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第12話 草原の用心棒
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ラヴィニアのこの世界に関する説明はかなりの長時間になっていた。そこで一度、食事にしようという話が持ち上がった。しかし真由美が手を挙げて発言を求める。チラリと腕時計を見ていた。
「申し訳ありません。井出巡査はもう40時間以上寝ていません。昨夜は私達を守って『寝ずの番』をして下さっていたからです。本日は帰って彼を休ませてあげたいのですが・・・。」
井出は真由美の申し出に感謝した。ここで食事でもしたら、もう起きている自信が無かったからだ。それに今日聞いた話の情報量が多すぎる。一度、頭の中を整理したいとも思っていた。
「あら、いやだ! 私ったら自分の話ばっかりしちゃって! もうお祖母ちゃんだから許してね♪」
都合の良い時だけ「おばあちゃん風《かぜ》」を吹かすラヴィニアであった。
パトカーに向かう途中、保安官テッドは保安官補エマに護衛で付いて行くように指示を出していた。駐在所に戻って井出が眠ってしまった後、三人の女子高生を守る人間が必要だ。それには女性であるエマが適任だと言う。
「アヤ、あなたが居れば私は百人力だわ。」
ピートをずっと預かってくれているアヤをエマが抱擁しながら言う。
「確かに両手が開いたエマにはそこら辺の男が何人か居ても敵わないだろうさ。特にライフルの腕はね。」
保安官テッドがまるで自分のことのように誇らしげだ。横でジェフが少し不満そうな顔をしていた。旦那を差し置いて嫁の方が腕が立つと言われて気分を悪くしたかな?と井出は思う。もしかしたら娘夫婦なのかも知れない。「マスオさん」ってヤツかな・・・?
「それでは今日はこれで失礼します。沢山の有益な情報を提供して頂きありがとうございます。ラヴィー・マム」
井出がお辞儀して頭の高さが下がる。そこに何故かラビィニアが近付いてくる。そして突然、井出の頬にキスをした。
「今日はお疲れ様。帰ったらゆっくり休んでね。また近いうちにお話しましょう。期待してるわよ、駐在さん!」
不意を突かれて固まっている井出を尻目に、彼女は屋敷に入って行ってしまう。入るとき、こちらに笑顔で手を振っていた。
「ふぅ~ん?」「ほーう、ほう!」「・・・。」
七海がジト目で、アヤが面白そうに、真由美が顔を真っ赤にして無言で井出を見つめる。
「え? 今のって不可抗力だろ? なんで俺を責めるの? 酷くない?」
キスされた頬を擦りながら必死に弁解する井出だったが、三人の女子高生から同情の声は聞かれなかった。
パトカーに向かう頃には、西の空が茜色に染まっていた。冬場とあって少々肌寒い。だが井出にはそれが有難い。眠気が醒めるからだ。しかし運転を始めて車内にヒーターが効いてきたら、また眠くなるかも知れない。
「はい、井出さん! これ、ど~ぞ!」
運転席に乗り込もうとすると誰かが井出の背中を突いた。振り返ると七海が黒いプラスティックの筒を差し出している。「ブラックブラック」の錠菓、それも超刺激タイプだ。井出は三粒程貰って一気に口に含む。強烈なメンソールの刺激が彼を見る見る覚醒させてゆく。
「フフフ、これで俺はあと30時間は起きていられる!」
「いやいやいや、帰ったら直ぐに寝て下さいよ~!」
少しハイになって嘯く井出に七海が冷静に突っ込んだ。
パトカーに運転席に井出、助手席にレバーアクション式ライフルを抱えたエマ、後部座席に七海、真由美、ピートを抱いたアヤが乗り込んだ。西門に向かうため、町の中を徐行で進む。
「ラヴィニアさんてさ、なんか『深キョン』に似てたね?」
「え~? なんか大分、違くない? そんな似てたかな~?」
七海の感想にアヤが突っ込む。七海はスマホを操作して動画を見せてくれた。なるほど、顔の造作はかなり違うが表情や仕草がそっくりだ。しかし中々の美人だ。井出はラヴィニアよりこちらの方が好みだなと思った。真由美は動画をじっと見つめたまま何も言わない。エマは初めて見るスマホの動画に目を丸くして驚いていた。
