静かな夜をさがして

左衛木りん

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第6章 会戦

忠義の旗印のもとに

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正午が目前に迫る頃、大門の外の広場、野辺の止まり木は知らせを受けて続々と集まってきた原礎たちと野営地の人間たちの大群衆で埋め尽くされようとしていた。

「いったい何だろう?宇内様から大切なお話って」

「さあ…もしかしたら昨日の祭りで騒ぎすぎて誰か罰を受けたとか?」

「私たち人間だけど、ほんとに一緒に聴いていいの?」

「俺たち、何かやらかしちゃったのかな…」

原礎も人間も、ある者は首を傾げながら、またある者は不安そうに、口々に疑問と憶測を並べている。運命の宣告を前に自由気ままにたむろしている群衆の様子を大門の脇の木陰から眺めながら静夜と永遠は久しぶりに二人で話していた。

「…私の同胞たちは現実を受け入れられるだろうか」

ふと物憂げにつぶやいた永遠に、静夜が答える。

「彼らは穏やかで陽気で平和主義者だが、けして弱腰だとか怠惰じゃないし、何よりこの森を愛している。必ず奮起してくれるはずだ」

「そうだといいが」

永遠は静夜からそらした目を細め、続けた。

「さっきはきつい言い方をしてすまなかったな。二人を脅すつもりはなかったんだが、なるべく早く二人の立場や置かれた状況を認識してもらう必要があると思ったんだ。遅かれ早かれ、また形はどうあれ、二人には世界のどこかから魔の手が伸びてくる。その心構えを忘れないでいて欲しくて」

「わかってる。当然のことだ。俺はこのところこの森での安らかな暮らしのせいで気が緩んで、どうやら用心や想像が足りてなかったらしい…気づかせてくれてありがとう」

原礎殺し、煌喰いの悪魔と恐れられた男がこうも変わるものなのか、と永遠は内心瞠目していた。翡翠の屋根での弟との生活がよほど心地いいらしい。その表情は真鍮の砦にいた頃や久遠と仲違いをしていた頃とは比べ物にならないほど穏やかだった。

だが今、その穏やかさの背後には、彼と彼の愛するものを危険にさらす戦が暗い影を落としている。永遠の白い顔もその影が写し取られたかのように自ずと曇った。

少し離れた別の木陰では久遠と宇内がこの後行う演説の内容について最終の確認を行っている。静夜とは先に打ち合わせを済ませていた。

静夜が変わったのと同じくらい、否、それ以上に久遠は大きく変わっていた。宇内と真剣に話し込むその横顔には、半人前で役立たずと揶揄されていた以前の面影はない。今大森林の中枢で存在感を増し重要な役割を果たしているのは永遠ではなく久遠だった。そしてそれは今の永遠にとって心底本望だった。

その弟の姿をちらりと眺めると、永遠は静夜に尋ねた。

「久遠の天地神煌は煌源を取り出さない限り放棄することはできないが、君の方は…君は、迦楼羅を一日も早く始末して、自分を苦しめるものから解放されたいと今でも変わらず願ってるか?」

「…うん」

静夜は視線を横に少し動かした。背中に翡翠の屋根から持ってきた迦楼羅を覆いなしに帯びているのだ。そこには今日のこの節目に当たっての特別な思いがあった。

「確かに一時はそう思ったし、今も迦楼羅がこの世から消えて争いの火種がひとつ減ることの意義の大きさをずっと考えてる。そうでなければ迦楼羅と俺が命を奪った人々に対して償うことはできないから。…でも」

「でも?」

永遠がつぶらな瞳で見上げると、静夜は少し躊躇し、恥を忍んでこう言った。

「…仮にその方法が見つかったとして、いざその場に立ったとき、俺にその選択が迷いなく直ちに下せるかどうか、無性に不安なんだ。決定的な一歩を踏み出すより、今はまだ何もできない、あるいは先送りしていいという現状の安心感に慣れてしまって、決断力を失ってしまってるのかもしれない。俺から迦楼羅を取ってその後何が残るのかも正直わからない。…すまない、君にここまで世話をかけておいてこんなこと…」

