30 / 44
それぞれの答え2
しおりを挟む彩芽が残業を終えて、仕事の紙袋を下げて新宿駅へ向かう。時刻は二十二時少し前。
今日は、店頭で客とアルバイト従業員間で問題が起き、その仲裁に入ってすっかり時間をとられてしまった。相手は、ブラックリスト入りしている客で、松越屋では有名クレーマー。いろいろな店頭を回っては、クレームをつけて、社員を呼べ、責任者を呼べと叫んでくる。クレーム対応には、多少なりとも慣れてはきたものの、やはりストレスには変わりない。ここ最近の忙しさも、冷たい風のせいか身に染みる。
電車へ乗り込み、職場から離れていくほど、忘れていた空腹が舞い戻ってきていた。お腹がグーっと鳴る。この時間だと、陽斗はとっくに夕飯を済ませていることだろう。今から、どこかの店に入る元気もない。自宅駅前のコンビニでお弁当でも買って帰ろうか。考えてみれば、そんな日々の雑雑としたことに追われることがなかったのは、全部母のお陰だったのだと、痛感する。やはり、ずっと実家暮らしというのは、甘えが出てしまってよくないのだなと、今更ながら反省する。
そうこうしているうちに最寄り駅に到着。そういえば、スマホをチェックしていなかったなと画面を灯すと、陽斗メッセージが入っていた。時間的に、仕事を終えてすぐくらいだろう。それを確認すれば、思い悩んでいた問題はきれいに解消されていた。彩芽は微笑み、家路を急いだ。
玄関のドアを押すと、ふわっといい香りが漂った。
ただいまの代わりに「いい匂い」と、溢れてしまう。すると、キッチンに立っていた陽斗の口からも、お帰りではなく「また、仕事持ち帰ってきたのかよ」と、実家にいたときよりも、口煩い挨拶が返ってきていた。
面倒くさいなと思いながらも、にやついてしまうのは、幸せだと感じている証拠なのだろう。
「今回は、この前みたいな試食地獄じゃなくて、一つだけね。昨日お母さんたちに指摘されたことを伝えたら、関口君が、それならこれがいいって教えてくれたの。やっぱり、専門家は凄いね」
「ということは、ぎくしゃくは解消されたのか」
「お蔭様で」
すっきりした笑顔でそういう彩芽に「それなら、よかった」と、言いながらテキパキ作業をしている陽斗。そこから、とてつもなくいい香りが漂う。吸い寄せられそうになったところで、陽斗は「もう遅いし、早く食べろよ」といいながら、お盆に乗せられたご飯がほわほわと湯気を立てながら、ダイニングテーブルに置かれた。
サラダ、野菜たっぷりみそ汁、ロールキャベツ、つやつやの白米が乗っている。
「うわーおいしそう! 陽斗が、ご飯作れる人だったなんて、本当に意外。ずっと一緒にいたけど、未だに知らないところもあるものなんだね」
「俺は、彩芽のことは全部わかってるけどな」
「じゃあ、私が洗濯物に拘りがあるの知ってる? 洗濯物回すときは、タオルと洋服は別々にするのは、鉄則。干す順番も、もちろん決まってるんだから」
「へぇ。大雑把な彩芽がそんなことをするとは」
大雑把というのは、余計よと言いながらも、彩芽は上機嫌のまま、ふふんと鼻を鳴らした。
「でしょ? お互いの知ってると思っていても、実は知らなかったこといっぱい、あるかもしれないね」
彩芽は、そういってニコニコしながら席に座る。陽斗もつられて笑いながら向かいの席に座った。
「では、有り難くいただきます」
ロールキャベツはトマト味になっていて、いい香りを漂わせている。空腹を助長させてくる一番の大物へ、彩芽は一番に口へ運んだ。濃厚な味わいが、口の中に肉汁と一緒にじゅわっと広がって、身体中に幸福感がめぐっていく。「おいしい!」大袈裟ではなく、本当に身体が叫んでいた。そんな彩芽の反応に陽斗は、得意気になる。
「食は日々の血肉になる。バランスよく食べないと、うまく身体は動かなくなる……って、昔教わったサッカーコーチの受け売り。料理は、気分転換にもなるし、嫌いじゃない」
「じゃあ、日々の担当は、陽斗が食事係で、私は洗濯係。これが基本で、あとはお互いの仕事の忙しさに応じて、臨機応変に対応するということで、どう?」
「異議なし」
彩芽はよしと頷いて、満足そうに、白米へと手を伸ばしていく。
陽斗は、彩芽の空腹が落ち着いたところを見計らって、実はだいぶ引っかかっているところへ意識を伸ばした。
「で? その関口とかいう奴にちゃんと、言うこと言ってきたのか?」
「陽斗に言われた通り、ちゃん話してきたよ」
彩芽は、咀嚼しながら、関口もすっきりした顔をしていたし、これまで通りになったことをありのままに話して聞かせた。すべて話し終える頃には、お皿に乗っていた食事は、綺麗に空になっていた。
「ご馳走様でした」
本当においしかったと、笑いながら彩芽が食器を運びに席を立ち、食器と食器がぶつかる音が響く。
それを聞きながら、陽斗は頬杖をついて「何だよ、そいつ」と不貞腐れていた。
その発言は、完全に宣戦布告とみて間違いないと思う。こっちの優しさでアドバイスしたのが、裏目に出てしまった。これは、早々に虫除けが必要だ。
