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2章 アルベル辺境
1.思わぬ旧友との再会
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「僕の故郷は年中冬で、魔物もいっぱいいて大変なんだ」
粗末なベッドで寝る少年は自分のことを淡々と語った。
「その上で、北の異民族が襲い掛かってくるし。お父さんは戦死しちゃったんだ。お母さんも無理が祟って死んじゃった」
少年は最初北の修道院で預けられていた。慢性的な食糧不足でとてもじゃないが孤児の面倒をみる余裕がない。
そして、このペテラス修道院へと預けられたのである。
運のない奴だ。
そういうと少年は弱弱し気に頷いた。だが、誰を恨む気力も少年にはなかった。
けほけほと少年がせき込むと、その背中をさすってやる。
「昨日の讃美歌に参加しなければよかったのに」
休んでいればよかったのだ。そうすれば咳が酷くならずにすんだではないか。
「少し調子がよかったから」
自分から讃美歌を歌いたいなど理解できない。あんなもの、色狂いの司教らが少年たちを物色する時間でしかない。
「でも、神様に捧げられる歌だよ。きっと神様に届いているはずだ」
「神に聞かせて何になるんだ」
少年は祈りたかったと言った。
「アルベルが少しでも生活しやすい土地になりますように」
自分のような境遇の子どもがいなくなりますように。無理でも、せめて減って欲しい。
内容を聞いて深くため息をついた。何を言っているのだ。
今一番たいへんなのは自分であろう。他人の子などよりまずは自分を大事にしろ。
「自分のことを願え」
そういうと少年はうーんと悩んでようやく口にした。
「大きくなったら聖職者になりたい」
あんなものになりたいなど理解できない。
「北の修道院に行くんだ。そこで頑張って、ご飯を用意して……僕のような子供たちを育てていきたい」
北のアルベルの修道院は聖職者の間では、厳しい場所として有名だ。厳格な変人しか行きたがらないだろう。
希望を出せばすんなりと北の修道院へ行かせてもらえる。聖職者にさえなれれば。
いつかはアルベルにも春が来る。子供たちが春と夏を迎えられるようになるまでに繋げられる人間になりたい。
少年はそう笑って、天井を見上げた。
わかったからこれを飲んで寝ろ。
クロードはようやく手に入れた薬を少年に渡した。
入手方法は思い出したくもない。
少年は気づいたようで悲し気に笑った。
「クロードもおいでよ。きっと君のように優しい子が一緒なら子供たちは心強いと思う」
◇◇◇
夏の暑い時期、ライラはクロードと騎士たちと共にアルベル辺境伯領へ入った。
森を切り開いた道を通った途端ひんやりとした心地を覚えた。
「奥様、こちらを」
侍女のリリーはショールをライラにかけようとした。
「少し涼しくなったくらいよ」
まだしばらくすれば暑いと感じられる。ショールは不用だというがリリーは彼女の傍にショールを置いた。
日が傾き始め、急に気温が下がった。リリーの言う通りショールが必要になった。ようやく森を抜けた頃に近くの町へとたどり着きそこで宿をとることとなった。
事前に報せが届いていたようで宿屋はライラたちの宿泊部屋を確保していた。
それほど大きな宿屋ではないが、一部の騎士たちは近所の家で一晩だけ宿をとらせてもらっていた。
彼らは精一杯もてなそうと、料理と酒をたくさん用意してくれる。
「まだ先を急がなければならない。そんなには必要がない……が、酒があった方が気分的にいいか」
クロードはしばらく考えて主人の心遣いに感謝した。騎士には羽目を外しすぎないことを注意していた。
「一番良いベッドの部屋でございます」
「ありがとう。昨日は野宿だったから嬉しいわ」
ライラは主人の心遣いに感謝した。部屋はかなり狭いと感じられるが、柔らかいマットの上で眠れるだけ幸せだと感じた。
湯あみも用意してくれたので、体もさっぱりしている。
「疲れたであろう。しっかりと休んでくれ」
夫婦でありクロードと相部屋である。二人で使うには少々狭いかもしれない。
クロードは椅子に腰かけて、腕を組みそこから動く気配がなかった。お酒を飲むことも、何かする気配もない。