「この女性、この間37歳になったとこなんだよ。見えないよね~!『美魔女』ってヤツだね。」
「あれ、生まれた年で考えるとアヤ君ってこの人の一つ下なんだよな?」
「あー! そこ、弄らんといてよー! 井出っちのイケず~!」
七海の話に井出が乗っかった。アヤが頬を膨らませて拗ねる。どうやらアヤの不興を買ってしまったようだ。暫くは「美魔女」はゴメンだな、と井出は思っていた。
西門の扉が開く。完全に開くまで停止して待つパトカーを屋敷の二階からラヴィニアが見つめていた。長い耳が忙しく動いている。彼女の思考も忙しいようだ。
「ふ~ん。あの三人の女の子たちの姿、『ヒウム』を呼んだ『神様』が居るのなら中々考えたわね。それと駐在警察官の井出 浩一クンか・・・。ウンウン、結構『アリ』かもね~♪」
彼女は一人、ウキウキしながら呟いた。
井出はパトカーを発進させると西に向かって4速、時速40Kmで巡航させた。「保安官の町」から丘の頂上までは約2Km、そしてそこから駐在所までも約2Kmだ。彼は来るときに車の走行距離計で測っていた。
丘を中心にして「黒い建造物」は等距離で配置されているようだ。確かに次は丘の中心から、北か南へ2Kmの位置に新たな「黒い建造物」が出現するのではと予想するのは自然なことかも知れない。
時速40Kmで巡航すれば「保安官の町」と駐在所は片道6分、加減速の時間を考えても7、8分で移動出来る計算だ。急げば5分くらいで移動出来るだろう。
パトカーが丘の頂上に差し掛かる。頂上の台地を進むと西の麓にポツンと駐在所と「黒い建造物」が見えて来た。草原が遥か西の彼方まで続く景色は壮観の一言だ。その時だった。草原を見つめていたエマが丘の中腹辺りを指差して叫んだ。
「ハイコー! 20頭は居るわ! 人が乗った『馬』を追いかけてる!」
「ハイコー」とは「ハイコヨーテ」を略した呼称だ。この世界の草原に広く分布する体重40Kg前後の肉食獣だとエマが教えてくれた。見かけは殆どハイエナなので井出は心の中では「ハイエナもどき」と呼んでいた。
エマが指差す方向を見るとハイコヨーテが20数頭ほど、この世界で「馬」と呼ばれている「ホースバード」と言うダチョウに似た生物を追いかけていた。良く見ると背中に子供が2人しがみ付いている。
「助けるぞ! 皆、揺れるから舌を噛まないように!」
井出は短く叫ぶと同時にギアを4速から一気に2速に落としアクセルを踏み込む。忽ちエンジンの回転数が上がり、パトカーは加速してゆく。赤灯とサイレンも点ける。出来るだけ肉食獣の注意をこちらに引きたい。それに音に驚いて逃げる個体も居るかも知れない。
時速60Kmまで加速する頃には逃げる「馬」の右側100m程の距離に並んでいた。
「ターン! ターン! ターン!」
エマがライフルを3連射した。「馬」に追いつきそうになった先頭のハイコヨーテが脚を折って脱落する。どうやら「馬」は脚に怪我をしているようだ。思う様に逃足が発揮出来ないらしい。
それにしても時速60Kmで走るパトカーの車上から100m先の走る獲物を3発で仕留めるエマの腕は凄い。草原は僅かとは言え起伏があり車体は結構揺れる。しかも走るハイコヨーテの体も上下している。なるほど、両手が使える彼女は大した狙撃手だ。
だが、このままダラダラと撃ち続けていては無駄弾も多い。弾が切れた隙に「馬」は肉食獣どもに追いつかれてしまうかも知れない。井出はパトカーを「馬」に並走させながら考える。
「エマ! 1、2、3で停車するぞ!」
「イエッサー! 1!」
井出の言葉にエマは即答した。彼の意図することを瞬時に理解したようだ。井出は2と叫んでブレーキを踏む。同時にギアを1速に落とす。速やかに停車させサスペンションが車体の動揺を鎮めた瞬間、3と叫んだ。
「ターン! ターン!」
エマが狙撃を始めた。一発づつ良く狙って撃っている。ただ、その動作の一つ一つが素早いため連射しているように見えた。レバーを操作する度にライフルの機関部右側面から次々と飴色の薬莢が飛び出す。車体の左側面に白い発射煙が濛々と漂う。
(ふうん、「ウインチェスター」じゃなくて「マーリン」なんだな。やっぱり44-40口径なのかな?)
