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「お泊まりか。」

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きっかけは、浅井先輩のシャツがいつもと違うと気が付いたことだった。

浅井先輩はわたしが入社した時の教育係で、三年目になった今でも細やかに気にかけてくれる。
その日はなんだか朝から浅井先輩の雰囲気が違うなと思っていたのだ。
お昼頃になって、その理由が分かった。
シャツがカッターシャツではなく、白色だが少しラフなコットンシャツだった。

わたしの部署はがっちりシステム技術系ではなくても、ちょくちょくとそういった仕事に携わることから、それほど服装に厳しくなく、白シャツに目立たないストライプが入っていたり、時には綿パンを履いてきたりすることがある。

だから、浅井先輩がコットンシャツを着てきても、上から背広を羽織っていたし、それほど気にならなかった。
いつもきっちりスーツで決めている浅井先輩にしては珍しいな、という程度だ。

「今日はなんだか雰囲気が違うと思ったら、シャツが違うんですね。」
軽く口にしたつもりだったのに、浅井先輩は表情を強張らせた。
「やっぱり気になるかな。洗濯がしてなくてさ。お昼に一回着替えに帰ろうかとも思ったんだけど‥‥って、帰っても洗濯してないから、シャツはないんだけどね。」
わたしはその言い訳に、なにも違和感を持たなかった。
ふうん、と頷いて、こういうシャツも似合ってるから、そのままでいいのにな、と思っていた。
女性社員には分からない、これはセーフ、これはアウトという、身だしなみの違いがあるのかな、と思った程度だ。

昼を過ぎて、浅井先輩が席を外しているときに、松本先輩が訪ねてきた。
「浅井は?」
「打ち合わせです。えーっと、3時ごろ戻る予定ですよ。」
「へー。」
松本先輩は浅井先輩の同期で、仕事終わりの流れで何度か一緒に飲みに行ったことがある。
三人で飲んでいるときは、わたしはイイ男二人に囲まれて至福の時間だ。

浅井先輩は人懐っこく明るい性格で、この部署のムードメーカーだ。
それに対して松本先輩はクールな性格で、誰に対しても愛想がいいわけではないが、だからこそ仲良くなると気を許してくれてるのがうれしい。
イケメンはイケメンとつるむのか、二人ともわが社の一押しのイケメンなのだ。

ふと、特に深く考えずに口を開いた。
「松本さんって、毎日スーツですよね。」
「ん?そうだな。」
「今日、浅井さんの雰囲気が違うと思ったらシャツが違ったんです。シャツが違うだけで、けっこう変わるんですね。」
松本先輩はちらりと視線をそらして「ああ。」と納得してから、わたしににやりと笑いかけた。

「お泊まりか。」

わたしの思考が停止した。

「あ。あー‥‥。」
なにか言おうとするのに、意味のない音しか出てこなかった。

ちょうどそのとき、松本先輩が上司に呼ばれてその場を離れたので、わたしはなんでもないふりをしてハンカチを取り出して席を立ち、トイレへと向かった。

トイレの個室で一人になって、ぐるぐると頭の中をさっきの松本先輩の言葉が巡っていた。

お泊まり。
つまり、浅井先輩に彼女ができたということか。
あのコットンシャツは、彼女の家に置いておいたものだったんだ。
いつの間に。
知らなかった。

昼間のあれは、言い訳ということになる。
家に帰ってもシャツがないだなんて、よくよく思い出せば、なぜかやけに強調していた。
お泊まりならお泊まりって、隠さないで言えばいいのに。
いらっとした。
そして、にやついて指摘した松本先輩もいらっとした。
もしかして、わたしが先輩のこと好きなことに気が付いていて、釘を刺すつもりで言ったのだろうか。



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