上 下
4 / 27

【参】記憶を無くした青年

しおりを挟む
 目が覚めると、全身が怠くて起き上がれなかった。頭も痛いし身体が熱い。もしかしたら、熱があるのかもしれない。

 昨夜、散々抱き合った男の姿は部屋にはなく、サイドテーブルの上には水差しと空のグラスが置かれていた。シーツが汚れている感じはないので、男が替えてくれたのかもしれない。なんとか身体を起こすと、まだ裸だった。衣服を身に着けようと恐る恐るベッドから降りようとすれば、力が入らず床に崩れ落ちてしまう。

 腰と、あらぬ箇所が尋常じゃなく痛い。


 最初に「もう一回」を強請ったのは自分だが、その後も男から「あと一回」を何度も繰り返され、結局一晩中突かれながら喘がされ続けた。途中から記憶が曖昧で、最後は意識を失ってしまった。今もまだ尻に何かが入っているような異物感がある。

 あの男は加減というものを知らないのだろうか?

 ぼんやりした頭で昨夜の出来事を思い返していると、静かに扉が開いて男が姿を現した。手に何かトレイを持っている。
 裸で床にへたり込んだままの俺を見て、男が顔を顰めた。

「顔が赤いな。大丈夫か?」
「大丈夫じゃねえよ」

 掠れた声で悪態をつくと、男は困ったような表情を浮かべた。男はトレイをサイドテーブルに置くと、床に転がっていた俺を抱き上げる。そのまま再びベッドの上に逆戻りさせられた。

「店主には体調を崩してるから今日は休ませると伝えておいた。……少し発熱しているな」
 
 男は俺の額に手を当て、呟いた。そしてそのままベッドに腰掛けると、俺を抱き寄せてきた。そのまま背中や腰をゆっくりと労るように擦られて、身体が震える。気恥ずかしいようなくすぐったいような感覚に襲われるが、抵抗する気力もなくて男の好きなようにさせておく。

「…この部屋は、お前がずっと借りてるそうだな」
 俺の頬に口付けながら、男が呟いた。

「……まあ、一応」
 俺は小さく頷いた。あまり詮索されたくなくて、それだけしか答えられなかった。男は俺に密着したまま、耳や首筋にも口付けを落としている。それにしても、この甘ったるい空気は何だろう。胸やけがする。


「……俺は一度報告に戻らねばならないが、必ずお前を迎えに来るから待っていてくれ」
「は?迎え?何言ってんの?」

 俺を見つめる男の瞳に熱が籠もっているのを肌で感じながら、思わず俺は眉を顰めた。

 男は俺の頬を優しく何度も撫でてくる。その眼差しは愛おしげで、今にも蕩けそうだ。

「本当はこのまま一緒に連れて行きたいが、熱を出させてしまったからな。仕方ない」
「いや、行かねえよ」

 俺は即座に男の言葉を否定した。だが、男はニコニコと微笑むだけで全く聞いていない。

「大丈夫だ、今度こそ何も心配はいらない」
「……」
 俺は思わず無言になったが、男は気にする様子もなく俺の唇に触れるだけの口付けを落とした。そのまま顎や耳、首筋を舐められ、思わず身を捩る。柔らかい舌が皮膚を掠める度に背筋が震えた。


 これは、ちょっと、どういう状況だ?

 寝たから懐いたのだろうか?まるで犬だ。単純すぎる。それとも昨夜、何か変なことでもしただろうか? 
 俺を抱き寄せて身体を愛舞する男を眺めながら、俺は必死に昨夜の己の行動を振り返った。あまり記憶がないし、熱に浮かされた頭では何も考えがまとまらない。
 男はしばらく俺に触れていたが、やがて名残り惜しげに身体を離した。