井出はライフルを操るエマを見つめながら、そんなことを考えていた。
「再装填!」
エマが叫ぶ。同時にライフルに弾丸を込め出した。井出は即座にパトカーを急発進させる。グリップの悪い草地で後輪が少し空転した。「馬」の方を見やると、すぐ後ろに迫っていたハイコヨーテの群れの先頭から5頭が脱落していた。これで大分と時間に余裕が出来た。
あの速さで7発撃って5発的中。目の覚めるような命中率だ。やはりエマの射撃の腕を信用したのは正解だったようだ。保安官テッドも只の親バカじゃないって訳だ。
井出はパトカーを加速させながら肉食獣の群れの配置を観察する。見れば奴らは群れを三手に分けている。「馬」を真っ直ぐ追いかける集団とその左右を少し遅れて続く二つの集団だ。
成程、獲物が左右どちらかに舵を切っても左右に続く集団がその先に回り込んでゆく手を阻むわけだ。そうやって獲物が疲れて力尽きるまで追いかけ回す。典型的な犬型捕食動物の狩りのやり方だ。見かけは悪いが、頭は良い動物らしい。
「奴らと『馬』の間に割り込むぞ! 君ら、何かに掴まっていろ!」
「了解! ま~かせて!」
井出がエマと後部座席の少女たちに叫ぶ。エマがVサインを出しながら即座に返答する。ライフルの弾は既に込め終わっていた。三人の女子高生たちも銘々に掴まるところを探し始める。彼はパトカーを「馬」の右後方に位置させた。
「君たち、入場を許可します! あの建物を目指して走って!」
井出が馬に乗る子供たちに駐在所を指差しながら叫んだ。同時に「黒い建造物」の周りの防御結界が淡い緑色に光るのが見える。子供たちも彼の指示を理解したようだ。右に進路を変えて駐在所を目指して進み始める。「馬」の小さな翼が戦闘機の先尾翼のように器用に動き、太くて長い尻尾で上手にバランスを取っていた。
「やっぱりそう来たか! させるか!」
井出が右にハンドルを切る。「馬」の進路を妨げようとスピードを上げて来たハイコヨーテの右後方の集団に車体を寄せて行く。接触も覚悟の上だ。強引にパトカーを奴らの集団の中に割り込ませた。
「ギャウン!」
逃げる方向を間違えたハイコヨーテの1頭が車体の右前方に引っ掛けられてボンネットに乗り上げた。そのまま右のフェンダーミラーを巻き込んで後ろに流れて行く。ゴリッとした感触が後輪からシートを通じて体に伝わる。どうやら肉食獣の体のどこかを踏んづけたようだ。
「元の世界でこんな事したら始末書もんだな!」
井出はギアを2速に落としながら急ブレーキを踏んだ。パトカーのすぐ後ろを走っていた2頭が対応しきれずに車体後部に追突する。ゴキッゴキと鈍い音がして首の骨を折られた肉食獣たちは脱落していった。右後方の集団は散り散りになった。
これで脅威になるのは左後方から追いかけていた集団だけだ。奴らは中央の集団の残党と合流しながら「馬」を追いあげている。井出はパトカーを加速させていく。助手席でエマがライフルを乱射する。今度は命中は期待していない。ハイコヨーテ共の追い脚を鈍らせるのが目的だ。
それでも「馬」を追う集団の先頭から3頭が脱落する。残りは4頭。井出は「馬」の左後方にパトカーを割り込ませた。もう一歩のところで狩りを邪魔された肉食獣どもが殺気立って左後方から迫って来る。
「ダダダーン!」
