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番外 准将、将堂青桐 3

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 翌日。青桐は堺に手伝ってもらって、茶色の軍服を身につけた。
 正真正銘、初めて袖を通すので着方がわからない。
 特に、防具が。
 革の防具は硬くてゴワゴワしていて少し息苦しいが、慣れると体に密着するみたいで、違和感がなくなる。不思議だ。
 茶色の軍服を着る兵は、村に降りたときたまに見かけたので。物珍しくはないのだが。
 どうせなら、堺が着ている薄青の物が良かった。

 堺の案内で道場に行くと、三人の男性が床板に正座して待っていた。
「青桐様。こちらは、右次将軍の麟義瀬間です。瀬間には剣技を指導していただきます。青桐様が戦場で戸惑うことのないように、我らが助力いたします」
「麟義瀬間です。誠心誠意務めさせていただきます」

 瀬間はだいだい色の、派手な髪色で。とても目立つ。
 大柄で、横も縦も分厚みもある体つき。相当鍛えているように見えた。

「その隣が、参謀職の美濃幸直と里中巴です。青桐様が率いる幹部になります」
 ふたりも、青桐に頭を下げた。
 黒髪の巴はともかく、薄茶色の髪の幸直は、尖った視線を青桐に向けている。
 なにか、不服そうだ。

「青桐様。記憶を無くした貴方が、我らを率いれるとは思えません。なので、貴方を少し試したいのだが、いかがか?」
 幸直がそう言い、他の幹部は様子見。
 堺だけが、少し慌てていた。

「幸直、今日は顔合わせだけだ。少しは剣術指導をしなければ…」
「俺は、青桐様の剣術が見たいわけではない。青桐様の覚悟や、心根を知りたい」
 まぁ確かに、どこの馬の骨ともわからない者がいきなり己の上官になると言われても、納得できないのだろう。
 幹部は、青桐が赤穂ではないと知っているのだろうからな。
 その気持ち、理解できます。

「わかった」
 青桐が承諾すると、堺は表情をあまり動かさないながらもオロオロして見えた。

「青桐様、なにをするのかわかって言っているのですか?」
「わからないが。早く認められたいからな。堺の部下であるのなら、なおさらうまく付き合っていきたい」
「私の部下ではなく、貴方の部下なのです。貴方が退けても、幸直は文句を言えません」
 あぁ、それほどに力があるのか。
 まぁそうだ。将堂家だものな。

「いずれは通る道だろう? ならば、早々に見極めてもらおう」
 なにをやるのか、と思っていたら。瀬間が木刀を渡してくれる。
 剣を合わせて相手を知る、というやつだな。
 わかりやすい。自分も、己の剣がどれだけここで通じるのか確かめたいから、丁度いいぞ。

「木刀を俺の体に当てられたら、認める。貴方の下につき、指南もさせていただく」
 へりくだりつつも上から目線だな、と青桐は感じた。
 両手で、木刀を構える。だが幸直は片手持ちだ。

「俺は片手だ。記憶がない青桐様なら、それでも俺には触れられないでしょう?」
 カチーンときたね。
 あなどり過ぎだぞ、坊ちゃんっ!

 闘志むき出しにして、青桐は不敵にニヤリと笑った。
「あとで吠え面かくなよ」

 先手必勝で、幸直に襲い掛かる。
 ガツガツと打ち込んだ。さすがに将堂の幹部だけあって、片手でも青桐の攻撃をうまく受け流している。
 しかし、足元が御留守だ。
 剣筋を上下に繰り出していくと、多彩な攻撃に対処できなくなっていき、さらに片手縛りがきつくなってきたのか、力も弱くなってきた。
 そこを押し切っていったら、幸直は吹っ飛ばされて。道場の壁に体をぶち当ててしまう。
 幸直は驚いた様子で『赤穂様…嘘だろ』とつぶやいた。

「見事です。記憶がないというのに、全く幸直に引けを取っていない」
 感嘆して言う瀬間に、青桐は冷静に答えを返す。

「体が覚えているようですね。勝手に動いた。以前の俺には遠く及ばないだろうが、瀬間、戦場でも戦えるよう指導をよろしく頼む」
 瀬間と巴は納得したように、うなずいてくれた。
 でも、幸直はまだ噛みついてきた。
「い、今のは油断した。もう一回、今度は負けませんよ、青桐様」

 認めない、というよりは。単純に、もっと剣を交わしたいというように見える。
 剣術の鍛錬は日課だったので、体を動かせるのはありがたい。
 この道場、いつでも使えるのかな?
 あとで堺に聞いてみよう。

