サラシ屋0

雨宮 瑞樹

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依頼

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 心臓がどくどく打ち始め、息が切れる。憎悪というものは、ここまで体に変化をきたすものなのだと、この事件を目の当たりにして、初めて知ったことだ。

「順を追ってご説明をお願いします。ゆっくりでいいので」
 灰本は、寄り添うように促す。
 私も、何とか怒りの熱を何とか外へ吐き出し、前を見据えた。

「私の親友。被害者である有島亜由美は、バント広告代理店という会社に就職内定を決めていました」
 バント広告代理店は、国内トップクラスの大企業。亜由美の昔からあこがれていた企業でもある。
 内定連絡を決めたとき、亜由美は自分の両親への報告を差し置いて、私へ電話をくれた。
 『就職、決まったよ!』と弾んだ声が聞こえてきて、電話越しでも全身で飛び跳ねているだろうことは容易にわかった。そんな彼女に、私も本当に嬉しくて、電話をとった場所が図書館だったことも忘れて「すごい! おめでとう!」と叫んで、周囲から眉を顰められたものだ。それなのに。

「内定連絡を受けた、一か月後。人事課・山本一郎という男から、亜由美へ電話がかかってきました。『入社にあたり、必要書類を渡し忘れた。資料の説明もしたいから店に来てくれ』といわれ、亜由美は渋谷のバーのようなレストランに呼び出されました」
 どうしても、声が震える。落ち着かせようとギリギリと奥歯を噛めば、噛むほど血の味が滲んだ。
「店に入ると、山本の他にともう一人男がいました。『会社の同期で、事業部の藤井文明』と紹介されたようです」
 亜由美から預かってきた名刺の存在を思い出し、鞄から出し、灰本の前に二枚の名刺を置いて見せた。それをじっと見つめる灰本に構わず、先を続けた。

「亜由美は、相手が二人とわかって、一瞬戸惑ったようですが、人事相手だし周囲の目もたくさんある。大丈夫だと思い、席につきました。すると、すぐにお酒を勧められ、 断ると、ジュースでもいいから頼もうよと言われので、オレンジジュースをオーダーしました。亜由美も、だいぶ警戒はしていて、急いでいるから、資料だけ早く渡してほしいと、催促したのですが、二人はお酒も入っているせいか無駄なお喋りが多く、なかなか本題に入ってくれなかったみたいです。時間ばかりがどんどん過ぎていった。つまらない時間。他の食事に手を付ける気にもならず、手持無沙汰と緊張感も手伝って、喉だけは渇いて、亜由美はジュースを少しずつ飲んでいたようです。そのジュースが半分くらいになると、意識が朦朧とし始めました」
 ただのジュースだった。それを飲んだだけなのに、意識が朦朧とするはずがない。つまり。
 大きすぎる怒りが喉の奥に詰まって、言葉がでない。それを、引き継ぐように灰本は、淡々と言った。

「飲み物に薬を入れられていたということで、間違いないでしょうね」
 灰本は、名刺し目を落としたまま答え、私は何とか怒りを飲み下して、うなずいた。
「……そんな亜由美に、山本から『気分が悪いのか』と尋ねてきた。答えられずにいると、藤井が席を立ちあがり、亜由美の横へやってきて肩に手をやってきたそうです。それを振り払おうとしたけれど、もう力が入らなかった。『今日は、帰ろう。送っていく』そういわれ、店の外へ。そこに、ちょうど車がやってきて目の前に止まった。そこで、意識は途絶えて……気づけば、ホテルの一室で……」
 それ以上は、答えられなかった。そんなこといちいち言わなくても、わかるだろう。
 亜由美から、かかってきた電話。絶望に暮れた声が耳の奥にこびりついて離れない。どうして、どうして、と。
 手のひらに爪形食い込むほど、強く握る。こんなものじゃ、痛みなんか感じない。
「その後……亜由美は、私へ電話をかけてきました。取り乱す彼女に何かあったのだと、すぐにわかり、何とか場所を聞きだして、私は彼女がいるというホテルまで駆け付けました」
 何とか感情を押し殺しながら、そこまで説明する。ずっと口を挟んでこなかった灰本が、ここで初めて流れを止めた。

