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〚10〛笑顔の協力者と不器用で可愛い主

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「……その慌てたご様子、想定していた最悪の事態となりましたかな?」

 シモンは指示どおりに馬を発車させると、俺の方を見ずに尋ねた。口では心配している風を装っているが、彼の口元は笑いを堪えるのに必死そうだ。


「婚約破棄宣言は明確に否定しなかったから、ギリギリセーフのはずだ。できれば国外追放して欲しかったんだが……アドラシオン殿下の離宮で謹慎という名の軟禁生活が決定した。あの変態は俺を手放す気が全くない」

 俺は大きく溜め息をつくと、座席に深く身体を預けた。シモンが肩を小刻みに震わせているのが見えるが、無視することにする。 


「それは……大変ですね……」
「笑いを堪え切れていないぞ?お前、面白がってるだろ。他人事だと思って」

 俺がジロリと睨むように見ると、シモンは咳払いをしてから姿勢を正した。


「申し訳ございません。ルシア様と会話するのが懐かしくて……。大変失礼致しました」

 彼は濃紺の前髪をかき上げて目尻の涙を拭うと、その端正な顔を俺に向けた。俺は彼のその表情に思わず見とれてしまう。

「お前、なんか若返った?」
 俺は思わず、思ったことをそのまま口にしていた。屋敷にいた頃と違い、前髪を下ろしているからなのか。ターコイズブルーの切れ長の瞳やスッと通った鼻筋が際立っていて、より男前度が上がったように見える。

「まあ、一応まだ学生ですからね。若く見せないと」
「何だ、若作りか。それよりお前、この馬車持ち出す時、誰にも見られてないだろうな?」
「もちろん、抜かりはございません」
 彼は穏やかに微笑んだ。

「その言い方、何だか凄く胡散臭いぞ」
 俺が半眼で睨むと、シモンは悪戯っぽく笑う。その笑顔が懐かしくて、安堵してしまう自分に少し驚いた。



「ところで、ルシア様。私が退職する際、お渡した指南書は読みましたか?アドラシオン殿下の性癖に対応していると思われるものを選んだのですが……」
「燃やした」

 俺が即答すると、シモンは大袈裟に「苦労して手に入れたのに……!!」と頭を抱えた。一通り読んで卒倒してしまった事実は、恥ずかしいので伏せておく。


「……そもそも、ルシア様から助けて欲しいという連絡を頂いたときは、私、てっきりアレを実践で教えて欲しいのかと、ソッチの準備をいろいろとしていたのですが……」
「ソッチの準備ってなんだ、準備って」
 俺は思わず突っ込んでしまう。

「……知りたいですか?実践で」
 シモンが妖しい笑みを浮かべて、俺を見る。俺は慌てて首を振った。
「いい!遠慮する!!」
 俺が拒否すると、シモンは残念そうに肩を竦めたが、それ以上追及してくることはなかった。



 
「それで?当初の予定どおり、このまま屋敷には戻らないおつもりで?」

 馬車の手綱を握りながら、シモンは俺に尋ねた。学園から屋敷への帰り道とは逆方向に馬車を走らせているため、当然屋敷に向かっていないことは明らかだ。


「ああ、できれば俺はこのまま『死ぬ』ことにしたい」


 俺の言葉に、胡散臭い元執事は目を細めて「本当に思い切ったことをしますね」と苦笑した。



***
 
「人気も無いし、この辺りでいいですかね。じゃあ、ルシア様、制服を全部脱いでください。あと靴も。あ、下着もですよ?」


 シモンは崖に差し掛かったところで馬車を止めると、俺に向かって笑顔でそう告げた。俺は思わず眉を顰める。

「……お前、なんか言い方がやらしくないか?」
「時間がないんですよ!ほら、さっさと脱いで着替えてください」
「制服はともかく、下着まで変える必要があるのか?」
「ありますよ。平民がシルクの下着なんて着てたらおかしいでしょ?ひん剥かれて調査されても大丈夫な状態にしておかないと!」
「……なんかいろいろ引っ掛かる発言だが、まあ……分かった」

 俺は仕方がなく言われた通りにその場で制服を脱ぎ始めた。子どもの頃から身近にいた奴の前だと羞恥心も薄れて、平気で着替えていたから今更だ。
 シモンの目の前に全裸を晒すことも抵抗がないが、彼は手で口元を覆いながら「大人になりましたねえ……」と感慨深そうに呟いた。視線の先は俺というより、俺の下半身のような気がするが、気のせいだと自分に言い聞かせる。


「早く着替えを寄越せよ」

 俺はシモンが用意していた、平民の格好に着替えた。麻でできた襟付きのシャツとズボンを身につけてベルトで締め上げる。その上に厚手の素材のベストを着込み、最後に平民がよく使う粗末な靴を履いた。昔から自分のことは自分でやる癖がついているため、この程度の着替えは慣れたものだ。