「戦場でも油断したと言えるのか? でも、まぁ剣の指南というのなら歓迎だが?」
 幸直に笑いかけると。彼は『よろしくお願いします』と頭を下げた。
 直情で素直、わかりやすい性質の男だなと、青桐は分析した。
 まぁとにもかくにも幹部には受け入れられたようで、ひと息つく。

 では幸直ともう一戦、と思ったところで。声がかかった。
「朝早くから剣の鍛錬ですか? 精が出ますね」

 綺麗な着物を重ね着した男が、道場に入ってきた。細い目を、一段と細くして微笑んでいる。
 あっ、己を襲ったやつだ。

 青桐はドキリとしたが。
 とっさに演技ができた。
 こいつの顔を、見ていないフリ。

「青桐様は記憶喪失になられたと聞きましたので、自己紹介をさせていただきます。左側近の、統花燎源と申します」
「兄上様の部下の方です」

 堺が補足で、耳元にこっそりと囁いた。
 なるほど。彼が、見張っているようだな。
 幹部連中が、あまり良い顔をしていない。
 ということは堺に精神操作を指示したやつ、ということになる。
 思うところもあり、不愉快な気分になるが。
 ここは初対面という場だ。気を引き締めて、兄の部下であるこの男に掛ける言葉を考えた。

「兄上とは、いつ、お会いできますか?」
「年末には、会えるよう調整させていただきます」
 ふーん、年末といったら、一週間あるかないか。それくらいで会えるのか。
 兄上とやらは、赤穂と青桐が入れ替わっていることを、知らないのかな?

 それとも、指示した親玉かな?

「良かったですね、青桐様。御家族のことを、気にされていましたから、早く対面の場が叶って、お喜びでしょう?」
 昨日、家族のことで堺に探りを入れた。
 でも、それは青桐が堺に伴侶であると認めてほしかったからで。
 特に偽物の家族に会いたい、というわけではなかったのだが。

 堺が、あんまり嬉しそうに言うから。青桐もふんわりと微笑んだ。
 つか、微笑むしかなかった。

「万事うまく事が運んでいるようだ。これからも如才なく、青桐様をお支えしてくれ」
 堺や幹部連中が、への字口で燎源に頭を下げる。よっぽど嫌な仕事だったんだな。
 でもつまり、この右軍幹部たちは、人ひとりの人生が覆されることを良しとはしない、真っ当な考え方をする人たちということだ。
 そう思えば、好感を持てる。

 つぅか、己の前で万事がうまく、とか言ってしまうこの燎源という男。血も涙もなさそう。
 己の頭を、剣の入った鞘で思いっきり殴ってきた、その容赦のない感じ。
 細い目の下で、厳しく監視しているみたいだし。油断しない方がいい。
 見透かされないよう、彼は特に警戒しておこう。

     ★★★★★

 道場の鍛錬が終わったあと、朝食は幹部たちとともにとった。これから食事は、この面子で食べる。
 大きな囲炉裏の部屋で、和気あいあい、ではないけれど。
 幸直がなにか話して、それに誰かが答えるというような、比較的静かな食事風景。
 でも、青桐は。爺さんが死んでからずっとひとりの食卓だったので、誰かと食べるということ自体がなんだか嬉しいし、気分が上がる。
 上座にいるから、ちょっと距離は遠く感じるけれど。
 すぐそばに堺がいるし。悪くないじゃん。

 青桐は『将堂の次男生活』を、ちょっと楽しめるようになってきた。
 その後は堺の部屋で、彼と、世間話という名の基本的な教育をすることになった。
 小さな囲炉裏がある、こじんまりとした部屋。
 己が使っている、だだっ広い部屋でひとりでいるよりも、この部屋で堺と肩を並べて話をする方が、落ち着く感じがする。
 ま、山小屋が小さかったから、小さい部屋が慣れているってことでもあるが。

 堺が教えてくれることは、大体知っている。わからない顔はするけれど。
 将堂と手裏が、なぜ戦をしているのかとか。主義的なこととか。

 でも、将堂軍の体系、右軍や左軍の性質の違い、兵の人数とか。地位などはわからなかったから、ためになる。
 自分は、やはり准将で。上から二番目の地位だった。
 恐れ多くて、背筋に冷たい汗が流れるよ。

「なぁ、堺。さっき幸直が、俺のことを赤穂様と呼んだが、それは?」
 赤穂がどういう人物か知っているが、あえて聞いてみる。
 赤穂はどうなったのか? 本当に赤穂の替え玉なのか、それを知りたくて。

