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番外 炎龍、時雨藤王 5 ▲
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宵の口に、馬に乗って、基地を飛び出した藤王だったが。夜は、馬が闇を怖がって走らなくなるし。半日かけて本拠地へ向かったら、遅いような気がして。龍鬼の能力で、瞬間移動をすることにした。
しかし、この能力は。大きな痛手を負うことになる。理を無視して、移動距離を歪めるので、それなりの代償が求められる。
だが、どれほど傷を負っても、堺が死ぬよりはマシだ。
藤王は本拠地の場所を詳細に思い浮かべ、一歩踏み出す。
そこは本拠地の、左軍宿舎前だった。
成功したと思った途端、激しい目眩と咳き込みが起こり。藤王はうずくまって、その場に倒れた。
「ふ、藤王様、ですか? どうしてここに…」
宿舎から出てきたのは、左軍の待機の兵で。藤王が金蓮とともに前線に行ったことを知っていたのと、龍鬼に触れたくないという様子で、遠巻きに藤王にたずねた。
「…私用ができて。途中、折り返してきたのだ。赤穂様の隊は、到着しているか?」
地面に寝そべったまま、苦しげな様子で、藤王は兵に聞いた。
朝、赤穂たち右の幹部と、富士のふもとで別れた。金蓮の左軍を預かっていただけの赤穂たちは、大軍を引き連れていないので、その日のうちに本拠地に戻っているはずだ。
うまくすれば、堺と両親が会うのを、事前に阻止できる。
そのあと、両親を説得すればいい。
子を殺すなど、人道に背く行為だ、と。
「もう、到着しています。赤穂様は作戦対策室にいるようですが」
そこで、堺を捕まえられればいい。
藤王は懸命に立ち上がり、兵に笑いかけた。
「弟に…堺に用があるんだ。あの子、体が弱いから…」
「あぁ、看病ですか? 弟さん思いなのですね?」
兵は、兄弟仲がいいのだな、と。人のよさそうな顔でうなずいた。
それにひとつうなずきを返し。藤王は本拠地中央にある作戦対策室のある施設に向かった。
目眩は、空間酔いで、すぐにおさまったが。腹に重い打撃を食らったかのような不快感がある。
これが瞬間移動の代償だ。
しばらくは、体を俊敏には動かせないだろう。
対策室に入ると、赤穂がびっくりした顔で、藤王を見た。
それはそうだろう。朝は富士のふもとにいたのだ。
赤穂たちが帰ってくるのと、ほぼ同じ時間に、藤王が本拠地にいるはずがない。
「赤穂様、堺はどこに?」
「…堺は。途中で熱を出して。疲れが溜まっていたのだろうということで、そのまま一ヶ月の休暇を出したのだ。直で実家に戻ったが? 藤王は…龍鬼の力で?」
「あぁ、急な要件があって。では、失礼します」
慌ただしく、部屋を辞する。
やばい、直で帰ったら、三時間前には屋敷についている。
藤王は焦って、とにかく本拠地の外にある時雨家の屋敷に向かったのだ。
★★★★★
屋敷に入ると、まだ宵の口だというのに、使用人が離れに下がっていて。家の中がシンと静まっていた。
なにやら嫌な予感がして、真っ直ぐ堺の部屋に行く。
堺の部屋は玄関を入って、左手の奥。
両親たちは右手の側で生活している。
徹底して、堺と関わろうとしていないのを、それだけで感じ、気分が悪い。
とにかく。藤王は堺の部屋を開けた。
床板に布団が敷かれた、殺風景な部屋で。堺は横になっていた。
白い肌が赤く染まって、荒い息をついている。
本当に熱を出しているようだ。
もしかしたら、部屋に戻って、布団だけ自分で引っ張り出して、そのまま寝たのかもしれない。軍服を着たままだった。
「堺、可哀想に。誰も、なにもしてくれなかったか?」
だが、そばに水差しと薬が置いてある。誰か、様子を見に来たのだろうか。
とりあえず、藤王は。衣装箪笥から、紺一色の寝間着を出して、堺を着替えさせることにした。
「…兄さん?」
夢でも見ているような目で、堺は藤王を見た。
ここに、兄がいるわけがないと思っている。
今朝、富士にいたのだから、当然だな。
「堺、服を着替えさせてやる。なにも心配せず、力を抜いていろ」
藤王の言葉に、堺はくっきりとした形の目元を、安堵したみたいに細め。兄に委ねた。
布団を剥いで、藤王は堺の革帯をほどいていく。剣も下げたままだ。
帰ってきて、そのまま倒れ込んだという感じだな。
堺の剣を、枕元に置いて、藤王は堺の軍服を脱がしていった。
堺の裸身があらわになり、藤王はドキリと鼓動を高鳴らせる。
弟は安心して、兄に身を預けているのに。
想像で何度も目にした、淡い桃色の乳首に、どうしても目が吸い寄せられてしまい。藤王は、触れたい衝動に駆られた。
堺に。無垢な弟に、癒しと庇護欲を感じながらも。
己と交わり、悦ぶ、妄想の中の淫靡な弟も、見たいと思ってしまう。
金蓮によって、性の快楽という名の獣を目覚めさせられてしまった藤王は。堺と睦み合いたい欲求に囚われていた。
今まで灯っていなかったところに、火がついた。
堺を守りたいと思っていた、純粋だった心に。抱きたいという欲望の炎が立ち昇り。
その欲求を、おさえることができない。
いけない、と思い。一度、堺の身から離れた。
七歳のときに、前線基地で添い寝をしたが。あの頃みたいに、もう、華奢ではなく。
十五歳になった堺の体は、少したくましい青年のものになっている。
しかし筋肉が引き締まって、余分な肉のない体は、なまめかしくも見えた。
藤王は引き出しから手拭いを出し、水差しの水で湿らすと、堺の、熱で浮き出た汗の粒をそっと拭っていく。
熱に浮かされ、顔を赤くする堺は。快感に震える、想像の顔に似て。
だから、苦しいのだろうが、気持ち良さそうにも見えてしまう。
堺は閉じていた目を開き、兄を見た。
「すまない。力加減が強かったか?」
にっこりと、他意はないという笑みを見せると、堺もフと笑った。
「いいえ、大丈夫、です」
大丈夫なのか、と思うと。邪な想いが湧き起るが。
藤王は、堺の首の後ろに腕を回して、身を起こさせ、背中の汗を拭いた。
堺の背中は、なめらかで、当たり前だが翼がなく、つるりとした肌が、指先に触れると気持ちが良い。
「兄さん、くすぐったい…」
背中は、敏感なようだ。
くちづけでついばみ、舌で舐め濡らしたら、堺は背中だけで極めるんじゃないか?
