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◆バイバイ素敵なあなた
お兄さま、クズやめました? 1
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久しぶりに聞く足音に、高司麻耶は少し驚いたように振り返った。
「あら、お兄さま?」
ここは松濤にある高司邸。
リビングに入り、どっかりとソファに腰を下ろすのは麻耶の兄、颯天だ。
颯天が邸に帰ってきたのは、かれこれ半年ぶりになる。
職場から車で三十分も飛ばせば帰れるし、使用人が世話をやいてくれるのでなにかと楽なはずなのに、彼は不自由さを差し引いてもホテル暮らしやらマンション住まいを選んでいる。
「あ、そっか。お父さまがいないからね」
クスッと麻耶が笑う。
この兄は、素行不良のために父に激怒され、喧嘩同然で家を出た。
といっても本当に素行不良だったのは昔の話。子供の頃は格闘技系の習い事以外はすぐに逃げ出すし、十代後半は夜の街でケンカをし、補導されたのも一度や二度ではなかったが、高司家の跡取り息子という一応の自覚はあったらしい。社会人になった兄は見違えたように変貌を遂げ、どこからどうみても真面目なビジネスマンになったのである。
帰りが遅かろうが、思い通りにいかないことがあっても文句も言わず、黙々と情熱をもって仕事に向き合っている姿勢は、妹の麻耶からみても尊敬に値するものだった。
そんな息子の姿に、母はもちろん、父もホッと胸を撫でおろしたに違いない。
ところがどうやら女遊びのほうは卒業できなかったらしい。
今から三年前、颯天は人妻の女優と不倫騒動を巻き起こした。
写真週刊誌の記者に撮られた写真は抱き合ってキスしているように見えるところと、そのままホテルに入るところ。その女優と颯天は学生時代から確かに仲が良く、つき合っていたと言われてもおかしくないため、弁解の余地はないとされた。
女優の夫の力により、その写真は公表されなかったが、当然夫は激怒したし、大事な取引先の社長だったため、颯天の父の逆鱗に触れた。
結果、颯天は高司グループの本体、高司建設の本社からグループ企業のTKT工業の役員に飛ばされたのである。いわゆる左遷だ。
父の怒りは相当なもので、それだけでは済まず、『お前にこの家の後は継がせん! 優秀な男を麻耶の婿にとる』と宣言した。
ギョッとしたのは麻耶だ。
大学生の麻耶はまだまだ結婚などしたくはない。なのに父は見合い話を持ってくるようになった。とりあえず片っ端から断っているが、なんとしても父と兄に和解してもらわないと困るのだ。
なのに、今のところ父にも兄にもその兆しはない。
「お帰りなさいませ」
使用人のキクが現れて颯天の前にコーヒーを置く。麻耶の前に置くのはシナモンが香るロイヤルミルクティー。
「ありがとう」と、麻耶はにっこりと笑みを浮かべて礼を言う。彼女が礼を言うのはいつも通りだが、颯天も「ありがとう」と言った。
「えっ?!」
思わず声をあげた麻耶と、驚いたようにあんぐりと口を開けたキクが目を合わせる。
「なんだよ」
ギロリと睨みながら、颯天はコーヒーカップに手を伸ばす。彼はこの家に帰ってくるとキクが淹れるアイリッシュコーヒーを飲むのが習慣だ。
ガラスのカップから漂う湯気と一緒に、ふわりとウイスキーの香りが漂ってくる。
「だ、だって。お兄さまがお礼を言うなんて。大丈夫? 熱でもあるんじゃないの?」
「颯天さま、もしや、どこか体調でも? 主治医をお呼びしましょうか?」
麻耶もキクも覗き込むようにして颯天の顔をまじまじと見たが、チッと舌打ちをしながらギロリと睨まれて、すごすごと引き下がった。
もちろん本当に病気だとは思っていないが、それにしてもと麻耶は首を傾げる。
子供の頃から、やたらと態度が大きい兄だ、
