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アンナ編
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「いよいよね」
ルリアーナは王宮にある自室からジョカ山がある方角を見る。
流石にそこからでは山頂部分は見えないが、遠くの空の一部が黒く垂れ込めているのは確認できた。
「ようやくアンナちゃんとご対面、のはずなんだけど」
名前だけは知っている、あの空を元の青空に戻せるはずの少女は一体いつ現れるのか。
魔王復活の報せを受けてからすでに3ヶ月が経っているが、未だにその兆しはない。
彼女を召喚するというトーラン正教に問い合わせても「そんな事実はない」の一点張りで、皆目見当がつかないでいた。
「王族にも隠すなんて、一体どういうことなの…?」
どう使うかまでは聞いていなかったが、古文書に各国王家が所有するオーブが必要と書いてある以上、それを保持している王族に召喚の事実を隠し立てするのは得策ではない。
そう思っていたが、違うのだろうか。
ルリアーナは先頃届いたトーラン正教大司祭からの書状を見直す。
『当正教には経典が伝わるのみで古文書などは見たことがない。また、ジョカ山に封じられていた魔王については少数ながら資料にて伝わっているが、異世界から少女を召喚するなどという荒唐無稽な記載はどこにもない』
質問書を送ってからひと月も経ってから返されたその返書には簡潔にそれだけが記載されていた。
後半など若干「お前ふざけてんのか?」という怒りが見えるような言い様だ。
「まあ、普通はそう思うでしょうしね」
ルリアーナも前世の記憶がなければ信じられないような話だったので、そう言ってしまう大司祭の気持ちはわからないでもない。
だからそのことで大司祭にクレームをつけようという気はないが、しかしこれでは手助けのしようもないではないか。
ルリアーナは何度目になるかわからないため息を吐いた。
コンコンコン
「リア、いるかな?」
その時、部屋の扉が叩かれ、すぐに自分を呼ぶ声が聞こえる。
言わずもがなそれはこの国の王太子でありルリアーナの旦那様でもあるヴァルトの声だったので、「はぁい」と返事をしてドアに駆け寄った。
「こんな時間にいらっしゃるなんて、珍しいですね」
ドアを開け、数年前から自分よりも高くなってしまった顔を見上げれば、その顔は不思議な色を乗せていた。
それは王太子としての顔と旦那様としての顔を混ぜたような、なんとも中途半端なもので、
「うん、ちょっと、意見を聞きたくてね」
ヴァルトはその顔を曖昧なまま苦笑に変えた。
「お連れしました」
「通して」
場所を王宮のサロンに変え、ヴァルトと待っていると、侍女が1人の男を連れて来た。
その男はトーラン正教の司祭服を着ていたが、土汚れが目立つその姿は酷く草臥れている。
「この方は…?」
今自分の悩みの種となっているトーラン正教の関係者であるため、ルリアーナは戸惑いつつもヴァルトにその男の正体を訊ねる。
「トプル・ニルヴァニアという名前の、トーラン正教の元司祭だそうだよ」
「……元?」
「そう、元。但し、本来は今頃大司祭になっているはずだった人物らしい」
自称だけどね、と言ってヴァルトは薄汚れた司祭服の男に席を勧めた。
「いえ、今の私の恰好では徒に家具を汚してしまいます故、床で結構です」
しかしトプルはそれを固辞し、控えの侍女に汚れてもいい布を用意するよう願い出た。
侍女が「これでもよろしければ」と自身の腕に掛けていたアームタオルを差し出せば、「ありがとう」と礼を言い、それを床に広げて座った。
「トプル様、それではお身体に障るのでは」
ルリアーナは彼の行動に驚き、再度椅子を勧めたが、「協会では床に跪いて祈りますので慣れております」と言われてしまえばそれ以上は言えず、「見下ろす無礼をお許しくださいませ」と小さく頭を下げるに留めた。
この世界において、トーラン正教は唯一の宗教であり、その頂点に立つただ1人の大司祭は国王と同じ扱いをされ、その下に数人いる司祭は王子や王女と同じ扱いをされる。
つまり王太子であるヴァルトの方が司祭よりは位が上だが、王族に連なる公爵家出身の王太子妃であるルリアーナは王女と同じ扱いになるため、例え元であっても司祭の座にいたというトプルより位が上ということはない。
まして自称とはいえ、国王と同じ大司祭に手が届いていたかもしれない司祭だったと聞かされれば、扱いは丁寧になって当然だ。
「………ん?」
そう考えた時、ふと引っ掛かりを感じた。
「……んんん?」
「どうしたのリア」
一体何に、と思って頭を捻るが、ヴァルトに奇妙な目で見られただけで答えは得られない。
だが、それでもルリアーナは自分の思考を整理するために唸りながら考え続ける。
最近頭を悩ませているのはトーラン正教の大司祭からの手紙の返事。
そしてここにいるのは大司祭になるはずだったと自称するトプル・ニルヴァニアという男。
……ニルヴァニア?