「赤穂様、というのは。青桐様の改名前の名前です。大きなケガが続いたので、縁起が悪いということで。今回の落馬を機に金蓮様が名を改めました。その報は全軍に行き届いているはずです」
 あぁ、やっぱり、赤穂の替え玉だったか。
 もう、大分そうだろうとは思っていたけれど。これではっきりしたな。

 それにしても、昨日の今日で改名を布告するとか、マジか?
 だとすると、兄上とやらが首謀者で間違いないな。
 話運びが、迅速すぎる。

 それと、赤穂は。本当に、怪我かなにかで動けない状態なのかもしれない。
 もしくは…考えたくはないが、すでに亡くなっているのか。

「堺、ふたりのときは、青桐と呼ぶ約束だろう?」
 自分は、記憶喪失中の赤穂という設定だから。堺に、本当の赤穂がどうなったのかは、聞けない。
 青桐は話題を変え、堺にそれをうながした。
 堺は、すぐに心の距離を離そうとする。そうはいかないぞ。

「…くれぐれも、私が青桐を呼び捨てにしていることを瀬間には気づかれないようにしてくださいね。彼は特別礼儀作法に厳しい方ですので、知られたら、私は後ろから刺されてしまいます」
 冗談、だよな?
 表情を動かさずに堺は言うから、冗談と本気の区別がつかない。

「そんなにか? じゃあ、瀬間には内緒だな」
 さりげなく、青桐は隣に座る堺の手を握った。
 大丈夫、ふたりの秘密だからな。誰にも言ったりしないよ。
 そんな気持ちで、微笑みかけたが。
 堺は。手を、素早く引っ込めてしまった。

「いけません。私は龍鬼なのです。そのように不用意に触れては…」
 突然に拒否されて、青桐は呆気にとられた。
 昨日から、いい感じだった。
 結婚も、承諾してくれた。なかったことにされたけれど。
 でも一度は承諾したのだから、自分が嫌われているわけではないということだと思っていたのに。

「だから、なんだ? 龍鬼だから、堺に触れてはいけない。なんてことは、ないだろう?」
「将堂の方は、龍鬼に触れてはならないのです」

 なんだ、それは?
 それに、己は将堂ではない。それは堺も知っているはずなのに。
 己を、将堂の檻に入れ、堺は遠ざかるつもりなのか?

 そんなのは許さない。

「俺は、堺に触れたい。だから、触れる。拒絶など許さない」
 そうして強引に、堺の手を握った。無理強いしているようにも感じ、気分は悪いが。堺は特段、己が嫌いだから触らないでくれと言っているようには見えなかった。
 手を握られて、白い顔がほんのり赤く色づいている。

「なぁ、堺? 俺が嫌いか?」
「とんでもありませんっ」
 青桐がたずねると、かぶせ気味に答える。
 嫌われていないなら、まぁ良かった。

「ただ、私は龍鬼だから。そばにいると、ご迷惑がかかるかもしれません。申し訳ありません」
 とても悲しそうに言うので。青桐は手を離した。
 堺は、なにに苦しんでいるのだろう?

「堺がそばにいないと、寂しいよ。だから、そばにいてくれ」
「貴方に寂しい想いはさせません。そばにいます。貴方が望む限り…」

 堺を望まない未来など、永久に来ないのに。
 堺は、そのときが必ず来る、そんな諦めの色を瞳に乗せる。
 その答えは数日後、ある男の出現により明らかになったのだ。

     ★★★★★

 それから数日、特に変わらぬ日々が続いた。
 瀬間と剣の鍛錬をして、堺と礼儀作法や立ち居振る舞いなどを指導される。幸直と巴から習う兵法は、全く齧っていなかったのでさっぱりわからなかったが。それはそれで、知識欲が満たされて楽しい。

 体を鍛え、勉強し、焚き木を売る。そのきこりの部分がなくなっただけで、特に以前と変わらない生活のような気もする。
 ただ、そばに堺がいる。
 美しい人。好きな人。
 それは青桐の心に潤いをもたらしていた。そこが以前とは大きく違うところだ。

 心細い、寂しい、己が嫌いじゃないのなら、と情に訴えて、堺と同じ部屋で寝る権利を獲得した。
 寝床を並べていると、本当の夫婦になったような気がして気持ちが上がる。
 徐々に、心の距離が縮まっているのを実感していた。

