上 下
79 / 112
アンナ編

2

しおりを挟む
「いよいよね」
ルリアーナは王宮にある自室からジョカ山がある方角を見る。
流石にそこからでは山頂部分は見えないが、遠くの空の一部が黒く垂れ込めているのは確認できた。
「ようやくアンナちゃんとご対面、のはずなんだけど」
名前だけは知っている、あの空を元の青空に戻せるはずの少女は一体いつ現れるのか。
魔王復活の報せを受けてからすでに3ヶ月が経っているが、未だにその兆しはない。
彼女を召喚するというトーラン正教に問い合わせても「そんな事実はない」の一点張りで、皆目見当がつかないでいた。
「王族にも隠すなんて、一体どういうことなの…?」
どう使うかまでは聞いていなかったが、古文書に各国王家が所有するオーブが必要と書いてある以上、それを保持している王族に召喚の事実を隠し立てするのは得策ではない。
そう思っていたが、違うのだろうか。
ルリアーナは先頃届いたトーラン正教大司祭からの書状を見直す。
『当正教には経典が伝わるのみで古文書などは見たことがない。また、ジョカ山に封じられていた魔王については少数ながら資料にて伝わっているが、異世界から少女を召喚するなどという荒唐無稽な記載はどこにもない』
質問書を送ってからひと月も経ってから返されたその返書には簡潔にそれだけが記載されていた。
後半など若干「お前ふざけてんのか?」という怒りが見えるような言い様だ。
「まあ、普通はそう思うでしょうしね」
ルリアーナも前世の記憶がなければ信じられないような話だったので、そう言ってしまう大司祭の気持ちはわからないでもない。
だからそのことで大司祭にクレームをつけようという気はないが、しかしこれでは手助けのしようもないではないか。
ルリアーナは何度目になるかわからないため息を吐いた。
コンコンコン
「リア、いるかな?」
その時、部屋の扉が叩かれ、すぐに自分を呼ぶ声が聞こえる。
言わずもがなそれはこの国の王太子でありルリアーナの旦那様でもあるヴァルトの声だったので、「はぁい」と返事をしてドアに駆け寄った。
「こんな時間にいらっしゃるなんて、珍しいですね」
ドアを開け、数年前から自分よりも高くなってしまった顔を見上げれば、その顔は不思議な色を乗せていた。
それは王太子としての顔と旦那様としての顔を混ぜたような、なんとも中途半端なもので、
「うん、ちょっと、意見を聞きたくてね」
ヴァルトはその顔を曖昧なまま苦笑に変えた。

