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七章 燕はどこに消えた

3.皓華宮の内情

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 皓華宮の主要な建物の造りは星黎せいれい宮のそれとさほど変わりなく、よって妃の居室も朱華に与えられたものと同じくらいの広さだった。ただ、迎えられた時期が違う割に、朱華の部屋と同じくらい調度に「使われた」感じがないのは、きっと翰鷹皇子のせいだろう。佳燕様は、部屋でゆっくりする時間もなかったのかもしれない。

「白妃が最後にここにいたのは六日前になるのか……」
「そうだな。少なくとも一度はこの部屋に入ったはずだ。落ち着いて――着替えでもしていたところを、攫われたのだろう」

 悔しげに顔を歪める兄皇子を他所に、炎俊は部屋を見渡して例の茫洋とした目をしている。象牙細工を施された椅子と卓とか、青磁の水差しとか、玻璃の細工の燭台とかにひとつひとつ目を留めて、それらに触れた人のことを捉えようとしているのだろう。時見の《力》を持たない朱華には出る幕はなく、見守ることしばし――炎俊は溜息と共に呟いた。

「……兄上は妃を構い過ぎだ。部屋にいる時間の方が少ないくらいではないか」

 目を細めては首を様々な角度に傾げる炎俊の様子からして、時見は上手くいっていないようだ。そしてしばらく続いた沈黙に耐えかねたのか、翰鷹皇子がおずおずとした声を出した。珍しく、弟を気遣っている気配さえある。

「私の部屋も視てみるか? そちらの方が、余計なものが視えると思うが」
「できればご免被りたいが、皓華宮まで来た以上はできるだけのことはしましょう」

 余計なもの、というのは、翰鷹皇子と佳燕がいちゃつく姿が視えてしまうかも、ということだろう。翰鷹皇子はどこか気恥ずかしそうな表情を見せ、炎俊は心底嫌そうに顔を顰めている。兄のそういう場面を視たくないのだろう。というか、他人の朱華だって同感だ。

(ま、まあ、暗くしてるでしょ、多分……)

 自身に時見の力がないことに感謝しながら、翰鷹皇子の後について宮の奥へと進もうとした時だった。炎俊が、朱華の耳元に唇を寄せた。

「シュウエイ、という名の侍女がいるはずだ」
「……視えたの?」

 翰鷹皇子の背を窺いながらの潜めた声に、内緒話だと察して、朱華はほとんど唇の動きだけで訪ねた。時見や遠見では音は聞こえないもの。けれど、唇を読むことはできる、と炎俊が言っていたことがある。

 炎俊は、ごく小さく頷いた。翰鷹皇子は、内緒話自体には多分気付いている。ほんのわずか、後ろを気にする素振りが見えたから。でも、問い質すつもりはないようだ。佳燕を探すための相談だとでも思ったなら、まあ、当たらずとも遠からずではある。

「字は分からないが。年かさで、やや肥えている。多分、白妃が信頼している者だ」

(その人を探して話を聞けってことね)

 それも、翰鷹皇子のいないところで。宮の主の前では言いづらいことを聞き出して来いとの命令だ。とはいえ、どうやって実行すれば良いのか、朱華が考えていると――

「兄上、雪莉せつりを別の部屋で待たせていただいてもよろしいか。雪莉には時見の力はないが、私の方が落ち着かぬ」
「ああ、他所の宮の妃に対して、配慮が足りぬことであった。――誰か、陶妃をもてなすのだ」

 炎俊は意外と真っ当な口実を口にし、翰鷹皇子もあっさりと承諾してくれた。この女、実は人の心が結構分かっているのだろうか。いつもこういう気遣いを見せてくれれば、朱華としても気が楽なのに。

      * * *

 皓華宮の使用人たちはさすがに躾が行き届いていて、皇子を伴わない朱華ひとりに対しても丁重なもてなしがなされた。

「主がおりませんで、誠に不調法なことでございますが」
「いいえ。こちらこそ大変な時にお邪魔してしまって申し訳ないわ」
「……恐れ入ります」

 朱華と炎俊の来訪の目的は、当然翰鷹皇子から知らされているのだろう。事情は知っていると仄めかすと、朱華に茶を出した侍女は、ほんの微かに頬を強張らせてから深々と頭を垂れていた。

(シュウエイって、誰かしらね……? そもそも、ここにいるのかしら……?)