「食事をもらってきているから、食べられそうだったら食べてくれ。それと……これを身に着けていてくれ」
 
 そう言って男はポケットから革紐を取り出すと、俺の首に巻き付けた。それは首飾りのようで、小さな石が嵌め込まれていた。男の瞳と同じ琥珀色の石だ。

「……何だ、これ?」
「目印だ」

 男はそう言って俺の額に口付けると、ベッドから立ち上がった。そのまま部屋を出ていこうとして、扉の前で振り返る。

「……もう、一人で逃げるなよ」
 真剣な眼差しで、低く囁かれた言葉に、思わず息を飲む。男は微笑みを浮かべると、そのまま部屋を出て行った。


***


「体調悪いんじゃなかったのか?」

 身支度を整えて一階に降りると、店主がカウンター越しに声をかけてきた。俺は曖昧に返事をして、空になった食器をカウンターに戻す。正直身体はガタガタだしまだ寝ていたいが、そうもいかない事情ができた。

「食事ありがとうございました。ごちそうさまです」
「もういいのか?」
「はい、大丈夫です」
 俺が頷くと、店主がニヤニヤしながら顔を覗き込んできた。

「……あの兄ちゃん、お前を身請けしたいと俺に言ってきたぞ」
「は?」

 突然の店主の言葉に、俺は唖然として口を半開きにしたまま固まった。店主は相変わらず笑っている。

「お前、あの兄ちゃんにどういう説明したんだ?俺を悪徳商人に仕立てたな?」
「いや、上が宿屋になってて、連れ込んでも大丈夫って……」

 俺はしどろもどろになりながら答える。自分のことは嘘を交えて説明したが、別に店主を陥れたつもりはない。

「……まあ、確かに間違っ゙てねえけどさ。なんか俺がお前を無理矢理働かせてるとか、人権がどうのこうの大真面目に言い始めてよ。お前の意志でここで働いてんだから、連れて行きたいなら本人に直接言えって返しといたから」
 店主は気を悪くしている様子はなく、人の悪い笑みを浮かべる。完全に楽しんでいる顔だ。俺は俯いてカウンターに額を押し付けた。 
 あの男、何してくれてんだよ。言動が恥ずかしすぎる。

「一晩でえらく気に入られたな?で、どうするんだ?ついて行くのか?」
「……行かないですよ」
「何で?お前もあの兄ちゃん、気に入ってただろ?」

 店主はカウンターに肘をついて身を乗り出してきた。興味津々といった様子だ。俺は顔を上げて店主を横目で睨んだが、すぐに視線を逸らした。

「気に入ってなんかないですよ。何でそうなるんですか?」
「そりゃ、だって。お前があの部屋に他人を入れたのはじめてだろ。今までどんな美形に誘われても、能面みたいな無表情で断ってたくせに」

 店主の言葉に俺は不貞腐れて黙り込む。確かに言われるとおりなのだが、他人に指摘されたくはなかった。

「……もう、俺行きますから。今まで世話になりました」


 これ以上追及されたくなくて、俺はロープを肩に引っ掛けて立ち上がった。
 
 店主の好意で夜の時間だけ働かせてもらっていた。この店は別に人が足りてない訳ではないので、俺が居なくても問題ない。宿代は前払いしているし、荷物も僅かだ。護身用にいつも持ち歩いている長剣を掴む。
 腰がまだ痛いし足元も少しふらつくが、何とか歩けるだろう。 
 先を急がないと捕まってしまう。


「おい、どこへ行くんだ?もしかして、とうとう街を出るのか?」
 店主が俺を呼び止めた。
  
「はい、東の帝国に働きに行こうかと。外国人も多いし、仕事もあるかなと」
 以前から、考えていたことだった。居心地が良すぎて、ついこの街に長居してしまった。

「東の帝国って……まさか、あの森を抜けるのか?」
 店主が心配そうに呟く。
「いえ、森を抜けるのが国境までの最短距離ですけど、魔物に遭遇するかもしれないので、迂回ルートの乗合馬車に乗ろうかと思ってます」
 俺は腰を擦りながら、答えた。体力的に森を一人で抜けるのは厳しそうだ。

 
「あの兄ちゃんは待たなくていいのか?迎えに来るって言ってたぞ」

 俺が足を止めて振り返ると、店主はカウンターに肘をついて、意味深な笑みを浮かべていた。


「待ちません。俺はもう、戻りたくない」

 俺がきっぱりとそう答えると、店主は困ったように息を吐いた。そしてガシガシと頭を搔きながら「そうか」と呟く。

「数日前から、この辺りを憲兵がうろついてただろ。小耳に挟んだ話じゃ、やんごとなき身分の人が失踪したって話で、どうやら王宮の騎士団も動いてるらしい。……お前も、気をつけろよ」