「お連れしました」
「通して」
場所を王宮のサロンに変え、ヴァルトと待っていると、侍女が1人の男を連れて来た。
その男はトーラン正教の司祭服を着ていたが、土汚れが目立つその姿は酷く草臥れている。
「この方は…?」
今自分の悩みの種となっているトーラン正教の関係者であるため、ルリアーナは戸惑いつつもヴァルトにその男の正体を訊ねる。
「トプル・ニルヴァニアという名前の、トーラン正教の元司祭だそうだよ」
「……元?」
「そう、元。但し、本来は今頃大司祭になっているはずだった人物らしい」
自称だけどね、と言ってヴァルトは薄汚れた司祭服の男に席を勧めた。
「いえ、今の私の恰好では徒に家具を汚してしまいます故、床で結構です」
しかしトプルはそれを固辞し、控えの侍女に汚れてもいい布を用意するよう願い出た。
侍女が「これでもよろしければ」と自身の腕に掛けていたアームタオルを差し出せば、「ありがとう」と礼を言い、それを床に広げて座った。
「トプル様、それではお身体に障るのでは」
ルリアーナは彼の行動に驚き、再度椅子を勧めたが、「協会では床に跪いて祈りますので慣れております」と言われてしまえばそれ以上は言えず、「見下ろす無礼をお許しくださいませ」と小さく頭を下げるに留めた。
この世界において、トーラン正教は唯一の宗教であり、その頂点に立つただ1人の大司祭は国王と同じ扱いをされ、その下に数人いる司祭は王子や王女と同じ扱いをされる。
つまり王太子であるヴァルトの方が司祭よりは位が上だが、王族に連なる公爵家出身の王太子妃であるルリアーナは王女と同じ扱いになるため、例え元であっても司祭の座にいたというトプルより位が上ということはない。
まして自称とはいえ、国王と同じ大司祭に手が届いていたかもしれない司祭だったと聞かされれば、扱いは丁寧になって当然だ。
「………ん?」
そう考えた時、ふと引っ掛かりを感じた。
「……んんん?」
「どうしたのリア」
一体何に、と思って頭を捻るが、ヴァルトに奇妙な目で見られただけで答えは得られない。
だが、それでもルリアーナは自分の思考を整理するために唸りながら考え続ける。
最近頭を悩ませているのはトーラン正教の大司祭からの手紙の返事。
そしてここにいるのは大司祭になるはずだったと自称するトプル・ニルヴァニアという男。
……ニルヴァニア?
「あああああー!!」
「うわっ!?」
「ど、どうなされたので!?」
引っ掛かりの正体に思い至り、ルリアーナは思わず大声を上げて立ち上がり、不作法にもトプルを指差してしまった。
ヴァルトもトプルも当然驚いてルリアーナに声を掛けるが、今はそれに答える余裕はない。
だって、だって、ニルヴァニアって。
アナスタシアちゃんが言っていた、アンナちゃんを引き取るはずの大司祭の名前じゃない!!
「なんで貴方が大司祭じゃないのよ!!?」
ルリアーナは礼儀も作法も気品も、王太子妃という仮面も全て脱ぎ捨ててトプルに詰め寄った。

「えーと、つまり、簡単にまとめると」
「権力争いに負けた、ってことでいいのかな?」
「はい。お恥ずかしながら…」
トプルはルリアーナの言葉に「貴女は私の話を信じてくださるのですね!」と感激しつつ、自分がここに至るまでの経緯を涙ながらに語った。
曰く、ある日突然「自分こそが大司祭に相応しい」と一人の若い神官が本教会に現れ、あれよあれよという間に周りの司祭や当時の大司祭を言いくるめてその座に収まったのだという。
「私は内々に前大司祭に次の大司祭になってくれと言われていましたが、そのことを知っているはずの者まで皆その男の言うことを聞いたのです。まだ司祭にもなっていない、どころか神官になって間もないはずの男の言葉を」
トプルは悔し気に顔を歪め、拳で床を叩く。
「まるで悪夢を見ているようでした。許可もなく本教会の大聖堂に侵入してきた男に敵愾心を向けていた司祭たちが男に何かを言われたかと思うと、口々に「そうだ、この者こそ大司祭に相応しい」と言い出して。それを諫めようと近づいた者も男に何かを言われたかと思うと同じように男を大司祭にと推し始める。正直私には何が起きているのかわからなかった」
トプルはじっと床にある自身の拳を見つめる。
「その内に男は私の元へ来ると「お前がニルヴァニアだな?」と言い、私が頷くと他の司祭に指示を出して私を破門にしてジョカ山に捨て去ったのです」
そしてすでに魔物がうろつくようになっているジョカ山からなんとかここまで逃れてきた、ということらしい。
ジョカ山には着の身着のまま捨てられたと言うから、本当によく生きていたものだと思う。
「お話しはわかりました。しかし、何故こちらに?」
ルリアーナはトプルの話に感心しながらも気になったことを聞いてみた。
結果的に自分は彼のことを間接的に知っていたから助けることができたが、普通真っ先に王族の元を訪れるだろうか。
しかも司祭の位を剥奪され、破門までされた後だ。
この世界の唯一の宗教に破門されたということは、神に見放された存在になったということを意味する。
一般人ならまだしも、王族がそんな人間の言うことを信じるなどと考えるだろうか?
「実は私が破門される前日に届いたこちらの王太子妃様からいただいた質問書を拝見しておりまして。大司祭様に伺ったところ手紙に書かれていた古文書のこともご存知で、「有事の際には王家の力が必要になるから失礼のないように」と言付かっておりました。そのため、なにやら事情をご存知らしいこちらの王太子妃様ならば私の話でも信じていただけるのではと思って罷り越した次第です」
トプルはそう言ってその手紙を出した王太子妃本人であるルリアーナを見つめる。
「して、美しいお嬢様。できれば王太子妃様にも同様にご説明申し上げたいのですが、今どちらにいらっしゃいますか?」
「……ほぇっ!?」
なのにトプルが切羽詰まったように自分を見つめながらあまりにも素っ頓狂なことを言い出したので、ルリアーナも素っ頓狂な声を上げてしまう。
王太子妃って、え!?私ですけど?
もしかして自分は王太子妃に相応しい女性に見えなかったのだろうかと少し気落ちしたルリアーナがそう言う前に、
「そういえば伝えてなかったね。僕はこの国の王太子でヴァルト・ウィル・ロウ・ディア。そしてこちらが奥さんのルリアーナ・バールディ・ロウ・ディアだ」
ぷくくくくっ、と全く噛み殺し切れていない笑いと共にヴァルトが自分たちの正体を明かした。
どうやら自称でしかない司祭に自分たちが国の重要人物だと教えるわけにはいかなかったという事情があって正体を伏せていたようだが、そのせいでトプルがもの凄い勢いで土下座し出し、ルリアーナは必死に彼を宥める破目になった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