殆ど繋がった3発の銃声が草原に轟く。エマが腰の拳銃を抜いて連射したのだ。彼女が使っている技術はシングルアクションの拳銃で素早く連射するための「ファニング」と呼ばれるものだ。2頭のハイコヨーテが膝を折って崩れ落ちた。
エマが拳銃の上に左手をかざし素早く前後させる。2発の弾丸が、また1頭を撃ち倒す。至近距離とは言え揺れる車上からこれだけ命中させるとは、まるで魔法でも使っているようだ。これで残りは1頭、だがもう弾切れの筈だ。最後の1頭が牙を剥いて助手席に迫って来る。
「ゴキン!」「ガアアッ!」
骨が砕けるような鈍い音と共にハイコヨーテの悲鳴が聞こえる。井出が横を見ると拳銃を逆手に持ったエマがグリップの部分で肉食獣の鼻面を殴りつけていた。ソイツは堪らず草原に転がる。
(あ、この女性は絶対に怒らせないようにしよう。)
井出は強く心に誓った。
「馬」は既に防御結界の内側に入っていた。散らばった群れの残党がまだパトカーを追いかけて来る。
「井出、私とピートは既に許可を貰ってるから大丈夫よ。」
エマの声に井出も頷く。減速せずに、そのまま防御結界を通過した。後ろでゴンゴンと衝突音が響いた。諦めの悪いハイコヨーテが数頭、防御結界に頭をぶつけたようだ。彼はパトカーをUターンさせて停車させた。
目の前には2頭の肉食獣が倒れていた。強かに頭を打ったせいか上手く立ち上がれないらしい。体中をブルブル震わせて脚をガクガクさせて立ち上がろうとしているが、何度も腰を落としている。残った他のハイコヨーテは遠巻きにこちらを見ていた。
しかしコイツらが「ハイコヨーテ」と言うのはどうなんだろう。多分、アメリカ人はハイエナを見たことが無いから生態系で役割が近いコヨーテに準えて名付けたのか? 今度、エマに真由美の動物図鑑を見せてやろうと井出が思った時だった。
「ギャイィーン!」「グゲエェェッ!」
丘の南側から真っ黒い巨大な塊が駆け上がって来た。ソイツは一瞬で2頭のハイコヨーテを屠ってしまった。
「申し訳ありません。井出巡査はもう40時間以上寝ていません。昨夜は私達を守って『寝ずの番』をして下さっていたからです。本日は帰って彼を休ませてあげたいのですが・・・。」
井出は真由美の申し出に感謝した。ここで食事でもしたら、もう起きている自信が無かったからだ。それに今日聞いた話の情報量が多すぎる。一度、頭の中を整理したいとも思っていた。
「あら、いやだ! 私ったら自分の話ばっかりしちゃって! もうお祖母ちゃんだから許してね♪」
都合の良い時だけ「おばあちゃん風《かぜ》」を吹かすラヴィニアであった。
パトカーに向かう途中、保安官テッドは保安官補エマに護衛で付いて行くように指示を出していた。駐在所に戻って井出が眠ってしまった後、三人の女子高生を守る人間が必要だ。それには女性であるエマが適任だと言う。
「アヤ、あなたが居れば私は百人力だわ。」
ピートをずっと預かってくれているアヤをエマが抱擁しながら言う。
「確かに両手が開いたエマにはそこら辺の男が何人か居ても敵わないだろうさ。特にライフルの腕はね。」
保安官テッドがまるで自分のことのように誇らしげだ。横でジェフが少し不満そうな顔をしていた。旦那を差し置いて嫁の方が腕が立つと言われて気分を悪くしたかな?と井出は思う。もしかしたら娘夫婦なのかも知れない。「マスオさん」ってヤツかな・・・?