 店主の言葉に、俺は小さく「ご忠告ありがとうございます」と答えた。そのまま宿を出て行こうかとするると、「アル」と店主が俺を呼び止めた。振り返ると、真剣な眼差しで俺のことを見つめている。



「お前、本当の名前は何なんだ?」

 店主の突然の質問に、俺は一瞬言葉に詰まった。しかしすぐに笑顔を作る。ちゃんと笑えているかは自分では分からない。



「以前も伝えたでしょ。忘れました。……俺、昔の記憶がないんで」


 店主はそんな俺の様子をじっと見つめていたが、やがて諦めたように首を振った。

「……結局、最後まで本当の顔見せてくれなかったな」
「また来ますよ、お世話になりました」
「あいよ。シモンによろしくな」

 俺は店主に軽く会釈して、そのまま店を出た。
 昔、似た言葉をかけられたような気がするが、記憶が曖昧だ。恐らくもう会うことはないのだろうけど。

 店主は少し寂しげな表情で、俺のことを見送ってくれた。


 
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

王道学園のモブ

四季織
BL
王道学園に転生した俺が出会ったのは、寡黙書記の先輩だった。 私立白鳳学園。山の上のこの学園は、政財界、文化界を担う子息達が通う超名門校で、特に、有名なのは生徒会だった。 そう、俺、小坂威(おさかたける)は王道学園BLゲームの世界に転生してしまったんだ。もちろんゲームに登場しない、名前も見た目も平凡なモブとして。

ゆい
BL
涙が落ちる。 涙は彼に届くことはない。 彼を想うことは、これでやめよう。 何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。 僕は、その場から音を立てずに立ち去った。 僕はアシェル=オルスト。 侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。 彼には、他に愛する人がいた。 世界観は、【夜空と暁と】と同じです。 アルサス達がでます。 【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。 随時更新です。

【完結】ふしだらな母親の娘は、私なのでしょうか?

イチモンジ・ルル
恋愛
奪われ続けた少女に届いた未知の熱が、すべてを変える―― 「ふしだら」と汚名を着せられた母。 その罪を背負わされ、虐げられてきた少女ノンナ。幼い頃から政略結婚に縛られ、美貌も才能も奪われ、父の愛すら失った彼女。だが、ある日奪われた魔法の力を取り戻し、信じられる仲間と共に立ち上がる。 歪められた世界で、隠された真実を暴き、奪われた人生を新たな未来に変えていく。 ――これは、過去の呪縛に立ち向かい、愛と希望を掴み、自らの手で未来を切り開く少女の戦いと成長の物語―― 旧タイトル ふしだらと言われた母親の娘は、実は私ではありません 他サイトにも投稿。

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

祝福という名の厄介なモノがあるんですけど

野犬 猫兄
BL
魔導研究員のディルカには悩みがあった。 愛し愛される二人の証しとして、同じ場所に同じアザが発現するという『花祝紋』が独り身のディルカの身体にいつの間にか現れていたのだ。 それは女神の祝福とまでいわれるアザで、そんな大層なもの誰にも見せられるわけがない。  ディルカは、そんなアザがあるものだから、誰とも恋愛できずにいた。 イチャイチャ……イチャイチャしたいんですけど?! □■ 少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです! 完結しました。 応援していただきありがとうございます! □■ 第11回BL大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、またお読みくださった皆様、どうもありがとうございましたm(__)m

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)

夏目碧央
BL
 兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。  ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?

もしかして俺の人生って詰んでるかもしれない

バナナ男さん
BL
唯一の仇名が《 根暗の根本君 》である地味男である< 根本 源 >には、まるで王子様の様なキラキラ幼馴染< 空野 翔 >がいる。 ある日、そんな幼馴染と仲良くなりたいカースト上位女子に呼び出され、金魚のフンと言われてしまい、改めて自分の立ち位置というモノを冷静に考えたが……あれ?なんか俺達っておかしくない?? イケメンヤンデレ男子✕地味な平凡男子のちょっとした日常の一コマ話です。

処理中です...