「もう少し、我慢しなさい。我慢、できるか?」
「…我慢、できます」
我慢して、と言って、堺の後孔に己を挿入する妄想を何度もした。
我慢できます、と言う堺に出し入れして、貫いて、泣かせる夢も見た。
言葉だけだが、それが現実になり。
藤王は、己がどんどんたぎっていくのを感じた。
金蓮が己に触れる何倍も、本物の堺が口にする現実の言葉の方が、感じる。
だが、荒い息遣いは、情事のそれではなく。本当に弟が苦しんでいる証で。
藤王は己の欲望に蓋をして、堺に新しい着物を着せかけた。
大事な宝物をしまい込むように、襟を合わせて、帯で結ぶ。
ちゃんと整えた布団に、堺を横たえ、乱れた髪も整えた。
そうすると、己の美しい、いつもの弟の姿になる。
堺は藤王に笑いかけて、言った。
「ありがとうございます、兄さん。楽になりました」
硬い軍服を脱いで、身軽になりました、という意味なのだが。
不埒な藤王は、兆した堺を絶頂へ導いてあげたあとの、堺の台詞に思えてしまう。
自慰を知らぬ堺に、それを教えてあげる、そんな妄想もした。
「…喉が渇いただろう? 水を飲もうか」
体を動かして、少しつらくなったようで。堺は言葉にできない感じで、ようやくうなずいた。
藤王は、湯飲みに水差しの水を少し入れて…。
もしかして、と思ってしまった。
この水に、毒が仕込まれていたら?
だって、熱のある堺が、闇雲に布団を引っ張り出して、とりあえず寝たという、状況の中。
水差しと薬が置いてあるのが、違和感があるのだ。
まぁ、助けてはやらないけど、水と薬は置いておく、ということかもしれないが。
藤王は、水を少し飲んでみた。
でも、特に変な味はしない。
でも、薬は怪しいので、龍鬼の能力で燃やしてしまった。
すると炎の中で、緑色の変な色で燃え上がり、変な匂いもした。当たりだな。
両親は、発熱で苦しむ堺に、毒を仕込んで、始末しようとした、のか。
もう我慢ならなかった。
己から、堺を奪おうとする輩は。たとえ親でも許せない。
親をうながした金蓮も同罪だ。
「…兄さん?」
堺はまだ、夢のように思っているのかもしれない。
しばらく黙り込んだ兄が、いなくなってしまったのかと、不安そうな声を出す。
「あぁ、水だったな。今、飲ませてやる」
先ほどと同じように、藤王は堺の首の下に手を入れて、身を起き上がらせると。腕の中に抱いて、湯飲みの水を飲ませようとした。
だが、朦朧としている堺を見て。一度閉じた欲望の蓋が開く。
己が水を含んで、堺にくちづけた。
薄く開いた堺の唇に、ぴったりと唇を合わせ、水を流し込む。
堺はコクリと嚥下し、更なる水を求め、口腔で舌を動かした。
その舌先が触れたら、藤王は己の腰骨がズンと重くなるのを感じる。
「上手に飲めたな。もう一度。ちょっとずつだぞ」
少しだけ水を含んで、藤王は再び、堺の口腔に流し入れる。
藤王は…金蓮にキスは許さなかった。
龍鬼の唾液は危険です、と。もっともらしいことを言って、回避したのだ。
くちづけは、堺とだけしたかったから。
堺が四歳のとき『大きくなったら、兄さんのお嫁さんにしてください』なんて、あんまり可愛らしいことを言うものだから。食べちゃいたくなって、唇にチュウってしたことがある。
堺は、覚えていないだろう。
だが、あのくちづけが、藤王の至高だった。
だから、他の者で汚したくなくて、唇を死守したのだ。
廣伊に口移しで水を飲ませたことがあったが、あれは救命なので、藤王は記憶にとどめていない。
藤王の記憶にあるのは。愛らしく笑う、幼い堺にした、まばゆいあの日の、チュウだけだ。
でも、堺が大人になってからは、初めてのくちづけ。
藤王は、その柔らかい唇に、夢中になってしまった。
何度も水を含んで、堺にくちづける。藤王が舌を絡ませても、なすがまま。堺も水分を欲して、舌を伸ばした。
「あ、むぅ…ん」
堺はなにもわからないまま、口を開いて、兄が水を注いでくれるのを待つ。
だが、藤王は。
舌先をとがらせて待つ、堺の、その舌を舌でくすぐり。絡めて、深くくちづける。
水が欲しいのに。水も含まない、ただのくちづけだ。
「ん、に、いさ、ん」
水を求める堺に、訴えるような、とがめるような、なぜと問うような目でみつめられて。
藤王はようやく、小鳥に餌を与えるみたいに、ちょっとずつ水を堺に与える。
だがそのまま、濃厚で熱烈なキスをして。
唇を離し、またちょっとだけ水を与える。
堺の薄い唇を舌で舐め、撫でて。高熱で燃えるような舌を、己の低い温度の舌でなだめ、絡めて。
口腔をくちゅくちゅとくすぐるように、かき回す。
何度も夢に見た、堺とのくちづけに。藤王は溺れる。
甘やかな官能に、身が痺れるようだった。
「堺、もっと欲しいか?」
「はい。欲しい、ください、兄さん、ん…んんぅ」
ください、兄さん。と言われると。
己の剛直を欲しているようにも思え。背筋にぞくぞくと情欲が走る。
本能に支配され、藤王は堺を布団に押し倒す。
欲しいというのだから、このまま貫いても、いいんじゃないか?
