背中越しの恋人

雨宮 瑞樹

文字の大きさ
上 下
29 / 57

追跡9

しおりを挟む
 亮につかまれた腕に更に熱が籠る。亮が掴む手は、強い力でもないのになぜか振り払えない。唯が懸命に閉ざそうとしていた道を模索するように亮は真剣な瞳のまま見つめてくる。消えた街灯の代わりに満月の光を亮の瞳の中心に置いて暗がりでもわかるほど、強い光を放っていた。
 早くここから逃れて、この闇の中に呑まれて消えてしまいたいくらいなのに手足が竦む。
 亮は、二人の間に道筋を作るように深く息を吐いた。

「せっかくうまくいったと思ったのにさ、それと引き換えみたいに生きにくくなるよな。今までは何をしてたって何も言われなかったのに、ちょっと名前や顔が知れ渡った途端、急に周りは騒ぎ始めて。これまで積み上げてきたものを無視して横道からズカズカ入り込んで乱していく。これまで進んできた道を振り返ってみたら、顔も名前も知らない誰かの足跡だらけだ。どこを歩いてきたのかもよくわかなくなってる。
 ……だけど、その紛れた足跡の中には俺たちの歩んできた確かな足跡があって、それは乱された道のずっと奥から途切れることなく続いている。この成功をつかみ取れたのは、その奥の本当の軌跡が今につながったんだ。そして、それは俺一人じゃ絶対に成しえなかった」
 最初は少し怒っているな声だったのに、いつの間にか穏やかな口調に代わっていく。その声に完全に動きを制されてしまった唯の体に感情が追い付いてきて、全身に覆いかぶさってくる。息ができないくらい胸が詰まる。暴れまわる思いも、涙も全部押さえ込んでしまいたい。なのに、どんどん視界が滲んでゆく。亮の顔が歪んでいく。そう見えるのは、涙のせいなのか本当にそんな顔をしているのかも、よくわからなくなってくる。それでも、涙を溢さないように抗い続ける唯に、亮の声は静かに闇の中に光を灯すように優しく響いていく。

「日本に帰ってしまおうか。そう思ったことは、何度もあったよ。だけど、その度に電話で唯に『道半ばで諦めるなんてらしくない。ボロボロになるまでやってこい』って、唯に怒られてさ。そのあとに『それでもだめだと思ったときは、堂々と胸を張って帰ってくればいい。その時は、一緒においしいものでも食べて、思い出話でもして、また一緒に隣を歩いてよ』って言ってくれた時、本当に嬉しかったんだ。どんな結果が待っていても唯がいてくれる。だったら、とことんやってやる。そう思えた。だから、俺は腐らずにここまでやってこれたんだ。会えなくても、離れていても。俺の中心には、いつも唯がいた。
 それがなくなったらどうなると思う? 高く積み上げていったものの礎がなくなったら、呆気なく崩れて跡形もなく粉々になる。
この先俺が行こうとする道に唯がもういないというのなら、もうこれ以上進んでも意味がないんだよ」

 唯を掴んでいた亮の大きな手はゆっくりと離れていくのに、肌で感じる亮の柔らかい眼差しは唯のずっと奥深くに優しく届いて掴んで離さない。何とか表面張力で保っていた涙が、耐え切れず溢れ出して歪んでいた亮の顔が鮮明になっていく。どこまでも真っすぐで、曇りのない純粋な思いが。ずっと近くで見てきた変わらない瞳が確かな光を纏って、そこにあった。一直線に向けられた亮の瞳奥の熱が唯が丁寧に隠していた感情の幕をあっけなく溶かしてゆく。そうなってしまえば、もう唯には抵抗する術は残されていなかった。頬を一筋の涙が伝ってゆく。
「そんなこと、言わないでよ……。そんなこと言われたら……私……もう、離れなられなくなっちゃうじゃない……」
 固く引き結んでいた唇が小さく震える。一度、出来上がってしまった水の道筋に、止めどなくまた新たな涙が滑り落ちる。たとえ、亮の前であったとしても、泣き顔なんか見せてたくはない。これでまでだって、人前では泣かないように我慢してきたんだから。なのに。涙をとめなきゃと思えば思うほどに、溢れてくる。もうどうすることもなくて、両手で顔を覆おうとしたら亮の手が伸びてきて引き寄せられていた。

