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≪ 鬼 ≫

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***



 朱依は途方に暮れていた。

 宴は終わり、ぱらぱらと皆席を立ち始めたというのに、翠子が戻らない。

 どういうわけか、いつも近くにいてくれるはずの女官たちが、いつの間にか見当たらなくなっていた。

 なぜかまゆ玉もいないのである。

 夢中で舞や管弦を見ていたので、いつからいなかったのかもわからない。

 なにかがおかしい。だが、自分がここを動けば行き違いになってしまうと思うと、朱依は動けずにいる。

 まだかまだかと気を揉みながら、周りを見渡していると同じように首を回して誰かを探しているらしい篁を見つけた。

 慌てて袖を振り篁を呼んだ。

「朱依、煌仁さまを知らぬか?」

「私も姫さまを待っているの。主上がお呼びだと知らない女官が呼びに来て」

「煌仁さまもなのだ。祓い姫が呼んでいると」

 ふたりは強ばらせた顔を見合わせた。

「わしの代わりにいた部下はどうした?」

「酔って倒れた弘徽殿の女房を連れ出すよう頼まれて」

「お付きの女官は?」

「いつの間にかいなくなっていた」

 篁の表情が一層険しくなり、逞しい首で喉仏が大きく上下した。

「――まずい」

「た、篁、どうしよう、姫は? 姫は」

「そなたは、ここにいるのだ。あとはわしに任せろ」

「馬鹿言わないで、私も行く!」

 争っている暇はない、篁は部下に指示を与え、皆でふたりを探し始めた。

 と、その時。まゆ玉が走ってきた。

「みゃーう」

「まゆ玉!」



 その頃、翠子は塗籠に閉じこめられていた。

「んーっ」

 口を塞がれているので声が出せない。

 ひとりではない、翠子の世話をしてくれている女官がふたり先に押し込められていた。

 女官の後を付いて簀子を歩いているうちに、どんどん人けのないところまで来た。帝は体調が優れないようだと聞いていたので、早々に奥で休まれているのかと思い、なにも疑わなかったのである。

 ところが突然後ろから襲われ、あれよと言う間に押し込められた。

 口は塞がれ、手も足も縛られたので何もできない。

 翠子も女官ふたりも、転がったまま動けないでいる。

 女官ふたりの目が涙潤み、申し訳なさそうに何度も頭を下げる。

 翠子は左右に首をふって、精一杯目を弓なりにして笑みを浮かべた。彼女たちのせいではない。

 そのうち、焦げるような臭いが鼻を突いてきた。

(火事?)

 慌てて手足を揺すりもがくけれども、紐は堅く結ばれ少しもほどけない。

 火事だと叫ぶ声の中に「姫っ!」と聞き覚えのある声がした。

「姫っ! どこにいる、姫っ!」

(煌仁さまっ)

 それは煌仁の声だった。

 隙間から煙が入ってくる。

 蘇る子供の頃の記憶。火事があった。怖くて動けず母が駆けつけて、母の髪が……。恐怖と悲しみで涙が溢れてくる。

 けれどもここで死ぬわけにはいかない。そんなことになったら、どれほど皆が悲しむか。

 翠子は精一杯力をこめて心で叫んだ。

 お願い彼に伝えて!

(煌仁さまっ、ここです)

 どんっ、どんっ! ギィ、ギィ!

 不思議なことが起きた。

 壁が自ら音をたてる。まるで唸るように。

 がたっと音がして「姫っ!」煌仁が現れ、同時に炎が見えた。





 一方で朱依と篁は必死でふたりを探していた。

 とそこに聞こえた「火事だっ!」という叫び声。

 会場は騒然となった。

 まゆ玉に付いて行くと、そこは炎が立ち上っている。

「きゃー、姫っ! 姫さまっ!」

「待て! 朱依っ!」

 半狂乱で炎の中を飛び込もうとする朱依を篁が抑えると、煙の中から翠子を抱いた煌仁が出てきた。後ろからふたりの女官も付いて来る。

「姫さまっ!」

「煌仁さまっ!」



 騒ぎの中、唯泉は火事から少し離れたとある殿舎にいた。

 管弦の舞の出番が終わり、着替えを済ませたときだ。昼だというのに物の怪が唯泉に姿を見せ、ふらりふらりと誘うように奥へと行くのである。

「なんじゃ」

 悪しきものではないとわかっている。唯泉はついて行った。

 途中から足音を忍ばせた。人の気配がしたのである。

 やがてひそひそと話し声が聞こえてきた。弘徽殿の女御の声であった。

「いかがじゃ」

「ふたりとも、それぞれ離れた塗籠に。こざかしい女官どもはそれぞれ先に押し込んてありまする」

「おお、そうか。でかしたぞ。これであの邪魔な祓いも煌仁も、同時に始末できる。あの者さえいなければ麗景殿などどうにでもできる」

 身分にそぐわず、姑息で卑しい声だった。

「これで皇子さまが東宮になれますね」

「そうじゃ。ようやく。ところでお前、匙の毒はしっかり処分したのかえ?」

「ええ。私の父に渡しておきましたから」

「それなら安心じゃ。おぬしの父君なら上手く隠してくれるであろう。まだ必要だからのぉ、次は粥に入れよう。疑われぬようわが皇子にもほんの少し入れねばならぬが」

 そこまで聞いた唯泉は、几帳をなぎ倒し女御とふたりの女房に姿を見せた。

「そんなことだと思ったぞ、女御。おぬしもこれまでだ」
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