「迦楼羅に関係なく君は今すでに多くのものを残し、つなぎ、築いている。それに判断に迷ったり悩んだりして二の足を踏むのは自然なことだ。時間が許す限りじっくり考えるといい。久遠はどんな君でも必ず受け入れ、力になる。二人の絆はそんなに半端なものじゃないだろう?」

「…それはそうだが…」

静夜は言葉を濁し、永遠の明るく輝く真っ直ぐな瞳を避けてうつむいた。

(俺が迷うかもしれない理由…優しい永遠のことだから、もしそれを聞いてもけして頭ごなしに非難したりはしないだろうな)

永遠ならいい知恵を授けてくれると期待を寄せながら自分自身は本心を語らないのは不誠実極まりないと承知していたが、それを口にすることは自分に対する永遠の献身をそもそもの根本から否定することに等しく、真面目で思いやりにあふれた彼女がそれを気に病み、悩むことになるのは容易に想像できた。

あの日々に戻りたい気持ちは毛頭ないが、解決策が見出せない今はまだ先送りできる理由があることを好都合と受け止めるしかなかった。

「邪なものを際限なく引き寄せる迦楼羅とこの血筋がつくづく恨めしいよ。ただ今度の戦では迦楼羅の力を使わなければ黄泉の大軍勢には太刀打ちできない。どうやら俺にはまだ迦楼羅との宿縁は切れないらしい」

「必要なとき、使える力は出し惜しみしないということか」

「ああ。迦楼羅を実戦で使うのは瑪瑙の窟以来だし、今回の戦いはこれまで俺が経験してきたものとは違うから、開戦までにできるだけ鍛練して備えておかなければ。永遠、君はどうする?」

「私も、残された時間いっぱい修行に専念したい。後のことは久遠と君に任せるよ」

永遠が視線を移すと、ちょうど久遠と宇内が木陰から門前の広場に進み出ようとするところだった。そこに十二礎主も大門の内側から姿を現す。いよいよ正午を回ったのだ。にもかかわらず永遠がひとりだけ入れ替わりに門の中に戻っていこうとするので静夜は思わず彼女に呼びかけた。

「君は一緒に演説を聴かないのか?」

永遠は振り向くと何のわだかまりもないすっきりとした微笑みを浮かべた。

「私はいいよ。静かな場所で少し考え事をしたいんだ。大森林はいつも人が多くてがやがやしてるからね」

「…そうか」

静夜は一抹の寂しさを覚えつつ、皆から頼りにされる人気者の永遠を慮ってそれ以上は引き留めなかった。

「わかった。…今日は久しぶりに君と話せて嬉しかった。戦が終わったらまたゆっくり話せるか?」

「ああ。話そう、たくさんのことを。…じゃあな」

笑顔と、端的でありながら噛みしめるようにしっかりとした返事を残して永遠は大門の中に消えた。最後に樹生の礎主とだけ短く言葉を交わしたようだった。

(戦が終わったら…そのときまでには心を決めよう。そして永遠と久遠と三人でこれからのことを話し合おう)

静夜は小さく息をついて気持ちを切り替えるとずらりと勢揃いした礎主たちの列の端に立っている久遠に近づいた。

「あれ、姉さんは?」

「少し考え事をしたいから先に戻る、と」

それを聞いて久遠はつんと唇を尖らせた。

「もう、せっかく僕がやる気出してるのに、肝心なときにいないなんて」

「永遠もどこかで聴いてるかもしれないから、そんな顔しないでしっかりやってくれ」

静夜の言ったことはけして観念的な意味や気休めではなく、現実に、広場の収容人数や職務の都合でやむを得ず今度の演説を目の前で傍聴できない者たちのために、煌気の聴覚を使って同時に演説の声を聴ける場所が大森林の各所に特別に設けられているのだった。

