高司専務の憂鬱 (完)

白亜凛

文字の大きさ
上 下
31 / 95
◆新しい恋をしましょう

社外恋愛の罠 10

しおりを挟む
 せっかく見えたはずの明るい未来が、一瞬でどす黒い雲に覆われた気分だ。今振り返ると、彼の背中に大きな黒い悪魔の翼が見えるに違いない。

 そもそも、自分だってカップルでいるのに、どうして見るのか。
 こういうときはお互いに見て見ぬふりをするのが普通でしょう?と言いたいが、倉庫での事件もある。考えたところで彼の頭の中はさっぱりわからない。杏香はひとまず思考を停止した。

「美味しいです。そちらはどうですか?」
「ええ、美味しいです……」

 気にしないようにして、他愛もない世間話をしながらケーキを口に運んでいたが、先に音を上げたのは加島のほうだった。

 彼に背中を向けてた杏香と違って、直接彼が見える席の加島は気にせずにはいられないのだろう。
 針のむしろにでも座っているように、表情が見るみる強張っていくのが杏香の目にも明らかだった。

「じゃあ、そろそろ」

「ええ――、そうですね」

 異論を唱えようもない。居ても立っても居られない気分なのは杏香も同じだ。

 せっかくのタルトを味わう余裕もなくて、美味しかったのかどうかもよくわらない。背中が異様に緊張して、とにかくへとへとに疲れた。一刻も早くこの場から離れたい。

 うつむきがちに席を立ちレジに向かうと、視界の隅で、何故か颯天がこっちに向かって歩いて来るのが見える。

(ひ、ひぇー)
 心で悲鳴を上げた。

 なぜ来る?

「杏香、ちょっといいか」

 なぜ名前を呼び捨てる?
 どうして呼び止めるのよっ!

 心の叫び虚しく、加島は「では、僕はこれで」とそそくさと行ってしまう。

「な、なんですか?」

 颯天が座っていた席を見ると連れの女性が座っていて、こっちを見ている。
 その目はもちろん、それこそ鬼気迫る感じだ。

「彼女がお前との仲を疑うんだ。ちょっと説明してやってくれないか」

「は? なにを言ってるんです?」
 意味がわからない。

「お前が怒ると、ますます怪しまれるんだよな」

(私がこの男とは関係ないと宣言しろと? 自分で勝手にガン見していたくせに?)

 この男、とことんクズだと愕然とする杏香に向かって、颯天は事も無げに言う。

「あいつ、イチカ食品の社長令嬢で、今うちはイチカ食品と取引できるかどうかの瀬戸際なんだ。お前も誤解されたまま取引中止の原因にされたら困るだろ?」

 これはもはや脅迫だ。

 もと愛人としてなら知らんこっちゃない、勝手に困りやがれだが、イチカ食品といえば一部上場の大企業である。そことの取引が掛かっていると言われては、社員として無視できない。

 山のように言いたいことはあるが、それらをすべて飲みこみ、目を瞑った杏香は大きく息を吸った。

 いっそここで一発殴ってやったらどれほどすっきりするだろう? グーで思い切り!

 でも、自分にだって意地がある。そう易々と挑発にのり、負け犬になるわけにはいかないと言い聞かせる。

 ふぅーっと大きく息を吐き、目を開けた杏香は満面の笑みを浮かべた。

「わかりました。無関係であると、正直に言えばいいんですね?」

「ああ」

 この男の椅子の足が一瞬で砂に変わりますように。隕石が脳天を直撃しますように!

 心の中でそう唱えつつ、憤懣やるせない思いを抱えながら杏香は彼のあとについて行った。

 彼が椅子を引き、促されるまま隣の席に腰を下ろす。

 イチカ食品の令嬢は不愉快だという気持ちを隠そうともせず杏香を睨む。

 不本意ながら、それも当然だと思う。自分の恋人が他の女に気を取られていたら、それはまあ怒りもするし睨みたくもなるだろう。むしろ同情すら覚えた。

「それで?」と彼女は聞くが、いきなりここでなにをどう言うべきなのか? 迷いつつ颯天を振り返ると、彼はふいに杏香を抱き寄せた。

「もういいぞ、先にマンションに帰ってろ」

 そう言って頬にキスをする。

(――は?)

