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番外編

*3

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 翌日、美也がいつもより一時間出社すると、営業部の出入口脇にある簡易の応接室のソファで眠っている益子がいた。
 一か八か早めに出社して良かった。
 さっそくロッカールームに不要な荷物だけ置いて、スープジャーを持ってデスクに向かった。

 他人の気配を感じたのか益子が飛び起きた。
「お、おはようございます。益子さん」
「あ、成子か」
「昨夜帰らなかったんですか?」
「宮原さんちの計画書作成してたから」
 と大きな欠伸を一つ。
「そうだったんですか。私もお手伝いします」
「いや、いい。俺ひとりで充分」
 今だっ! 今、今かな? と思いつつ、スープジャーを掲げる。
「あっあの、いきなりですが、お腹空いてないですか? スープ、いかがですか? あっ! 昨日のお礼にって、寝起きでいきなりスープはきついですかね。なんならコーヒー淹れます?」
 しぃん、と早朝のオフィスがさらに静まり返った。
 渾身の一発芸がスベってしまった芸人の気持ちがわかった気がした。時間よ、戻れ。泣きたくなりながら念じた瞬間、益子がククッと低い笑い声を漏らした。
 救われた、と思ったが、彼はひどく意地の悪いアルカイクスマイルを浮かべた。
「え? なに? 雑巾搾りブレンド? それとも下剤スープ? 悪いけど、茶番に付き合う暇はねーよ」
 ショックだった。普通に要らないと言われてもそこそこショックだっただろうが、敵意むき出しで拒絶されたのが、胸が凍りつくほどショックだった。そして、悔しかった。このコンソメスープは取り寄せの缶詰めだが、美也が生まれて初めて美味しいと感動した奇跡のコンソメスープなのだ。
 美也は立ったまま、益子の目の前で、スープジャーからカップにスープを注いで、一生懸命息をふきかけ、舌を火傷しながら飲んだ。
「このスープは、一流ホテルの歴史と伝統とプライドがつまっているものなんです。私はこのスープに敬意を払っています。誰かを陥れるための手段なんかに使ったりしません!」
 なにをこんなにむきになってるんだろう。恥ずかしい。誰だよお前。お前はこのホテルのなんなんだよ。と頭のなかでセルフ総ツッコミをいれまくる。
 益子は唖然とこちらを見上げている。
「ごめん。ごめんな、成子。いや、そんな、並々ならぬ情熱を懐いていたとは……ぶっ!」
 益子が高らかに笑い出した。
「あははははははっ! ごめん、成子。お前なんなの? 回し者? 帝国よりの使者? 腹痛いんだけど!」
「い、いえ。ただの、スープ好きです……」
 穴があったら入りたい。けど、こんなに益子が大笑いしている姿も珍しいので見ていたい。
「そんなに旨い?」
「はい。ぜひ」
 スープを注ぎ足して益子に差し出す。
 益子はまだ引きずっているらしく、笑いながら少しずつスープを飲んだ。
「……確かに旨いな。ありがとう」
「でしょう? 缶詰めクオリティとは思えない美味しさですよね?」
「いや、他にこういうの食ったことないから比較できないけど」
「そ、そんな。たしかにスープストックとかも美味しいですけど、私はこちらもオススメします。本物食べたことないですけど」
「ないのかよ。なら頑張って東京出張行けるようになれよ」
「いえ。今度のゴールデンウィークに行こうか迷っているんですけど、なんかコレジャナイ感あったりしたら怖くて」
「なんだ、それ」
 益子が笑っている。冷たいアルカイクスマイルではない。普段の険しい表情が一転、ちょっと幼さがみえる少年のような笑顔。相手は年上のはずなのに、母性本能をくすぐられる。
「じゃ、いつか俺が部長に出世して東京出張する時に成子も連れてってやるよ。そしたら、コレジャナイ感あっても諦めつくだろ」
 遠回しの大人のお誘いかと高鳴る胸。だがしかし、益子の携帯電話が鳴って返事をする前に彼は部屋を出ていった。
 思いきって良かった。美也はスープジャーを片腕に抱いてガッツポーズを決めた。

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