「それでは今日はこれで失礼します。沢山の有益な情報を提供して頂きありがとうございます。ラヴィー・マム」
井出がお辞儀して頭の高さが下がる。そこに何故かラビィニアが近付いてくる。そして突然、井出の頬にキスをした。
「今日はお疲れ様。帰ったらゆっくり休んでね。また近いうちにお話しましょう。期待してるわよ、駐在さん!」
不意を突かれて固まっている井出を尻目に、彼女は屋敷に入って行ってしまう。入るとき、こちらに笑顔で手を振っていた。
「ふぅ~ん?」「ほーう、ほう!」「・・・。」
七海がジト目で、アヤが面白そうに、真由美が顔を真っ赤にして無言で井出を見つめる。
「え? 今のって不可抗力だろ? なんで俺を責めるの? 酷くない?」
キスされた頬を擦りながら必死に弁解する井出だったが、三人の女子高生から同情の声は聞かれなかった。
パトカーに向かう頃には、西の空が茜色に染まっていた。冬場とあって少々肌寒い。だが井出にはそれが有難い。眠気が醒めるからだ。しかし運転を始めて車内にヒーターが効いてきたら、また眠くなるかも知れない。
「はい、井出さん! これ、ど~ぞ!」
運転席に乗り込もうとすると誰かが井出の背中を突いた。振り返ると七海が黒いプラスティックの筒を差し出している。「ブラックブラック」の錠菓、それも超刺激タイプだ。井出は三粒程貰って一気に口に含む。強烈なメンソールの刺激が彼を見る見る覚醒させてゆく。
「フフフ、これで俺はあと30時間は起きていられる!」
「いやいやいや、帰ったら直ぐに寝て下さいよ~!」
少しハイになって嘯く井出に七海が冷静に突っ込んだ。
パトカーに運転席に井出、助手席にレバーアクション式ライフルを抱えたエマ、後部座席に七海、真由美、ピートを抱いたアヤが乗り込んだ。西門に向かうため、町の中を徐行で進む。
「ラヴィニアさんてさ、なんか『深キョン』に似てたね?」
「え~? なんか大分、違くない? そんな似てたかな~?」
七海の感想にアヤが突っ込む。七海はスマホを操作して動画を見せてくれた。なるほど、顔の造作はかなり違うが表情や仕草がそっくりだ。しかし中々の美人だ。井出はラヴィニアよりこちらの方が好みだなと思った。真由美は動画をじっと見つめたまま何も言わない。エマは初めて見るスマホの動画に目を丸くして驚いていた。
「この女性、この間37歳になったとこなんだよ。見えないよね~!『美魔女』ってヤツだね。」
「あれ、生まれた年で考えるとアヤ君ってこの人の一つ下なんだよな?」
「あー! そこ、弄らんといてよー! 井出っちのイケず~!」
七海の話に井出が乗っかった。アヤが頬を膨らませて拗ねる。どうやらアヤの不興を買ってしまったようだ。暫くは「美魔女」はゴメンだな、と井出は思っていた。
西門の扉が開く。完全に開くまで停止して待つパトカーを屋敷の二階からラヴィニアが見つめていた。長い耳が忙しく動いている。彼女の思考も忙しいようだ。
「ふ~ん。あの三人の女の子たちの姿、『ヒウム』を呼んだ『神様』が居るのなら中々考えたわね。それと駐在警察官の井出 浩一クンか・・・。ウンウン、結構『アリ』かもね~♪」
彼女は一人、ウキウキしながら呟いた。
井出はパトカーを発進させると西に向かって4速、時速40Kmで巡航させた。「保安官の町」から丘の頂上までは約2Km、そしてそこから駐在所までも約2Kmだ。彼は来るときに車の走行距離計で測っていた。
丘を中心にして「黒い建造物」は等距離で配置されているようだ。確かに次は丘の中心から、北か南へ2Kmの位置に新たな「黒い建造物」が出現するのではと予想するのは自然なことかも知れない。
時速40Kmで巡航すれば「保安官の町」と駐在所は片道6分、加減速の時間を考えても7、8分で移動出来る計算だ。急げば5分くらいで移動出来るだろう。
パトカーが丘の頂上に差し掛かる。頂上の台地を進むと西の麓にポツンと駐在所と「黒い建造物」が見えて来た。草原が遥か西の彼方まで続く景色は壮観の一言だ。その時だった。草原を見つめていたエマが丘の中腹辺りを指差して叫んだ。
