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1章 新しい縁
1.婚約破棄
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クリスサアム帝国に名門スワロウテイル家がある。長いこと武官として皇帝に仕え、文官も輩出しついには公爵の爵位を得た一族である。
その家門の分家にライラという名の少女がいた。
名前はライラ・レジラエ。スワロウテイル公爵の弟であるレジラエ伯爵の令嬢であった。
音楽を好みフルートを得意としていた美しい少女であったが、家門には他に華やかな令嬢が多くいるため目立たない。表情を出すことも乏しく人前で笑うことが少ない彼女は地味な娘として人々の記憶に留まらなかった。
そんな彼女にも婚約者はいた。
スワロウテイル家よりも歴史の長いウィステリア家の流れを持つクライド・アレキサンダー、子爵家の三男であるが実直な性格の文官であった。
彼女は1年後彼の元へ嫁ぐはずだった。
「すまない。ライラ。婚約破棄をさせてくれ」
婚約者にお茶の招待を受けていたライラはしばらく茫然とし、婚約者の顔をみた。
貴族の間で人気のブロッサム、綺麗な街並みを一望できるベライラダ席を貸し切られてきっと大事な話があるのだと楽しみにしていた。
「理由をお伺いしても良いですか?」
突然の前触れのない婚約破棄に動揺は隠せない。
「君のせいではない。ただ……」
婚約者のクライドは頭を下げただすまないとだけ告げた。
ライラはようやくお茶を一口飲み、乱れた心を落ち着かせた。ふぅとため息をついてようやく彼に告げた。
「他のご令嬢に心を寄せられたのですか」
否定はなかった。ただクライドからはすまないとだけである。
急に婚約破棄されたら辛い。
既にお互いのご両親に顔を合わせて社交界でも婚約を公表していたのに。
どうしてと詰め寄りたくもなるが、ここまで縮こまられては不満を口にする気力が起きなかった。
元から真面目な男であると知っている為、彼の姿をみると可哀そうと思ってしまった。きっと今日、この時までライラへの申し訳なさで苦しんでいたのだろう。
「わかりました」
ライラは椅子から立ち上がった。
罵倒される覚悟だったようで、クライドはきょとんとライラを見上げた。
「怒らないのか?」
「怒りたいですが、気力がありません」
困ったように彼女は笑った。
「クライド様、どうかお幸せに」
それだけ言い残しライラは喫茶店を後にした。馬車に乗り、自宅へと急がせる。
自宅に帰るとすでに事情を察していた兄のトラヴィスがライラを迎えた。
その時にライラはようやく涙を浮かべた。
まだ恋というものを理解できず、社交界で困っていたライラに優しく声をかけてくれたクライドは良い方であった。彼に婚約を申し込まれ、このまま彼の嫁になっていくのも良いなと思って受け入れた。
平凡ながらも安穏とした生活を思い描いていたのに、突然なくなってしまった空虚感を感じた。
トラヴィスはそっとライラを優しく抱きしめてくれた。
そのまま彼の私室へと連れてもらい、トラヴィスはピアノで彼女を慰めた。文官であった彼はピアノを得意としておりその腕前は皇帝家がリクエストする程である。
ライラはトラヴィスの部屋のソファで横になり兄の曲をひたすら聞き、心を慰めてもらった。
その翌日にライラは父・コンラッドの執務室へ呼ばれる。婚約破棄についての話だろうとライラは重い足取りで父の執務室へと向かった。彼女を心配しているトラヴィスもいたので少しだけ心が楽になった。
「クライド君のことは残念だった」
父は爵位を持たないとはいえ、クライドの真面目さは気に入っており快くライラとの関係を認めてくれていた。
「クライド様もひたすら謝っておりました。私が悪いわけではないと言ってくださったので」
ライラは困ったように笑った。
「そうだ。ライラは悪くない」
トラヴィスはむすっと言い放った。
「それはそうとお兄様、また社交界でパートナーをお願いします。早めに嫁ぎ先を探さないと」
ライラは今年で16歳になる。既に友人は結婚して子供もいるのだ。
いつまでも実家にいるわけにはいかない。
後継者であるトラヴィスは既婚しており、義姉に気遣ってもらう訳にはいかない。