「あの、そのまま眠るのですか?」
「そうだが。さすがに二人で寝るには狭いだろう。気にせず使ってくれ」
目の前で夫が椅子で眠られて気にせずにはいられない。
「クロード様の疲れがとれないでしょう」
「しかしな」
「私は寝相が良い方です。安心してください」
そこまで言われるとクロードは苦笑いしてライラの隣で横になった。
やはり二人で眠るには狭いだろう。
そういわんばかりのクロードの顔にライラはそうですねと笑った。
それでもベッドで眠れた効果か、疲れがだいぶ取れたように思える。
再び、辺境伯領の主要都市ジーヴルへと向かった。
途中、騎士たちが話していたが道の途中にマンティコアが出たと言う。
その名を聞いてライラは眉をひそめた。
思い出したのはクロードとはじめて出会った時のことである。
クロードがライラを喜ばせようとしてみせたのがマンティコアの首であった。
「ご安心ください。奥様、マンティコアが現れても閣下と私たちアルベル騎士団がついております」
襲われた時のことを想像して怯えているのだと思ったのか騎士たちは励ましてくれた。
ここまで来る間、彼らは本当によくやってくれている。
アルベルへ入る前に魔物が出ると聞けば、クロードが数人の騎士を連れて討伐へとでかける。
彼らはいつ魔物討伐に駆り出されるかわからない状態であるのに、疲れをみせようとしない。
クロードの無茶に振り回されて大変だと言いながらもクロードを尊敬しているのが伝わってくる。
「期待しています」
ライラがそういうと騎士たちは屈託のない笑顔をみせてくれた。
良い人たちである。
彼らに支えられて、クロードは幸せだな。
道の途中に予測通りマンティコアが現れた。
「四名は私に続け! 残りは馬車を守れ」
クロードはそういい剣を抜いてマンティコアの方へと向けた。窓の外から聞こえる不気味な声にライラはびくりと震えた。
騎士たちの掛け声と剣のぶつかる音が響いてきた。
「大丈夫かしら」
窓を開けて様子を伺うと騎士は落ち着かせるように笑った。
「大丈夫ですよ。英雄クロードがこちらについているのですか……ッ」
途中で騎士の言葉が遮られ、何かに黒いものに覆われ下へと崩れていった。目の前に広がるのは巨大な猫のような胴体。それがライオンの胴体であると気づいた時遅かった。
にょろっと長い首が窓の方へ近づいた。
人間の男の顔が窓の中のライラをみて、にたぁっと笑った。
マンティコアだ。
ライラは悲鳴をあげることもできなかった。
騎士たちの掛け声が聞こえるが、それよりも早くマンティコアは馬車の本体へと体当たりした。
「奥様」
リリーは急ぎライラを引っ張りその上に覆った。酷く震えているが、それでも主人を守らなければとリリーはライラを隠したのである。
ぐらりと馬車の本体が傾き横へと崩れる。マンティコアがその上にのり手を窓の中へ延ばそうした。
急にマンティコアの手が引っ張り出され、ライラとリリーに彼が触れることはなかった。
「大丈夫かい?」
代わりに届けられたのは青年の声である。クロードと同じ年齢の、クロードより少し大人びた声である。
バキッと大きな音と共に馬車の扉が開かれる。壊されたといった方がいい。
騎士の声であろうか。
退治してくれたのであろう。
「マンティコアは倒せたよ。出ておいで」
延ばされた手をみてライラはその手に触れた。引き上げられる形で外に出ると、地面にはマンティコアが倒れていた。
マンティコアに潰された騎士は、仲間の手当てを受けている。
「大丈夫かい?」
「え、はい。おかげさまで」
ライラは改めて青年の姿をみた。衣装から騎士の姿ではない。
下には紳士服を着て、上には黒いフードつきのローブを羽織っている。すっぽりと顔を隠す形でフードをかぶっている。
「魔術師様、ありがとうございます」
ライラは青年に感謝を述べた。
「そんな、他人のように呼ばないでくれよ。ライラ」
気安い呼び名にライラはきょとんとした。自分のことを知っているのだろうか。
でも、アルベルには知り合いはいないはずだ。
青年は笑いながら、フードを脱いだ。
男は珍しい外見を持っていた。北よりも南方の方にみられる赤の混じった茶髪、褐色の肌、琥珀の瞳を有している。
クリスサアム帝国の南西都市イセナに棲む者が持つ特徴である。