「でも、同じ部屋で寝るのは、この屋敷だけですよ。年が明けたら本拠地へ移動します。その日までには、ひとりで寝ることに慣れていただかなければ…」
「でも堺は、本拠地へ行っても一緒に暮らしてくれるんだろ? 俺をひとりにしないよな?」
「貴方が望むのなら、ご一緒しますが…」
「あぁ、俺は。向こうに行っても、ここで過ごしたようにしたい。堺とともにいたい」

 求める言葉を告げると、堺はほんのりと頬を染め。ぎこちなく、笑ってみせる。
 ちょっとだけ、困っているようにも見えるが。
 口説かれるの、慣れてないのかな?
 でも、いつか嫁になるのだから。堺の方こそ、己に慣れてくれないとな。
 はにかむ堺も初々しくて、可愛いけれど。

 あと、たまに燎源が顔を出す。
 笑みを浮かべて、ほがらかに会話をするが。早く時間が過ぎてほしいと、内心思っている。
 それほどに緊張する相手だった。

 堺と勉強したあと、少し気晴らしに外の空気を吸おうということになった。
 雪が積もる庭は、ただただ寒い。
 だが、庭の椿は堺の白さをより引き立てて、素敵な風景だ。
 こんな間近で綺麗な人を堪能する贅沢、最高である。

「堺、大丈夫だったか?」
 そのとき、誰かが声をかけた。
 准将の己より、堺に先に声をかける人物は、この屋敷にはいない。
 赤穂の上に胡坐をかくわけではないが、不躾ではある。

 しかし。堺は男を認めると、花が咲いたかのようなあたたかな微笑みを浮かべ、彼に駆け寄った。
「来てくれたのですね? 紫輝」

 え? 己を置いていった?
 今まで堺が、自分より誰かを優先することなどなかった。
 それだけではなく、男が堺に思いっきり抱きついたのだ。

 はぁ? なにそれ。
 そんなこと、伴侶候補である己もしたことがないのに。
 どころか、触れようとしただけで避けられるのに。

 むかつく、むかつく、最高に気分悪い。

「堺、そいつは誰だ」
 憤りのままに声を出したら。客にそんな態度はいけませんと、怒られてしまった。
 むむむ、礼儀作法…。
 そんな己を見て、男は言う。

「いいね!」
 なにがだっ! 堺も首を傾げる、突拍子のなさだ。

「赤穂、久しぶり。あっ、青桐に名前変えたんだって? 馬から落ちて頭打つなんて。ドジだな」
「…ドジ」
 それは、そういう設定なのだ。
 己であって、己でない。己はドジではない。

 訂正できないけれど、堺と親密なこの男にそう思われるのが、すっごく腹立たしい。

「記憶喪失になったんだって? 金蓮様から聞いたよ。まさか親友の俺の顔も忘れるとはね。まぁ、いい。また友達になろうぜ、青桐。俺は間宮紫輝、右第五大隊副長だ」
 紫の軍服、その腕にある記章を見せ、にっかり笑う。すごく快活そうな、ガキ。
 ちんちくりんな、ガキ。
 こいつが堺を泣かしていた、あのしきなのか?

「龍鬼の俺と友達は、嫌か?」
 こいつをじっくり観察していたら、電撃発言かましてきた。
 は? 堺の前でなんてことを言うのだ。
 こいつと友達なんざ、まっぴらごめんだが。拒否したら、堺も拒否したことになるじゃないか!

「龍鬼とか関係ない。ただ、おまえのことは知らないから…」
 一応、断ったつもりだが。なにやら嬉しげ。
 なんでだ? こいつの考えていることがさっぱりわからねぇ。

 するとこいつは、ふたりで話したいから堺に下がれなんて言い出した。
 己に仕える堺が自分の元を離れるわけねぇだろ、と思ったのに。
 堺は、紫輝に従った。

 え? 嘘だろ?
 紫輝の方が、堺より見るからに年下だろうし。位も下なのに。なんで?
 この男は、いったい何者なのだ?
 青桐は用心深く。そして敵意を込めて、紫輝を睨んだ。

「真っ赤だな」
 紫輝は、椿を見て言う。
「おまえは真っ黒だな。翼はねぇが…」
 自分で言って、青桐は、目の前の男が龍鬼だとしっかり認識した。

 堺は、紫輝が龍鬼だから、抱きつくのを許したのか?
 どちらにしても、堺が自分以外の者に気を許すのが、胸糞悪い。
 話があるとか言っていたが、さっさと話して、どっかに行ってくれないかなぁ…なんて考えていた。

 そうしたら、突然体を寄せてきて。こっそりと囁いたのだ。
 俺と親子だと。
 はぁ?

