上 下
1 / 8

暴言の婚約者

しおりを挟む


 柔らかな昼間の光が差し込む、広い部屋の一室で。



「…君の手は、こんなに小さかったんだな」


 冷たい手に優しく握りしめられた私の手は、確かに彼のものよりもかなり小さかった。


「そして温かい」


 
その優美な白い手は、少し骨ばっていてまるで日陰に眠る猫の背中のようにひんやりとしている。
 


「…こんな事も、俺は知らなかったんだな」


 溜息のような長い息を吐くと、レオンは目を閉じて少し辛そうに眉根を寄せる。
 私は、その彼の手を握り返すことは無かったけれど。



「…今知ることが出来たので良かったでしょう?」


 そう言うと彼は、微笑んだ。
















 ディアとレオンは、六歳の頃に家同士の都合で婚約を結んだ。出会った時のことをディアは未だに鮮明に覚えている。
 、レオンの言葉を。





『ブス!なんでお前なんかと俺がけっこんしなくちゃいけないんだ!!』




 公爵家のそれはそれは見事な春の庭園での出来事。
 咲き誇る色とりどりの薔薇の中で黄金色のサラサラの坊ちゃん刈りに、強い意志を秘めた青い宝石のような瞳が煌めいて。その時に着ていた白いよそ行きの服も相まって天使のようにしか見えなかった少年の口から出てきた、怒鳴り声と汚い言葉。
 あまりの出来事に、当時のディアは薄茶色の大きな瞳をさらに大きく見開いた。



『ブス!すんげえブス!それ以上近寄んなよ!ブス』



 ブス、と三回も続けざまに連呼され言い返す事も出来ないまま。ディアは涙目になってショックでふらつきながらも、レオンの父親と話していた父の元に戻り、あんな人との婚約なんて嫌だと泣きながら大いに騒いだ。

 勿論、大人同士の取り決めなので子供の些細な喧嘩など、婚約解消にはちっとも繋がらなかったけれど。
 そんなことのせいでディアはレオンに苦手意識を持ってしまったのだった。




 ディアは『ブス』なんて呼ばれるほど酷い顔をしている訳では無い。(薄茶色の目と髪の色はこの国では確かに少し地味ではあるけど)
 初めて出来た異性の友達─というか婚約者に、挨拶をした途端に罵声を浴びせられるなんて勿論思ってもみなかった。
 結局この出来事のせいで、その後のディアはレオンだけでなく男性が全般的に怖くなり、それは年齢が上がっていっても全く改善されることは無く今に至る。

 それはそうなのだ。だってレオンの性格もまた変動しなかったから。上から目線で、嫌な事が少しでもあると怒鳴り散らし、嫌味を言う。しかも、親の目がない時にだけ。それは十年という長い年月だった。

 婚約者同士の親睦として会う度に、つっけんどんなレオンに嫌な事を言われ続けた。



「…はあ。何故毎週こうやって会いにこないといけないんだ?」
(それは交流をしろとお互いの親に決定されているもので、私の意思ではどうにもできないんですけど)

「女なんて面倒くさいのに何でよりによってお前なんかと」
(こっちからしてみたら貴方の方が面倒臭いんですけど?)

「その服の色とか形、お前に全然似合わない」
(…全部色に揃えられてんだから仕方ないでしょ!)
 

 そんなことを言われ続ければ、最初の暴言からマイナスだった印象はどんどんと悪くなり、ディアの中には抱えきれない程の負の感情が募ってゆく。
 大体、ディアのことを『ブス』などと形容するのはレオンくらいしかいなかった。家族も親戚には可愛いくて賢いと褒められ、学園の友達には家柄も器量も良しとされているのだ。多くはディアをそんな風に認めてくれているのにたった一人、レオンだけ。

 年齢が上がれば、女性に対して如何に失礼なことを言っているのかという事を理解してくるだろうに、言い続けている時点でなんだこの人、性格悪っ!となってくる。

 そして。





「なんでお前みたいなブスと俺が…」
「私だって貴方みたいなナルシストのキモ男なんて嫌よ!!」



 ある日のお茶会。

 いつもの様に外見を貶され、大袈裟なため息をつかれ、嫌そうに悪態をつくレオンへとそう反射的に言った瞬間に、ディアはあっ、と口元を押さえた。

 心の中での本音のつぶやきが思わずもれ出してしまった瞬間だった。
 十年間我慢していたものがせき止められずに出てしまった。そして一度出てしまったものはもう止めようがない。レオンはその形の良い目を大きくして驚いたようにこちらを見ているが、もう知ったこっちゃない。



