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8章

4 狐と光と少女

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 ライラは目を覚ますと庭にいた。どこの庭だったかなと思い出すと、イセナの別荘の庭だった。
 遠くをみると青々と輝く海がみえ、船がたくさん動いている。
 ライラは庭に設置されている長椅子に腰をかけてぼんやりとしていた。

「ライラ、どうしたの」

 横から声が聞こえた。
 そこには懐かしい女性が座っていた。
 ライラの母親だ。
 はかなくて綺麗な人、とても優しい人だった。

「ぼぅっとしちゃって。まさか風邪かしら」

 彼女は心配そうにライラの額に手をあてる。風邪になりやすいのは母の方なのに。
 ライラはぎゅっと母親にしがみついた。

「なぁに、甘えちゃって」
「お母さま、お母さまがいなくなる夢をみたの」

 ライラの声は幼くて、小さいものであった。ライラの姿は幼い少女のものへと変わる。

「大丈夫よ。ライラ。私はいなくなったりしないから」
「本当に?」
「そうよ。だから、ずぅっとここにいましょうね」

 ライラはこくりと頷いた。母親は愛し気にライラを抱きしめる。ライラは母の姿に夢中で気づかなかった。
 長椅子の後ろには噴水がある。そこに移るのは白銀の大きな狐であった。それがライラに強くからみつく。

 随分と長く母に抱きしめられている気がする。
 でも、とてもいいことだと思った。
 母の腕の中にいるこの時がライラにとって一番幸せな時だったから。

「ライラ」

 突然声をかけられる。ライラは首をかしげてあたりを見渡すが誰もいなかった。

「どうしたの?」
「男の人の声がしたの」
「気のせいよ」

 母親はそういいライラの耳を両手でふさいだ。変な声なんか聴く必要ないと。
 そうだよね。
 ライラは瞼を閉ざし母のぬくもりを感じ続けた。

「ライラ、すまない」

 かすかに聞こえる男の声。どうして男の人は謝ってくるのだろうか。
 ライラに悪いことなんてしていないのに。

「守ると言いながら守れずに、すまない」

 守ると言った。いつだっけ。
 ライラはうーんと記憶をたどり寄せた。
 ふわぁっと満点の星空が浮かんできた。こんなに綺麗な星空の下で綺麗な男の人がライラに声をかけてきた。

「綺麗だ」

 まっすぐに見つめられて言われて思わずときめいてしまう。こんな風に言われたことなんてなかった。

「私が守る……だから」

 その先のことを聞いて思わず笑いがこみあげてくる。ごめんなさい。とてもまじめな顔で言っているのに。まじめな顔で言われてついついくすぐったく感じるの。

「一緒にアルベルへ来てほしい」
「私はクロード様の傍にいたい」

 男の声への返事を口にする。ライラははっと目を覚ました。

「ライラ」

 母親がどうしたのとライラに優しく声をかけた。

「帰らなきゃ、クロード様の元へ」

 ライラは母の腕からすりぬけて立ち上がった。どこへ行けばいいだっけとあたりを見渡すと、庭はなく真っ暗な世界であった。道がみつからない。

「ライラ、戻っていらっしゃい」

 母の必死の声が聞こえてくるがライラは首を横に振った。

「私から離れてもあなたは不幸になるわ。悲しいこともいっぱいじゃない。ほら、こんなひどい爪……痛かったでしょう」

 母親はライラの手を握りライラの右手を悲しんだ。そこには爪を剝がされた痕であった。まだ痛々しく残っていた。

「それでも私は行きます」

 痛くても、苦しくてもライラはクロードの元へいく。
 一緒にいたいと決めたのだから。

「そう、あなたは私を置いていくのね。私はあなたのせいで死んだのに」

 恨みがましい母の視線があった。ライラは悲し気に目を伏せた。

「お母さま、私のせいで亡くなったもの。私を恨んでいるときもあったでしょう」

 でも、思い出す。トラヴィスが教えてくれた。母が死ぬ前に、トラヴィスに代筆を頼んだライラへの手紙を。
 その中にはライラの幸せを何よりも願っていた。

「私はクロード様と一緒に行きたい!」

 ライラの言葉を聞き、母の姿がめきめきと音をたてて変わっていく。大きな白銀の狐の姿となった。口を開くとライラのことなどすっぽりと入ってしまいそうなほど大きい。
 とても怖いが、それでもライラは首を横に振った。

「そんな意地悪をしないで」

 少女の声がした。ライラの前へ立ちはだかり狐を制した。
 衣装がとても古めかしい。ライラと同じ黒い髪に、紫の瞳をしていた。
 何となく面差しがライラに似ている。

「この子を解放してあげて、みんなそれを望んでいるわ」

 そういうとあたりが明るく光った。光の玉がたくさんふわふわと飛んでいた。ライラを取り囲むように、ライラを守るようにしているようだ。

「勝手に私の体から漏れ出たのか。早く戻りなさい」

 光の玉と少女はもともとユァンに魂を食われた者たちだった。
 狐はいらだち命令するが、光の玉は拒否しているようであった。

「あなたも早めに出た方がいいわ。あの子がすごく怒っているもの」

 少女の言葉にライラは首を傾げた。どうしてこの子は怖い狐から守ろうとしてくれるのだろうか。
 あの子とは一体誰のことだろうか。

「ぴゅー!!」

 空から白い翼をもつトカゲが飛んできた。大きくて、美しくてとても恰好よかった。

「ブランシュっ」

 ブランシュは勇ましい表情で狐の方へと突進する。
 近づくとブランシュは想像以上に大きかった。彼は大きく口を開き、狐をまるのみにしてしまった。
 自分より強いと知った狐は慌てて闇の中へ消えようとしていたが、遅かった。