だって、堺が己を欲しがっている…。
熱い体を堺にすりつけながら、藤王は水を与えるくちづけを、し続けた。
朦朧としている堺は、水を与えられたあとに、激しく口の中をかき回されることを、ひとつの流れのように思ってしまって。従順に、兄に身を委ねる。
兄は間違ったことなどしない。だからこれは、こういうものなのだと。盲目的に信じていたし。
深く考えるほど思考も動いていなかった。
「きゃあ!」
突然、叫び声が上がり。
藤王は、唇を堺につけたまま、部屋の扉を見やる。
そこには、わなわなと震える母がいた。
「貴方たち、兄弟でなにをしているの? 離れなさい、汚らわしい」
藤王は唇を優しくほどいて、堺の唇をいやらしく、見せつけるように舐めた。
「なんですか、母上、騒がしい。そろそろ、堺が息絶えたかと、様子を見に来たのですか?」
図星を刺されて、母はギョッとしたが。
すぐに体面を整える。
「なんのことかわかりません。それよりも藤王、堺から離れなさい。変な病がうつったらどうするのです? 貴方は時雨の後継なのですよ。金蓮様にも目をかけていただいて。金蓮様は貴方を生涯雇用すると約束してくださったの。その大切な体を、堺で汚してはなりません」
生涯雇用? ゾッとする話だ。
金蓮に、一生慰み者にされろと言うのか。冗談じゃない。
藤王はそっと身を起こし。堺を庇うように、布団の前で母と対峙した。
「堺は変な病などではない。ただの風邪です。変則的な勤務で疲れが出たのでしょう。軍の任務で疲れて帰ってきた息子に、労う気持ちもないのですか?」
「どうした? 堺は毒を飲んだか?」
母の後ろに父が現われ、誤魔化しようのない言葉を吐いた。
部屋の中に、藤王がいることに気づき。身を固める。
「藤王、なぜ、ここに…」
「父上、金蓮様に忠義を見せろと言われたようですね? どんな忠義を? 堺の骸を献上するのですか?」
図星を刺され、父は奥歯を噛む。
厳しく真面目で、それゆえ嘘のつけない父だった。
「それしかないのだ。時雨家を存続させるためだ。この家は、おまえさえいれば、断絶を免れる。先代の山吹様は龍鬼を重用なさり、我らも安泰だった。しかし、金蓮様は龍鬼を嫌っている。おまえ以外の龍鬼は汚いからいらないとおっしゃられた。本来、龍鬼を出した家は断絶させられる。山吹様の代では、目こぼしされていたことが。代替わりされて、そうではなくなったのだ。わかるだろう?」
わからない。藤王は首を横に振った。
「堺を、貴方の息子を殺さなければ、存続できない家など、滅びてしまえばいい」
赤い目を厳しく光らせて、父に告げたが。
父は剣を抜いた。
「我らタンチョウ血脈は、美しく、高潔で、才知ある、貴重な一族だ。堺のせいで、滅びさせるわけにはいかない。そこを退くんだ、藤王。もう、堺はいらぬ」
「父上ぇ…」
頼りない、震える悲しげな声が、藤王の背後から聞こえた。
堺には、聞かせたくなかったのに。
父がいらぬと言ったのが、堺に聞こえてしまったのだろうか?
このように、散々、心優しい息子を傷つける父に、藤王は憤怒した。
「堺は、私の嫁にすると言っただろう。私の伴侶に、誰も手は出させない」
もうためらうことなく、藤王も剣を抜いた。
どうしても堺を殺そうというのならば、己はなにがなんでもそれを阻止する。
たとえ、親を殺してでも。
子供に手をかけるような親は、もはや親ではない。
「藤王、父に剣を向けるとは、何事ですか? おまえは分別のある、賢い子でしょう? 堺にたぶらかされて、周りが見えなくなっているだけよ。少し目を閉じていなさい。その間に、すべてが終わるわ」
目を閉じれば、金蓮におもちゃにされる屈辱の悪夢が見えるだけだ。
藤王は、蔑む目で、両親を見やる。
「目を覚ませと言いたいのはこちらだ。堺よりも大事なものなど、この世にはない」
「退け、藤王!」
父が剣を振りかぶり、いよいよ殺さなければならないかと。藤王が覚悟を決めたとき。
黒い影が目の前をよぎった。
それは素早く刀を抜くと、父を一刀両断し。悲鳴をあげる前に、母も、返す刀で斬り伏せた。
藤王は、ただ、息をのむ。目の前の、黒装束の男には…翼がない。
「…貴方は?」
「手裏軍の天龍、不破。救済の龍鬼だ」
不破は、手裏の軍服を着ていて、髪も黒。だが、波打つ髪には白髪も混じっていて、かなり年上に見えた。
顔貌は、それほど老けては見えないが。どこか、くたびれた印象がある。
「私は、千里眼を持つ龍鬼だ。虐げられた龍鬼や子供たちを、救済して回っている。虐待にあう者、龍鬼として不遇な扱いをされる者、このままでは死んでしまうというような環境にいる者を、助けるのを信条としている」
そう言うと、不破は綺麗な所作で、刀を振って血を払い。鞘におさめる。
彼の言葉が事実なら、それは素晴らしい行いだ、と藤王は思った。
彼は敵ながら、親の手にかかりそうだった堺を、救いに来てくれたのだ。
藤王も、抜いていた剣をおさめた。
「藤王、君の周辺が、この頃不穏だったので、様子をずっとうかがっていたのだ。私は、龍鬼の心が傷つくのも、防ぎたいと思っている。君は今、両親を殺そうとしたな? たとえ、憎いと思う親でも、子が親を殺したら、一生苦しむことになる。だから、私が殺したのだ」
「私の、ため?」
「君だって、救いを求める龍鬼だろう? ずっと、苦しんできたではないか」
己は、苦しんでいたのだろうか。自分ではわからない。
惨殺され、息絶える父と母を、藤王は見下ろした。
己を、将堂に捧げる駒という目でしか見なかった。
なんの落ち度もない堺を、ずっと忌避してきた。
そんな両親に湧く情など、すでに枯渇している。
両親が目の前で、不破に殺されても。心はそれほど揺らいでいない。
己が殺すと、一度は覚悟を決めたからだろうか?