「なっ…!」
「大体婚約は政略的なものなのに、一方的に私があなたを好きで選んだみたいな認識間違えも甚だしい考え方辞めてくださる?どう考えてもこっちが被害者です!何故あなたみたいな顔しか取り柄がない男に嫁がなきゃいけないわけです?
 そんなに婚約辞めたいなら私じゃなくあなたの親か私の親に言ってくださいませ!分かりましたか?!失礼するわ。ごめんあそばせ!!!」






 その言葉を聞いたレオンは、魚のように口をパクパクさせて、それはそれは面白い顔をしていたが、ふん!とディアは顔を逸らすと肩を怒らせながら退室したのだった。










しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

さよなら私の愛しい人

ペン子
恋愛
由緒正しき大店の一人娘ミラは、結婚して3年となる夫エドモンに毛嫌いされている。二人は親によって決められた政略結婚だったが、ミラは彼を愛してしまったのだ。邪険に扱われる事に慣れてしまったある日、エドモンの口にした一言によって、崩壊寸前の心はいとも簡単に砕け散った。「お前のような役立たずは、死んでしまえ」そしてミラは、自らの最期に向けて動き出していく。 ※5月30日無事完結しました。応援ありがとうございます! ※小説家になろう様にも別名義で掲載してます。

離婚します!~王妃の地位を捨てて、苦しむ人達を助けてたら……?!~

琴葉悠
恋愛
エイリーンは聖女にしてローグ王国王妃。 だったが、夫であるボーフォートが自分がいない間に女性といちゃついている事実に耐えきれず、また異世界からきた若い女ともいちゃついていると言うことを聞き、離婚を宣言、紙を書いて一人荒廃しているという国「真祖の国」へと向かう。 実際荒廃している「真祖の国」を目の当たりにして決意をする。

私と結婚したいなら、側室を迎えて下さい!

Kouei
恋愛
ルキシロン王国 アルディアス・エルサトーレ・ルキシロン王太子とメリンダ・シュプリーティス公爵令嬢との成婚式まで一か月足らずとなった。 そんな時、メリンダが原因不明の高熱で昏睡状態に陥る。 病状が落ち着き目を覚ましたメリンダは、婚約者であるアルディアスを全身で拒んだ。 そして結婚に関して、ある条件を出した。 『第一に私たちは白い結婚である事、第二に側室を迎える事』 愛し合っていたはずなのに、なぜそんな条件を言い出したのか分からないアルディアスは ただただ戸惑うばかり。 二人は無事、成婚式を迎える事ができるのだろうか…? ※性描写はありませんが、それを思わせる表現があります。  苦手な方はご注意下さい。 ※この作品は、他投稿サイトにも公開しています。

父が再婚してから酷い目に遭いましたが、最終的に皆罪人にして差し上げました

四季
恋愛
母親が亡くなり、父親に新しい妻が来てからというもの、私はいじめられ続けた。 だが、ただいじめられただけで終わる私ではない……!

拝啓 お顔もお名前も存じ上げない婚約者様

オケラ
恋愛
15歳のユアは上流貴族のお嬢様。自然とたわむれるのが大好きな女の子で、毎日山で植物を愛でている。しかし、こうして自由に過ごせるのもあと半年だけ。16歳になると正式に結婚することが決まっている。彼女には生まれた時から婚約者がいるが、まだ一度も会ったことがない。名前も知らないのは幼き日の彼女のわがままが原因で……。半年後に結婚を控える中、彼女は山の中でとある殿方と出会い……。

旦那様は私より幼馴染みを溺愛しています。

香取鞠里
恋愛
旦那様はいつも幼馴染みばかり優遇している。 疑いの目では見ていたが、違うと思い込んでいた。 そんな時、二人きりで激しく愛し合っているところを目にしてしまった!?

さようなら婚約者。お幸せに

四季
恋愛
絶世の美女とも言われるエリアナ・フェン・クロロヴィレには、ラスクという婚約者がいるのだが……。 ※2021.2.9 執筆

婚約者は幼馴染みを選ぶようです。

香取鞠里
恋愛
婚約者のハクトには過去に怪我を負わせたことで体が不自由になってしまった幼馴染がいる。 結婚式が近づいたある日、ハクトはエリーに土下座して婚約破棄を申し出た。 ショックではあったが、ハクトの事情を聞いて婚約破棄を受け入れるエリー。 空元気で過ごす中、エリーはハクトの弟のジャックと出会う。 ジャックは遊び人として有名だったが、ハクトのことで親身に話を聞いて慰めてくれる。 ジャックと良い雰囲気になってきたところで、幼馴染みに騙されていたとハクトにエリーは復縁を迫られるが……。

処理中です...