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≪ 弘徽殿 ≫
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しおりを挟む雷鳴壺の局に戻りひと息ついたころ、先ほど助けてくれた女官、尚侍が現れた。
「葵尚侍と申します」
彼女はそう言いながら両手を床に付き深く頭を垂れる。
流れるように美しい所作だ。ゆっくりと上げた顔は微笑んでいる。見惚れてしまうほど美しい女性だ。歳は少し上だと思われるが、それにしても落ち着いている。
「この度の二の皇子の件、ありがとうございます。ここに住む者としてわたくしからも深くお礼を申し上げます」
翠子は尚侍の存在感に圧倒されて、何をどう言ったらよいのかわからず、小さな声で「いえ……」とだけ答えた。
尚侍は後ろに控えている女官からなにを受け取ると向き直る。
受け取ったものはどうやら巻物のようである。紐をほどき翠子の前に置き、するすると開いた。
「まぁ」
思わず感嘆の声がもれる。見事な絵巻物だった。
「どうぞわたくしからの贈り物でございます。歓迎の品と思ってお受け取りくださいませ」
食い入るように絵巻物を見つめた翠子は遠慮も忘れ「ありがとうございます」と即答した。
尚侍が持ってきたのは絵巻物だけではなかった。朱依が絵巻物を受け取ってしまうと、今度は様々な唐菓子が並べられ、飲み物も運ばれてきた。
どうぞと勧められたまま口にした菓子のおいしさにも翠子は驚く。
「これは何ですか?」
ねっとりとしていて香ばしく、甘辛い中に胡桃や胡麻などが入っているので噛むほどに旨味が変わっていく。
「粉熟(ふずく)と言います」
絵巻物においしい唐菓子と続き、翠子はすっかり心を掴まれた気分だ。なにしろ彼女は全身から気高さと優しさが滲み出ている。
「姫さまは可憐ですのに、お強くていらっしゃいますね。囲まれても一歩も引かず言い返していらっしゃった」
(え、もしや最初から見ていたの?)
それならもう少し早く助けてくれたっていいのにと、ふと思ったが文句は言えない。ああなると想像できていたのに、自ら好奇心で行ったのだから。
「なぜにお断りせずに弘徽殿に行かれたのですか?」
「弘徽殿の女御さまがどういう方なのか、一度お会いしてみたかったのです。結局お姿もお声も聞けませんでしたが」
「会ってどうなさるおつもりだったのですか?」
どう? そこまで考えていなかった。
ただの興味本位だったのだから。あんなにかわいい皇子さまに毒を盛ったのが弘徽殿の女御だとしたら、一体どんな女性なのか知りたかっただけである。
「姫さま、強さとご自身を粗末にするのとでは意味が違います。今後はどうかおひとりで弘徽殿には近づきませぬように」
叱られてしまった気分になり、しょんぼりとする。
一方でまた同じようなことを言われたと思う。この人も篁と同じように心配してくれているのだ。
「気をつけます。すみません」
「ですが姫さま、篁や検非違使を伴ってならどこに行かれてもよろしいですよ。ご自分の庭だと思って、探索なさいませ」
「はい。ありがとうございます」
元来引っ込み思案ゆえそんな日が来るかどうかわからないが、尚侍の好意に感謝した。
彼女は愛情に溢れとても優しい人だ。薄(すすき)の色合わせの衣が、彼女に着てもらえて喜んでいる。
いるだけでその人から漂うものを、まとう雰囲気というのだろう。翠子は不思議な力のせいで雰囲気を強く感じるのかもしれないが、ときどきこんなふうに、触らなくても強く心に伝わってくる人がいる。尚侍はそういった特別な人だ。
そして翠子が感じた印象は宮中での評判と同じだったようだ。
翠子が尚侍と話をしている間に、朱依はどこぞの女官を捕まえて尚侍について聞いてきたらしい。尚侍が局を出て行くと、こそこそと耳打ちした。
「姫さま。後宮で女御さまたちに立ち向かえるのは、あの方だけだそうですよ。尚侍っていう官位も女御さまの次に高いのですって。人望もあって主上や東宮の覚えめでたいとか」
ふむと唸り、朱依は「迫力が違ったわ」と納得している。
翠子も「そうね」とうなずきながら、ああいう人がいるのなら宮中もそう悪くないかもと、思った。
あわよくば煌仁に近づこうとする女官、威圧的で攻撃的な弘徽殿の女房たち。足の引っ張り合いにいがみ合い。いるだけで心が病みそうな後宮。
でもここには尚侍のようにまっすぐで凛とした女性がいる。
宮中とはおもしろいところだ。
「朱依、尚侍さまのような女性になりたいな、私も」
そんなふうに翠子が他人に関心を寄せるのは初めてなので、朱依はしげしげと見た。
翠子は胸に手をあてて、夢見るように目を細め、うっとりとうれしそうである。
つられたように朱依も顔を綻ばせた。
「ええ。すてきな方ですものね」
「とっても慈愛に溢れていて、自分を粗末にしちゃいけないって私を叱ってもくれたの。朱依とか篁さまのように私を心配してくれたわ」
「まあ、そうですか。宮中も捨てたもんじゃないですね」
翠子の喜びは朱依の幸せだ。
「麦茶をもらってきますね」
足取りも軽く腰を上げた。
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