イセナはライラが幼少期に過ごしていた都市であり、もしかするとそこの領主ブラック=バルト伯爵の一族の者だろうかと尋ねた。
「うそー、ここまできて僕がわからいのかい? いや、子供の時のことだったからしょうがないのかな」
ショックを受けたと言わんばかりに青年は喚いた。
「オズ、何をやっているんだ。ライラが困っているだろう」
クロードは呆れたように青年に声をかけた。同時にライラの手を掴み、無事かと尋ねる。
「はい。私は無事です。ですが、あちらの騎士の方が……」
「ああ、ジーヴルまですぐだから、そこの治療院へ運ぼう」
応急処置を終えたら出発である。クロードがいた場所には別のマンティコアが倒れていた。
「二体、いたのですか……」
「ああ、それでお前に怖い思いをさせた。守ると言っておいてふがいない」
クロードはしゅんと落ち込んだ。
「謝らないでください。私の為に多くの騎士たちを残してくれたじゃないですか」
ライラはにこりと微笑んだ。
「いやいや、ライラはもっと言ってもいいと思うな。怖かったー、おうちかえるって言っても全然しょうがないよ」
「お前は何を言うんだ」
「えー、そうだよね。僕がマンティコアを退治しなければライラと侍女がマンティコアの爪でやられていたところだよ」
やはりこの青年がマンティコアを退治してくれたのか。
周りの騎士たちも彼に対して恭しい態度をとっている。もしかするとクロードの側近の魔術師にしてクロードの教育者オズワルド・ヴィヴィであろうか。
「オズワルド……」
ライラはその名を呟き彼の特徴を改めて確認する。そして「あ」と思い出したように声をあげた。
その声に青年はぱぁっと表情を明るくした。
「オズ、なの? イセナのオズワルド・ブラック=バルト」
「そうだよ。ようやく思い出してくれたんだね。ライラ!」
少年のように屈託のない笑顔をみせてくれた青年の名はオズワルド。ライラの幼い頃の友人であった。
彼は帝国の南西領域の貿易都市イセナの領主の子であった。
ライラは幼少の頃、母親の療養に付き添いイセナで過ごしていた。イセナには滋養に効く魚が採れ、世界中の珍味や製薬品が届けられる。
少しでも良い環境をと父がイセナに別荘を作り、過ごさせてやっていた。
おかげでイセナの領主ブラック=バルト伯爵と交流を持ち、ライラはそこの家にも遊びにでかけていた。
同い年の幼馴染もいた。ブラック=バルト伯爵家にはライラと年の近い子供たちがいた。
彼らとはよく遊んだものである。近くの丘へ駆け、海辺で遊び、船を共に漕いだ。
ライラと弟妹たちの面倒をみるように言われ、共にいるようになったのがライラより12歳年上の遊び相手であった。
第一印象は部屋の奥に籠り書を読み、ふらりとどこかへでかける謎の人であった。
父親から少しは家の為に働けと末弟とライラの面倒をみることになっていた。
話してみると普通に優しい男だった。
ライラの母のことも気にかけてくれて、ライラは彼と仲良くなっていた。オズワルドの末弟は少し複雑な表情を浮かべていた。
イセナを訪れて1年経過した時、オズワルドは姿を消して、戻ってくることはなかった。
どこへ行ったのだろうかと幼馴染に聞いてもわからないようで、ブラック=バルト伯爵も呆れていたという。
3年程イセナに滞在した後帝都へ戻り、母が亡くなり、色んなことがありすぎてライラはオズワルドのことを思い出すことがなくなっていた。
「忘れちゃうなんてひどい」
馬に乗りながらジーヴルへ向かう道中オズワルドは「よよよ」と泣く動作をした。
ライラはクロードの乗る馬に乗せてもらっていた。クロードがライラを抱きかかえるようにしている。
「仕方ないでしょう。私はあの時6歳だったんだもの」
「それもそうだね。どうだい、久々の僕の姿をみて」
目をきらきらとさせてライラに自分の姿をみせた。魔術師の杖をどこからか取り出してポーズをとってみせる。
「軽くなりましたね」
「そこは恰好よくなったと言って欲しいな」
唇を尖らせるオズワルドをみて、クロードに会ってこんなに変ったのだろうかと思った。
クロードと初めて出会った時はどうだったのだろうかと気になったが、聞けずにいた。
「ライラ、オズと親しいのだな」
拗ねているのか、クロードは不機嫌そうにつぶやいていた。