クライド程、ライラと話の合った人がいるかわからないが探してみないと何も始まらない。見つからなければ侍女として働くことも考えよう。
「ライラ、しばらくは社交界のことなど気にするな。リザだってお前のことは可愛がっている。好きにこの屋敷にいていい」
トラヴィスはライラの頭を撫でてくれた。少し嬉しいが、かえって申し訳なく思う。
「ライラ、わざわざ嫁ぎ先を探す必要はない」
父は首を横に振った。
「ほら、父上もそう言っている。大丈夫だ」
「すでにお前の嫁ぎ先は決まった」
父の言葉にライラは驚いた。トラヴィスも知らなかったようで目を見開いている。
「お前の嫁ぎ先はクロード・アルベル、リド=ベル公国の大公弟だ。先日辺境伯の爵位を得ている」
「クロード・アルベル? クロードか」
兄の顔が不愉快そうに歪んでいく。こんな表情を浮かべる兄は珍しいとライラは思った。
クロード・アルベルとライラは記憶をたどった。隣国リド=ベル大公は元帝国の臣下であったが、100年前に大公と認められ公国の統治を許されていた。長年北の異民族の襲来を守ってきた功績が認められた為である。
現大公には腹違いの弟がいて、はじめは存在を認知されていなかったが異民族との戦いで功績をあげていき遠縁の辺境伯位を継いだという。
「そんなすごい方がどうして私に?」
「あいつは戦狂者だ!」
トラヴィスは声を荒立てた。
「トラヴィス、仮にも皇帝が認める英雄に向かって言う言葉ではない」
父はそっとトラヴィスを窘めた。
「父上だって知っているでしょう。あの男が行った戦略はだまし討ちばかりで貴族の常識も持たず礼儀もなっていない。元は修道院で神に仕えていたというのも信じられない」
「トラヴィス」
父はじぃっと厳しい口調で兄の名を呼び、ようやくトラヴィスは黙った。
「皇帝陛下は北の英雄をことのほか褒めており、是非縁談の世話をしたいと言った」
しかし、クロードに似合う年の未婚の皇女はおらず、皇帝は臣下のスワロウテイル家の令嬢を指名した。
「はじめは本家のアメリー嬢に決まるはずであったが……アメリー嬢が以前より想いを寄せていた殿方がいるから嫌だと言い出した」
それは初耳である。アメリーはライラより2つ年下の公爵家令嬢だった。
自分に見合う殿方は将来の公爵、もしくは公爵か、皇族だろうとお茶会で豪語していたのを思い出した。最低でも伯爵でなければならないと言っていた気もする。確かにクロードは辺境伯を継いでいるので、伯というがほぼ侯爵に近い地位といってもいいだろう。
「それはクライド君だったんだ」
突然の名前にライラはめまいを覚えた。アメリーはライラの婚約者だと知っていたはずだ。そして自分の見合う殿方はと豪語していたのはライラの婚約の話題の時だった。
「彼と結ばれないのであれば修道院に行くと末の娘の告白に兄は慌てて、クライド君を呼び寄せて彼に自分の持つノース子爵を継がせるからアメリーと婚約するようにと」
「ちょっと待ってください」
我慢できないとライラの代わりにトラヴィスが手を挙げた。かなり怒っている。
「何ですか? アメリー嬢はライラからクライドを寝取ったということですか?」
「トラヴィス、言葉を選びなさい」
「間違っていないでしょう」
トラヴィスは拳を握りふるふると震えていた。
「前から想いを寄せていた? 違うでしょう。クロード・アルベルに嫁ぎたくないから口からのでまかせでしょう。それで、代わりにライラが嫁ぐようにと?」
父はため息をついてこくりと頷いた。
「ふざけるのもたいがいにしてください! 伯父上も伯父上だ。いくら末娘が可愛いからって、いくらなんでもライラの婚約者を無理やり権力で言うこと聞かせて、それでライラが婚約破棄を受けるなど」
耐えられない、許せないとトラヴィスは怒りをあらわにした。
「決めるのはライラだ。ライラ、どうする?」
突然話をふられライラは困った。
「断ったらどうなるのでしょうか」
「そうだな。他の令嬢を探すしかないだろう」
「大公の弟君、と考えると私では力不足のような気がします」
皇帝が見繕いたいのは皇女か公爵家令嬢ではなかろうか。
「一応、スワロウテイル公爵家本家の養女として嫁がせようと考えているようだ」
直系ではないとはいえ、公爵の姪であり問題はないだろう。