「あああああー!!」
「うわっ!?」
「ど、どうなされたので!?」
引っ掛かりの正体に思い至り、ルリアーナは思わず大声を上げて立ち上がり、不作法にもトプルを指差してしまった。
ヴァルトもトプルも当然驚いてルリアーナに声を掛けるが、今はそれに答える余裕はない。
だって、だって、ニルヴァニアって。
アナスタシアちゃんが言っていた、アンナちゃんを引き取るはずの大司祭の名前じゃない!!
「なんで貴方が大司祭じゃないのよ!!?」
ルリアーナは礼儀も作法も気品も、王太子妃という仮面も全て脱ぎ捨ててトプルに詰め寄った。
「えーと、つまり、簡単にまとめると」
「権力争いに負けた、ってことでいいのかな?」
「はい。お恥ずかしながら…」
トプルはルリアーナの言葉に「貴女は私の話を信じてくださるのですね!」と感激しつつ、自分がここに至るまでの経緯を涙ながらに語った。
曰く、ある日突然「自分こそが大司祭に相応しい」と一人の若い神官が本教会に現れ、あれよあれよという間に周りの司祭や当時の大司祭を言いくるめてその座に収まったのだという。
「私は内々に前大司祭に次の大司祭になってくれと言われていましたが、そのことを知っているはずの者まで皆その男の言うことを聞いたのです。まだ司祭にもなっていない、どころか神官になって間もないはずの男の言葉を」
トプルは悔し気に顔を歪め、拳で床を叩く。
「まるで悪夢を見ているようでした。許可もなく本教会の大聖堂に侵入してきた男に敵愾心を向けていた司祭たちが男に何かを言われたかと思うと、口々に「そうだ、この者こそ大司祭に相応しい」と言い出して。それを諫めようと近づいた者も男に何かを言われたかと思うと同じように男を大司祭にと推し始める。正直私には何が起きているのかわからなかった」
トプルはじっと床にある自身の拳を見つめる。
「その内に男は私の元へ来ると「お前がニルヴァニアだな?」と言い、私が頷くと他の司祭に指示を出して私を破門にしてジョカ山に捨て去ったのです」
そしてすでに魔物がうろつくようになっているジョカ山からなんとかここまで逃れてきた、ということらしい。
ジョカ山には着の身着のまま捨てられたと言うから、本当によく生きていたものだと思う。
「お話しはわかりました。しかし、何故こちらに?」
ルリアーナはトプルの話に感心しながらも気になったことを聞いてみた。
結果的に自分は彼のことを間接的に知っていたから助けることができたが、普通真っ先に王族の元を訪れるだろうか。
しかも司祭の位を剥奪され、破門までされた後だ。
この世界の唯一の宗教に破門されたということは、神に見放された存在になったということを意味する。
一般人ならまだしも、王族がそんな人間の言うことを信じるなどと考えるだろうか?
「実は私が破門される前日に届いたこちらの王太子妃様からいただいた質問書を拝見しておりまして。大司祭様に伺ったところ手紙に書かれていた古文書のこともご存知で、「有事の際には王家の力が必要になるから失礼のないように」と言付かっておりました。そのため、なにやら事情をご存知らしいこちらの王太子妃様ならば私の話でも信じていただけるのではと思って罷り越した次第です」
トプルはそう言ってその手紙を出した王太子妃本人であるルリアーナを見つめる。
「して、美しいお嬢様。できれば王太子妃様にも同様にご説明申し上げたいのですが、今どちらにいらっしゃいますか?」
「……ほぇっ!?」
なのにトプルが切羽詰まったように自分を見つめながらあまりにも素っ頓狂なことを言い出したので、ルリアーナも素っ頓狂な声を上げてしまう。
王太子妃って、え!?私ですけど?
