背中越しの恋

雨宮 瑞樹

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揺れる気持ち

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暗い下駄箱の昇降口の扉を抜けると、雲一つない青空と眩い日差しが唯を受け入れた。
太陽を掌で避け、目を細めながら地面に目をやれば、亮の影が見えた。
唯を待っていたのか、亮は唯が来るのを確認すると、学校の外へと影が動いていく。
その陰を唯が追えば、亮の皺くちゃになった制服のワイシャツ。
手を伸ばしても届かない、少し遠くにある亮の背中は太陽の光を浴びて眩しいくらい白かった。
いつの間にこんなに背中が大きくなったんだろう。
ずっと一緒にいたはずなのに、気づかなかった。
ぼんやりそんなことを思いながら、亮の揺れる背中を見つめながらかけるべく言葉を探そうとするが、数分前のやり取りが頭に浮かぶ言葉を一つ一つ踏み潰されていった。

あの時は三咲から逃れたくて、居たたまれなくて、あの場で救い上げてくれた亮と秋田の力を借りて、流されるように亮のところへ来てしまったけれど。
これでよかったのだろうか?
あの時自分ができたことは?と思い返してみる。
できたことといえば、はほんの少しの勇気を出した抵抗。ただそれだけだ。
自分一人の力だけじゃ、事態を悪化させるだけで、あの場を収めることも、決着をつけることも、できなかった。
亮の手は借りずにいようと決めていたのに。
誰の力も頼らずに自分で何とかしようと、覚悟していたはずなのに。
結局、どうすることもできず、亮の手を掴んで、逃げてくることしかできなかった。
それに比べて、三咲は違う。
彼女は、流されることなく自分の意志をもってあの場にしっかりと立っていた。
たとえ、それが突然のことだとしても、そんなこと気にも留めず、どんな時でもどんな場所でも、彼女は思い切りぶつかり立ち向かうことができる。
強く立ち向かうことで、彼女は自分なりの答えを見出すことができる力を持っている。きっと彼女は転んでも何かを掴んで立ち上がるのだろう。
それに引き換え私は…。いつまでたっても、一人立ちできない。
亮や周りの人に助けれられてばかり。
その上、こうやっていつまでたってもウジウジ考えて、情けない自分に落胆して。
結局、自分の手の中には何一つ残っていないのだ。
こんな不甲斐ない私だから、三咲にあんな風に嫌悪の目で見られても仕方がないんじゃないかと思う。
沈んでいく気持ちと痛いくらいの太陽の光の下で、唯は肩を落とし大きくため息をついた。

校門をくぐり抜けたところで、唯の足は立ち止まった。
それに気付いた亮も一緒に足を止める。
そして、「行くぞ。」と、亮は顔だけをこちらに向けて、いつものいたずらっぽい顔を向けた。
その明るさにどう答えていいのかわからず、唯は思わず顔を逸らすと
「どうせ、お前のことだから余計なことばっか考えてんだろ。
まぁ、その顔だと一人で何とかするはずだったのにとか。そんなとこだろ?」
亮に隠しておきたい内側を晒されて、弾けるように顔を上げて亮の顔を凝視すると、
「お見通しなんだよ。」
という呟きと共に亮の顔が翳るようにを見えた。
唯は胸に鈍い痛みが走るのを感じて眉を潜めた。
私は亮にそんな顔させたいわけじゃない。
その顔を見て強く思う。
やっぱり、私は隣にいるべきじゃない。
いるべきじゃないのよ。
「私なんかのことで、亮を色々悩ませたくない。
今回のことで、よくわかったことがあるの。」
唯は、顔を空に向けて、深呼吸するように息を吸うと思い切り吐き出した。
本当は亮の目をしっかりと見ながら、話すべきことなんだろうと思う。
けれど、どうしても亮を見ることができず、今潜り抜けた門に視線を移した。
錆びついて塗装が剥がれ落ちているザラザラした手触りの校門を撫でる。
何度、こうやって亮と一緒に門をくぐったんだろう。
幼稚園、小学校、中学校、高校…。
数えきれないほど、一緒に門を通り抜けた。
ずっと変わらないと思っていた。
当たり前のようにそんな日が、ずっと続いていくと思っていた。
亮と出会い、静かに流れ落ちていた砂時計は、いつの間にか落ちきっていた。
残ったのは、空っぽの透き通ったガラスと、長い間降り積もった砂の山。
触れれば、あっという間に崩れ落ちる無数の砂粒。
軽くて脆いただの砂山だけれど、その一粒一粒に、亮との日々が確かに色づき、輝いていた。
喧嘩して、笑って、怒って、泣いて。
色鮮やかに甦る降り積もった日々。
上下ひっくり返せば、また何事もなかったように動き出すだろう。
その時は、この砂は輝きの色を失わず動きだしてくれるだろうか。
不安は過る。
けれど、例え色のない世界が待っていたとしても、動き出すべき時はきたのだ。

