高司専務の憂鬱 (完)

白亜凛

文字の大きさ
上 下
50 / 95
◆将を射んと欲せば

秘書のお仕事 5

しおりを挟む
 名前の通りハヤテのごとく現れてハヤテのように去って行った彼の笑顔が脳裏にちらつき、その日の夜はよく眠れなかった。

 会社を辞めさえすれば縁が切れると思っていたが、それだけじゃ足りない。逃げるからには会社を辞めるだけでなく、引っ越しもしなければいけないのか。

 送られてきた服の量は、スーツとワンピースだけでも軽く二週間分にはなる。上手くローテーションすればこの冬は服に困らないだろうと、彼の声が聞こえるようだった。

 この先長く秘書課で働くつもりはないのに、先手を取られてしまった気分だ。

 必死に進もうとしても、次から次へと新たな波が襲ってくる。
 その波はどんどん高くて強力になっていくような気がしてならない。

(どうしたら逃げられるんだろう……)

 悶々しながら出勤した週明けの月曜日。

 それはいきなりの指示だった。

「え……なんですって?」

「君の席は、これから専務室だ。席は既にあるから荷物を持って行ってください」

 都築課長は形ばかり微笑んで「よろしく」と行ってしまう。

 確かに颯天から専属になるとは聞いていたが、部屋まで一緒だなんて聞いていない。
 その違いはあまりにも大きい。

「杏香ちゃん、よかったね」
 唖然として固まっている杏香の前に、ひょっこりと顔を出したのは菊乃だ。
 よくなんかないわよ、と言いかけたとき――。

「どういうことなんですか?!」
 課長に食い下がったのは、杏香ではなく青井光葉だった。

「なんの経験もない、来たばかりの彼女が専務専属なんておかしいですよね? もしかして専務の指名なんですか?」

 ヒステリックな声に、秘書課がシーンと静まりかえり、杏香の喉の奥がゴクリと鳴った。

 皆が注視するなか、都築課長は顔色も変えず、薄い笑みを浮かべたまま毅然と対応する。

「指名なんてありませんよ。強いて言うなら坂元取締役の推薦も含めて私の推薦です。なにかご不満でも?」

 上司にまっすぐ見返されて、それ以上は食い下がれないのだろう。悔しそうに唇を噛んだ青井光葉は、クルッと杏香を振り返った。

(ヒィ!)

 思わず息を呑み、鞭で打たれたような緊張が走る。
 光葉の瞳には怒りの炎が燃え盛っている。ユラユラとした紅い火が見えた気がして、杏香は慌てて背中を向けた。

 本性見たりと、思わず心で呟く。

 由美の想像はあたっていたのである。
 パーフェクトな女性と言われる彼女には、裏の顔があった。そしてそれは秘書課だけの秘密だったのだ。

 異動初日に、菊乃からも忠告された。
『彼女とふたりきりになってはだめよ。女子トイレは他の階を使うようにしたほうがいいわ』
『わかった。そうする』

 彼女は急な杏香の異動に不信を抱いたらしい。高司専務に近い立場の坂元取締役の担当というのも気に入らなかったようで、杏香を見る青井光葉の目は最初から憎悪に満ちていた。

 だからといってなにか言われるとか、意地悪をされるとわけではない。ただ時折強い視線を感じて振り返ると、ジッと見つめている彼女と目が合うだけだが、その度にゾッとさせられる。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛

冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~

蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。 嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。 だから、仲の良い同期のままでいたい。 そう思っているのに。 今までと違う甘い視線で見つめられて、 “女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。 全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。 「勘違いじゃないから」 告白したい御曹司と 告白されたくない小ボケ女子 ラブバトル開始

隣人は不愛想な警部!大人の階段登りたい男性恐怖症のわたしはロマンチックを所望しています

はなまる
恋愛
念願の保育士になった胡桃沢はつね。彼女は高校生の時乱暴されて以来男性恐怖症だ。それでもやっと念願の一人暮らし。これからは新しい出会いもあると期待していた。ところがある日チャイムが鳴りモニター越しに見えた男性はなんとも無愛想な人で‥‥そしてひょんなことから彼を夕食に招くことになって、なぜか彼には恐い気持ちは浮かばない、それよりもっと別の気持ちが沸き上がる。これってもしかして‥‥でも兄の友人が訪ねて来た。彼がそれを目撃してからは、メールの一つもなくなった。そんなある日はつねは暗い夜道で襲われる。ちょうど通りかかった彼が助けてくれて…はつねは彼に縋りつく。もうわたしからずっと離れないでと…   再投稿です。設定はすべてフィクションになっています。警察組織関係は特に架空設定です。

社長はお隣の幼馴染を溺愛している

椿蛍
恋愛
【改稿】2023.5.13 【初出】2020.9.17 倉地志茉(くらちしま)は両親を交通事故で亡くし、天涯孤独の身の上だった。 そのせいか、厭世的で静かな田舎暮らしに憧れている。 大企業沖重グループの経理課に務め、平和な日々を送っていたのだが、4月から新しい社長が来ると言う。 その社長というのはお隣のお屋敷に住む仁礼木要人(にれきかなめ)だった。 要人の家は大病院を経営しており、要人の両親は貧乏で身寄りのない志茉のことをよく思っていない。 志茉も気づいており、距離を置かなくてはならないと考え、何度か要人の申し出を断っている。 けれど、要人はそう思っておらず、志茉に冷たくされても離れる気はない。 社長となった要人は親会社の宮ノ入グループ会長から、婚約者の女性、扇田愛弓(おおぎだあゆみ)を紹介され――― ★宮ノ入シリーズ第4弾

勘違いで別れを告げた日から豹変した婚約者が毎晩迫ってきて困っています

Adria
恋愛
詩音は怪我をして実家の病院に診察に行った時に、婚約者のある噂を耳にした。その噂を聞いて、今まで彼が自分に触れなかった理由に気づく。 意を決して彼を解放してあげるつもりで別れを告げると、その日から穏やかだった彼はいなくなり、執着を剥き出しにしたSな彼になってしまった。 戸惑う反面、毎日激愛を注がれ次第に溺れていく―― イラスト:らぎ様 《エブリスタとムーンにも投稿しています》

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

処理中です...