「もちろん。静夜、おまえもな」

二人が互いにうなずくと、それを待っていたような絶妙な頃合いで宇内が話し始めた。

「愛する我が同胞たち。そして不思議なえにしによってこの地に引き寄せられた人間たち。今日は祭り明けの忙しい最中のこの時に、よくぞ集まってくれた。まずは礼を言う。ありがとう」

恭しく返礼する原礎たちのしぐさを人間の若者たちも慌ててたどたどしく真似る。何と言っても彼らの恩人である静夜が何憚ることなく頭を下げているからだ。

宇内が片手を上げると皆姿勢を戻し、耳を傾けた。

「今日集まってもらったのは、皆に重要な報告があるからだ。それは喜ばしく晴れがましい祝祭の翌日にはまったくふさわしくない、受け入れ難いものに違いない。だが隠し立てすることはできない。なぜなら、今現実から目を背けても、その現実は燎原の炎のように速やかに、確実にこの大森林を襲い、逡巡と準備の遅れはその代償を膨れ上がらせるからだ」

まだ明言はしていないながら、宇内の前置きに不穏な気配を感じ取り、次第に聴衆の顔に不安と恐れの色が重く垂れ込め始める。

「どういうことだ…?いったい何の話だ?」

「何が起こるっていうんだよ…大嵐か?天変地異か?」

連鎖反応的に広がり出す群衆のざわめきにも動じず、宇内はさらに堂々として厳かな声を広場の隅々まで届かせた。

「長きに渡る平和は終わった。我々は現実を直視しなければならない。昨夜、雲居の社から危急の知らせがもたらされ、私も彩水の鏡の中にこの目で見た。炎叢の礎名を騙る黄泉が魔獣と煌人と煌狩りの人間の大軍勢を組織し、この大森林を攻略すべく今まさに進軍を始めようとしている。我々はこれに対抗すべく、一日も早く反撃部隊と守備隊を編成し、守りを固め、黄泉の軍勢を迎え撃つ態勢を整えなければならない。開戦までおそらく十日ほどしかなく、もはや一刻の猶予もならない」

まさに青天の霹靂という強い衝撃が広場を駆け抜けた。驚愕と動揺、そして恐怖が人々の表情を一気に塗り替えた。言葉にならない悲鳴や嘆きが方々から上がり、原礎も人間も、突然天国から地獄に突き落とされたような混乱に陥った。

「今私たちがいるこの場所が戦場になるの?」

「大森林で防衛戦なんて、前代未聞だぞ…!」

「雲居の光陰が来たと聞いたから妙なこともあるもんだと思ってたが、まさか…黄泉が攻めてくるなんて…!」

「黄泉はともかくとして、別れた同志たちと殺し合わなきゃいけないのか、俺たち…」

再び宇内が手を上げて静粛を求めたが、聴衆のざわめきはとても鎮まらず、まるで収拾がつきそうにない。宇内はその反応も折り込み済みといった不変のたたずまいのまま、声量を上げて続けた。

「黄泉のことは皆もすでに聞き知っているか、あるいは実際にその目で見たことのある者もいよう。黄泉は元は人間であり、一度は我々の同胞でもあった。しかし行き過ぎた欲望と歪んだ信念から道を踏み外し、四十年の間に過激な思想の種子を秘めた人間を集め、その心を蝕んで煌狩りを結成させた。そして今、自分の計画の成功を決定的にする力をすべて我が物にしようと目論んでいる。…久遠」

「はい」

宇内が十二礎主の列に向けて呼びかけると、それに応えて彼の隣に進み出てきたのがその中で最も小柄で質素な身なりの少年だったので、聴衆は低くどよめいた。久遠は構わず宇内の後を継ぎ、どよめきを下に敷いて広場の四方にまで届けと声を張り上げた。