公爵令嬢は薬師を目指す~悪役令嬢ってなんですの?~【短編版】

ゆうの
ファンタジー
 公爵令嬢、ミネルヴァ・メディシスは時折夢に見る。「治癒の神力を授かることができなかった落ちこぼれのミネルヴァ・メディシス」が、婚約者である第一王子殿下と恋に落ちた男爵令嬢に毒を盛り、断罪される夢を。  ――しかし、夢から覚めたミネルヴァは、そのたびに、思うのだ。「医者の家系《メディシス》に生まれた自分がよりによって誰かに毒を盛るなんて真似をするはずがないのに」と。  これは、「治癒の神力」を授かれなかったミネルヴァが、それでもメディシスの人間たろうと努力した、その先の話。 ※ 様子見で(一応)短編として投稿します。反響次第では長編化しようかと(「その後」を含めて書きたいエピソードは山ほどある)。

悪役令嬢によればこの世界は乙女ゲームの世界らしい

斯波
ファンタジー
ブラック企業を辞退した私が卒業後に手に入れたのは無職の称号だった。不服そうな親の目から逃れるべく、喫茶店でパート情報を探そうとしたが暴走トラックに轢かれて人生を終えた――かと思ったら村人達に恐れられ、軟禁されている10歳の少女に転生していた。どうやら少女の強大すぎる魔法は村人達の恐怖の対象となったらしい。村人の気持ちも分からなくはないが、二度目の人生を小屋での軟禁生活で終わらせるつもりは毛頭ないので、逃げることにした。だが私には強すぎるステータスと『ポイント交換システム』がある!拠点をテントに決め、日々魔物を狩りながら自由気ままな冒険者を続けてたのだが……。 ※1.恋愛要素を含みますが、出てくるのが遅いのでご注意ください。 ※2.『悪役令嬢に転生したので断罪エンドまでぐーたら過ごしたい 王子がスパルタとか聞いてないんですけど!?』と同じ世界観・時間軸のお話ですが、こちらだけでもお楽しみいただけます。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