唯はいつもより高く明るい声で、笑顔を見せながら
「私は、まだまだ子供で、もっとしっかりしなきゃダメなんだって気付いたの。
亮を始め、いろんな人に、自分の想像以上に、寄りかかって、甘えてたんだよね。
人に頼り切ってばっかりだったから、これまで甘やかされてきたから、自分一人じゃ何にもできないんだって、痛感したわ。
だから…さ。亮の傍にいると、どうしても頼っちゃったりするからちょっと距離…自分のためにも亮のためにもとった方がいいと思ったの。」
そう話している間、不意に本当にこれでいいのかという抵抗が唯に激しく沸き立った。
これで、本当にいいの?
後悔はしないの?
内なる声は、強く感情的に訴えてくる。
でも、もう、立ち止まれないのよ。
立ち止まっちゃいけないの。
そう言い聞かせて続ける。
「それに、ほら、亮のこと好きだっていう子たくさんいるじゃない?やっぱり、私はただの幼馴染だけど、それでもいつも行きも帰りもいつも一緒だとみんな遠慮しちゃうっていうのあるでしょ?だから、これから別々にしよう。
あと、休みの日も出かけるのもなし。連絡も極力なし。うん。そうしよう。
それがあるべき姿よ。」

感情に無理矢理蓋をすれば、口は勝手に次から次へと滑らかに動いた。
それでいい。
現実を直視すべき時に、感情なんていらない。
唯は、くるりと亮に背中を向け校門の向こう側の校舎を見上げた。
「今までが、おかしかったのよね。
なんだか、小さいころからずっと一緒だと、周りの人達からどう見られているかとか、よくわからなくなっちゃうのかもしれないね。だから。これからは、私のことは気にしないでいいからね。降りかかってきた火の粉は自分でどうにかするからさ。心配しないで。
私も少しくらい成長しないとね。」
一気にいい終えると、唯は心を凍らせた。
何も感じないように。溶けないように。
殻に閉じこもるように胸の前で腕を組み、俯いた。

亮は深く息ため息をついて、こうなると梃子でも動かねぇんだよなという呟きと共に、身体を唯の方へ向け数メートルあった二人の距離をゆっくり詰めていく。

「…お前も、バカだな。……ま、俺も大概バカだけどさ。」
そういいながら、亮は自嘲の笑いを含ませながら、唯の真後ろに辿りつく。
その場で歩みを止めるかと思いきや、亮は唯の正面に回り込んできた。
びっくりして、唯は顔を上げると、亮の黒い瞳に唯をしっかりと映し出されていた。
「なぁ、唯。俺たちって、何をそんなに気にしてるんだろうな。
周りの目とか、普通はこうだからっていう常識とか、そんなのばっかり目がいってさ。
肝心の俺たち自身に神経が行きわたってないと思わないか?
色んな雑音にかき消されて、自分の声が聞こえてこない。」
亮の言葉に、唯の相貌が揺れた。
それでも、動かない頑なな態度の唯に、これだけ言ってもわかんないのかと亮は少しムッとした顔を曇らせた。
「あと、唯は俺のこと勝手だっていうけど、お前も人のこと言えないと思うぜ。俺のためとか、言っているけど、さっきから聞いてたら自分のことばっかりだ。
…人のことを考えてるようで、考えてない。勝手に自分で答え出してるだけだ。」
「……そんなことない!私は、亮のことを考えて出した結果よ。」
「なら、さっきの言い分に俺の思いの一片でも入っていたか?俺の考えを汲み取ってくれたていたか?なかっただろ?全部唯の独りよがりだ。」
亮は声を荒げはしないものの、そこには確かな怒りを滲ませていたが、我に返ったのか「悪い。ちょっと、感情的になった。」と、詫びた。
唯は無表情にその場に立ち尽くし、黙りこくった。
清々しい青空とは対照的な重苦しい空気が二人を包む。
小鳥たちのさえずりさえも、唯には耳障りな不協和音にしか聞こえなかった。


亮は大袈裟に溜め息をつく。
そして、やれやれと左手で頭をかくと
「ともかく。今は、余計なことを何も考えず付き合ってもらうぜ。」
そういって、亮の右手は唯の組まれていた左腕を掴むとその手を握り引っ張られた。
亮の唐突な行動に驚いて、唯は亮をみる。
だが、ちょうど亮が背を向けた時で顔はよく見えなかった。
唯は、握られた手をほどこうと上下に振るが、唯の左手は思う以上に力強く握られていてそれは叶わなかった。
諦めて腕の力を緩めれば、じわりと亮の強さと優しさがその手から伝わってくるようで、唯はぎゅっと胸を掴まれたように苦しかった。
不安定に揺れる心は、何も答えを見出すことができないまま。
でも、繋がれた手だけは確かな意志と答えが宿っているようだった。


唯は半ば強引に手を引っ張られる形で、学校を離れていく。
時折、同じ制服を着た生徒が二人の姿を見て目を丸くしているが、亮は気にとめることなかった。
亮はしっかりとした足取りで、唯は亮に導かれるがまま、駅へと向かっていった。

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