もしかすると嫉妬しているのだろうか。
そう思うと可愛らしく感じられる。
ライラはすとんとクロードの胸に身を預けた。
粗末なベッドで寝る少年は自分のことを淡々と語った。
「その上で、北の異民族が襲い掛かってくるし。お父さんは戦死しちゃったんだ。お母さんも無理が祟って死んじゃった」
少年は最初北の修道院で預けられていた。慢性的な食糧不足でとてもじゃないが孤児の面倒をみる余裕がない。
そして、このペテラス修道院へと預けられたのである。
運のない奴だ。
そういうと少年は弱弱し気に頷いた。だが、誰を恨む気力も少年にはなかった。
けほけほと少年がせき込むと、その背中をさすってやる。
「昨日の讃美歌に参加しなければよかったのに」
休んでいればよかったのだ。そうすれば咳が酷くならずにすんだではないか。
「少し調子がよかったから」
自分から讃美歌を歌いたいなど理解できない。あんなもの、色狂いの司教らが少年たちを物色する時間でしかない。
「でも、神様に捧げられる歌だよ。きっと神様に届いているはずだ」
「神に聞かせて何になるんだ」
少年は祈りたかったと言った。
「アルベルが少しでも生活しやすい土地になりますように」
自分のような境遇の子どもがいなくなりますように。無理でも、せめて減って欲しい。
内容を聞いて深くため息をついた。何を言っているのだ。
今一番たいへんなのは自分であろう。他人の子などよりまずは自分を大事にしろ。
「自分のことを願え」
そういうと少年はうーんと悩んでようやく口にした。
「大きくなったら聖職者になりたい」
あんなものになりたいなど理解できない。
「北の修道院に行くんだ。そこで頑張って、ご飯を用意して……僕のような子供たちを育てていきたい」
北のアルベルの修道院は聖職者の間では、厳しい場所として有名だ。厳格な変人しか行きたがらないだろう。
希望を出せばすんなりと北の修道院へ行かせてもらえる。聖職者にさえなれれば。
いつかはアルベルにも春が来る。子供たちが春と夏を迎えられるようになるまでに繋げられる人間になりたい。
少年はそう笑って、天井を見上げた。
わかったからこれを飲んで寝ろ。
クロードはようやく手に入れた薬を少年に渡した。
入手方法は思い出したくもない。
少年は気づいたようで悲し気に笑った。
「クロードもおいでよ。きっと君のように優しい子が一緒なら子供たちは心強いと思う」
◇◇◇
夏の暑い時期、ライラはクロードと騎士たちと共にアルベル辺境伯領へ入った。
森を切り開いた道を通った途端ひんやりとした心地を覚えた。
「奥様、こちらを」
侍女のリリーはショールをライラにかけようとした。
「少し涼しくなったくらいよ」
まだしばらくすれば暑いと感じられる。ショールは不用だというがリリーは彼女の傍にショールを置いた。
日が傾き始め、急に気温が下がった。リリーの言う通りショールが必要になった。ようやく森を抜けた頃に近くの町へとたどり着きそこで宿をとることとなった。
事前に報せが届いていたようで宿屋はライラたちの宿泊部屋を確保していた。
それほど大きな宿屋ではないが、一部の騎士たちは近所の家で一晩だけ宿をとらせてもらっていた。
彼らは精一杯もてなそうと、料理と酒をたくさん用意してくれる。
「まだ先を急がなければならない。そんなには必要がない……が、酒があった方が気分的にいいか」
クロードはしばらく考えて主人の心遣いに感謝した。騎士には羽目を外しすぎないことを注意していた。
「一番良いベッドの部屋でございます」
「ありがとう。昨日は野宿だったから嬉しいわ」
ライラは主人の心遣いに感謝した。部屋はかなり狭いと感じられるが、柔らかいマットの上で眠れるだけ幸せだと感じた。
湯あみも用意してくれたので、体もさっぱりしている。
「疲れたであろう。しっかりと休んでくれ」
夫婦でありクロードと相部屋である。二人で使うには少々狭いかもしれない。
クロードは椅子に腰かけて、腕を組みそこから動く気配がなかった。お酒を飲むことも、何かする気配もない。
「あの、そのまま眠るのですか?」
「そうだが。さすがに二人で寝るには狭いだろう。気にせず使ってくれ」
目の前で夫が椅子で眠られて気にせずにはいられない。
「クロード様の疲れがとれないでしょう」
「しかしな」