〘完〙前世を思い出したら悪役皇太子妃に転生してました!皇太子妃なんて罰ゲームでしかないので円満離婚をご所望です

hanakuro
恋愛
物語の始まりは、ガイアール帝国の皇太子と隣国カラマノ王国の王女との結婚式が行われためでたい日。 夫婦となった皇太子マリオンと皇太子妃エルメが初夜を迎えた時、エルメは前世を思い出す。 自著小説『悪役皇太子妃はただ皇太子の愛が欲しかっただけ・・』の悪役皇太子妃エルメに転生していることに気付く。何とか初夜から逃げ出し、混乱する頭を整理するエルメ。 すると皇太子の愛をいずれ現れる癒やしの乙女に奪われた自分が乙女に嫌がらせをして、それを知った皇太子に離婚され、追放されるというバッドエンドが待ち受けていることに気付く。 訪れる自分の未来を悟ったエルメの中にある想いが芽生える。 円満離婚して、示談金いっぱい貰って、市井でのんびり悠々自適に暮らそうと・・ しかし、エルメの思惑とは違い皇太子からは溺愛され、やがて現れた癒やしの乙女からは・・・ はたしてエルメは円満離婚して、のんびりハッピースローライフを送ることができるのか!?

転生者はチートな悪役令嬢になりました〜私を死なせた貴方を許しません〜

みおな
恋愛
 私が転生したのは、乙女ゲームの世界でした。何ですか?このライトノベル的な展開は。  しかも、転生先の悪役令嬢は公爵家の婚約者に冤罪をかけられて、処刑されてるじゃないですか。  冗談は顔だけにして下さい。元々、好きでもなかった婚約者に、何で殺されなきゃならないんですか!  わかりました。私が転生したのは、この悪役令嬢を「救う」ためなんですね?  それなら、ついでに公爵家との婚約も回避しましょう。おまけで貴方にも仕返しさせていただきますね?

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

悪役令嬢予定でしたが、無言でいたら、ヒロインがいつの間にか居なくなっていました

toyjoy11
恋愛
題名通りの内容。 一応、TSですが、主人公は元から性的思考がありませんので、問題無いと思います。 主人公、リース・マグノイア公爵令嬢は前世から寡黙な人物だった。その為、初っぱなの王子との喧嘩イベントをスルー。たった、それだけしか彼女はしていないのだが、自他共に関連する乙女ゲームや18禁ゲームのフラグがボキボキ折れまくった話。 完結済。ハッピーエンドです。 8/2からは閑話を書けたときに追加します。 ランクインさせて頂き、本当にありがとうございます(*- -)(*_ _)ペコリ お読み頂き本当にありがとうございます(*- -)(*_ _)ペコリ 応援、アドバイス、感想、お気に入り、しおり登録等とても有り難いです。 12/9の9時の投稿で一応完結と致します。 更新、お待たせして申し訳ありません。後は、落ち着いたら投稿します。 ありがとうございました!

誰からも愛されない悪役令嬢に転生したので、自由気ままに生きていきたいと思います。

木山楽斗
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢であるエルファリナに転生した私は、彼女のその境遇に対して深い悲しみを覚えていた。 彼女は、家族からも婚約者からも愛されていない。それどころか、その存在を疎まれているのだ。 こんな環境なら歪んでも仕方ない。そう思う程に、彼女の境遇は悲惨だったのである。 だが、彼女のように歪んでしまえば、ゲームと同じように罪を暴かれて牢屋に行くだけだ。 そのため、私は心を強く持つしかなかった。悲惨な結末を迎えないためにも、どんなに不当な扱いをされても、耐え抜くしかなかったのである。 そんな私に、解放される日がやって来た。 それは、ゲームの始まりである魔法学園入学の日だ。 全寮制の学園には、歪な家族は存在しない。 私は、自由を得たのである。 その自由を謳歌しながら、私は思っていた。 悲惨な境遇から必ず抜け出し、自由気ままに生きるのだと。

処理中です...