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1章 新しい縁

3 婚約者

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 ライラは帝都を出発してから20日かけて公都ベラへと入った。
 そこでライラはリド=ベル大公と婚約相手のクロードと出会う予定になっていた。
 だが、クロードは公都にまだ入っていないという。
 
 春の暖かさで魔物が予想より早くに動き出したため討伐をしながら公都へ向かっているという。

「すまないな。彼は北方の守護を任せていたので、通りがかりでも魔物で困っている街があると放っておけないようだ」

 リチャード・リド=ベル大公は苦笑いしてライラに説明した。
 どうか理解して欲しいと。

「いえ、私の故郷が平穏無事であるのは北の守りがあるからです。大公様、そしてアルベル辺境伯様に感謝をしております」

 公都で1か月過ごし、大公の見守る中結婚式をあげる予定である。

「すごい……」

 大公が用意してくれたホテルの部屋は豪華絢爛な上等客室であった。こんなに良い部屋に1か月も滞在させてくれるとは太っ腹なことだ。
 
 本当は大公としては公城に宿泊させたかったようであるが、イザベル公妃より兄夫婦に気兼ねなく休んでもらいたいからと配慮していただいたのだ。

 ホテルの向こう側にまた別の豪華な部屋があり、クロードは結婚までそこで泊る予定であるという。

 まだ彼は訪れていない。
 
 イライザ公妃が手配してくれた仕立て屋にサイズの確認をしてもらいながら、クロードの現在の位置を教えられた。
 その遠さにイライザ公妃は呆れ返っていた。

 彼女はライラのサイズを確認して、そしてドレスのデザインを見せてくれた。事前に送られたライラの肖像画を確認して公妃自らがリクエストしたデザインだという。

「とても素敵ですね」

 自分に似合うかどうかは自信はない。だが、美しい花嫁衣裳をみると心躍るものがあった。

 公城へ訪問し、礼儀作法の確認をしてもらいながら日々を過ごした。時間があれば、公妃にお茶の招待を受けて彼女自身から公国の情勢を教えてもらう。
 ライラは公妃の配慮を、ホテルのこと含めて感謝を述べた。

「あそこは私も気に入っていて時々利用させてもらっているのよ。気に入っていただけてうれしいわ」

 凛とした美しさを持つ女性であった。今年で30歳半ばになり、子供が3人いるとは思えない程の若々しさである。

「あの、辺境伯様はいつ来られるのでしょうか」

 既に公都に訪れて3週間を過ぎてしまった。公妃のおかげで暇のない日を過ごせている。
 しかし、一向に現れない婚約者の存在が気になってしまう。
 予定の結婚式まで10日を切ろうとしている。

「それは……」

 公妃は深くため息をついた。

「だいぶ近づいてきているのだけど、マンティコアが出たとかでそちらに奔走していて」

 マンティコア、ライオンの体にさそりの尾を持つ人面の怪物である。ライラは見たことがないが、本で読むとかなり狂暴な性格で人を食い殺すといった被害の報告がある。

「放置しては近くの人も穏やかにはいられません」

 責任感ある方なのでしょう。ライラはそうつぶいた。
 困った人を放っておけないクロードのことを言っているのだと思ったが公妃が違うと言った。

「全く、どれだけ花嫁を待たせる気かしら。確かに結婚式まで日はあるけど、顔かわせして少しでもデートをしてもらおうと計画していたのに」

 台無しである。
 
 公妃はくいっとお茶を飲み干した。不機嫌な表情がみてとれる彼女は、おかわりを侍女に命じた。
 
「あなたはいいこね。クロードを怒らないなんて」

 公妃はじっとライラを見つめた。
 こんなに待たされれば自分なら怒って帰ってしまいそうだ。そう口にする。
 
「あなたの噂を聞いたわ。氷姫様なんてどうして呼ばれているのかしら」

 帝都の噂が話題になりライラは困ってしまった。

「いじわるなことを言ってごめんなさい」

 わかっていると言わんばかりに公妃は笑った。事情は知っているとも口にする。

「元々クロードの婚約相手に選ばれていた令嬢が拒否して、あなたの婚約者を奪った。そしてありもしない噂を流してあなたは婚約破棄されても仕方ない程の冷淡な令嬢と言われるようになり、帝都にいられなくなって」

 まさかここまでの裏事情を知っているとは恐れ入る。

「申し訳ありません」
「どうして謝るの?」

 大公、皇帝の希望の令嬢が嫌がっていた件と、代わりに自分が参ったことについてである。

「いいのよ。帝都しか知らない令嬢からすれば北の公国など戦いに明け暮れる蛮国でしょう。その最北端の辺境と言えばさらに絶望的にみえたでしょう。私もそうだったから」

 仕方ないわと公妃はため息をついた。彼女は確かウィステリア家門の令嬢だった。皇女を母に持つ令嬢であり、その為大公に嫁いだ。

「あなたが来てくれたけど、良い子すぎてなんだか不安になるわ。それとも良かったというべきかしら。いつあなたが嫌がって逃げてしまわないかと、逃げられないようにホテル周辺の警備を厳重にしたのだけど逃げる様子はなくてびっくりしたわ」

 あれは護衛の為ではなかったのか。
 ライラはホテル周辺の警備を思い出した。
 妙に騎士が多いなと思っていた。きっと帝国から来た花嫁を守る為のものだろうと思った。

「まるで逃げた令嬢がいたかのような言い方ですね」

 ライラの言葉に公妃は悪戯気に微笑んだ。まさかなとライラはそれ以上考えるのをやめる。

「とにかく、クロードには一刻も早く公都に来るようにって厳命の手紙を送っておいたから」

 ばたばたと侍女が走って報告にやってきた。

「も、申し上げます。アルベル辺境伯が今、公都に入りました」

 がたっと大きな音を立て公妃は侍女たちに指示を出す。そしてライラをみて賓客室へ案内させた。
 クロードを迎える為にドレスを貸し出してくれるという。
 ホテルに戻って着替えるというが、公妃は許さなかった。