でも不破が言うように、血脈を己の手で斬り伏せたら、いずれ、苦しみにあえぐ日が来たのかもしれない。
それを、この龍鬼は防いでくれたのだろう。
藤王は、堺のことだけを気に掛けていたから、己の気持ちなど二の次だった。
「だが、先ほどの行いは、いただけないな。彼は、君との触れ合いやくちづけを、自分から望んでいたわけではなかろう? 同意のない性行為は、虐待だよ?」
虐待と言われ、藤王は、体の芯から冷える思いがした。
己は、堺を傷つけたのだろうか?
「しかし、私は。堺を嫁にするつもりで…」
「それも、君がそう宣言しているだけで、彼が喜んで受け入れているわけではないだろう? 私の千里眼では、まだ堺に結婚の申し入れをしていないように見えたが。違うか?」
していない。
藤王は息をのんで、堺をみつめる。
一時は目を覚まし、声を発していたが。今、堺の意識は、再び深く沈んでいる。
夢うつつを繰り返しているのかもしれない。
赤い顔をして、つらそうな息遣いで、目をつぶっている。
先ほどは、その顔すら扇情的に見えていたというのに。今は、ただただ苦しそうに見える。
そうだ。己は、己の欲に囚われ、発熱に苦しむ堺に、邪な手で触れてしまったのだ。
愛しているとも、結婚しようとも、告げていない。
堺の意志は、ここにはなにもない。
愕然とした。
「このまま君が、この子のそばにい続けたら、きっと、この子を壊す。そうだろう?」
「そうだ。私は堺を愛している。この弟を、かけがえのない半身を、私は私のものにしたくて、たまらないのだ」
「子供を傷つけることを、私は許さない。君も、弟を、欲望のまま踏みにじり、傷つけたくはなかろう?」
そうだ。己は、堺を傷つける者を許さない。
たとえ、親でも。
たとえ、己でも。
「私は、どうしたら…」
「この子の記憶を消したらどうだ? 君にはそれができるはずだ」
誰も知らぬことを言い当てられて、藤王はギョッとした。
藤王の能力は、目に見えるものは、炎を操ることだが。
真の特異能力は、他人の龍鬼の能力を、一度だけ模倣できることだった。
そして、堺は。精神を操る能力を持っている。
己は。堺の能力を使って、堺の記憶を結んで、封じることができる。
「父上、母上…」
堺の声がして、藤王が振り返ると。堺は部屋の中で惨殺されている両親に目を止め、驚愕していた。
ついさっき、深い眠りについていると思ったのに。
ゆるりと身を起こし、堺は不破を、きつく睨みつけた。
「おまえが? 手裏兵、おまえが、父上と、母上を?」
そして、無意識のうちに、枕元に置かれた剣を手にし。堺は不破に、剣を突き立てようとした。
堺の目は、藤王を素通りしている。
両親を殺されたという想いが、堺の視野を狭め、不破しか目に入っていないような様子だった。
いけない。堺。
不破は助けてくれたのだ。我ら兄弟を。
その者に、剣を向けてはいけない。
勝手に体が動いて、藤王は不破の前に出た。
堺が突き立てようとする剣を、右手で受け止める。
堺は途中で、藤王が立ちはだかるのに気づいて。剣の勢いを止めたが。
藤王の右手に剣先が深く刺さってしまう。
「くっ…駄目だ、さか、い」
堺の剣筋は、鋭く。藤王の手のひらをえぐり、鮮血が飛び散った。
堺は慌てて、剣を引き抜く。
「兄さん、どうして…なにが、どうなって…」
高熱で頭が回らない中、惨殺された両親、見知らぬ手裏兵、それを庇う兄。ここにいないはずの兄。
堺はこの現状が、全くわからなかった。
ただ、己が、兄を傷つけたということだけは、わかった。
「…兄さん。ごめんなさい」
硬く握りしめていた剣を、堺は手から離し。藤王の傷ついた手を両手で包むと、傷口を舌で舐めた。
子供の頃、庭で転んで膝をすりむいた、堺のその傷を、藤王が舐めて癒したように。
「あぁ、堺。おまえは、そのようなことをしなくていいんだよ」
口の周りを、藤王の血で堺は濡らす。
弟の頬を撫でて、藤王はなだめるが。その堺の白い肌も、己の赤い血で汚してしまう。
髪を撫でても。白く、美しい、己の弟が、赤い血で染まってしまう。
それは、自分が堺のそばにいることで、堺を汚し続けてしまうような気にさせ。藤王は苦笑いした。
「堺、よく聞きなさい。私は、堺のことを愛している」
涙目を丸くして、堺は兄をみつめる。
兄が弟を愛するのは、当たり前のことだという顔つきだ。
おそらく堺も、弟として、兄を愛しているのだろうから。
「いつか、おまえを嫁にしたい。そういう愛しているだよ」
そうして、藤王は。堺にくちづけた。
己が堺を愛していると伝わるような、慈愛のくちづけ。
そして、堺をいずれ抱きたいと思っていることを示すような、舌を絡める欲望のキスを。
堺は、この急展開についていけず、目が回る思いだった。
自分に、今、なにが起こっているのか、わからない。
「今は、忘れてしまいなさい。だが、次に私が堺の目の前に現れたとき、おまえが私を愛してくれたなら…」
藤王は、堺の額に手をやり。今晩の出来事を、しっかりと、硬く結びつけて封じる。
なにもかも、忘れてほしい。兄が獣であったことも。両親が堺を殺そうとしたことも。
堺を再び布団に寝かせると、真新しい手拭いを水差しの水で濡らすが。
どうしても血がついてしまうので。
見兼ねた不破が、手拭いを絞って、堺の額に当ててくれた。
「私はこの子を、君の毒牙から守る。ついてきなさい」
藤王は静かにうなずき、不破のうながしに従った。
この惨状を、早く誰かが気づくように、扉や玄関を、不自然に開け放しておいた。
誰かが、堺を医者に診せてくれるようにと、願いながら。
藤王は闇の中へと姿を消した。
しかし、この能力は。大きな痛手を負うことになる。理を無視して、移動距離を歪めるので、それなりの代償が求められる。