 ギョッとして颯天を見ると、彼は、今度は唇にキスをする。

「心配して様子を見に来たんだろ? 大丈夫。いい子だから、先に帰って。おとなしく待っていろ」

 颯天はマンションの鍵を、これ見よがしに杏香の手に握らせた。

「今夜はビーフシチューがいいな」

 そして三度目のキスをする。

 四度目のキスが襲ってくる前に、意味もわからず席を立った。

 腰が抜けたかと思ったがちゃんと立つことが出来た。

 零れ落ちるんじゃないかというほど目を見開いて驚愕しているイチカ食品の令嬢にペコリと頭をさげて、杏香は逃げるように店から出た。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛

冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

ある夜の出来事

雪本 風香
恋愛
先輩と後輩の変わった性癖(旧タイトル『マッチングした人は会社の後輩?』)の後日談です。 前作をお読みになっていなくてもお楽しみいただけるようになっています。 サクッとお読みください。 ムーンライトノベルズ様にも投稿しています。

【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~

蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。 嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。 だから、仲の良い同期のままでいたい。 そう思っているのに。 今までと違う甘い視線で見つめられて、 “女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。 全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。 「勘違いじゃないから」 告白したい御曹司と 告白されたくない小ボケ女子 ラブバトル開始

隣人は不愛想な警部!大人の階段登りたい男性恐怖症のわたしはロマンチックを所望しています

はなまる
恋愛
念願の保育士になった胡桃沢はつね。彼女は高校生の時乱暴されて以来男性恐怖症だ。それでもやっと念願の一人暮らし。これからは新しい出会いもあると期待していた。ところがある日チャイムが鳴りモニター越しに見えた男性はなんとも無愛想な人で‥‥そしてひょんなことから彼を夕食に招くことになって、なぜか彼には恐い気持ちは浮かばない、それよりもっと別の気持ちが沸き上がる。これってもしかして‥‥でも兄の友人が訪ねて来た。彼がそれを目撃してからは、メールの一つもなくなった。そんなある日はつねは暗い夜道で襲われる。ちょうど通りかかった彼が助けてくれて…はつねは彼に縋りつく。もうわたしからずっと離れないでと…   再投稿です。設定はすべてフィクションになっています。警察組織関係は特に架空設定です。

練習なのに、とろけてしまいました

あさぎ
恋愛
ちょっとオタクな吉住瞳子(よしずみとうこ)は漫画やゲームが大好き。ある日、漫画動画を創作している友人から意外なお願いをされ引き受けると、なぜか会社のイケメン上司・小野田主任が現れびっくり。友人のお願いにうまく応えることができない瞳子を主任が手ずから教えこんでいく。 「だんだんいやらしくなってきたな」「お前の声、すごくそそられる……」主任の手が止まらない。まさかこんな練習になるなんて。瞳子はどこまでも甘く淫らにとかされていく ※※※〈本編12話+番外編1話〉※※※

社長はお隣の幼馴染を溺愛している

椿蛍
恋愛
【改稿】2023.5.13 【初出】2020.9.17 倉地志茉(くらちしま)は両親を交通事故で亡くし、天涯孤独の身の上だった。 そのせいか、厭世的で静かな田舎暮らしに憧れている。 大企業沖重グループの経理課に務め、平和な日々を送っていたのだが、4月から新しい社長が来ると言う。 その社長というのはお隣のお屋敷に住む仁礼木要人(にれきかなめ)だった。 要人の家は大病院を経営しており、要人の両親は貧乏で身寄りのない志茉のことをよく思っていない。 志茉も気づいており、距離を置かなくてはならないと考え、何度か要人の申し出を断っている。 けれど、要人はそう思っておらず、志茉に冷たくされても離れる気はない。 社長となった要人は親会社の宮ノ入グループ会長から、婚約者の女性、扇田愛弓(おおぎだあゆみ)を紹介され――― ★宮ノ入シリーズ第4弾

処理中です...