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ファシズムの足音
争いの火種
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今も状況はさほど変わっていないけれど、第一次世界大戦直後のヨーロッパ諸国にとって、共産革命の阻止が至上の命題だった。ドイツでの革命は流血をもって終わり、ハンガリーではほんの一瞬だけ人民共和国が政権を握った後に、形ばかりの──王がいない──王国に戻った。オーストリア=ハンガリー帝国の、名目上は最後の皇帝であるカールはね、ハンガリー王への復位を求めて叶わなかったの。彼は脅されてウィーンから追い出されただけだと思っていたのかもしれないけれど、ハプスブルクの君主を望む人は彼が思っていた以上に少なかったということなのでしょうね。カールは、ハンガリーからオーストリアへ侵攻して帝国を復活させようとしていたのよ。自国を攻める君主なんて……それに、サン=ジェルマン条約で戦後の国境が定まったところだったというのに。もちろん、誰も納得なんかしていなかったけれど、だからこそ危ういバランスを崩してはならなかったのでしょうに。結果的には失敗したとはいえ、もう少しで戦争になりかねないところだったし、ハンガリーの政治も大いに乱れた。ハンガリーの民を自らの臣下だと考えるなら、彼は状況をもっとよく考えるべきだったのではないかしら。オーストリアにしろハンガリーにしろ、彼の行動は民に不和と混乱を招いただけだったのだから。
貴方はカールに同情的なのね。特権階級の者すべてに対して批判的ではないということなのかしら。さんざん醜聞をまき散らした私と違って、カールは、人柄としてはとても善良だったからかしら。きっと、二百年くらい前だったら寛容な名君として歴史に名を遺したことでしょうに。厳しい時代に帝位を継がざるを得なかったことに対しては、本当に同情しているのよ。彼に帝冠を渡したのは、なんと言っても私の祖父なのだしね。でも、仕方のないことでもあるでしょう。たとえ善良でも誠実でも、それだけで良い君主になれるとは限らなかった、そんな時代だったのよ。
確かに、戦後に生まれた民主的な政体の諸国は、実態ではとても脆かった。共産主義の脅威だけでなく、あるいはそれに立ち向かうために、君主制の復活もとても現実的な選択肢に見えたかもしれない。カールが民衆に歓迎されるだろうと期待したのも、そう的外れなことではなかったのかもしれない。けれど彼は失敗した。時代は戻らなかった。それがすべてよ。
冷たいと思われるのは心外ね。カールは私のはとこで、妃のツィタも、今も健在のオットー・フォン・ハプスブルクを含めた子供たちも少しは知っているわ。だから、カールが失意と貧苦のうちに世を去らなければならなかったことを、当然とは思わない。痛ましいことだと思うわ、ちゃんと。ただ、同じ一族の者だからといって同じことを考えるとは限らないというだけのこと、私が選んだ道は、それだけ彼らとは違ってしまったというだけよ。
とにかく──はるか大西洋のマデイラ島に追放されたもと皇帝カール一家のことは、私には心の上でも遠い世界のことだった。ハプスブルクが政治から締め出されたオーストリアでは、政党と階級の対立がますます深まっていっていたから。財産と権力を守ろうとする旧貴族やブルジョワ階級と、権利と仕事と生活の改善を求める労働者階級と。そもそもオーストリアの私とゴルディとの関係が取りざたされたのも、どの陣営も相手の動向を警戒してぴりぴりと神経を尖らせたからでもあったのでしょう。
でも、社会民主党といってもオーストリアに根付いたのはロシアで皇帝一家を皆殺しにしたような恐ろしい共産主義とは違ったのよ。なんといっても、ウィーンで音楽や芸術を愛していた人たちなのですもの。どこかのんびりとしていたし、おかしなことかもしれないけれど、貴族的な文化や教養を尊重してもいた──少なくとも、それを破壊しようとはしていなかったわ。党が目指していたのはすべての人の平等であって、決して富める者を引きずり降ろそうということではなかったのよ。弱腰にも見えたのでしょう、レーニンからは批判されたくらいだった。でも、保守的な人たちはそんなことを信じてはくれなかったのね。ロシアから漏れ聞こえる共産政府の噂、粛清だとか権力争いの噂が恐ろしいものだったからでもあるし、空前の不況の中で既得権益を死守するためには、労働者に口を挟ませてはならないと考えていたのもあるでしょう。だから、せっかく戦争が終わったというのに、国の名を変えて新たに出発したというのに、オーストリアの内部では争いの火種があちこちに燻っていたのよ。
貴方はカールに同情的なのね。特権階級の者すべてに対して批判的ではないということなのかしら。さんざん醜聞をまき散らした私と違って、カールは、人柄としてはとても善良だったからかしら。きっと、二百年くらい前だったら寛容な名君として歴史に名を遺したことでしょうに。厳しい時代に帝位を継がざるを得なかったことに対しては、本当に同情しているのよ。彼に帝冠を渡したのは、なんと言っても私の祖父なのだしね。でも、仕方のないことでもあるでしょう。たとえ善良でも誠実でも、それだけで良い君主になれるとは限らなかった、そんな時代だったのよ。
確かに、戦後に生まれた民主的な政体の諸国は、実態ではとても脆かった。共産主義の脅威だけでなく、あるいはそれに立ち向かうために、君主制の復活もとても現実的な選択肢に見えたかもしれない。カールが民衆に歓迎されるだろうと期待したのも、そう的外れなことではなかったのかもしれない。けれど彼は失敗した。時代は戻らなかった。それがすべてよ。
冷たいと思われるのは心外ね。カールは私のはとこで、妃のツィタも、今も健在のオットー・フォン・ハプスブルクを含めた子供たちも少しは知っているわ。だから、カールが失意と貧苦のうちに世を去らなければならなかったことを、当然とは思わない。痛ましいことだと思うわ、ちゃんと。ただ、同じ一族の者だからといって同じことを考えるとは限らないというだけのこと、私が選んだ道は、それだけ彼らとは違ってしまったというだけよ。
とにかく──はるか大西洋のマデイラ島に追放されたもと皇帝カール一家のことは、私には心の上でも遠い世界のことだった。ハプスブルクが政治から締め出されたオーストリアでは、政党と階級の対立がますます深まっていっていたから。財産と権力を守ろうとする旧貴族やブルジョワ階級と、権利と仕事と生活の改善を求める労働者階級と。そもそもオーストリアの私とゴルディとの関係が取りざたされたのも、どの陣営も相手の動向を警戒してぴりぴりと神経を尖らせたからでもあったのでしょう。
でも、社会民主党といってもオーストリアに根付いたのはロシアで皇帝一家を皆殺しにしたような恐ろしい共産主義とは違ったのよ。なんといっても、ウィーンで音楽や芸術を愛していた人たちなのですもの。どこかのんびりとしていたし、おかしなことかもしれないけれど、貴族的な文化や教養を尊重してもいた──少なくとも、それを破壊しようとはしていなかったわ。党が目指していたのはすべての人の平等であって、決して富める者を引きずり降ろそうということではなかったのよ。弱腰にも見えたのでしょう、レーニンからは批判されたくらいだった。でも、保守的な人たちはそんなことを信じてはくれなかったのね。ロシアから漏れ聞こえる共産政府の噂、粛清だとか権力争いの噂が恐ろしいものだったからでもあるし、空前の不況の中で既得権益を死守するためには、労働者に口を挟ませてはならないと考えていたのもあるでしょう。だから、せっかく戦争が終わったというのに、国の名を変えて新たに出発したというのに、オーストリアの内部では争いの火種があちこちに燻っていたのよ。
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