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五章 皓華宮からの誘い
2.視えないもの
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あまりに直截に尋ねてしまったから、朱華は炎俊の顔色を窺った。昊耀の礎たる力を疑うのは、皇室に対するとんでもない不敬にも当たりかねないと思うから。
でも、炎俊の反応は驚くほどあっさりとしたものだった。
「そうだな。少なくとも、未来を視ることについては制約も考慮すべき事項も多い。だが、視えるものと視えないものを吟味すればある程度確かな推論を立てることは可能だ」
炎俊の目配せを受けて、控えていた紫薇が素早く動き、茶の川を描かれた哀れな卓を綺麗に拭き清めた。まるで、ここまでのやり取りが全て無駄でもあるかのように。
「視えないもの……? 皓華宮からのお招きについて……?」
炎俊の物言いは、またも判じ物のように謎めいている。頭が掻き回されるような感覚を味わいながら、朱華は必死にその意味を捕らえようとした。時見によって視えないことは、起こらないことらしい。例えば無事に帰れるところが視えなかった、とかいうことなら、確かに由々しき事態だろうが。でも、炎俊はそこまで恐れている様子でもない。
「そう。……私がひとりで行く場合、そなたを伴う場合。星黎宮に翰鷹兄上を招く場合。そもそも誘いを断る場合――兄上と会う場面が視えない場合、とも言えるか。とにかく、どれも視るのに苦労はなかった。どれも、十分にあり得る未来と考えて良いだろう」
炎俊は軽く頷くと、また茫洋とした表情を見せた。時見や遠見で目の前にはないものを視る時の目だ。本当にその未来が「視えない」のかどうか、確かめているかのよう。
「お断りできるならそうした方が良いのかしら? お話は気になるけど……」
懸念があって、かつ会わないことも可能なら、訳の分からない招きは断ってしまえば良いのではないかと思う。炎俊の性格からしても、面倒なこと予想のつかないことは避けそうな気がしていたのだけど――でも、朱華の提案は夫の気に入るものではなかったらしい。
「問題は兄上ではないと思う」
「え……?」
朱華が間抜けな声を上げた隙に、炎俊は彼女のほうへ身を乗り出しいた。眉を顰めた整った顔が急に迫ってきて、つい、どきりとさせられてしまう。
「どれほど目を凝らしても、白妃の姿が視えないのだ」
「白妃……。佳燕様ね。あの方が気になるの? どうして?」
炎俊の目に映る自身の姿を見ながら、朱華は首を傾げた。白家の佳燕。皓華宮の唯一の妃。碧羅宮で会った妃たちのうち、ただひとり怖い、ではなく多少なりとも親しみを覚えた方。だから、炎俊が深刻な顔をしていると不安になってしまう。
「必ず兄上の供をしてくるとも限らないのだろうが。だが、ごく細い糸としても視えないのは――ああ、わずかな可能性を私はそう認識しているのだが――少々、不審だ」
「男同士……っていうか、兄弟同士、皇子様同士のお話だから、じゃなくて……?」
朱華の勝手な感情だけど、あのおとなしげな方に権力争いは似つかわしくない気がする。皇子同士が争うにしても、妃はまた別のはずだ。何も好き好んで争わなくても、頭から警戒しなくても良いかもしれないのに。でも、炎俊の顔色は晴れなかった。
「そうかもしれない。しかし、もっとすっきりとする説明がある」
多分、炎俊は朱華よりも遥かに天遊林のことを知っている。だから、この女の言葉は信じるべきなのだろう。そしてだからこそ、嫌な予感がする。どうせろくでもないことを聞かされるのだろう、と。心臓が高鳴り始めるのを感じながら、朱華は炎俊の唇を見つめた。
「白妃は、皓華宮にいないのだ」
「……ずいぶんはっきり言うじゃない。根拠はあるの?」
炎俊が断言したのが不可解で朱華は眉を寄せた。天遊林は、油断のならないところ。帝位を巡って皇子たちや妃たちが相争うところ。そうと知っていると、いるはずの方がいないという推測は、ひどく剣呑なものに思えてならなかった。
「……これは、取り立てて隠すつもりではなかったことだ。そなたが知ってもどうにもならないことだから、いずれここの暮らしに慣れた頃に、と思っていたのだ」
「うん、まだ隠し事があったのね。怒らないから言いなさい」
皇子に対して妃が命じるという珍事に、控える紫薇が目を見開いて口元を抑えるのが視えた。同じ部屋の中にいれば遠見は効くから、視界の外の様子を見るのも造作ない。よく分からない事態に巻き込まれつつある状況、次々と出てくる知らない情報。落ち着かなさに昂る心が、朱華の目を研ぎ澄ませている。猫が毛を逆立てるように、周囲の全てを警戒しなければならないと思わせるのだ。何よりも、炎俊の挙動を見逃してはならない。
(誤魔化すことを覚えたりしないでしょうね……!)