だが、どれほど傷を負っても、堺が死ぬよりはマシだ。
藤王は本拠地の場所を詳細に思い浮かべ、一歩踏み出す。
そこは本拠地の、左軍宿舎前だった。
成功したと思った途端、激しい目眩と咳き込みが起こり。藤王はうずくまって、その場に倒れた。
「ふ、藤王様、ですか? どうしてここに…」
宿舎から出てきたのは、左軍の待機の兵で。藤王が金蓮とともに前線に行ったことを知っていたのと、龍鬼に触れたくないという様子で、遠巻きに藤王にたずねた。
「…私用ができて。途中、折り返してきたのだ。赤穂様の隊は、到着しているか?」
地面に寝そべったまま、苦しげな様子で、藤王は兵に聞いた。
朝、赤穂たち右の幹部と、富士のふもとで別れた。金蓮の左軍を預かっていただけの赤穂たちは、大軍を引き連れていないので、その日のうちに本拠地に戻っているはずだ。
うまくすれば、堺と両親が会うのを、事前に阻止できる。
そのあと、両親を説得すればいい。
子を殺すなど、人道に背く行為だ、と。
「もう、到着しています。赤穂様は作戦対策室にいるようですが」
そこで、堺を捕まえられればいい。
藤王は懸命に立ち上がり、兵に笑いかけた。
「弟に…堺に用があるんだ。あの子、体が弱いから…」
「あぁ、看病ですか? 弟さん思いなのですね?」
兵は、兄弟仲がいいのだな、と。人のよさそうな顔でうなずいた。
それにひとつうなずきを返し。藤王は本拠地中央にある作戦対策室のある施設に向かった。
目眩は、空間酔いで、すぐにおさまったが。腹に重い打撃を食らったかのような不快感がある。
これが瞬間移動の代償だ。
しばらくは、体を俊敏には動かせないだろう。
対策室に入ると、赤穂がびっくりした顔で、藤王を見た。
それはそうだろう。朝は富士のふもとにいたのだ。
赤穂たちが帰ってくるのと、ほぼ同じ時間に、藤王が本拠地にいるはずがない。
「赤穂様、堺はどこに?」
「…堺は。途中で熱を出して。疲れが溜まっていたのだろうということで、そのまま一ヶ月の休暇を出したのだ。直で実家に戻ったが? 藤王は…龍鬼の力で?」
「あぁ、急な要件があって。では、失礼します」
慌ただしく、部屋を辞する。
やばい、直で帰ったら、三時間前には屋敷についている。
藤王は焦って、とにかく本拠地の外にある時雨家の屋敷に向かったのだ。
★★★★★
屋敷に入ると、まだ宵の口だというのに、使用人が離れに下がっていて。家の中がシンと静まっていた。
なにやら嫌な予感がして、真っ直ぐ堺の部屋に行く。
堺の部屋は玄関を入って、左手の奥。
両親たちは右手の側で生活している。
徹底して、堺と関わろうとしていないのを、それだけで感じ、気分が悪い。
とにかく。藤王は堺の部屋を開けた。
床板に布団が敷かれた、殺風景な部屋で。堺は横になっていた。
白い肌が赤く染まって、荒い息をついている。
本当に熱を出しているようだ。
もしかしたら、部屋に戻って、布団だけ自分で引っ張り出して、そのまま寝たのかもしれない。軍服を着たままだった。
「堺、可哀想に。誰も、なにもしてくれなかったか?」
だが、そばに水差しと薬が置いてある。誰か、様子を見に来たのだろうか。
とりあえず、藤王は。衣装箪笥から、紺一色の寝間着を出して、堺を着替えさせることにした。
「…兄さん?」
夢でも見ているような目で、堺は藤王を見た。
ここに、兄がいるわけがないと思っている。
今朝、富士にいたのだから、当然だな。
「堺、服を着替えさせてやる。なにも心配せず、力を抜いていろ」
藤王の言葉に、堺はくっきりとした形の目元を、安堵したみたいに細め。兄に委ねた。
布団を剥いで、藤王は堺の革帯をほどいていく。剣も下げたままだ。
帰ってきて、そのまま倒れ込んだという感じだな。
堺の剣を、枕元に置いて、藤王は堺の軍服を脱がしていった。
堺の裸身があらわになり、藤王はドキリと鼓動を高鳴らせる。
弟は安心して、兄に身を預けているのに。
想像で何度も目にした、淡い桃色の乳首に、どうしても目が吸い寄せられてしまい。藤王は、触れたい衝動に駆られた。
堺に。無垢な弟に、癒しと庇護欲を感じながらも。
己と交わり、悦ぶ、妄想の中の淫靡な弟も、見たいと思ってしまう。
金蓮によって、性の快楽という名の獣を目覚めさせられてしまった藤王は。堺と睦み合いたい欲求に囚われていた。
今まで灯っていなかったところに、火がついた。
堺を守りたいと思っていた、純粋だった心に。抱きたいという欲望の炎が立ち昇り。
その欲求を、おさえることができない。
いけない、と思い。一度、堺の身から離れた。
七歳のときに、前線基地で添い寝をしたが。あの頃みたいに、もう、華奢ではなく。
十五歳になった堺の体は、少したくましい青年のものになっている。
しかし筋肉が引き締まって、余分な肉のない体は、なまめかしくも見えた。
藤王は引き出しから手拭いを出し、水差しの水で湿らすと、堺の、熱で浮き出た汗の粒をそっと拭っていく。
熱に浮かされ、顔を赤くする堺は。快感に震える、想像の顔に似て。
だから、苦しいのだろうが、気持ち良さそうにも見えてしまう。
堺は閉じていた目を開き、兄を見た。
「すまない。力加減が強かったか?」
にっこりと、他意はないという笑みを見せると、堺もフと笑った。
「いいえ、大丈夫、です」
大丈夫なのか、と思うと。邪な想いが湧き起るが。
藤王は、堺の首の後ろに腕を回して、身を起こさせ、背中の汗を拭いた。
堺の背中は、なめらかで、当たり前だが翼がなく、つるりとした肌が、指先に触れると気持ちが良い。
「兄さん、くすぐったい…」
背中は、敏感なようだ。
くちづけでついばみ、舌で舐め濡らしたら、堺は背中だけで極めるんじゃないか?