「ハイコー! 20頭は居るわ! 人が乗った『馬』を追いかけてる!」
「ハイコー」とは「ハイコヨーテ」を略した呼称だ。この世界の草原に広く分布する体重40Kg前後の肉食獣だとエマが教えてくれた。見かけは殆どハイエナなので井出は心の中では「ハイエナもどき」と呼んでいた。
エマが指差す方向を見るとハイコヨーテが20数頭ほど、この世界で「馬」と呼ばれている「ホースバード」と言うダチョウに似た生物を追いかけていた。良く見ると背中に子供が2人しがみ付いている。
「助けるぞ! 皆、揺れるから舌を噛まないように!」
井出は短く叫ぶと同時にギアを4速から一気に2速に落としアクセルを踏み込む。忽ちエンジンの回転数が上がり、パトカーは加速してゆく。赤灯とサイレンも点ける。出来るだけ肉食獣の注意をこちらに引きたい。それに音に驚いて逃げる個体も居るかも知れない。
時速60Kmまで加速する頃には逃げる「馬」の右側100m程の距離に並んでいた。
「ターン! ターン! ターン!」
エマがライフルを3連射した。「馬」に追いつきそうになった先頭のハイコヨーテが脚を折って脱落する。どうやら「馬」は脚に怪我をしているようだ。思う様に逃足が発揮出来ないらしい。
それにしても時速60Kmで走るパトカーの車上から100m先の走る獲物を3発で仕留めるエマの腕は凄い。草原は僅かとは言え起伏があり車体は結構揺れる。しかも走るハイコヨーテの体も上下している。なるほど、両手が使える彼女は大した狙撃手だ。
だが、このままダラダラと撃ち続けていては無駄弾も多い。弾が切れた隙に「馬」は肉食獣どもに追いつかれてしまうかも知れない。井出はパトカーを「馬」に並走させながら考える。
「エマ! 1、2、3で停車するぞ!」
「イエッサー! 1!」
井出の言葉にエマは即答した。彼の意図することを瞬時に理解したようだ。井出は2と叫んでブレーキを踏む。同時にギアを1速に落とす。速やかに停車させサスペンションが車体の動揺を鎮めた瞬間、3と叫んだ。
「ターン! ターン!」
エマが狙撃を始めた。一発づつ良く狙って撃っている。ただ、その動作の一つ一つが素早いため連射しているように見えた。レバーを操作する度にライフルの機関部右側面から次々と飴色の薬莢が飛び出す。車体の左側面に白い発射煙が濛々と漂う。
(ふうん、「ウインチェスター」じゃなくて「マーリン」なんだな。やっぱり44-40口径なのかな?)
井出はライフルを操るエマを見つめながら、そんなことを考えていた。
「再装填!」
エマが叫ぶ。同時にライフルに弾丸を込め出した。井出は即座にパトカーを急発進させる。グリップの悪い草地で後輪が少し空転した。「馬」の方を見やると、すぐ後ろに迫っていたハイコヨーテの群れの先頭から5頭が脱落していた。これで大分と時間に余裕が出来た。
あの速さで7発撃って5発的中。目の覚めるような命中率だ。やはりエマの射撃の腕を信用したのは正解だったようだ。保安官テッドも只の親バカじゃないって訳だ。
井出はパトカーを加速させながら肉食獣の群れの配置を観察する。見れば奴らは群れを三手に分けている。「馬」を真っ直ぐ追いかける集団とその左右を少し遅れて続く二つの集団だ。
成程、獲物が左右どちらかに舵を切っても左右に続く集団がその先に回り込んでゆく手を阻むわけだ。そうやって獲物が疲れて力尽きるまで追いかけ回す。典型的な犬型捕食動物の狩りのやり方だ。見かけは悪いが、頭は良い動物らしい。
「奴らと『馬』の間に割り込むぞ! 君ら、何かに掴まっていろ!」
「了解! ま~かせて!」
井出がエマと後部座席の少女たちに叫ぶ。エマがVサインを出しながら即座に返答する。ライフルの弾は既に込め終わっていた。三人の女子高生たちも銘々に掴まるところを探し始める。彼はパトカーを「馬」の右後方に位置させた。
「君たち、入場を許可します! あの建物を目指して走って!」