もしかして自分は王太子妃に相応しい女性に見えなかったのだろうかと少し気落ちしたルリアーナがそう言う前に、
「そういえば伝えてなかったね。僕はこの国の王太子でヴァルト・ウィル・ロウ・ディア。そしてこちらが奥さんのルリアーナ・バールディ・ロウ・ディアだ」
ぷくくくくっ、と全く噛み殺し切れていない笑いと共にヴァルトが自分たちの正体を明かした。
どうやら自称でしかない司祭に自分たちが国の重要人物だと教えるわけにはいかなかったという事情があって正体を伏せていたようだが、そのせいでトプルがもの凄い勢いで土下座し出し、ルリアーナは必死に彼を宥める破目になった。
ルリアーナは王宮にある自室からジョカ山がある方角を見る。
流石にそこからでは山頂部分は見えないが、遠くの空の一部が黒く垂れ込めているのは確認できた。
「ようやくアンナちゃんとご対面、のはずなんだけど」
名前だけは知っている、あの空を元の青空に戻せるはずの少女は一体いつ現れるのか。
魔王復活の報せを受けてからすでに3ヶ月が経っているが、未だにその兆しはない。
彼女を召喚するというトーラン正教に問い合わせても「そんな事実はない」の一点張りで、皆目見当がつかないでいた。
「王族にも隠すなんて、一体どういうことなの…?」
どう使うかまでは聞いていなかったが、古文書に各国王家が所有するオーブが必要と書いてある以上、それを保持している王族に召喚の事実を隠し立てするのは得策ではない。
そう思っていたが、違うのだろうか。
ルリアーナは先頃届いたトーラン正教大司祭からの書状を見直す。
『当正教には経典が伝わるのみで古文書などは見たことがない。また、ジョカ山に封じられていた魔王については少数ながら資料にて伝わっているが、異世界から少女を召喚するなどという荒唐無稽な記載はどこにもない』
質問書を送ってからひと月も経ってから返されたその返書には簡潔にそれだけが記載されていた。
後半など若干「お前ふざけてんのか?」という怒りが見えるような言い様だ。
「まあ、普通はそう思うでしょうしね」
ルリアーナも前世の記憶がなければ信じられないような話だったので、そう言ってしまう大司祭の気持ちはわからないでもない。
だからそのことで大司祭にクレームをつけようという気はないが、しかしこれでは手助けのしようもないではないか。
ルリアーナは何度目になるかわからないため息を吐いた。
コンコンコン
「リア、いるかな?」
その時、部屋の扉が叩かれ、すぐに自分を呼ぶ声が聞こえる。
言わずもがなそれはこの国の王太子でありルリアーナの旦那様でもあるヴァルトの声だったので、「はぁい」と返事をしてドアに駆け寄った。
「こんな時間にいらっしゃるなんて、珍しいですね」
ドアを開け、数年前から自分よりも高くなってしまった顔を見上げれば、その顔は不思議な色を乗せていた。
それは王太子としての顔と旦那様としての顔を混ぜたような、なんとも中途半端なもので、
「うん、ちょっと、意見を聞きたくてね」
ヴァルトはその顔を曖昧なまま苦笑に変えた。
「お連れしました」
「通して」
場所を王宮のサロンに変え、ヴァルトと待っていると、侍女が1人の男を連れて来た。
その男はトーラン正教の司祭服を着ていたが、土汚れが目立つその姿は酷く草臥れている。
「この方は…?」
今自分の悩みの種となっているトーラン正教の関係者であるため、ルリアーナは戸惑いつつもヴァルトにその男の正体を訊ねる。
「トプル・ニルヴァニアという名前の、トーラン正教の元司祭だそうだよ」
「……元?」
「そう、元。但し、本来は今頃大司祭になっているはずだった人物らしい」
自称だけどね、と言ってヴァルトは薄汚れた司祭服の男に席を勧めた。
「いえ、今の私の恰好では徒に家具を汚してしまいます故、床で結構です」
しかしトプルはそれを固辞し、控えの侍女に汚れてもいい布を用意するよう願い出た。
侍女が「これでもよろしければ」と自身の腕に掛けていたアームタオルを差し出せば、「ありがとう」と礼を言い、それを床に広げて座った。
「トプル様、それではお身体に障るのでは」
ルリアーナは彼の行動に驚き、再度椅子を勧めたが、「協会では床に跪いて祈りますので慣れております」と言われてしまえばそれ以上は言えず、「見下ろす無礼をお許しくださいませ」と小さく頭を下げるに留めた。
この世界において、トーラン正教は唯一の宗教であり、その頂点に立つただ1人の大司祭は国王と同じ扱いをされ、その下に数人いる司祭は王子や王女と同じ扱いをされる。
つまり王太子であるヴァルトの方が司祭よりは位が上だが、王族に連なる公爵家出身の王太子妃であるルリアーナは王女と同じ扱いになるため、例え元であっても司祭の座にいたというトプルより位が上ということはない。
まして自称とはいえ、国王と同じ大司祭に手が届いていたかもしれない司祭だったと聞かされれば、扱いは丁寧になって当然だ。
「………ん?」
そう考えた時、ふと引っ掛かりを感じた。
「……んんん?」
「どうしたのリア」
一体何に、と思って頭を捻るが、ヴァルトに奇妙な目で見られただけで答えは得られない。
だが、それでもルリアーナは自分の思考を整理するために唸りながら考え続ける。
最近頭を悩ませているのはトーラン正教の大司祭からの手紙の返事。
そしてここにいるのは大司祭になるはずだったと自称するトプル・ニルヴァニアという男。
……ニルヴァニア?