「もう少し、我慢しなさい。我慢、できるか?」
「…我慢、できます」
我慢して、と言って、堺の後孔に己を挿入する妄想を何度もした。
我慢できます、と言う堺に出し入れして、貫いて、泣かせる夢も見た。
言葉だけだが、それが現実になり。
藤王は、己がどんどんたぎっていくのを感じた。
金蓮が己に触れる何倍も、本物の堺が口にする現実の言葉の方が、感じる。
だが、荒い息遣いは、情事のそれではなく。本当に弟が苦しんでいる証で。
藤王は己の欲望に蓋をして、堺に新しい着物を着せかけた。
大事な宝物をしまい込むように、襟を合わせて、帯で結ぶ。
ちゃんと整えた布団に、堺を横たえ、乱れた髪も整えた。
そうすると、己の美しい、いつもの弟の姿になる。
堺は藤王に笑いかけて、言った。
「ありがとうございます、兄さん。楽になりました」
硬い軍服を脱いで、身軽になりました、という意味なのだが。
不埒な藤王は、兆した堺を絶頂へ導いてあげたあとの、堺の台詞に思えてしまう。
自慰を知らぬ堺に、それを教えてあげる、そんな妄想もした。
「…喉が渇いただろう? 水を飲もうか」
体を動かして、少しつらくなったようで。堺は言葉にできない感じで、ようやくうなずいた。
藤王は、湯飲みに水差しの水を少し入れて…。
もしかして、と思ってしまった。
この水に、毒が仕込まれていたら?
だって、熱のある堺が、闇雲に布団を引っ張り出して、とりあえず寝たという、状況の中。
水差しと薬が置いてあるのが、違和感があるのだ。
まぁ、助けてはやらないけど、水と薬は置いておく、ということかもしれないが。
藤王は、水を少し飲んでみた。
でも、特に変な味はしない。
でも、薬は怪しいので、龍鬼の能力で燃やしてしまった。
すると炎の中で、緑色の変な色で燃え上がり、変な匂いもした。当たりだな。
両親は、発熱で苦しむ堺に、毒を仕込んで、始末しようとした、のか。
もう我慢ならなかった。
己から、堺を奪おうとする輩は。たとえ親でも許せない。
親をうながした金蓮も同罪だ。
「…兄さん?」
堺はまだ、夢のように思っているのかもしれない。
しばらく黙り込んだ兄が、いなくなってしまったのかと、不安そうな声を出す。
「あぁ、水だったな。今、飲ませてやる」
先ほどと同じように、藤王は堺の首の下に手を入れて、身を起き上がらせると。腕の中に抱いて、湯飲みの水を飲ませようとした。
だが、朦朧としている堺を見て。一度閉じた欲望の蓋が開く。
己が水を含んで、堺にくちづけた。
薄く開いた堺の唇に、ぴったりと唇を合わせ、水を流し込む。
堺はコクリと嚥下し、更なる水を求め、口腔で舌を動かした。
その舌先が触れたら、藤王は己の腰骨がズンと重くなるのを感じる。
「上手に飲めたな。もう一度。ちょっとずつだぞ」
少しだけ水を含んで、藤王は再び、堺の口腔に流し入れる。
藤王は…金蓮にキスは許さなかった。
龍鬼の唾液は危険です、と。もっともらしいことを言って、回避したのだ。
くちづけは、堺とだけしたかったから。
堺が四歳のとき『大きくなったら、兄さんのお嫁さんにしてください』なんて、あんまり可愛らしいことを言うものだから。食べちゃいたくなって、唇にチュウってしたことがある。
堺は、覚えていないだろう。
だが、あのくちづけが、藤王の至高だった。
だから、他の者で汚したくなくて、唇を死守したのだ。
廣伊に口移しで水を飲ませたことがあったが、あれは救命なので、藤王は記憶にとどめていない。
藤王の記憶にあるのは。愛らしく笑う、幼い堺にした、まばゆいあの日の、チュウだけだ。
でも、堺が大人になってからは、初めてのくちづけ。
藤王は、その柔らかい唇に、夢中になってしまった。
何度も水を含んで、堺にくちづける。藤王が舌を絡ませても、なすがまま。堺も水分を欲して、舌を伸ばした。
「あ、むぅ…ん」
堺はなにもわからないまま、口を開いて、兄が水を注いでくれるのを待つ。
だが、藤王は。
舌先をとがらせて待つ、堺の、その舌を舌でくすぐり。絡めて、深くくちづける。
水が欲しいのに。水も含まない、ただのくちづけだ。
「ん、に、いさ、ん」
水を求める堺に、訴えるような、とがめるような、なぜと問うような目でみつめられて。
藤王はようやく、小鳥に餌を与えるみたいに、ちょっとずつ水を堺に与える。
だがそのまま、濃厚で熱烈なキスをして。
唇を離し、またちょっとだけ水を与える。
堺の薄い唇を舌で舐め、撫でて。高熱で燃えるような舌を、己の低い温度の舌でなだめ、絡めて。
口腔をくちゅくちゅとくすぐるように、かき回す。
何度も夢に見た、堺とのくちづけに。藤王は溺れる。
甘やかな官能に、身が痺れるようだった。
「堺、もっと欲しいか?」
「はい。欲しい、ください、兄さん、ん…んんぅ」
ください、兄さん。と言われると。
己の剛直を欲しているようにも思え。背筋にぞくぞくと情欲が走る。
本能に支配され、藤王は堺を布団に押し倒す。
欲しいというのだから、このまま貫いても、いいんじゃないか?