 遠見ではなく、肉眼と注意力を持って、朱華は目的の相手を見極めようとした。年かさの、ふくよかな女。特徴ともいえない特徴に当てはまる者は、何人かいるようだけど。

「気にしなくて良いのよ。……私も、白妃様が心配なのだもの」
「過分のお気遣い、痛み入ります。長春君様に代わって御礼申し上げます」

 とりあえず、朱華の相手をしている女はシュウエイではないだろう。年かさというところは当てはまっているけれど、枯れ枝のように痩せている。

「ああ、皓華宮では三の君様が長春君様になるのね。私は天遊林に入ったばかりで、どうも慣れなくて……」

 他愛のない雑談をする振りで、朱華は控えた侍女たちの顔をひとりひとり眺めていく。シュウエイという侍女が、この場にいない──閉じ込められている可能性もあるだろう。翰鷹皇子も、白家と通じる恐れがある者たちを野放しにするほど甘くはないかもしれない。

「だから、白妃様には色々教えていただきいと思っていたところだったのよ」
「もったいないお言葉ですが、碧羅へきら宮や辰緋しんぴ宮の方々のほうがよろしいかもしれません」
「あら、なぜ? 白妃様と私は似ていなくて? 宮にたったひとりの妃なのですもの」

 佳燕のことを悪く思ってはいないのだ、と暗に告げながら探りを入れたつもりだったのに。相手の老女は意外にも、きっぱりと否定してきた。

「その……ですが、陶妃様は他のお妃を歓迎なさる寛容な御方だと──白妃様から伺いました。この宮ではこれからもあり得ないことでございますから……」

(この人は皇子様側、か……)

 碧羅宮での妃同士の集まりで、朱華は確かに述べていた。後から妃が迎えられたとしても、姉妹同然に仲良くしたい、と。でも、佳燕だって他の方に寵愛を譲りたいと漏らしていたのだ。それをなかったように扱うということは、この女は白家の者ではないのだろう。

「それは、私は我が君にお仕えする身ですもの。我が君様の良いようにするわ? ――でも、白妃様のご寵愛のされようは羨ましい。あやかれるものならあやかりたいわ」
「はい。真に。私も天遊林にお仕えして長いですが、今の皓華宮の君ほどにたったおひとりを寵愛される方は他にいらっしゃいませんでした」

 夫の寵愛を独占する佳燕は幸せだ、と。朱華の呟きに、皓華宮の老侍女は胸を張りながら平伏するという器用な真似をして見せた。無難に淑やかに相槌を打ちながら、彼女は油断なく控えた他の侍女たちの表情も窺っている。

(まあ、満面の笑みって訳にはいかないだろうけどさ)

 妃が姿を消した上に、宮の主である翰鷹皇子は、その実家を敵視して他の宮の皇子と妃を招き入れた。使用人たちの忠誠の対象が白家だろうと翰鷹皇子だろうと。そして、後ろめたいことがあろうとなかろうと、平静でいられるはずがない。佳燕本人の身の安全や心の裡を慮ればなおのことだ。

 侍女たちの中に何人か、もの言いたげに身じろぎした者がいるのを見て取って、朱華はその者たちに向けて微笑んだ。

「ねえ、白家は時見の家なのでしょう。我が君様も時見の《力》をお持ちなのに、私はまだお力を見せていただいたことがなくて――何か、やってみせてくれないかしら」

 余所の宮を訪ねておいて余興を強請ねだるのは、あまり行儀の良いことではないだろう。でも、白家の侍女を間近に呼び寄せないと何も始まらないのだ。

「でしたら、私どもの――水竜の《力》の方がお慰めになるかと存じますが」
「まあ、そうなの?」

 老侍女が言葉を濁したのは、白家の者を彼女の前に出したくない意図があるのだろうか。見極めようと、朱華は無邪気を装って首を傾げた。

「長春君様や、名家の方々の御力に比べれば児戯のようなものでございますが。水で、花や蝶や鳥を形作って動かすのでございます。何なら、楽器が得意な者に奏でさせましょう」
「そんなに大げさにしてもらわなくても良いのだけど……」

 呟いたのは、建前と本音が半々だった。確かに見応えがありそうだからかえって困る。断る口実を、どう見つけたら良いのか分からなくなってしまうから。

「四の君様と陶妃様は、白妃様を助け出さんとの思し召しと伺いました。皓華宮に仕える者として、歓待の意を示さぬ訳には参りません」
「でも、私、まだ何の役にも立てていないの。我が君様は、時見で何かをご覧になろうとしているけれど。……ねえ、貴女たちには何か視えていないの?」

 業を煮やした朱華は、直に尋ねることにした。目の前の老侍女ではなく、部屋の隅に控えた者たちに向けて。これなら、時見の者――白家の者が、勝手に反応してくれるはず。

「私どもは……その……」
「女同士の内緒話、ということではどうかしら。三の君様には申し上げにくいこともあるのではなくて?」

 おどおどと戸惑う者たちに、朱華はにこりと微笑んであげた。侍女たちが何を隠していようと、翰鷹皇子の怒りは炎俊がどうにかしてくれるらしい。それなら、せいぜい優しいお妃と信じてもらえるように振舞ってみよう。

「陶妃様、あの」

 侍女たちの反応を見ながら、朱華は視線を注ぐ相手を絞っていく。翰鷹皇子には言いづらいことを抱えている者が、きっといるはずだ。炎俊が言っていた、年かさのふくよかな女。ここまでくれば、見誤ることはないだろう。

「大丈夫よ。きっと、白妃様は戻っていらっしゃる。そのために、力を貸してくれないかしら。……シュウエイ?」
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