「なに言ってんだ?」
 こいつとは、年齢がそれほど離れていないように思う。いくら赤穂と言えど、十歳未満で子供は作れないだろう。

「本当だよ、堺も知ってる。俺は赤穂の息子だ」
 ある事件があって、龍鬼だから大きくなっちゃったんだ、なんて言う。
 いやいや、なんで、そんな馬鹿みたいな出来事が起きるんだ?
 いや、起きない。ゆえに、こいつが言っていることはハッタリだ。

「青桐も、記憶がなくたって、感じるんじゃない? 俺が息子だって」
 己は違う。赤穂じゃないから、なにも感じない。
 でもこいつは、己を赤穂だと思っているのか。

 己の父だと。

 だとしたら、うなずくべきなのか?
 でもハッタリだったら?
 わからない。ここをどう乗り越えたらいいのか。

「し、親友だと、言っていたじゃないか」
「そう言わないと気味悪がられるだろ? それでなくても、龍鬼で肩身が狭い思いをしてるっていうのに」

 龍鬼だと、肩身が狭い? 気味悪がられる?
 世間はそういう認識なのか?
 だから堺は、あんなにも悲しげに、私は龍鬼ですからと言うのか?

 聞きたい。そこを詳しく。
 なぜ堺が、嫌いではないのに己を避けるのかを。 

「龍鬼というのは、なんでそんなにも異端の扱いをされているのか? 俺は記憶を無くしたから、そこら辺のことはわからなくて。…堺は俺が触ろうとすると、謝るんだ。触らないでくれという拒絶ではなく。そばにいて申し訳ありません。みたいな。なんでだ?」

 紫輝は苦笑しつつも、龍鬼のことについて話してくれた。
 目撃したら、子孫から龍鬼が生まれる。触れば翼が腐り落ちる。
 は? そんなことあるわけねぇ。

「堺は青桐を守るために、そう言うんだ。優しい人だよね」
 俺が守られている?
 なにから? なんのために?
 なぜ優しいということになる?

「守るって、なにからだ」
「世間の目からだよ。将堂の者が、龍鬼に汚染されたと思われないように、距離を取る」

 なぜだよ。
 堺は己がきこりで、一般人だと知っているじゃないか。
 将堂の血などない。守ることなどない。

「そんなの、余計なお世話だ。俺はしたいと思うことをする」
 将堂でもない己が、将堂の一員になってなんになる?
 それで堺に触れられねぇとか、考えられねぇ。

「でもさ、俺という息子がいるんだから、青桐には堺に手を伸ばす資格はないんじゃない?」
 こいつはまた、近くに寄ってきて毒を吐いた。
 なんだよ。なんでだよ。
 赤穂の息子と、見も知らぬ妻に、なんで己がこれほど翻弄されなければならないんだっ。

「妻がいるのか? 俺はその人の夫にならなければならないのか? 堺はそんなこと言ってなかったのに…」
 まさか、妻がいるなんて。
 いや、しかし…こいつという子供がいるなら。
 でも、こいつの話を鵜のみにしていいのか?

 混乱が混乱を呼び、爺さんに教わった精神鍛錬も、このときばかりは全く効かなかった。
「ま、青桐が赤穂でないなら、話は別だけど」

 そうだよ。己は赤穂ではないのだ。
 見知らぬ女と結婚する義務は、ない。
 つい、ホッとしてしまった。

「青桐は赤穂じゃない。でしょ? でもそれを知っているってことは、記憶喪失状態じゃない」
 しまった。気を抜きすぎたか?
 いや、でもまだ巻き返せる。ここでバレるわけにはいかないんだ。

 そうしたらこいつは、なんでかボロを出した。
 赤穂の息子だということは、龍鬼しか知らない大きな秘密だと。

 馬鹿め。

 自ら弱味をさらけ出すとは。
 龍鬼といえど、やはり子供なんだな?

 青桐は、紫輝の急所を突くべく、ニヤリと笑って宣言した。
「大きな秘密か。それはおまえの弱点だろ? バラされたくなきゃ、俺のことは黙っていろ」
 これで、こいつの口を封じられる。まだ記憶のないフリをして、堺のそばにいられる。

 満足そうに口角をあげて、紫輝を見下ろすが。
 記憶喪失状態ではないと同義なことを言ってしまったことに、このときは気づいていなかった。

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