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暴言の婚約者
しおりを挟む柔らかな昼間の光が差し込む、広い部屋の一室で。
「…君の手は、こんなに小さかったんだな」
冷たい手に優しく握りしめられた私の手は、確かに彼のものよりもかなり小さかった。
「そして温かい」
その優美な白い手は、少し骨ばっていてまるで日陰に眠る猫の背中のようにひんやりとしている。
「…こんな事も、俺は知らなかったんだな」
溜息のような長い息を吐くと、レオンは目を閉じて少し辛そうに眉根を寄せる。
私は、その彼の手を握り返すことは無かったけれど。
「…今知ることが出来たので良かったでしょう?」
そう言うと彼は、微笑んだ。
ディアとレオンは、六歳の頃に家同士の都合で婚約を結んだ。出会った時のことをディアは未だに鮮明に覚えている。
正確に言えば、レオンの言葉を。
『ブス!なんでお前なんかと俺がけっこんしなくちゃいけないんだ!なんでこんな時に…!』
公爵家のそれはそれは見事な春の庭園での出来事。
咲き誇る色とりどりの薔薇の中で黄金色のサラサラの坊ちゃん刈りに、強い意志を秘めた青い宝石のような瞳が煌めいて。その時に着ていた白いよそ行きの服も相まって天使のようにしか見えなかった少年の口から出てきた、怒鳴り声と汚い言葉。
あまりの出来事に、当時のディアは薄茶色の大きな瞳をさらに大きく見開いた。
『ブス!すんげえブス!それ以上近寄んなよ!ブス』
ブス、と三回も続けざまに連呼され言い返す事も出来ないまま。ディアは涙目になってショックでふらつきながらも、レオンの父親と話していた父の元に戻り、あんな人との婚約なんて嫌だと泣きながら大いに騒いだ。
勿論、大人同士の取り決めなので子供の些細な喧嘩など、婚約解消にはちっとも繋がらなかったけれど。
そんなことのせいでディアはレオンに苦手意識を持ってしまったのだった。
ディアは『ブス』なんて呼ばれるほど酷い顔をしている訳では無い。(薄茶色の目と髪の色はこの国では確かに少し地味ではあるけど)
初めて出来た異性の友達─というか婚約者に、挨拶をした途端に罵声を浴びせられるなんて勿論思ってもみなかった。
結局この出来事のせいで、その後のディアはレオンだけでなく男性が全般的に怖くなり、それは年齢が上がっていっても全く改善されることは無く今に至る。
それはそうなのだ。だってレオンの性格もまた変動しなかったから。上から目線で、嫌な事が少しでもあると怒鳴り散らし、嫌味を言う。しかも、親の目がない時にだけ。それは十年という長い年月だった。
婚約者同士の親睦として会う度に、つっけんどんなレオンに嫌な事を言われ続けた。
「…はあ。何故毎週こうやって会いにこないといけないんだ?」
(それは交流をしろとお互いの親に決定されているもので、私の意思ではどうにもできないんですけど)
「女なんて面倒くさいのに何でよりによってお前なんかと」
(こっちからしてみたら貴方の方が面倒臭いんですけど?)
「その服の色とか形、お前に全然似合わない」
(…全部あなた色に揃えられてんだから仕方ないでしょ!)
そんなことを言われ続ければ、最初の暴言からマイナスだった印象はどんどんと悪くなり、ディアの中には抱えきれない程の負の感情が募ってゆく。
大体、ディアのことを『ブス』などと形容するのはレオンくらいしかいなかった。家族も親戚には可愛いくて賢いと褒められ、学園の友達には家柄も器量も良しとされているのだ。多くはディアをそんな風に認めてくれているのにたった一人、レオンだけ。
年齢が上がれば、女性に対して如何に失礼なことを言っているのかという事を理解してくるだろうに、言い続けている時点でなんだこの人、性格悪っ!となってくる。
そして。
「なんでお前みたいなブスと俺が…」
「私だって貴方みたいなナルシストのキモ男なんて嫌よ!!」
ある日のお茶会。
いつもの様に外見を貶され、大袈裟なため息をつかれ、嫌そうに悪態をつくレオンへとそう反射的に言った瞬間に、ディアはあっ、と口元を押さえた。
心の中での本音のつぶやきが思わずもれ出してしまった瞬間だった。
十年間我慢していたものがせき止められずに出てしまった。そして一度出てしまったものはもう止めようがない。レオンはその形の良い目を大きくして驚いたようにこちらを見ているが、もう知ったこっちゃない。
「なっ…!」
「大体婚約は政略的なものなのに、一方的に私があなたを好きで選んだみたいな認識間違えも甚だしい考え方辞めてくださる?どう考えてもこっちが被害者です!何故あなたみたいな顔しか取り柄がない男に嫁がなきゃいけないわけです?
そんなに婚約辞めたいなら私じゃなくあなたの親か私の親に言ってくださいませ!分かりましたか?!失礼するわ。ごめんあそばせ!!!」
その言葉を聞いたレオンは、魚のように口をパクパクさせて、それはそれは面白い顔をしていたが、ふん!とディアは顔を逸らすと肩を怒らせながら退室したのだった。
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