朱華の夫には、どうも言葉を惜しむ傾向がある。自分が分かっていれば、結果的に不都合が起きなければ良いだろう、と考えているような。理屈や計算だけで言えば、それも確かに正しい。でも、血の通った人間として、偽りとはいえ夫婦として、朱華はこの女を信じたいのだ。隠し事なく、必要なことをちゃんと教えてくれるように――言い澱んだり目を逸らしたりする気配があれば、厳しく問い質さなくては。
朱華の目の鋭さを意識してか、炎俊は居心地悪げに座り直した。そして、茶で口を湿してからやっと口を開く。
「……四つの宮を占める皇子が、ひとりとして欠けてはならぬのは昨日言った通りだ。血族殺しの罪が許されるのは言うまでもなく、それぞれに《力》を認められた皇族であるからには、帝位を得た者に仕え、支えなければならぬ」
「ええ、だから争うにも正々堂々と。毒殺とかはなし、なのよね?」
「だが、妃についてはその限りではないのだ」
「……ちょっと……!」
炎俊の言葉を理解して、朱華は絶句した。その隙に、とでも言うかのように、炎俊は淡々と続ける。もはや躊躇いを見せることなく、朱華の目を真っ直ぐ見つめながら。
「どれほど有力な家の出自であろうと、妃は皇族ではないからな。無論、悪事が露見すれば罰を受けるが。事故や病気に見せかければ――それに、時見や遠見の追及を退けることができれば、外戚の援助を断つことは競争相手への有力な攻撃になるだろう」
「……なるほど。その通りね」
怒らないと言ったからには、大声を出してはなるまい。朱華は膝の上で衣装をきつく握りしめて肚の底から湧き上る何かしらの衝動をやり過ごした。怒りだけでなく、身体の芯から凍るような――恐怖も、あるのだろうか。
「……怒らないのか」
「気分良くはないけどね。でも、少し考えれば分かることだったわね」
意外そうな目を向けてくる炎俊の顔を見て、朱華は深々と息を吐く。怒る心配はされていても、怖気づくとは思われていなかったらしい。確かに、これは朱華が呑気過ぎたのだ。妃だけが狙われるとまでは考えてはいなかったけど、至尊の帝位を巡って錚々たる名家が争うのだから、危険が全くないはずがないのは分かり切っている。娼館でさえ、客の取り合いだの足の引っ張り合いだの油断できなかったのだから。
(碧羅宮でびくびくしてたらその方が怪しいし舐められるだろうし、ね)
折を見て慣れた頃に、という炎俊の主張も、気に入らないけど理がなくもないのだ。とにかく、これでどうして炎俊は佳燕がいないと考えたのか分かった。
「だから……佳燕様も狙われたかもしれない? 三の君様の唯一の妃で、つまりは唯一の後ろ盾との絆だから? 皓華宮にいないっていうのは、攫われたとか、なのかしら……?」
妃がひとりしかいない皇子は、そういう意味でも危ういのかもしれない。敵対する者からすれば、急所をさらけ出しているようにも見えるのだろうから。それはつまり朱華も良い標的になり得るということで──前言を翻してでもひと言言ってやるべきか、どうか。悩む朱華を他所に、炎俊は頷いた。
「そう。あるいは、毒を盛られたとか、かな。そして、三番目を狙うとしたら、四番目の者だろうと自然に考えるだろうな。まして、そなたが来たばかりで起きたことならば」
「三の君様は私を疑っていらっしゃるということかしら」
佳燕を案じ、着せられているかもしれない嫌疑に眉を寄せてから、朱華はふと不安になった。彼女は、自身の潔白を知っている。でも、彼女の夫はどうだろう。意味もなく残酷な真似をする性格ではないと思うけど、意味があればやるだろうと思う程度には良くも悪くも朱華は炎俊を知ってしまっている。
「あんたは何もしてない、よね……?」
「無論。《力》ある姫をやたらに害するなど無駄も良いところ。万が一そうせざるを得ないとしても、疑われる余地など残すものか」
「あっそう……」
物騒なことを口にしながら、炎俊は自信たっぷりに頷いた。本心なのか冗談なのか測りかねて、曖昧に頷くにとどめた朱華を余所に、ちらりと翰鷹皇子の書状に目を向ける。