井出が馬に乗る子供たちに駐在所を指差しながら叫んだ。同時に「黒い建造物」の周りの防御結界が淡い緑色に光るのが見える。子供たちも彼の指示を理解したようだ。右に進路を変えて駐在所を目指して進み始める。「馬」の小さな翼が戦闘機の先尾翼のように器用に動き、太くて長い尻尾で上手にバランスを取っていた。
「やっぱりそう来たか! させるか!」
井出が右にハンドルを切る。「馬」の進路を妨げようとスピードを上げて来たハイコヨーテの右後方の集団に車体を寄せて行く。接触も覚悟の上だ。強引にパトカーを奴らの集団の中に割り込ませた。
「ギャウン!」
逃げる方向を間違えたハイコヨーテの1頭が車体の右前方に引っ掛けられてボンネットに乗り上げた。そのまま右のフェンダーミラーを巻き込んで後ろに流れて行く。ゴリッとした感触が後輪からシートを通じて体に伝わる。どうやら肉食獣の体のどこかを踏んづけたようだ。
「元の世界でこんな事したら始末書もんだな!」
井出はギアを2速に落としながら急ブレーキを踏んだ。パトカーのすぐ後ろを走っていた2頭が対応しきれずに車体後部に追突する。ゴキッゴキと鈍い音がして首の骨を折られた肉食獣たちは脱落していった。右後方の集団は散り散りになった。
これで脅威になるのは左後方から追いかけていた集団だけだ。奴らは中央の集団の残党と合流しながら「馬」を追いあげている。井出はパトカーを加速させていく。助手席でエマがライフルを乱射する。今度は命中は期待していない。ハイコヨーテ共の追い脚を鈍らせるのが目的だ。
それでも「馬」を追う集団の先頭から3頭が脱落する。残りは4頭。井出は「馬」の左後方にパトカーを割り込ませた。もう一歩のところで狩りを邪魔された肉食獣どもが殺気立って左後方から迫って来る。
「ダダダーン!」
殆ど繋がった3発の銃声が草原に轟く。エマが腰の拳銃を抜いて連射したのだ。彼女が使っている技術はシングルアクションの拳銃で素早く連射するための「ファニング」と呼ばれるものだ。2頭のハイコヨーテが膝を折って崩れ落ちた。
エマが拳銃の上に左手をかざし素早く前後させる。2発の弾丸が、また1頭を撃ち倒す。至近距離とは言え揺れる車上からこれだけ命中させるとは、まるで魔法でも使っているようだ。これで残りは1頭、だがもう弾切れの筈だ。最後の1頭が牙を剥いて助手席に迫って来る。
「ゴキン!」「ガアアッ!」
骨が砕けるような鈍い音と共にハイコヨーテの悲鳴が聞こえる。井出が横を見ると拳銃を逆手に持ったエマがグリップの部分で肉食獣の鼻面を殴りつけていた。ソイツは堪らず草原に転がる。
(あ、この女性は絶対に怒らせないようにしよう。)
井出は強く心に誓った。
「馬」は既に防御結界の内側に入っていた。散らばった群れの残党がまだパトカーを追いかけて来る。
「井出、私とピートは既に許可を貰ってるから大丈夫よ。」
エマの声に井出も頷く。減速せずに、そのまま防御結界を通過した。後ろでゴンゴンと衝突音が響いた。諦めの悪いハイコヨーテが数頭、防御結界に頭をぶつけたようだ。彼はパトカーをUターンさせて停車させた。
目の前には2頭の肉食獣が倒れていた。強かに頭を打ったせいか上手く立ち上がれないらしい。体中をブルブル震わせて脚をガクガクさせて立ち上がろうとしているが、何度も腰を落としている。残った他のハイコヨーテは遠巻きにこちらを見ていた。
しかしコイツらが「ハイコヨーテ」と言うのはどうなんだろう。多分、アメリカ人はハイエナを見たことが無いから生態系で役割が近いコヨーテに準えて名付けたのか? 今度、エマに真由美の動物図鑑を見せてやろうと井出が思った時だった。
「ギャイィーン!」「グゲエェェッ!」
丘の南側から真っ黒い巨大な塊が駆け上がって来た。ソイツは一瞬で2頭のハイコヨーテを屠ってしまった。
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