「突然の話だし、公国は元同じ国とはいえ別の国である。よく考えてみなさい」
「はい、そうします」
ライラはこくりと頷いた。
数日の間に婚約破棄の話、新しい婚約の話とうまく頭がまわらない。
その家門の分家にライラという名の少女がいた。
名前はライラ・レジラエ。スワロウテイル公爵の弟であるレジラエ伯爵の令嬢であった。
音楽を好みフルートを得意としていた美しい少女であったが、家門には他に華やかな令嬢が多くいるため目立たない。表情を出すことも乏しく人前で笑うことが少ない彼女は地味な娘として人々の記憶に留まらなかった。
そんな彼女にも婚約者はいた。
スワロウテイル家よりも歴史の長いウィステリア家の流れを持つクライド・アレキサンダー、子爵家の三男であるが実直な性格の文官であった。
彼女は1年後彼の元へ嫁ぐはずだった。
「すまない。ライラ。婚約破棄をさせてくれ」
婚約者にお茶の招待を受けていたライラはしばらく茫然とし、婚約者の顔をみた。
貴族の間で人気のブロッサム、綺麗な街並みを一望できるベライラダ席を貸し切られてきっと大事な話があるのだと楽しみにしていた。
「理由をお伺いしても良いですか?」
突然の前触れのない婚約破棄に動揺は隠せない。
「君のせいではない。ただ……」
婚約者のクライドは頭を下げただすまないとだけ告げた。
ライラはようやくお茶を一口飲み、乱れた心を落ち着かせた。ふぅとため息をついてようやく彼に告げた。
「他のご令嬢に心を寄せられたのですか」
否定はなかった。ただクライドからはすまないとだけである。
急に婚約破棄されたら辛い。
既にお互いのご両親に顔を合わせて社交界でも婚約を公表していたのに。
どうしてと詰め寄りたくもなるが、ここまで縮こまられては不満を口にする気力が起きなかった。
元から真面目な男であると知っている為、彼の姿をみると可哀そうと思ってしまった。きっと今日、この時までライラへの申し訳なさで苦しんでいたのだろう。
「わかりました」
ライラは椅子から立ち上がった。
罵倒される覚悟だったようで、クライドはきょとんとライラを見上げた。
「怒らないのか?」
「怒りたいですが、気力がありません」
困ったように彼女は笑った。
「クライド様、どうかお幸せに」
それだけ言い残しライラは喫茶店を後にした。馬車に乗り、自宅へと急がせる。
自宅に帰るとすでに事情を察していた兄のトラヴィスがライラを迎えた。
その時にライラはようやく涙を浮かべた。
まだ恋というものを理解できず、社交界で困っていたライラに優しく声をかけてくれたクライドは良い方であった。彼に婚約を申し込まれ、このまま彼の嫁になっていくのも良いなと思って受け入れた。
平凡ながらも安穏とした生活を思い描いていたのに、突然なくなってしまった空虚感を感じた。
トラヴィスはそっとライラを優しく抱きしめてくれた。
そのまま彼の私室へと連れてもらい、トラヴィスはピアノで彼女を慰めた。文官であった彼はピアノを得意としておりその腕前は皇帝家がリクエストする程である。
ライラはトラヴィスの部屋のソファで横になり兄の曲をひたすら聞き、心を慰めてもらった。
その翌日にライラは父・コンラッドの執務室へ呼ばれる。婚約破棄についての話だろうとライラは重い足取りで父の執務室へと向かった。彼女を心配しているトラヴィスもいたので少しだけ心が楽になった。
「クライド君のことは残念だった」
父は爵位を持たないとはいえ、クライドの真面目さは気に入っており快くライラとの関係を認めてくれていた。
「クライド様もひたすら謝っておりました。私が悪いわけではないと言ってくださったので」
ライラは困ったように笑った。
「そうだ。ライラは悪くない」
トラヴィスはむすっと言い放った。
「それはそうとお兄様、また社交界でパートナーをお願いします。早めに嫁ぎ先を探さないと」
ライラは今年で16歳になる。既に友人は結婚して子供もいるのだ。
いつまでも実家にいるわけにはいかない。
後継者であるトラヴィスは既婚しており、義姉に気遣ってもらう訳にはいかない。
クライド程、ライラと話の合った人がいるかわからないが探してみないと何も始まらない。見つからなければ侍女として働くことも考えよう。
「ライラ、しばらくは社交界のことなど気にするな。リザだってお前のことは可愛がっている。好きにこの屋敷にいていい」