「とはいえ実際に何があったかは分からない。兄上の考えも――私がやったと決めつけているのか、それとも探りを入れようというだけなのか」
炎俊が誘いを断ろうとはしていないようなのは、つまりはそういうことらしい。翰鷹皇子が何を考えているか分からない。だから確かめなければならない。会わないことによってかえって疑われては目も当てられないし。会えば否応なくある程度の事情――翰鷹皇子の言い分によるもの、という但し書きがつくけれど――を知ることもできるだろう。
「じゃあ、お会いしないと、でしょうね……」
「そういうことになるな」
「私も、よね?」
「そうだな」
「やっぱり……」
楽しい話題でないのはほぼ確定したようなものだから、気が重いけれど。夫の意図を量るのに、ずいぶんと時間が掛かってしまって、それも先行きを不安にさせるけれど。
「だが、皓華宮に乗り込むのはさすがに怖い。だから、星黎宮に足を運んでいただくように打診してみよう」
「ああ、その方がまだ気が楽かしら。つまり、それはできそうなのね?」
「うむ、確かに視えた。――紫薇、聞いての通り。兄上を迎える支度を整えておくれ」
炎俊は軽く息を吐くと、控えていた侍女の方を振り向いた。
「かしこまりました、長春君様。――初めての機会ですのに、晴れやかな席でないのはとても残念ですけれど」
いつも穏やかに微笑む紫薇をして、聞かされたばかりの推測には不安の色を隠せないようだったし、朱華も全く同感だった。星黎宮に来てからたったの数日で早速陰謀めいた事態に巻き込まれるなんて。天遊林は思っていた以上に恐ろしいところらしい。
でも、炎俊の反応は驚くほどあっさりとしたものだった。
「そうだな。少なくとも、未来を視ることについては制約も考慮すべき事項も多い。だが、視えるものと視えないものを吟味すればある程度確かな推論を立てることは可能だ」
炎俊の目配せを受けて、控えていた紫薇が素早く動き、茶の川を描かれた哀れな卓を綺麗に拭き清めた。まるで、ここまでのやり取りが全て無駄でもあるかのように。
「視えないもの……? 皓華宮からのお招きについて……?」
炎俊の物言いは、またも判じ物のように謎めいている。頭が掻き回されるような感覚を味わいながら、朱華は必死にその意味を捕らえようとした。時見によって視えないことは、起こらないことらしい。例えば無事に帰れるところが視えなかった、とかいうことなら、確かに由々しき事態だろうが。でも、炎俊はそこまで恐れている様子でもない。
「そう。……私がひとりで行く場合、そなたを伴う場合。星黎宮に翰鷹兄上を招く場合。そもそも誘いを断る場合――兄上と会う場面が視えない場合、とも言えるか。とにかく、どれも視るのに苦労はなかった。どれも、十分にあり得る未来と考えて良いだろう」
炎俊は軽く頷くと、また茫洋とした表情を見せた。時見や遠見で目の前にはないものを視る時の目だ。本当にその未来が「視えない」のかどうか、確かめているかのよう。
「お断りできるならそうした方が良いのかしら? お話は気になるけど……」
懸念があって、かつ会わないことも可能なら、訳の分からない招きは断ってしまえば良いのではないかと思う。炎俊の性格からしても、面倒なこと予想のつかないことは避けそうな気がしていたのだけど――でも、朱華の提案は夫の気に入るものではなかったらしい。
「問題は兄上ではないと思う」
「え……?」
朱華が間抜けな声を上げた隙に、炎俊は彼女のほうへ身を乗り出しいた。眉を顰めた整った顔が急に迫ってきて、つい、どきりとさせられてしまう。
「どれほど目を凝らしても、白妃の姿が視えないのだ」
「白妃……。佳燕様ね。あの方が気になるの? どうして?」
炎俊の目に映る自身の姿を見ながら、朱華は首を傾げた。白家の佳燕。皓華宮の唯一の妃。碧羅宮で会った妃たちのうち、ただひとり怖い、ではなく多少なりとも親しみを覚えた方。だから、炎俊が深刻な顔をしていると不安になってしまう。