だって、堺が己を欲しがっている…。
熱い体を堺にすりつけながら、藤王は水を与えるくちづけを、し続けた。
朦朧としている堺は、水を与えられたあとに、激しく口の中をかき回されることを、ひとつの流れのように思ってしまって。従順に、兄に身を委ねる。
兄は間違ったことなどしない。だからこれは、こういうものなのだと。盲目的に信じていたし。
深く考えるほど思考も動いていなかった。
「きゃあ!」
突然、叫び声が上がり。
藤王は、唇を堺につけたまま、部屋の扉を見やる。
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藤王は唇を優しくほどいて、堺の唇をいやらしく、見せつけるように舐めた。
「なんですか、母上、騒がしい。そろそろ、堺が息絶えたかと、様子を見に来たのですか?」
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すぐに体面を整える。
「なんのことかわかりません。それよりも藤王、堺から離れなさい。変な病がうつったらどうするのです? 貴方は時雨の後継なのですよ。金蓮様にも目をかけていただいて。金蓮様は貴方を生涯雇用すると約束してくださったの。その大切な体を、堺で汚してはなりません」
生涯雇用? ゾッとする話だ。
金蓮に、一生慰み者にされろと言うのか。冗談じゃない。
藤王はそっと身を起こし。堺を庇うように、布団の前で母と対峙した。
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図星を刺され、父は奥歯を噛む。
厳しく真面目で、それゆえ嘘のつけない父だった。
「それしかないのだ。時雨家を存続させるためだ。この家は、おまえさえいれば、断絶を免れる。先代の山吹様は龍鬼を重用なさり、我らも安泰だった。しかし、金蓮様は龍鬼を嫌っている。おまえ以外の龍鬼は汚いからいらないとおっしゃられた。本来、龍鬼を出した家は断絶させられる。山吹様の代では、目こぼしされていたことが。代替わりされて、そうではなくなったのだ。わかるだろう?」
わからない。藤王は首を横に振った。
「堺を、貴方の息子を殺さなければ、存続できない家など、滅びてしまえばいい」
赤い目を厳しく光らせて、父に告げたが。
父は剣を抜いた。
「我らタンチョウ血脈は、美しく、高潔で、才知ある、貴重な一族だ。堺のせいで、滅びさせるわけにはいかない。そこを退くんだ、藤王。もう、堺はいらぬ」
「父上ぇ…」
頼りない、震える悲しげな声が、藤王の背後から聞こえた。
堺には、聞かせたくなかったのに。
父がいらぬと言ったのが、堺に聞こえてしまったのだろうか?
このように、散々、心優しい息子を傷つける父に、藤王は憤怒した。
「堺は、私の嫁にすると言っただろう。私の伴侶に、誰も手は出させない」
もうためらうことなく、藤王も剣を抜いた。
どうしても堺を殺そうというのならば、己はなにがなんでもそれを阻止する。
たとえ、親を殺してでも。
子供に手をかけるような親は、もはや親ではない。
「藤王、父に剣を向けるとは、何事ですか? おまえは分別のある、賢い子でしょう? 堺にたぶらかされて、周りが見えなくなっているだけよ。少し目を閉じていなさい。その間に、すべてが終わるわ」
目を閉じれば、金蓮におもちゃにされる屈辱の悪夢が見えるだけだ。
藤王は、蔑む目で、両親を見やる。
「目を覚ませと言いたいのはこちらだ。堺よりも大事なものなど、この世にはない」
「退け、藤王!」
父が剣を振りかぶり、いよいよ殺さなければならないかと。藤王が覚悟を決めたとき。
黒い影が目の前をよぎった。
それは素早く刀を抜くと、父を一刀両断し。悲鳴をあげる前に、母も、返す刀で斬り伏せた。
藤王は、ただ、息をのむ。目の前の、黒装束の男には…翼がない。
「…貴方は?」
「手裏軍の天龍、不破。救済の龍鬼だ」
不破は、手裏の軍服を着ていて、髪も黒。だが、波打つ髪には白髪も混じっていて、かなり年上に見えた。
顔貌は、それほど老けては見えないが。どこか、くたびれた印象がある。
「私は、千里眼を持つ龍鬼だ。虐げられた龍鬼や子供たちを、救済して回っている。虐待にあう者、龍鬼として不遇な扱いをされる者、このままでは死んでしまうというような環境にいる者を、助けるのを信条としている」
そう言うと、不破は綺麗な所作で、刀を振って血を払い。鞘におさめる。
彼の言葉が事実なら、それは素晴らしい行いだ、と藤王は思った。
彼は敵ながら、親の手にかかりそうだった堺を、救いに来てくれたのだ。
藤王も、抜いていた剣をおさめた。
「藤王、君の周辺が、この頃不穏だったので、様子をずっとうかがっていたのだ。私は、龍鬼の心が傷つくのも、防ぎたいと思っている。君は今、両親を殺そうとしたな? たとえ、憎いと思う親でも、子が親を殺したら、一生苦しむことになる。だから、私が殺したのだ」
「私の、ため?」
「君だって、救いを求める龍鬼だろう? ずっと、苦しんできたではないか」
己は、苦しんでいたのだろうか。自分ではわからない。
惨殺され、息絶える父と母を、藤王は見下ろした。
己を、将堂に捧げる駒という目でしか見なかった。
なんの落ち度もない堺を、ずっと忌避してきた。
そんな両親に湧く情など、すでに枯渇している。
両親が目の前で、不破に殺されても。心はそれほど揺らいでいない。
己が殺すと、一度は覚悟を決めたからだろうか?