 シモンは俺が脱いだ制服のシャツを引き裂いている。偽装工作の一環だろう。
 

「……もう少し早く連絡頂ければ、身代わりの『死体』も準備出来たのに。残念です」
「死体って、お前……」
 訝しげに目を向けると、シモンはにこやかに笑いかけてきた。

「意外と人間の素材って単純なんで、死体らしき物体なら錬金術で簡単に創れます。焼死体を装ったり、顔をぐちゃぐちゃに潰せば、元が何かなんて分からないですよ。まあ、スラム街に行けば本物が手に入るでしょうけどね」

 シモンはサラッと恐ろしいことを口にした。相変わらず得体のしれない男だ。

「……いらんわ。完璧を装う必要はないんだよ。『逃げた』んじゃなく『死んだ』と推測可能な状況さえ残しておけば、後は俺の親が勝手に上手くやるだろう。……多分」

 俺はそう呟くと、小さく溜め息をついた。親には逃げただけだとバレるかもしれないが、何とか自分の思いを理解してもらいたい。


「……それじゃ、まずは馬を馬車から外しますね。あと、ルシア様のシャツの切れ端を引っ掛けておきます」

 シモンはそう言うと、馬車から降りて馬を外し始めた。俺はその手伝いをしながら、彼の作業を眺める。シモンは、馬車に繋がれていた馬の手綱を、慣れた手付きでほどき解放した。手綱には俺の制服のシャツの切れ端を絡ませてある。静かな森には馬の鳴き声が響き渡り、馬はそのまま駆けて行った。

「あの馬、ちゃんと屋敷に戻れるかな?」
「さあ?でも、馬は賢いから大丈夫ですよ。あとは、客車ですね。ご自分でやりますか?それとも……」
「俺がやる」


 シモンから斧を渡され、俺は客車の扉を斧で思いっ切り叩き割った。強盗に襲われたように装うためだ。客車にはファンティオール家の紋章が刻印されているため、発見されたときに、俺が襲われたと推定されるだろう。

「うわ、乱暴だなあ……」

 シモンは呆れたように呟くと、割れた客車の扉を手際良く剥がし始めた。無惨に砕け散った扉と、俺がもともと履いていた靴を付近の地面に放り投げると、馬車の客車を軽く押して簡単に崖から落としていく。
 まるで、道端に石でも放り投げるようにぞんざいな動作だった。落下していく客車を眺めていた俺は、その光景が異様すぎて思わず後ずさりする。

「……どっちが乱暴だよ。お前、力持ちだな」
「ふふふ、まあちょっとズルしてますけどね」
「ズル?」

 俺が聞き返すと、シモンは不敵に微笑んだ。俺はそんな彼の怪しげな仕草に動揺する。そういえばこいつは今、自称魔術を学んでるんだった。

「……いや、いい。聞かないでおく」
 俺の問いに彼は答えなかったため、俺はそれ以上追求するのをやめた。

 
「これで、俺が強盗に襲われて崖から落ちて『死んだ』という筋書きが成り立つだろうか?」
「どうですかね?それより、ルシア様はこの後どうするおつもりですか?新しい人生を始めるにしても、後ろ盾が全くない状態で生きていくのは大変ですよ。お金もいずれ尽きるでしょうし」

 シモンは俺の前に立って歩きながら、淡々とそう告げた。俺はその背中を見ながら、彼の後をついて歩く。

「……うーん、外国で職を見つけるか。適当な家も借りて、まあ何とかなるだろう」

 俺がそう言うと、シモンは「そんな雑な計画で良いんですか?」と、呆れたように溜め息を溢した。

「……正直言うと、逃げ出したい一心で無計画に行動した、というのが真実だ。疲れてた、のもある。情けないが」
「……かなり、精神的に追い詰められてたんですね」

 シモンは哀れみを含んだ目で俺を見た。俺はその視線が痛くて思わず目を逸らす。

「ルシア様、そんな状態でもし外国をフラフラしていたら簡単に身包み剥がされちゃいますよ?しかも身分証が使えないから、何処にも居場所がなくなる。完全に詰みじゃないですか」
「確かにな」

「……とりあえず、東の帝国に近い国境付近の街で私の地元の知人が宿屋を営業しています。ガラの悪い連中もいますし、治安もよろしくないですが、安いし貴族は滅多に来ない。店主はかなりのお人好しだから、ルシア様のことを託しても大丈夫かなと。暫く落ち着くまではそこで生活してみませんか?」
「……そうだなあ」