「お友達を心配だったのは、わかりますが、それは危険行為です。下手をしたら、あなたまで危害を加えらる可能性もあった」
「なりふり構ってられないでしょう」
 思わず鋭く返答する。かかってきた電話越しに、冷静に指示を出して、終わりだなんて、できるはずがない。
 すぐに駆けつけた。飛び込んできた彼女の姿は。いつも綺麗に整えられている黒髪は、ボロボロに乱れていて、双眸は黒目まで、赤に変色しているかのように真っ赤だった。私の姿を見つけた瞬間、私の縋り付くように泣きじゃくり、崩れ落ちた。ずたずたに傷ついた彼女の震える背中を私は、一生忘れることができない。
 灰本は私の八つ当たりなど気に留めることなく、すぐに他の方へ思考を巡らしているようだった。やはり、どこまでも、冷静だ。
 
「その直後、警察には? そのような状態であれば、さすがに警察も動いたはずだと思いますが」
 当然の質問だ。もちろん、私も亜由美に勧めた。一緒に警察へ行こうと。だけど、相手はどこまでも下劣だった。
「亜由美のスマホに『警察にたれ込みでもしたら、実家の店の不評を書き込んでやる。娘の裸の写真も添えて』と、メッセージが残されていて……できませんでした」
「店……とは?」
「亜由美の実家は、スイーツのネット通販で生計を立てています。かなり評判で、人気も高いんです」
「なるほど。ネットを主軸にしている店であれば、悪い口コミは大打撃だ。人事は、個人情報の宝庫ですからね。当然、親の情報も簡単に手に入る。人の弱みを握ることなど容易だ」
 分析する灰本は、抑揚がない。ちゃんと、こちらの状況は、理解はしてくれているのはわかる。だけど、熱がなくて、もどかしい。こらえきれず、私はドンと机に両手をついて、立ち上がった。

「お願いします! こいつらを、地獄に叩き落としてください! こんな酷いことをしたにも関わらず、普通の人間のような顔をして、今も仕事しながら笑ってる。このまま犯罪者を野放しなんて、絶対許せない! いくらでも報酬は、お支払いします! だから、こいつらに復讐してください!」
 声を荒げ、前のめりになる。ずっと横によけてられていたカップの中身が、吃驚して零れていた。
 それにもかかわらず、カップよりも近距離にある目の前の整った顔は、睫毛をピクリとも動かすことはなかった。
 当然、驚いたそぶりもない。ただ、じっと見返してくるだけだ。
 この熱が、怒りが、伝わらないなんて。もどかしさに負けて、また口を開こうと息を吸いかける。
 そこで、やっと灰本は形のいい唇を動かしていた。

「わかりました。この依頼、引き受けましょう。しかし、先ほどから復讐という言葉を使われていますが、僕ができることは『晒す』ことです。ターゲットを物理的に傷つけたり、ということはできません。あくまでも、精神的に追い込むことだけです。その点、お間違いなく」
「もちろん、わかっています。社会でやっていけないほど、ズタズタに追い込んでください」
「わかりました。では、あなたが被害者の方から預かっている僕の情報をすべて私にお預けください」
 安堵し、ソファに座り直して、スマホを取り出す。
「情報……といっても、私が彼女からもらった情報は、その名刺と個人携帯の電話番号。あと、やり取りしたメッセージの全文をもらってきたくらいなんですが」
 スマホの机の上に置いて、画面を灰本の方へ向ける。灰本は、写真のシャッターを切るように瞬きをするだけだった。
 微妙な沈黙が流れる。忘れていた不安に襲われた。
 もしかしたら、これだけの情報では、やっぱり無理だと断られるかもしれない。そんな不安が過ぎり、祈りを込めるように、自分の膝の上で握っている拳を見つめた。
「……これだけの情報で何となかるものなのでしょうか?」
「それだけあれば十分ですよ」
 よかったと、ほっと息をつき、落としていた視線を上げる。飛び込んできた灰本。感情のない双眸が嘘のように、変化していて、目を疑った。
 ぞっとするほど、鋭く冷えている。冷たい瞳に変化はなく、口角だけあげていた。
 今まで見てきた人間とは、まるで別人のようだ。暗い影が差し込んでいる。
 それを見て、私は確信する。この人ならば、確実に仕事をこなしてくれる。
 
「あの、報酬なのですが、おいくらでしょう? どのくらいの金額か見当もつかなくて」
「仕事が終わった後、成功報酬となります」
「わかりました。よろしくお願いします」
 尖った瞳、上がった口角。首元にナイフを突きつけられているような鋭利さ。
 すっと背筋に冷たいものが走った。だが、今の私には、むしろその冷酷さが心強く感じた。


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