「私は寝相が良い方です。安心してください」
そこまで言われるとクロードは苦笑いしてライラの隣で横になった。
やはり二人で眠るには狭いだろう。
そういわんばかりのクロードの顔にライラはそうですねと笑った。
それでもベッドで眠れた効果か、疲れがだいぶ取れたように思える。
再び、辺境伯領の主要都市ジーヴルへと向かった。
途中、騎士たちが話していたが道の途中にマンティコアが出たと言う。
その名を聞いてライラは眉をひそめた。
思い出したのはクロードとはじめて出会った時のことである。
クロードがライラを喜ばせようとしてみせたのがマンティコアの首であった。
「ご安心ください。奥様、マンティコアが現れても閣下と私たちアルベル騎士団がついております」
襲われた時のことを想像して怯えているのだと思ったのか騎士たちは励ましてくれた。
ここまで来る間、彼らは本当によくやってくれている。
アルベルへ入る前に魔物が出ると聞けば、クロードが数人の騎士を連れて討伐へとでかける。
彼らはいつ魔物討伐に駆り出されるかわからない状態であるのに、疲れをみせようとしない。
クロードの無茶に振り回されて大変だと言いながらもクロードを尊敬しているのが伝わってくる。
「期待しています」
ライラがそういうと騎士たちは屈託のない笑顔をみせてくれた。
良い人たちである。
彼らに支えられて、クロードは幸せだな。
道の途中に予測通りマンティコアが現れた。
「四名は私に続け! 残りは馬車を守れ」
クロードはそういい剣を抜いてマンティコアの方へと向けた。窓の外から聞こえる不気味な声にライラはびくりと震えた。
騎士たちの掛け声と剣のぶつかる音が響いてきた。
「大丈夫かしら」
窓を開けて様子を伺うと騎士は落ち着かせるように笑った。
「大丈夫ですよ。英雄クロードがこちらについているのですか……ッ」
途中で騎士の言葉が遮られ、何かに黒いものに覆われ下へと崩れていった。目の前に広がるのは巨大な猫のような胴体。それがライオンの胴体であると気づいた時遅かった。
にょろっと長い首が窓の方へ近づいた。
人間の男の顔が窓の中のライラをみて、にたぁっと笑った。
マンティコアだ。
ライラは悲鳴をあげることもできなかった。
騎士たちの掛け声が聞こえるが、それよりも早くマンティコアは馬車の本体へと体当たりした。
「奥様」
リリーは急ぎライラを引っ張りその上に覆った。酷く震えているが、それでも主人を守らなければとリリーはライラを隠したのである。
ぐらりと馬車の本体が傾き横へと崩れる。マンティコアがその上にのり手を窓の中へ延ばそうした。
急にマンティコアの手が引っ張り出され、ライラとリリーに彼が触れることはなかった。
「大丈夫かい?」
代わりに届けられたのは青年の声である。クロードと同じ年齢の、クロードより少し大人びた声である。
バキッと大きな音と共に馬車の扉が開かれる。壊されたといった方がいい。
騎士の声であろうか。
退治してくれたのであろう。
「マンティコアは倒せたよ。出ておいで」
延ばされた手をみてライラはその手に触れた。引き上げられる形で外に出ると、地面にはマンティコアが倒れていた。
マンティコアに潰された騎士は、仲間の手当てを受けている。
「大丈夫かい?」
「え、はい。おかげさまで」
ライラは改めて青年の姿をみた。衣装から騎士の姿ではない。
下には紳士服を着て、上には黒いフードつきのローブを羽織っている。すっぽりと顔を隠す形でフードをかぶっている。
「魔術師様、ありがとうございます」
ライラは青年に感謝を述べた。
「そんな、他人のように呼ばないでくれよ。ライラ」
気安い呼び名にライラはきょとんとした。自分のことを知っているのだろうか。
でも、アルベルには知り合いはいないはずだ。
青年は笑いながら、フードを脱いだ。
男は珍しい外見を持っていた。北よりも南方の方にみられる赤の混じった茶髪、褐色の肌、琥珀の瞳を有している。
クリスサアム帝国の南西都市イセナに棲む者が持つ特徴である。
イセナはライラが幼少期に過ごしていた都市であり、もしかするとそこの領主ブラック=バルト伯爵の一族の者だろうかと尋ねた。
「うそー、ここまできて僕がわからいのかい? いや、子供の時のことだったからしょうがないのかな」