トラヴィスはライラの頭を撫でてくれた。少し嬉しいが、かえって申し訳なく思う。
「ライラ、わざわざ嫁ぎ先を探す必要はない」
父は首を横に振った。
「ほら、父上もそう言っている。大丈夫だ」
「すでにお前の嫁ぎ先は決まった」
父の言葉にライラは驚いた。トラヴィスも知らなかったようで目を見開いている。
「お前の嫁ぎ先はクロード・アルベル、リド=ベル公国の大公弟だ。先日辺境伯の爵位を得ている」
「クロード・アルベル? クロードか」
兄の顔が不愉快そうに歪んでいく。こんな表情を浮かべる兄は珍しいとライラは思った。
クロード・アルベルとライラは記憶をたどった。隣国リド=ベル大公は元帝国の臣下であったが、100年前に大公と認められ公国の統治を許されていた。長年北の異民族の襲来を守ってきた功績が認められた為である。
現大公には腹違いの弟がいて、はじめは存在を認知されていなかったが異民族との戦いで功績をあげていき遠縁の辺境伯位を継いだという。
「そんなすごい方がどうして私に?」
「あいつは戦狂者だ!」
トラヴィスは声を荒立てた。
「トラヴィス、仮にも皇帝が認める英雄に向かって言う言葉ではない」
父はそっとトラヴィスを窘めた。
「父上だって知っているでしょう。あの男が行った戦略はだまし討ちばかりで貴族の常識も持たず礼儀もなっていない。元は修道院で神に仕えていたというのも信じられない」
「トラヴィス」
父はじぃっと厳しい口調で兄の名を呼び、ようやくトラヴィスは黙った。
「皇帝陛下は北の英雄をことのほか褒めており、是非縁談の世話をしたいと言った」
しかし、クロードに似合う年の未婚の皇女はおらず、皇帝は臣下のスワロウテイル家の令嬢を指名した。
「はじめは本家のアメリー嬢に決まるはずであったが……アメリー嬢が以前より想いを寄せていた殿方がいるから嫌だと言い出した」
それは初耳である。アメリーはライラより2つ年下の公爵家令嬢だった。
自分に見合う殿方は将来の公爵、もしくは公爵か、皇族だろうとお茶会で豪語していたのを思い出した。最低でも伯爵でなければならないと言っていた気もする。確かにクロードは辺境伯を継いでいるので、伯というがほぼ侯爵に近い地位といってもいいだろう。
「それはクライド君だったんだ」
突然の名前にライラはめまいを覚えた。アメリーはライラの婚約者だと知っていたはずだ。そして自分の見合う殿方はと豪語していたのはライラの婚約の話題の時だった。
「彼と結ばれないのであれば修道院に行くと末の娘の告白に兄は慌てて、クライド君を呼び寄せて彼に自分の持つノース子爵を継がせるからアメリーと婚約するようにと」
「ちょっと待ってください」
我慢できないとライラの代わりにトラヴィスが手を挙げた。かなり怒っている。
「何ですか? アメリー嬢はライラからクライドを寝取ったということですか?」
「トラヴィス、言葉を選びなさい」
「間違っていないでしょう」
トラヴィスは拳を握りふるふると震えていた。
「前から想いを寄せていた? 違うでしょう。クロード・アルベルに嫁ぎたくないから口からのでまかせでしょう。それで、代わりにライラが嫁ぐようにと?」
父はため息をついてこくりと頷いた。
「ふざけるのもたいがいにしてください! 伯父上も伯父上だ。いくら末娘が可愛いからって、いくらなんでもライラの婚約者を無理やり権力で言うこと聞かせて、それでライラが婚約破棄を受けるなど」
耐えられない、許せないとトラヴィスは怒りをあらわにした。
「決めるのはライラだ。ライラ、どうする?」
突然話をふられライラは困った。
「断ったらどうなるのでしょうか」
「そうだな。他の令嬢を探すしかないだろう」
「大公の弟君、と考えると私では力不足のような気がします」
皇帝が見繕いたいのは皇女か公爵家令嬢ではなかろうか。
「一応、スワロウテイル公爵家本家の養女として嫁がせようと考えているようだ」
直系ではないとはいえ、公爵の姪であり問題はないだろう。
「突然の話だし、公国は元同じ国とはいえ別の国である。よく考えてみなさい」
「はい、そうします」
ライラはこくりと頷いた。
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