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 多田さんと少し話しただけでsakitoじゃあてにならないことがよく分かった。キャバ嬢風の若い女の子と楽しげに話しているのを横目に見送り、新規さんの問診表を準備する。

 この店では少々腕は劣るかも知れないけれど、まったく下手くそではない。じゃなきゃさすがにお客さんだってつかない。

 ただ、少し不真面目で性格がひん曲がっているのが問題だ。いや、いいんだ。アレはアレ。私は私だ。必要以上に関わることもない。

 午後も業務をこなしていたら、立ち退きの話を忘れられた。

 夕方のお客さんが、話の流れでカットプラスパーマになったのでちょっと忙しくなった。あとはラストの新規さんを待つのみ。お客さんも引けて、他のスタイリストが上がっていく。足のむくみと腰のだるさが気になる。そろそろ生理かな。帰りに豆腐買って帰ろう。そんなことをぼんやり考えていたら、ガラスドアが開いて、ベルが鳴った。

「いらっしゃいませ――」

 入ってきたのはモデルと見紛うほどスタイルの良い長身の男。彼を見たアシスタントや他のスタイリストがざわついた。私も固まってしまう。彼は、大股で私の前まで歩み寄り、ニカッと笑う。

「こんばんは。予約した小野塚です」

 驚愕と、なんだかよく分からない圧倒的オーラと、爽やかなのに深みのある柑橘系の香水の香りに頭がぼおっとなり、すぐに返事ができなかった。

 丈の長いジャケット、その胸元には、金色を太い筆で一刷毛したようなプリントが走っている。琳派をモチーフにしたコレクションの時のだ。中はシャープなドレスシャツ、ロングスカートのようなボトムス、そこから覗くレギンスとエナメルブーツ。オールブラックのコーディネート。オーバーサイズの組み合わせなのに、洗練されていて、それぞれの黒がパーツごとに違う表情をしている。リョウ・オノツカの真髄、オノツカ・ブラックと呼ばれる全部黒のコーディネート。スタイルがいいせいで凄みすら感じる。こんなに似合う人、ランウェイ以外ではじめて見た。

「……あれ? 井上さん?」

 大きな手が目の前で振られる。

「失礼致しました。こちらへどうぞ」

 呆気にとられて半分魂が抜けた状態で、セミオートマチックに、体に染みついた動作をくり出す。

「ジャケット、お預かりしますね。お掛けになって、こちらにご記入お願いします」

 なんなら営業スマイルだってでちゃう。

「はぁい」

 小野塚くんはちょっと不服そうな声でいうと、素直にジャケットを脱いで渡し、案内した席に座って、問診表に記入し始める。

 え? え? え? なんでなんで? 切るとこなくない? ガッツリヘアスタイル決まってんじゃん。

 手が震えている。同期だけど、ワールドクラスのスタイリストの髪をどうしろと?

 そこで私はハッとした。フラッシュバックした、あの夜の事。迷惑って言ったから? 色男のプライドを傷つけたから? 今更? 何年前の話? 私が云った言葉は、未だ許せない前代未聞の不祥事なの? 執念深くない? 前世ヘビ? 怖い怖い怖い。

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