本当なら台場に行った時、渡しそびれたネックレスと一緒に指輪もと一瞬頭を掠めたが、そんなに急ぐことはないかと延期していた。だが、やっぱり渡しておくべきだったのかもしれない。隙だらけの彩芽に、虫除けは必需品だ。
そんなことを考えていると片付け終えた彩芽が、自分の鞄をごそごそ漁りなら「何、拗ねてるのよ」と、こういうときばかり目敏く変化に気づく彩芽が言ってくる。
これを説明してしまえば、また彩芽は自意識過剰になって、職場でうまくいかなくなるだろう。本当のことを伝えるのは、控えるしかない。だが、何かムカつく。
「何でもない」
「ふーん。そうは見えないけど」
「やっぱり、彩芽は鈍感だなと再認識してるところ」
「なんですって?」
彩芽の目が一気に吊り上がらせて、精一杯このもやもやに蓋をしていく。すると、むくれた彩芽はノートパソコンを片手に、再び陽斗の前に座って電源を入れ始めていた。彩芽は先ほどの怒りを溜息に変えているところに、陽斗が水を差した。
「まだ仕事するの?」
「うん、ちょっとだけね」
「もう遅いんだし、ほどほどにしろよ」
また口煩い姑のようになっていく陽斗から目を逸らして、急に思い出す。窓の奥にある実家のマンションを見つめる。
「それにしても、お母さんたち。また唐突に……どうしたんだろうね。心境の変化とか言ってたけど」
母たちの宣言を思い出す。
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。
木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。
そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。
ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。
そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。
こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
ハズレの姫は獣人王子様に愛されたい 〜もしかして、もふもふに触れる私の心の声は聞こえていますか?〜
五珠 izumi
恋愛
獣人の国『マフガルド』の王子様と、人の国のお姫様の物語。
長年続いた争いは、人の国『リフテス』の降伏で幕を閉じた。
リフテス王国第七王女であるエリザベートは、降伏の証としてマフガルド第三王子シリルの元へ嫁ぐことになる。
「顔を上げろ」
冷たい声で話すその人は、獣人国の王子様。
漆黒の長い尻尾をバサバサと床に打ち付け、不愉快さを隠す事なく、鋭い眼差しを私に向けている。
「姫、お前と結婚はするが、俺がお前に触れる事はない」
困ります! 私は何としてもあなたの子を生まなければならないのですっ!
訳があり、どうしても獣人の子供が欲しい人の姫と素直になれない獣人王子の甘い(?)ラブストーリーです。
*魔法、獣人、何でもありな世界です。
*獣人は、基本、人の姿とあまり変わりません。獣耳や尻尾、牙、角、羽根がある程度です。
*シリアスな場面があります。
*タイトルを少しだけ変更しました。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。
取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので
モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。
貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。
──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。
……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!?
公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。
(『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)
私は既にフラれましたので。
椎茸
恋愛
子爵令嬢ルフェルニア・シラーは、国一番の美貌を持つ幼馴染の公爵令息ユリウス・ミネルウァへの想いを断ち切るため、告白をする。ルフェルニアは、予想どおりフラれると、元来の深く悩まない性格ゆえか、気持ちを切り替えて、仕事と婚活に邁進しようとする。一方、仕事一筋で自身の感情にも恋愛事情にも疎かったユリウスは、ずっと一緒に居てくれたルフェルニアに距離を置かれたことで、感情の蓋が外れてルフェルニアの言動に一喜一憂するように…?
※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる