイトリーダーさんがそんなことを僕に言ってきた。どうしてですか、と僕が尋ねると、あなたの正式雇用の試験みたいなものだからと彼女は答えた。
 「でも、店長が許しますかね?」
 『彼女』がそう質問する。当然だ、こんなどことも知れない奴と大切な従業員の二人で店が切り盛り出来るはずがない。
 「それならもう許可は取ってあるから大丈夫!」
 ね?と後ろの方から出てきた店長の顔は眉間にしわ、額に青筋、口は嫌そうになってへの字になっている。幸いこちらを見ていないのはある程度は認めてくれている証拠・・・だと思いたい。前はもっと射殺す勢いで鋭くこちらを睨んできたから。
 「と、とりあえず頑張ってみます・・・」
 黒塗りの隙間から微かに見える『彼女』の表情には店長に対する怯えとか僕と一緒にやる不安はなかった。そうだ、僕はこの時の表情を覚えている。『彼女』と初めて、二人きりでやる仕事だったから無理に思い出す必要もない。
 
 『彼女』はバイトリーダーに諦めの表情を向けた後に、僕に対してニコリとほほ笑んだのだ

 その時の表情は本当に柔らかくて、春の日差しのように暖かかった。でも僕はその表情に対して笑顔で返せるほどの勇気が無くて思わず顔を染めて赤くなって俯いてしまった。笑顔で返せればどれだけよかっただろうか。

 「じゃああとはよろしくね~」
 そう言ってバイトリーダーさんが鬼みたいな形相の店長の背中を押して出て行った。

 「どうしよっか」
 『彼女』は僕にそう聞いてきた。思い出したい、でももう思い出せないその顔。僕はなんと言ったか、なんと言えば良かったのだろうか。分からない、でも、思い出したい。
 窓の外には僕がいた。ソイツは僕を冷たく見据えている。分かっているよ、思い出している時間はもうないんだよな。
 「――――――――」
 「うん、いいね。そうしようか」
 『彼女』は僕の意見をすんなり聞いてくれたのを覚えている。この時の僕はどんな気持ちだったのだろうか、多分、いや、これは確かに僕は笑ったんだ。笑って頷いたんだ。
 「ああ・・・・」
 鼻の奥に残る思い出はブスブスと燃え始めた。いけない、現実の火が回ってきたんだ。
 
 「行くぞ」
 窓の外にいた僕が僕の背中を蹴った。痛みはない、所詮はお互い記憶なのだ。僕は蹴られた勢いにまかせて地面に倒れる。地面は硬くなくて、倒れたと同時に波紋を広げて別の場面を映し出した。
 
 目の前には『僕』と『彼女』がいた。
 「もう、あの中にはいられないんだね」
 「バカめ、最初で使いすぎなんだよ。なんだからもっとゆっくり味わえってんだ」
 「・・・・そうだね。ごめんよ」
 僕らはただの記憶だということを忘れていた。僕らは今、『僕』の記憶を食べている。それが変わり果てた『彼女』らを呼ぶための条件なのだから。
 「確か、この場面は」
 「『彼女』に初めて誘われて食事に行った時だな。ふん、見て見ろよ。緊張のし過ぎで味が分からなくなって固まってやがる」
 「ハハハ、傑作だね」
 初めて食事に誘われたのは二人っきりで店をやった後からさらに数か月先、丁度雪が降り始めた時だった。僕は誰かと食事に行くなんてなかったから、『彼女』に誘われた時にはそれはもうガッチガチに緊張していて『彼女』に熱でもあるのかと心配されたものだ。
 「ああ!違う違う!そこはもっとちゃんと噛め!そこで噛まないで喉を詰まらせちまうと『彼女』に介抱されるぞ!」
 見ているのは『彼女』に美味しい?と聞かれて、うんと言おうと頷いたら口の中に入っていたものをそのまま飲み込んで喉に詰まらせてしまう場面。我ながらどうしてそこで詰まるのかと思ってしまう場面だけど、改めて自分を俯瞰してみると大人しく床に就いた方がいいのでは?と思うほど手が震えていた。どんだけ緊張していたんだ、全く。
 「そんなこと言ったって僕らの声が『僕』に届くわけないじゃないか」
 「分かってるけど言いたくなるだろ。あの時にもっとちゃんとしてれば、『彼女』をもっと喜ばせたかもしれないのに」
 その通りだ、でももう遅い。終わった記憶をひたすら毒づいてももはやどうしようもないのだ。
 「おい!もっとうまくやれ!それじゃあまた介抱されちまうぞ!!」
 「あー落ち着いて落ち着いて。もう次の記憶に行こう」
 僕は怒る僕を宥めながら次の記憶に引っ張っていく。画面の中の『彼女』の顔は黒く塗りつぶされていたけど、僕らはそこで『彼女』が心配そうに僕を介抱してくれたことを覚えている。そして僕が落ち着くと思い出すと目が潰れそうなぐらい輝かしい笑顔で、良かったと言ってくれたことも。
 「他はいいのか」
 僕らの前に別の僕が現れた。多分、次の次の記憶から迎えに来たんだろう。
 「嫌って言えば止めてくれるわけじゃないんだろ?僕が選択した最期の旅なんだからサッサと行こうぜ」
 怒るのを辞めた僕はやれやれと諦めたように言う。
 「うん、そうだね」
 僕は諦めた僕を引っ張りながら、待っている僕と一緒に次の記憶に行った。
 
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