でも不破が言うように、血脈を己の手で斬り伏せたら、いずれ、苦しみにあえぐ日が来たのかもしれない。
それを、この龍鬼は防いでくれたのだろう。
藤王は、堺のことだけを気に掛けていたから、己の気持ちなど二の次だった。
「だが、先ほどの行いは、いただけないな。彼は、君との触れ合いやくちづけを、自分から望んでいたわけではなかろう? 同意のない性行為は、虐待だよ?」
虐待と言われ、藤王は、体の芯から冷える思いがした。
己は、堺を傷つけたのだろうか?
「しかし、私は。堺を嫁にするつもりで…」
「それも、君がそう宣言しているだけで、彼が喜んで受け入れているわけではないだろう? 私の千里眼では、まだ堺に結婚の申し入れをしていないように見えたが。違うか?」
していない。
藤王は息をのんで、堺をみつめる。
一時は目を覚まし、声を発していたが。今、堺の意識は、再び深く沈んでいる。
夢うつつを繰り返しているのかもしれない。
赤い顔をして、つらそうな息遣いで、目をつぶっている。
先ほどは、その顔すら扇情的に見えていたというのに。今は、ただただ苦しそうに見える。
そうだ。己は、己の欲に囚われ、発熱に苦しむ堺に、邪な手で触れてしまったのだ。
愛しているとも、結婚しようとも、告げていない。
堺の意志は、ここにはなにもない。
愕然とした。
「このまま君が、この子のそばにい続けたら、きっと、この子を壊す。そうだろう?」
「そうだ。私は堺を愛している。この弟を、かけがえのない半身を、私は私のものにしたくて、たまらないのだ」
「子供を傷つけることを、私は許さない。君も、弟を、欲望のまま踏みにじり、傷つけたくはなかろう?」
そうだ。己は、堺を傷つける者を許さない。
たとえ、親でも。
たとえ、己でも。
「私は、どうしたら…」
「この子の記憶を消したらどうだ? 君にはそれができるはずだ」
誰も知らぬことを言い当てられて、藤王はギョッとした。
藤王の能力は、目に見えるものは、炎を操ることだが。
真の特異能力は、他人の龍鬼の能力を、一度だけ模倣できることだった。
そして、堺は。精神を操る能力を持っている。
己は。堺の能力を使って、堺の記憶を結んで、封じることができる。
「父上、母上…」
堺の声がして、藤王が振り返ると。堺は部屋の中で惨殺されている両親に目を止め、驚愕していた。
ついさっき、深い眠りについていると思ったのに。
ゆるりと身を起こし、堺は不破を、きつく睨みつけた。
「おまえが? 手裏兵、おまえが、父上と、母上を?」
そして、無意識のうちに、枕元に置かれた剣を手にし。堺は不破に、剣を突き立てようとした。
堺の目は、藤王を素通りしている。
両親を殺されたという想いが、堺の視野を狭め、不破しか目に入っていないような様子だった。
いけない。堺。
不破は助けてくれたのだ。我ら兄弟を。
その者に、剣を向けてはいけない。
勝手に体が動いて、藤王は不破の前に出た。
堺が突き立てようとする剣を、右手で受け止める。
堺は途中で、藤王が立ちはだかるのに気づいて。剣の勢いを止めたが。
藤王の右手に剣先が深く刺さってしまう。
「くっ…駄目だ、さか、い」
堺の剣筋は、鋭く。藤王の手のひらをえぐり、鮮血が飛び散った。
堺は慌てて、剣を引き抜く。
「兄さん、どうして…なにが、どうなって…」
高熱で頭が回らない中、惨殺された両親、見知らぬ手裏兵、それを庇う兄。ここにいないはずの兄。
堺はこの現状が、全くわからなかった。
ただ、己が、兄を傷つけたということだけは、わかった。
「…兄さん。ごめんなさい」
硬く握りしめていた剣を、堺は手から離し。藤王の傷ついた手を両手で包むと、傷口を舌で舐めた。
子供の頃、庭で転んで膝をすりむいた、堺のその傷を、藤王が舐めて癒したように。
「あぁ、堺。おまえは、そのようなことをしなくていいんだよ」
口の周りを、藤王の血で堺は濡らす。
弟の頬を撫でて、藤王はなだめるが。その堺の白い肌も、己の赤い血で汚してしまう。
髪を撫でても。白く、美しい、己の弟が、赤い血で染まってしまう。
それは、自分が堺のそばにいることで、堺を汚し続けてしまうような気にさせ。藤王は苦笑いした。
「堺、よく聞きなさい。私は、堺のことを愛している」
涙目を丸くして、堺は兄をみつめる。
兄が弟を愛するのは、当たり前のことだという顔つきだ。
おそらく堺も、弟として、兄を愛しているのだろうから。
「いつか、おまえを嫁にしたい。そういう愛しているだよ」
そうして、藤王は。堺にくちづけた。
己が堺を愛していると伝わるような、慈愛のくちづけ。
そして、堺をいずれ抱きたいと思っていることを示すような、舌を絡める欲望のキスを。
堺は、この急展開についていけず、目が回る思いだった。
自分に、今、なにが起こっているのか、わからない。
「今は、忘れてしまいなさい。だが、次に私が堺の目の前に現れたとき、おまえが私を愛してくれたなら…」
藤王は、堺の額に手をやり。今晩の出来事を、しっかりと、硬く結びつけて封じる。
なにもかも、忘れてほしい。兄が獣であったことも。両親が堺を殺そうとしたことも。
堺を再び布団に寝かせると、真新しい手拭いを水差しの水で濡らすが。
どうしても血がついてしまうので。
見兼ねた不破が、手拭いを絞って、堺の額に当ててくれた。
「私はこの子を、君の毒牙から守る。ついてきなさい」
藤王は静かにうなずき、不破のうながしに従った。
この惨状を、早く誰かが気づくように、扉や玄関を、不自然に開け放しておいた。
誰かが、堺を医者に診せてくれるようにと、願いながら。
藤王は闇の中へと姿を消した。
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