「必ず兄上の供をしてくるとも限らないのだろうが。だが、ごく細い糸としても視えないのは――ああ、わずかな可能性を私はそう認識しているのだが――少々、不審だ」
「男同士……っていうか、兄弟同士、皇子様同士のお話だから、じゃなくて……?」
朱華の勝手な感情だけど、あのおとなしげな方に権力争いは似つかわしくない気がする。皇子同士が争うにしても、妃はまた別のはずだ。何も好き好んで争わなくても、頭から警戒しなくても良いかもしれないのに。でも、炎俊の顔色は晴れなかった。
「そうかもしれない。しかし、もっとすっきりとする説明がある」
多分、炎俊は朱華よりも遥かに天遊林のことを知っている。だから、この女の言葉は信じるべきなのだろう。そしてだからこそ、嫌な予感がする。どうせろくでもないことを聞かされるのだろう、と。心臓が高鳴り始めるのを感じながら、朱華は炎俊の唇を見つめた。
「白妃は、皓華宮にいないのだ」
「……ずいぶんはっきり言うじゃない。根拠はあるの?」
炎俊が断言したのが不可解で朱華は眉を寄せた。天遊林は、油断のならないところ。帝位を巡って皇子たちや妃たちが相争うところ。そうと知っていると、いるはずの方がいないという推測は、ひどく剣呑なものに思えてならなかった。
「……これは、取り立てて隠すつもりではなかったことだ。そなたが知ってもどうにもならないことだから、いずれここの暮らしに慣れた頃に、と思っていたのだ」
「うん、まだ隠し事があったのね。怒らないから言いなさい」
皇子に対して妃が命じるという珍事に、控える紫薇が目を見開いて口元を抑えるのが視えた。同じ部屋の中にいれば遠見は効くから、視界の外の様子を見るのも造作ない。よく分からない事態に巻き込まれつつある状況、次々と出てくる知らない情報。落ち着かなさに昂る心が、朱華の目を研ぎ澄ませている。猫が毛を逆立てるように、周囲の全てを警戒しなければならないと思わせるのだ。何よりも、炎俊の挙動を見逃してはならない。
(誤魔化すことを覚えたりしないでしょうね……!)
朱華の夫には、どうも言葉を惜しむ傾向がある。自分が分かっていれば、結果的に不都合が起きなければ良いだろう、と考えているような。理屈や計算だけで言えば、それも確かに正しい。でも、血の通った人間として、偽りとはいえ夫婦として、朱華はこの女を信じたいのだ。隠し事なく、必要なことをちゃんと教えてくれるように――言い澱んだり目を逸らしたりする気配があれば、厳しく問い質さなくては。
朱華の目の鋭さを意識してか、炎俊は居心地悪げに座り直した。そして、茶で口を湿してからやっと口を開く。
「……四つの宮を占める皇子が、ひとりとして欠けてはならぬのは昨日言った通りだ。血族殺しの罪が許されるのは言うまでもなく、それぞれに《力》を認められた皇族であるからには、帝位を得た者に仕え、支えなければならぬ」
「ええ、だから争うにも正々堂々と。毒殺とかはなし、なのよね?」
「だが、妃についてはその限りではないのだ」
「……ちょっと……!」
炎俊の言葉を理解して、朱華は絶句した。その隙に、とでも言うかのように、炎俊は淡々と続ける。もはや躊躇いを見せることなく、朱華の目を真っ直ぐ見つめながら。
「どれほど有力な家の出自であろうと、妃は皇族ではないからな。無論、悪事が露見すれば罰を受けるが。事故や病気に見せかければ――それに、時見や遠見の追及を退けることができれば、外戚の援助を断つことは競争相手への有力な攻撃になるだろう」
「……なるほど。その通りね」
怒らないと言ったからには、大声を出してはなるまい。朱華は膝の上で衣装をきつく握りしめて肚の底から湧き上る何かしらの衝動をやり過ごした。怒りだけでなく、身体の芯から凍るような――恐怖も、あるのだろうか。
「……怒らないのか」
「気分良くはないけどね。でも、少し考えれば分かることだったわね」