 俺はそう返事したものの、正直あまり気乗りしない。だが、他に当てがあるわけでもないのは事実だ。それにシモンが紹介してくれる人なら信用できるだろうという気もする。

「本当は私が直接お世話してあげたいんですけど。あと一年は学生の身分なので、寄宿舎生活なんですよね、私。卒業したら迎えに行きますよ、ルシア様」
「分かった……うん?」

 シモンの言葉の妙な言い回しに引っかかり、思わず顔を上げた。シモンは歩きながら、ふと何かを思い出したのか、俺を振り返った。


「ルシア様。昔、貴方が子供の頃、先ほど伝えた国境の街の怪しげな店で、魔どうぐ……じゃなくて、琥珀石を購入したことがありましたが、覚えてます?あれ、まだ、持っていますか?」
「覚えているが、今は俺の手元にない」

「あれ?そうなんですか?持っていたら幸せになれるって、あんなに大事に持ち歩いてたのに」
 シモンは何故か残念そうに頭を掻いている。


 
「……人に、あげた」 
 俺は小さな声でポツリと呟いた。シモンは何かを察したのか、穏やかな笑顔を俺に向けた。
 
 
  
「……ルシア様。そもそも、助けを求める相手が私で良かったんですか?」
「………どういう意味だ?」


「貴方が常に本音を語ることができる相手は、私以外に、もう一人、いるでしょ?貴方が、子供の頃、誰かさんに会うため屋敷を何度も抜け出していたことに、私が気付いていなかったとでも?」

 シモンは意味深な笑みを浮かべ、俺を見た。俺は彼のその言葉に何も言えず押し黙る。やはりこの男には全てお見通しだったようだ。


「………いいんだよ。自分の人生大事にして欲しいから、俺のことで迷惑はかけたくない。俺に構わず、幸せになって欲しいし」
 
 俺の口から出た言葉は、紛れもない本心だった。シモンは肩を竦めると、俺に向かって諭すように語りかける。
 

「それはある意味傲慢な考えですよ、ルシア様。彼にとって何が迷惑で、何が幸せかを、彼自身に聞きましたか?貴方がそうやって勝手に想像して、決めつけて。それで良いんですか?……彼とは、もう会えませんよ」

 シモンの言葉は優しかったが、俺の心を深く抉った。分かっている。本当は自分のせいで、大切な人を傷付けて、不幸にしてしまうのが、怖いだけなのだ。
 
 一番大切な人には、一番幸せになって欲しい。その願いに嘘はない。けれど。

 

「……もう、会えない」
 

 そのフレーズが頭から離れず、俺の心は更に重くなった。まるで、底なしの泥沼にハマりこんでしまったような感覚だ。最初から分かっていたはずなのに、現実を突きつけられ、俺はその場に立ち尽くした。
 シモンは困った表情で俺に歩み寄ると、ぽんぽんと優しく頭を撫でてくれる。


「すみません、泣かせるつもりはなかったんですけど……」
 シモンの言葉で初めて、自分が涙を流していることに気付いた。視界が滲んで、ぼやける。俺は慌てて涙を拭うと首を横に振った。
 
「……泣いてない」
「そうですか。……本当に貴方は不器用で可愛いですね」
「うるさい。俺は可愛くない」
「いえいえ、とっても可愛いですよ」

 シモンはそう呟くと俺の頭を引き寄せて、その胸に抱き込んだ。俺は彼の大きな胸の中で小さく嗚咽を漏らす。そんな俺をあやすように彼は背中を優しく撫で続けた。


「そろそろ行きましょうか?知人の所へ送って行きますよ。転移魔法で」
「……転移?お前そんなことできるのか?」
「そう、最近使えるようになったんです。なかなか凄いんですよ?私」
 
 シモンは俺の目尻に溜まった涙を拭うと、いつものようにおどけた口調でそう言って微笑んだ。
 



「ルシア様、新しい人生を歩むのに、昔の記憶が邪魔なら、消してあげましょうか?」
「へ?記憶を、消す?」

 俺は思わず間抜けな声で聞き返した。シモンは笑顔のまま頷く。その笑顔が何故かとても不穏に見えて、俺の背筋に冷たいものが走るのを感じた。
 

「貴方が幸せになって欲しい方にあげた琥珀石には、残念ながらそんな力はありません。でも、私は闇属性の魔術が使えるので、記憶の操作ができます。貴方が彼のことを想って辛いのなら、彼のことを、過去の記憶ごと全て忘れることも可能ですよ。キレイさっぱり。私、凄いので」

 シモンは俺の腕を優しく掴んで引き寄せた。その触れ方はとても優しいのに、まるで逃がすまいと捕まえられたかのような錯覚に陥る。シモンはそのまま俺を抱きしめると、耳元で囁いた。


「………どうしますか?ルシア様」




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