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≪ 鬼 ≫

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「東宮、よろしいですか?」

 振り返ると清白(きよしろ)という女官がいた。

「どうした?」

「祓い姫が、なにやら内密でお話があるそうでございまする」

 案内されながら話をした。

 清白は煌仁が幼いころに女官になり、結婚するまで宮仕えをしていた。一時は東宮付きとして身近にいたので、煌仁には姉のような存在でもある。

「久しぶりだな。今は弘徽殿にいるのだったか?」

「はい。夫が先の流行病で亡くなりまして、弘徽殿の女御さまに声をかけて頂き」

 宮中には数えきれないほどの女官がいる。清白が煌仁のもとを去って久しい。彼女の身近で不幸があったとは、煌仁は知らなかった。

「そうか、そうだったのか。大変だったな」

「――いえ」

「子は幾つになった。もうそろそろ元服ではないか?」

「はい……」

 ふいに清白の目もとが潤む。

「どうした。なぜに泣く」

「東宮……。どうぞ私を信じて付いて来てくださいませ」

 その時点ですでに、煌仁は気づいていた。

 清白はもともと落ち着いた女性である。なのに彼女の声は最初から震えていた。明らかになにかある。

 宴の会場からどんどん奥に入っていくが、清白は何も言わない。

 しばらくすると、女官の姿があった。

「祓い姫は、こちらでお待ちです」

 女官は、塗籠の扉を開ける。中は暗いが、少し覗く衣が見えた。

 と、その時、清白がその女官を塗籠の中に押し倒した。

「清白、お、お前裏切るのか」と、女官が叫ぶ。

「お逃げくださいっ! 東宮! 早く!」

 言うやいなや、清白は塗籠の戸を中から閉めた。

「清白っ!」

 と、その時、突然煌仁の後ろから誰かが襲ってきた。気配を感じた煌仁が身を翻したが、袖がざっくりと斬られる。

「なに者だ」

 煌仁は驚く様子も見せず落ち着いて男に向き直る。

 男は束帯を脱ぎ捨て、括り袴という身軽な衣装になり、刀を手にした。

「舞と蹴鞠しかできない貴族さまのくせに、身軽じゃねぇか」

 煌仁は相変わらず顔色も変えず、男を見据えたままゆったりと口を開いた。

「左大臣にでも頼まれたか」

「ふん。誰だか知らねぇよ。砂金ひと袋でお前を殺すよう頼まれただけだからな」

 じりじりと男は近づいてくる。

 にやりと口もとを歪めた煌仁は腰の飾太刀に手をかけた。

「なかなか使う機会がなかったから、ちょうどいい」

 煌仁が抜いた刀が、きらりと光る。

 ただの飾りだと思ったのか、煌仁が抜いた鋭い刀の輝きに男が瞠目する。

「ここに住む男の刀を見せてやろう、存分にな」

 それは一瞬だった。

 だらりと落ちそうな袖を翻し、煌仁がくるりと回った。

 キーンと高い音を立てて男の刀が空を飛び、倒れた男の首筋に、煌仁は刀をひたりとあてる。

 目を見開いた男の喉仏が苦しそうに動く。

「どうした。もう終わりか?」

「東宮!」

 検非違使たちが走ってくる。

「遅いぞ。塗籠にいる清白を助けだせ」

「はっ」

「と、東宮?」

 どうやら男は煌仁が東宮だと知らなかったらしい。さもあろう、煌仁が身につけているのは舞の衣装のままであったゆえ禁色の衣ではなかった。

「し、知らなかったんで。ど、どうか、お、お許しを」

 とそこに今度は「火事だ!」という叫び声が聞こえた。
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