意外そうな目を向けてくる炎俊の顔を見て、朱華は深々と息を吐く。怒る心配はされていても、怖気づくとは思われていなかったらしい。確かに、これは朱華が呑気過ぎたのだ。妃だけが狙われるとまでは考えてはいなかったけど、至尊の帝位を巡って錚々たる名家が争うのだから、危険が全くないはずがないのは分かり切っている。娼館でさえ、客の取り合いだの足の引っ張り合いだの油断できなかったのだから。
(碧羅宮でびくびくしてたらその方が怪しいし舐められるだろうし、ね)
折を見て慣れた頃に、という炎俊の主張も、気に入らないけど理がなくもないのだ。とにかく、これでどうして炎俊は佳燕がいないと考えたのか分かった。
「だから……佳燕様も狙われたかもしれない? 三の君様の唯一の妃で、つまりは唯一の後ろ盾との絆だから? 皓華宮にいないっていうのは、攫われたとか、なのかしら……?」
妃がひとりしかいない皇子は、そういう意味でも危ういのかもしれない。敵対する者からすれば、急所をさらけ出しているようにも見えるのだろうから。それはつまり朱華も良い標的になり得るということで──前言を翻してでもひと言言ってやるべきか、どうか。悩む朱華を他所に、炎俊は頷いた。
「そう。あるいは、毒を盛られたとか、かな。そして、三番目を狙うとしたら、四番目の者だろうと自然に考えるだろうな。まして、そなたが来たばかりで起きたことならば」
「三の君様は私を疑っていらっしゃるということかしら」
佳燕を案じ、着せられているかもしれない嫌疑に眉を寄せてから、朱華はふと不安になった。彼女は、自身の潔白を知っている。でも、彼女の夫はどうだろう。意味もなく残酷な真似をする性格ではないと思うけど、意味があればやるだろうと思う程度には良くも悪くも朱華は炎俊を知ってしまっている。
「あんたは何もしてない、よね……?」
「無論。《力》ある姫をやたらに害するなど無駄も良いところ。万が一そうせざるを得ないとしても、疑われる余地など残すものか」
「あっそう……」
物騒なことを口にしながら、炎俊は自信たっぷりに頷いた。本心なのか冗談なのか測りかねて、曖昧に頷くにとどめた朱華を余所に、ちらりと翰鷹皇子の書状に目を向ける。
「とはいえ実際に何があったかは分からない。兄上の考えも――私がやったと決めつけているのか、それとも探りを入れようというだけなのか」
炎俊が誘いを断ろうとはしていないようなのは、つまりはそういうことらしい。翰鷹皇子が何を考えているか分からない。だから確かめなければならない。会わないことによってかえって疑われては目も当てられないし。会えば否応なくある程度の事情――翰鷹皇子の言い分によるもの、という但し書きがつくけれど――を知ることもできるだろう。
「じゃあ、お会いしないと、でしょうね……」
「そういうことになるな」
「私も、よね?」
「そうだな」
「やっぱり……」
楽しい話題でないのはほぼ確定したようなものだから、気が重いけれど。夫の意図を量るのに、ずいぶんと時間が掛かってしまって、それも先行きを不安にさせるけれど。
「だが、皓華宮に乗り込むのはさすがに怖い。だから、星黎宮に足を運んでいただくように打診してみよう」
「ああ、その方がまだ気が楽かしら。つまり、それはできそうなのね?」
「うむ、確かに視えた。――紫薇、聞いての通り。兄上を迎える支度を整えておくれ」
炎俊は軽く息を吐くと、控えていた侍女の方を振り向いた。
「かしこまりました、長春君様。――初めての機会ですのに、晴れやかな席でないのはとても残念ですけれど」
いつも穏やかに微笑む紫薇をして、聞かされたばかりの推測には不安の色を隠せないようだったし、朱華も全く同感だった。星黎宮に来てからたったの数日で早速陰謀めいた事態に巻き込まれるなんて。天遊林は思っていた以上に恐ろしいところらしい。
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