「ぴゅ」

 げぷっとブランシュはお腹をさすった。

「ぶ、ブランシュ。大丈夫なの。そんなものを食べて……」

 どうしてブランシュが巨大化したかはわからない。だけど怖い狐を食べたブランシュの体が心配になった。
 
「大丈夫よ。今のは呪いだから、ブランシュは呪いを食べてくれたのよ」

 少女は説明してブランシュを撫でてやった。

「え。呪いって……大丈夫なの?」

 ライラは心配そうにブランシュを見上げた。ブランシュは特に気にしている様子はなく首をかしげている。

「大丈夫よ。私の時はあそこまで具現化した呪いじゃなかったから無理だったけど」

 まず狐の呪いとは気づかれなかった。
 少女が悲し気にうつむいた。

「護竜にそんな能力があるなんて知らなかった」
「絶滅しかて忘れられてしまったからね」

 少女はじっとライラを見つめた。
 先ほども思ったが母に似ているように思った。
 まるで生き別れの姉のように、少女は優しく微笑んだ。

「さぁ、ライラ。もう帰りなさい」
「ブランシュは?」

 少女は首を横に振る。
 
「この子はここにいるわ」

 無理をしてライラの中へ入ってきたからもうもとに戻ることができない。
 少女はブランシュを優しく撫でてやる。ブランシュはぴゅーといつもの鳴き声で少女に声をかけていた。
 少女はまるで彼の言葉がわかるようにうんうんと頷いた。

「またあなたが悪い呪いにひっかからないよう見張りたいって」
「でも、それじゃあ」

 こんな暗闇の中おいていくのはかわいそうに思えた。

「あなたの中だから寂しくないわよ。そんなに言うならこの子の為に時々笛を聞かせてあげて。この子は喜ぶわ」

 ライラはおそるおそるブランシュを撫でた。大きくて彼女が届く範囲はもう限られる。ブランシュはライラの手に届くよう頭を下げた。その鼻筋あたりを優しく撫でてやるとブランシュは嬉しそうに尻尾を振った。

「よくわからないけどあなたが私を助けてくれたのね。ありがとう」

 ライラはブランシュの鼻筋にキスをした。昔母親が自分にしてくれたように軽く優しいキスである。

「大好きよ。ブランシュ」

 そういうと彼は嬉しそうに笑っているように思えた。

「早くしないと戻れなくなっちゃうよ」

 少女にせかされて、ライラはあたりを見渡す。変わらず静かで暗い世界でどこをどのように行けばいいだろうか。
 先ほどの光の玉が連なりライラの目の前を照らしていく。
 まるで道を示しているようだった。

「ほら、案内してくれるって」

 少女の言葉にライラは頷いた。
 本当は少女のことを知りたかったが、それよりも早く帰りなさいと急かされてしまった。

「あの、ありがとうございます」
「ナシオ……オズワルドによろしくね」

 どうしてここでオズワルドのことがでるのだろうか。
 色々聞きたいが、「急げ、急げ」と少女は変わらずいうからライラは走り出した。
 ライラの後ろ姿をみた後に、少女は声をかけた。

「お話したかったけどしょうがないわ。時間がないし。少ない時間は別の子に譲らなきゃ」

 少女は悲し気に笑った。手をかざすと手がうっすらとすけていた。次第に体全体が薄くなっていく。
 慰めるように巨大ブランシュが少女にすり寄る。

「ありがとう。私とナランの子をこれからもよろしくね」

 少女はもう一度ブランシュを撫でて、すぅっと消えていった。残ったのは光の玉であった。

 少女から離れて、光の玉の導きでライラは進んでいく。この道で合っているかなとつい呟いてみると、「合ってる」と女性の声が聞こえた。時々、「コーン」という狐の鳴き声も聞こえてくる。
 不思議な光の玉たち。ライラを守ってくれたし、怖いものではないと思う。
 ようやく光の入口がみえてきた。暗闇の中ぽっかりと長方形の穴ができていて、そこから光がもれていた。
 目的地にたどり着いたようで光の玉はすぅっと消えていく。

「あ、ありがとうございます」

 ライラは慌ててお礼を言った。
 最後に残った光の玉がライラのすぐそばまで寄った。
 どうしたのかなとライラは両手を広げるとその上にちょんと光の玉がのる。とても暖かかった。
 間近でみてみると光の玉の中には美しい雪の華が咲いていた。雪の中でみられる規則的な綺麗な華、それなのにどうしてこんなに暖かいのだろう。

「ライ、ラ」

 光の玉から小さくとぎれとぎれの女性の声がしてきた。うまく声がでないようで掠れていて、それでも必死に優しく語りかけようとする。

「うら、んでない、わ。幸せに、なって……」

 ようやくそれだけを伝えて光の玉は他と同様にすぅっと消えていった。

「待って。待って、あなたは……っ」

 ライラは必死に光の玉を呼び戻そうとしたが、溶けるように消えていった。
 ぽろりと涙が流れた。気づけばもっと声をかけたかった。
 最後に「急げ」と急かす少女の声に、ぐっと涙を拭いてライラは光の出入り口へと飛び込んだ。
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