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ich rede nichts(私は語らない)
語られないために
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私はね、歴史上の偉人になんてなりたくないの。末永く語り継がれるなんてご免だわ。最後の皇女の真実だとか、そんな題名の本にも映画にもなりたくない。私は歴史に埋もれたかった。埋もれさせて欲しかった。愛する人とささやかな幸せを築きたかったのよ。子供たちが成長して年老いるのを、ゴルディと一緒に眺めていたかった。共和国の誕生に立ち会った時、離婚が成立した時、ゴルディと暮らし始めた時──私は何度も、これで終わりだろうと思ったのよ。色々大変なこともあったけれど、もう終わりだろう、って。波乱万丈な人生なんて望んでいなかった。ええ、私だけでなく、誰もがそう思っていたでしょうね。時代も悪かったのよ、誰も、こんなに何もかもが変わって、崩れ落ちて、まったく新しい世界になるなんて思ってもみなかった。すべて、誰しもに平等に訪れたことで──だから、私を取り上げてどうにかしようなんて、やっぱり間違っているのよ。少し珍しい立場に生まれたというだけで、物語の主役として扱われるなんておかしいでしょう。語られるべき物語を持つ人は、もっとそこら中にいるはずなの。分かりやすい英雄なんて、この先必要ないのではないかしら。
ああ、やはり言い訳のように聞こえてしまうのね。これでは、私は目立ちたくないがために何もしなかったみたい。ファシズムに対しても、ヒトラーに対しても。誰かが立ち上がるのを期待して俯いてやり過ごそうとしていた、愚かでか弱い無名の市民に紛れようとしていたのだと、貴方は責めるのね。オットー・フォン・ハプスブルクとは正反対だと言いたいのでしょう。私は、彼とはまったく違う。ハプスブルクの末裔に相応しく、無私で高潔で、追放の身でありながら祖国のために尽力した彼とは。オットーなら、偉人や英雄として語られることもすんなりと受け入れるし、何を噂されたとしても意に介さないでいられるのかもしれないわね。そんな些細なことには惑わされないくらい、彼にははっきりとした目的というか使命があって、正義感に燃えているのでしょうね。私にはとても真似できない生き方だわ。
ねえ──でも、私の言葉なんて何ひとつ信用ならないのではなかったのかしら。私が殊勝なことを言ったからといって、大人しく非を認めただなんて思ってはいけないのではないのかしら。ましてや、貴方の思い通りになるかもしれないだなんて──あり得ないわ。
私は、私を良く見せたい訳でもないし、言い訳をしているつもりでもないの。私は、ただ、何もかもを曖昧にしたいだけ。貴方、最初に暇潰しって言ったでしょう? 子供や孫も寄り付かない、ゴルディも逝ってしまった、身近にいるのは犬たちだけ。そうなってみると、死ぬまでの時間が退屈で退屈で仕方なくなってしまったの。そして、死というものが怖くて仕方なくなってしまったの。死んだら天国に行くというのは本当なのかしら。私はまたゴルディに会えるのかしら。地上で起きていることを、どうにかして知ることはできるのかしら。
死んだ後のことも、今、世界やこの国で起きていることも、訳が分からなくて不安なことばかり。だから私は、今のうちに私自身を殺してしまうことにしたの。まだ生きているうちに。こんな、ひとりでは歩けもしない年寄りのこの私ではなくて、ハプスブルクの末裔だの赤い皇女だのと呼ばれる、私から離れて勝手に歩き出してしまいそうな、影の私を。
ああ、やはり言い訳のように聞こえてしまうのね。これでは、私は目立ちたくないがために何もしなかったみたい。ファシズムに対しても、ヒトラーに対しても。誰かが立ち上がるのを期待して俯いてやり過ごそうとしていた、愚かでか弱い無名の市民に紛れようとしていたのだと、貴方は責めるのね。オットー・フォン・ハプスブルクとは正反対だと言いたいのでしょう。私は、彼とはまったく違う。ハプスブルクの末裔に相応しく、無私で高潔で、追放の身でありながら祖国のために尽力した彼とは。オットーなら、偉人や英雄として語られることもすんなりと受け入れるし、何を噂されたとしても意に介さないでいられるのかもしれないわね。そんな些細なことには惑わされないくらい、彼にははっきりとした目的というか使命があって、正義感に燃えているのでしょうね。私にはとても真似できない生き方だわ。
ねえ──でも、私の言葉なんて何ひとつ信用ならないのではなかったのかしら。私が殊勝なことを言ったからといって、大人しく非を認めただなんて思ってはいけないのではないのかしら。ましてや、貴方の思い通りになるかもしれないだなんて──あり得ないわ。
私は、私を良く見せたい訳でもないし、言い訳をしているつもりでもないの。私は、ただ、何もかもを曖昧にしたいだけ。貴方、最初に暇潰しって言ったでしょう? 子供や孫も寄り付かない、ゴルディも逝ってしまった、身近にいるのは犬たちだけ。そうなってみると、死ぬまでの時間が退屈で退屈で仕方なくなってしまったの。そして、死というものが怖くて仕方なくなってしまったの。死んだら天国に行くというのは本当なのかしら。私はまたゴルディに会えるのかしら。地上で起きていることを、どうにかして知ることはできるのかしら。
死んだ後のことも、今、世界やこの国で起きていることも、訳が分からなくて不安なことばかり。だから私は、今のうちに私自身を殺してしまうことにしたの。まだ生きているうちに。こんな、ひとりでは歩けもしない年寄りのこの私ではなくて、ハプスブルクの末裔だの赤い皇女だのと呼ばれる、私から離れて勝手に歩き出してしまいそうな、影の私を。
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