感謝という言葉など兄の辞書にはないだろうという俺様なので、コーヒーをいれたくらいで礼を言うなんて、ちょっと考えられない。
「あら、お兄さま?」
ここは松濤にある高司邸。
リビングに入り、どっかりとソファに腰を下ろすのは麻耶の兄、颯天だ。
颯天が邸に帰ってきたのは、かれこれ半年ぶりになる。
職場から車で三十分も飛ばせば帰れるし、使用人が世話をやいてくれるのでなにかと楽なはずなのに、彼は不自由さを差し引いてもホテル暮らしやらマンション住まいを選んでいる。
「あ、そっか。お父さまがいないからね」
クスッと麻耶が笑う。
この兄は、素行不良のために父に激怒され、喧嘩同然で家を出た。
といっても本当に素行不良だったのは昔の話。子供の頃は格闘技系の習い事以外はすぐに逃げ出すし、十代後半は夜の街でケンカをし、補導されたのも一度や二度ではなかったが、高司家の跡取り息子という一応の自覚はあったらしい。社会人になった兄は見違えたように変貌を遂げ、どこからどうみても真面目なビジネスマンになったのである。
帰りが遅かろうが、思い通りにいかないことがあっても文句も言わず、黙々と情熱をもって仕事に向き合っている姿勢は、妹の麻耶からみても尊敬に値するものだった。
そんな息子の姿に、母はもちろん、父もホッと胸を撫でおろしたに違いない。
ところがどうやら女遊びのほうは卒業できなかったらしい。
今から三年前、颯天は人妻の女優と不倫騒動を巻き起こした。
写真週刊誌の記者に撮られた写真は抱き合ってキスしているように見えるところと、そのままホテルに入るところ。その女優と颯天は学生時代から確かに仲が良く、つき合っていたと言われてもおかしくないため、弁解の余地はないとされた。
女優の夫の力により、その写真は公表されなかったが、当然夫は激怒したし、大事な取引先の社長だったため、颯天の父の逆鱗に触れた。
結果、颯天は高司グループの本体、高司建設の本社からグループ企業のTKT工業の役員に飛ばされたのである。いわゆる左遷だ。
父の怒りは相当なもので、それだけでは済まず、『お前にこの家の後は継がせん! 優秀な男を麻耶の婿にとる』と宣言した。
ギョッとしたのは麻耶だ。
大学生の麻耶はまだまだ結婚などしたくはない。なのに父は見合い話を持ってくるようになった。とりあえず片っ端から断っているが、なんとしても父と兄に和解してもらわないと困るのだ。
なのに、今のところ父にも兄にもその兆しはない。
「お帰りなさいませ」
使用人のキクが現れて颯天の前にコーヒーを置く。麻耶の前に置くのはシナモンが香るロイヤルミルクティー。
「ありがとう」と、麻耶はにっこりと笑みを浮かべて礼を言う。彼女が礼を言うのはいつも通りだが、颯天も「ありがとう」と言った。
「えっ?!」
思わず声をあげた麻耶と、驚いたようにあんぐりと口を開けたキクが目を合わせる。
「なんだよ」
ギロリと睨みながら、颯天はコーヒーカップに手を伸ばす。彼はこの家に帰ってくるとキクが淹れるアイリッシュコーヒーを飲むのが習慣だ。
ガラスのカップから漂う湯気と一緒に、ふわりとウイスキーの香りが漂ってくる。
「だ、だって。お兄さまがお礼を言うなんて。大丈夫? 熱でもあるんじゃないの?」
「颯天さま、もしや、どこか体調でも? 主治医をお呼びしましょうか?」
麻耶もキクも覗き込むようにして颯天の顔をまじまじと見たが、チッと舌打ちをしながらギロリと睨まれて、すごすごと引き下がった。
もちろん本当に病気だとは思っていないが、それにしてもと麻耶は首を傾げる。
子供の頃から、やたらと態度が大きい兄だ、
感謝という言葉など兄の辞書にはないだろうという俺様なので、コーヒーをいれたくらいで礼を言うなんて、ちょっと考えられない。
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