「このドレスにしなさい」

 公妃はドレスと装飾品を選び、ライラを着飾らせる。

「髪はいかがしましょう」
「綺麗な黒髪だから、整えるだけでいいわ。でも、そうね。少し真珠の髪飾りでアクセントをつけてみましょうか」

 とんでもなく綺麗に着飾られてしまった。

「出会いが肝心! ライラ嬢、どうかクロードをお願いね」

 公妃に引っ張り出され謁見の間へと急がされた。
 謁見の間には既に大公が座している。その隣に公妃が座り、ライラは傍らに置いた。

「クロード・アルベル辺境伯がお目見えになります!」

 声とともに重い扉が開かれ、現れたのは日に照らされ美しく輝く小麦色の髪が印象的な青年であった。
 
 髪は少し伸びていて無造作に結われ歩く度に揺れるその様子は見おぼえのある麦畑の穂を思い出した。
 瞳の色は青というより、藍色のようにみえる。
 すらりと長身の顔立ちが整った美しい青年であった。

 この男がクロード・アルベル辺境伯。
 
 北の英雄、トラヴィスがいう戦狂なのかはここではわからない。

 クロードは膝をつき、兄であるリド=ベル大公夫妻に挨拶をした。

「大公殿下、公妃殿下にご挨拶を申し上げます。クロード・アルベル、今参りました。遅れたことに関して深くお詫びを申し上げます」

 すらすらと流れるような言葉は、低すぎでもなく高すぎでもない。
 大公はこくりと頷き声をかける。

「道すがら魔物に困る人々を救ったこと、大義であった。北の護り手よ」

 クロードは少し照れた表情を浮かべる。兄に褒められたことが嬉しいようだ。

「ですが、婚約者を待たせたことはお詫びすべきでしょう」

 公妃はにこりと微笑み、ライラを前に立たせた。

「さ、弟に挨拶をしてちょうだい」

 ひそひそと公妃に指示されライラは頷く。

「ライラ・スワロウテイルと申します。辺境伯様にお会いでき光栄です」

 彼に礼儀を示すが反応がない。彼の顔をみてみたいが声を掛けられるまで礼儀を尽くした姿勢を保っておいた方がいいだろう。

「アルベル辺境伯」

 公妃に呼ばれ、クロードははっと我に返った。

「ク、クロード・アルベルである。遠いところはるばる来ていただき感謝する。そして長く待たせたことを改めて詫びよう」

 先ほどよりかちこちな固い口調に違和感を覚える。何か気に喰わなかったのだろうか。

「挨拶はこれにて。さて、同じホテルで宿泊させることになっている。一緒の馬車で帰るとよい」

 大公にいわれてクロードは口をぱくぱくとさせた。やっぱりライラに対して不満なのだろう。

「お行きなさい。ああ、そのドレスと装飾品はあげます。お古で悪いけど若いあなたの方がよっぽど似合っているもの」

 公妃はくすくすと笑いライラをクロードの傍へと行かせる。

「クロード、ちゃんとエスコートなさい」

 公妃に言われてクロードはようやく手を差しだした。ライラはそれに応じる。彼の手を掴んだ状態でライラは公城の廊下を歩いた。

 ちらりとみると表情が固い。話しかけられる雰囲気ではなく、二人はそのまま馬車を走らせた。
 ホテルに到着するまでほとんど会話はなかった。

 ホテルには見慣れない旅装の騎士たちが待機してある。荷物を大量に運んでいるのがみえた。

「クロード様、これはどうします? 確か公城へ持参するつもりだったですよね」

 馬車を降りたクロードは部下の持つ大きな箱をみて忘れていたという表情をした。
 ライラを支えるように降ろして、ピンと思いついたような表情をする。
 箱をこちらへ持ってくるように指示した。

「ライラ嬢、良いものをお見せします」

 馬車の中で沈黙に疲れていたライラは首を傾げた。
 
 良いものとは何だろうか。
 
 クロードは先ほどとは違って悪戯気な表情を浮かべ、男が持ってきた箱の中に腕を突っ込んだ。

「帝都ではなかなか見られない代物です。なんと」

 クロードはよいしょと中のものを掴んで持ち上げた。部下の騎士は慌てた表情でクロードを止めようとした。まさか、中のものを若い令嬢にみせるとは思いもしなかった。

「マンティコアの首だ! 目ん玉は滋養によい。脳は薬の材料になり、頬肉はコラーゲンたっぷりで美容によいのだぞ!」

 どやっとみせたのは魔物の首である。マンティコアの首にライラはさぁっと真っ青になった。

 マンティコアは体がライオン、尾がさそりの人面の化け物である。そう顔は人面なのである。
 つまり、マンティコアの首は人の首に近い。人から離してみるとしても猿の首にみえるだろう。

 十六の、魔物を滅多にみることがないライラからしてみると刺激が強すぎた。

 ぱたり。

 ライラはそのまま後ろへと倒れ込んだ。
 そのまま頭を馬車に頭をぶつけそうになるところを御者が慌てて支えてくれた。

「なんだ? 珍しいものが見られて嬉しくて失神したのか?」
「クロード様、令嬢は北の娘たちとは違います。魔物の首をみるのに耐性はないんですよ」

 部下の騎士は頭を抱えてクロードの非常識さを責めた。
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