ショックを受けたと言わんばかりに青年は喚いた。
「オズ、何をやっているんだ。ライラが困っているだろう」
クロードは呆れたように青年に声をかけた。同時にライラの手を掴み、無事かと尋ねる。
「はい。私は無事です。ですが、あちらの騎士の方が……」
「ああ、ジーヴルまですぐだから、そこの治療院へ運ぼう」
応急処置を終えたら出発である。クロードがいた場所には別のマンティコアが倒れていた。
「二体、いたのですか……」
「ああ、それでお前に怖い思いをさせた。守ると言っておいてふがいない」
クロードはしゅんと落ち込んだ。
「謝らないでください。私の為に多くの騎士たちを残してくれたじゃないですか」
ライラはにこりと微笑んだ。
「いやいや、ライラはもっと言ってもいいと思うな。怖かったー、おうちかえるって言っても全然しょうがないよ」
「お前は何を言うんだ」
「えー、そうだよね。僕がマンティコアを退治しなければライラと侍女がマンティコアの爪でやられていたところだよ」
やはりこの青年がマンティコアを退治してくれたのか。
周りの騎士たちも彼に対して恭しい態度をとっている。もしかするとクロードの側近の魔術師にしてクロードの教育者オズワルド・ヴィヴィであろうか。
「オズワルド……」
ライラはその名を呟き彼の特徴を改めて確認する。そして「あ」と思い出したように声をあげた。
その声に青年はぱぁっと表情を明るくした。
「オズ、なの? イセナのオズワルド・ブラック=バルト」
「そうだよ。ようやく思い出してくれたんだね。ライラ!」
少年のように屈託のない笑顔をみせてくれた青年の名はオズワルド。ライラの幼い頃の友人であった。
彼は帝国の南西領域の貿易都市イセナの領主の子であった。
ライラは幼少の頃、母親の療養に付き添いイセナで過ごしていた。イセナには滋養に効く魚が採れ、世界中の珍味や製薬品が届けられる。
少しでも良い環境をと父がイセナに別荘を作り、過ごさせてやっていた。
おかげでイセナの領主ブラック=バルト伯爵と交流を持ち、ライラはそこの家にも遊びにでかけていた。
同い年の幼馴染もいた。ブラック=バルト伯爵家にはライラと年の近い子供たちがいた。
彼らとはよく遊んだものである。近くの丘へ駆け、海辺で遊び、船を共に漕いだ。
ライラと弟妹たちの面倒をみるように言われ、共にいるようになったのがライラより12歳年上の遊び相手であった。
第一印象は部屋の奥に籠り書を読み、ふらりとどこかへでかける謎の人であった。
父親から少しは家の為に働けと末弟とライラの面倒をみることになっていた。
話してみると普通に優しい男だった。
ライラの母のことも気にかけてくれて、ライラは彼と仲良くなっていた。オズワルドの末弟は少し複雑な表情を浮かべていた。
イセナを訪れて1年経過した時、オズワルドは姿を消して、戻ってくることはなかった。
どこへ行ったのだろうかと幼馴染に聞いてもわからないようで、ブラック=バルト伯爵も呆れていたという。
3年程イセナに滞在した後帝都へ戻り、母が亡くなり、色んなことがありすぎてライラはオズワルドのことを思い出すことがなくなっていた。
「忘れちゃうなんてひどい」
馬に乗りながらジーヴルへ向かう道中オズワルドは「よよよ」と泣く動作をした。
ライラはクロードの乗る馬に乗せてもらっていた。クロードがライラを抱きかかえるようにしている。
「仕方ないでしょう。私はあの時6歳だったんだもの」
「それもそうだね。どうだい、久々の僕の姿をみて」
目をきらきらとさせてライラに自分の姿をみせた。魔術師の杖をどこからか取り出してポーズをとってみせる。
「軽くなりましたね」
「そこは恰好よくなったと言って欲しいな」
唇を尖らせるオズワルドをみて、クロードに会ってこんなに変ったのだろうかと思った。
クロードと初めて出会った時はどうだったのだろうかと気になったが、聞けずにいた。
「ライラ、オズと親しいのだな」
拗ねているのか、クロードは不機嫌そうにつぶやいていた。
もしかすると嫉妬しているのだろうか。
そう思うと可愛らしく感じられる。
ライラはすとんとクロードの胸に身を預けた。
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