「ずっと俺の隣にいてほしい。俺がこの世界に身を置いている以上、この先もきっと唯を不安がらせたり、嫌な声もたくさん聞こえてくるかもしれない。だけど、俺が全力で唯を守ってみせる」
 何かも包み込んでいくような優しい声が頭上から降ってくる。唯の涙の膜に触れて、息ができないくらいの嗚咽に変わっていた。
 全身を震わせて泣く唯をすべて受け止めるように亮の背中を擦り続けていた。

「そんな青臭いことを言っているから足元を掬われるんだよ……」
 ぐずぐず亮の胸を借りて泣くことが情けなくて、そんな減らず口を叩く唯に、亮は泣いてるくせに相変わらず可愛げのないやつだな、と苦笑いしながらそういうと、背中に回された亮の手に力が入って、苦しいくらいにまた胸に押し付けられた。
「もう、離さないからな」
 これまでずっと思い悩んでいたことが、亮の腕の中で跡形もなく消えていく。今まで私は何を悩んでいたんだろうと腹が立つほどに。
 唯もまた、亮の背中に手を回し力を込めて、未だに止まらない涙を流しながら目を閉じる。何もかも開け放たれた感情の奥から揺るぎない決意。

 もう、迷わない。どんなことがあっても、亮が望んでくれるのならば共に歩んでいこう。
 そして、私も強くならなきゃ。亮に負けないくらい。もっと強く。
 満月の光が重なる二人の影を映し出すほどに眩い光を放ちながらも、月光はどこまでも柔らかく二人を見守るように包み込んでいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

2番目の1番【完】

綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。 騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。 それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。 王女様には私は勝てない。 結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。 ※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです 自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。 批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…

愛されていないのですね、ではさようなら。

杉本凪咲
恋愛
夫から告げられた冷徹な言葉。 「お前へ愛は存在しない。さっさと消えろ」 私はその言葉を受け入れると夫の元を去り……

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?

雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。 最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。 ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。 もう限界です。 探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。

【完結】私の婚約者(王太子)が浮気をしているようです。

百合蝶
恋愛
「何てことなの」王太子妃教育の合間も休憩中王宮の庭を散策していたら‥、婚約者であるアルフレッド様(王太子)が金の髪をふわふわとさせた可愛らしい小動物系の女性と腕を組み親しげに寄り添っていた。 「あちゃ~」と後ろから護衛のイサンが声を漏らした。 私は見ていられなかった。 悲しくてーーー悲しくて涙が止まりませんでした。 私、このまなアルフレッド様の奥様にはなれませんわ、なれても愛がありません。側室をもたれるのも嫌でございます。 ならばーーー 私、全力でアルフレッド様の恋叶えて見せますわ。 恋情を探す斜め上を行くエリエンヌ物語 ひたむきにアルフレッド様好き、エリエンヌちゃんです。 たまに更新します。 よければお読み下さりコメント頂ければ幸いです。

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

【完結】愛されないのは政略結婚だったから、ではありませんでした

紫崎 藍華
恋愛
夫のドワイトは妻のブリジットに政略結婚だったから仕方なく結婚したと告げた。 ブリジットは夫を愛そうと考えていたが、豹変した夫により冷めた関係を強いられた。 だが、意外なところで愛されなかった理由を知ることとなった。 ブリジットの友人がドワイトの浮気現場を見たのだ。 裏切られたことを知ったブリジットは夫を許さない。

処理中です...