「あああああー!!」
「うわっ!?」
「ど、どうなされたので!?」
引っ掛かりの正体に思い至り、ルリアーナは思わず大声を上げて立ち上がり、不作法にもトプルを指差してしまった。
ヴァルトもトプルも当然驚いてルリアーナに声を掛けるが、今はそれに答える余裕はない。
だって、だって、ニルヴァニアって。
アナスタシアちゃんが言っていた、アンナちゃんを引き取るはずの大司祭の名前じゃない!!
「なんで貴方が大司祭じゃないのよ!!?」
ルリアーナは礼儀も作法も気品も、王太子妃という仮面も全て脱ぎ捨ててトプルに詰め寄った。
「えーと、つまり、簡単にまとめると」
「権力争いに負けた、ってことでいいのかな?」
「はい。お恥ずかしながら…」
トプルはルリアーナの言葉に「貴女は私の話を信じてくださるのですね!」と感激しつつ、自分がここに至るまでの経緯を涙ながらに語った。
曰く、ある日突然「自分こそが大司祭に相応しい」と一人の若い神官が本教会に現れ、あれよあれよという間に周りの司祭や当時の大司祭を言いくるめてその座に収まったのだという。
「私は内々に前大司祭に次の大司祭になってくれと言われていましたが、そのことを知っているはずの者まで皆その男の言うことを聞いたのです。まだ司祭にもなっていない、どころか神官になって間もないはずの男の言葉を」
トプルは悔し気に顔を歪め、拳で床を叩く。
「まるで悪夢を見ているようでした。許可もなく本教会の大聖堂に侵入してきた男に敵愾心を向けていた司祭たちが男に何かを言われたかと思うと、口々に「そうだ、この者こそ大司祭に相応しい」と言い出して。それを諫めようと近づいた者も男に何かを言われたかと思うと同じように男を大司祭にと推し始める。正直私には何が起きているのかわからなかった」
トプルはじっと床にある自身の拳を見つめる。
「その内に男は私の元へ来ると「お前がニルヴァニアだな?」と言い、私が頷くと他の司祭に指示を出して私を破門にしてジョカ山に捨て去ったのです」
そしてすでに魔物がうろつくようになっているジョカ山からなんとかここまで逃れてきた、ということらしい。
ジョカ山には着の身着のまま捨てられたと言うから、本当によく生きていたものだと思う。
「お話しはわかりました。しかし、何故こちらに?」
ルリアーナはトプルの話に感心しながらも気になったことを聞いてみた。
結果的に自分は彼のことを間接的に知っていたから助けることができたが、普通真っ先に王族の元を訪れるだろうか。
しかも司祭の位を剥奪され、破門までされた後だ。
この世界の唯一の宗教に破門されたということは、神に見放された存在になったということを意味する。
一般人ならまだしも、王族がそんな人間の言うことを信じるなどと考えるだろうか?
「実は私が破門される前日に届いたこちらの王太子妃様からいただいた質問書を拝見しておりまして。大司祭様に伺ったところ手紙に書かれていた古文書のこともご存知で、「有事の際には王家の力が必要になるから失礼のないように」と言付かっておりました。そのため、なにやら事情をご存知らしいこちらの王太子妃様ならば私の話でも信じていただけるのではと思って罷り越した次第です」
トプルはそう言ってその手紙を出した王太子妃本人であるルリアーナを見つめる。
「して、美しいお嬢様。できれば王太子妃様にも同様にご説明申し上げたいのですが、今どちらにいらっしゃいますか?」
「……ほぇっ!?」
なのにトプルが切羽詰まったように自分を見つめながらあまりにも素っ頓狂なことを言い出したので、ルリアーナも素っ頓狂な声を上げてしまう。
王太子妃って、え!?私ですけど?
もしかして自分は王太子妃に相応しい女性に見えなかったのだろうかと少し気落ちしたルリアーナがそう言う前に、
「そういえば伝えてなかったね。僕はこの国の王太子でヴァルト・ウィル・ロウ・ディア。そしてこちらが奥さんのルリアーナ・バールディ・ロウ・ディアだ」
ぷくくくくっ、と全く噛み殺し切れていない笑いと共にヴァルトが自分たちの正体を明かした。
どうやら自称でしかない司祭に自分たちが国の重要人物だと教えるわけにはいかなかったという事情があって正体を伏せていたようだが、そのせいでトプルがもの凄い勢いで土下座し出し、ルリアーナは必死に彼を宥める破目になった。
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