「みんな、突然こんな恐ろしい話をしてごめん。不安な気持ちはわかる。でも、どうか勇気を出して受け止めて欲しい。その勇気こそ勝利への最初の一歩で、何よりの武器、大きな力になる」

聴衆はまだ落ち着きなくざわついていた。誰に発言権が与えられたかと思えば、選ばれた者である十二礎主でも、またこれまで信頼を集めてきた実力者の永遠でもなく、ついこの間まで落ちこぼれとからかわれ隅に追いやられていた久遠だったのだ。天地神煌の所持が根拠とは言え、それは留守番と子供の世話が仕事だった彼が会議を構成する要人のひとりに数えられ、その立場が琥珀の館の中で確固たるものになったと宇内が認めたことを表していた。長年彼と親交を保ち、彼をよく知る者たちは誇らしげに胸を張ったり感慨深げに何度もうなずいたりして得意満面だ。

(…本当に成長したな、久遠…)

静夜と反対側の列の後ろに控えた彼方は目を細めて久遠を見つめていた。

「僕たちはこの星に礎が生まれた日から星と人間のために働いてきた。でも僕たちにできることや許されたことには限界があり、貧しさと自然の苛酷さに苦しむ人間たちが後を絶たず、黄泉はそこにつけ込んだ。自分の主張を認めず排除しようとした大森林への怨恨を晴らすため」

久遠は、まだ若く、よく通る澄んだ声を堂々と、朗々と響かせた。彼が静夜を初めて四つ葉の学び舎に連れていったあの日の朝、彼を馬鹿にし嘲笑していた少年たちも、大人に混じって呆然と聴いている。

「黄泉の今回の侵攻の目的は天地神煌を持つ僕と迦楼羅、それからその迦楼羅を唯一使える静夜を捕らえることだ。このうちのどれひとつとして僕たちは断じて容認しない。従って戦を避けることはできない…ただ、僕の天地神煌は黄泉の標的であると同時にこちらの切り札だ。だから僕はこの力を使って戦う。みんなも、僕を信じて一緒に戦って欲しい。故郷と、仲間と、君たちひとりひとり、自分自身を守るために。またこれから先、黄泉と煌狩りによる犠牲者を増やさないために…僕たち原礎も、君たち人間も」

そこで久遠は柔らかく包容するような視線を人間の若者たちに順々に振り向けた。それは、思考を乗っ取られ、利用されて煌狩りに従事させられた人間たちもまた同じ犠牲者であるという意味だ。しかし煌狩りに関わった人間はすべからく加害者だとの意識を未だに根強く持つ一部の原礎たちは、煌狩りを抜けて今自分の隣にいる人間の若者たちを思い出したように見た。ある者はあからさまに棘のあるまなざしでじろじろと、またある者はおそるおそるちらちらと。見られた人間たちは肩身が狭く不安な思いで寄り集まり、申し訳なさそうな顔でうなだれている。

(…やはり感情が露出したな。だが、これでいい)

静夜が久遠の横顔をそっと盗み見ると、彼も筋書きどおりという悠然たる表情をしている。そのとき誰かがいきなり叫んだ。

「煌喰いの悪魔と迦楼羅は黄泉に突き出せ!罪人と凶器はその主に引き渡しちまえ!」

あまりに険悪で現状にそぐわないその発言に圧倒的多数の者は眉をひそめ曇らせたが、当初から静夜への憎悪と敵意を燻らせ、ここに来て突然我が意を得た者は続々と仮面を剥いで同調した。

「そうだ!そうすれば黄泉も納得して、俺たちは黄泉に狙われずに済む!」

「星への冒涜者、禍いと争いを呼ぶ死神は大森林から出ていけ!」

静夜に糾弾の指先が次々と突きつけられ、無数の視線が集まる。彼らは森を歩いていた無抵抗の静夜に石を投げ怒りと憎悪をぶつけた者たちだ。妖精の臥所に瀕死で担ぎ込まれてきた彼に怒声を浴びせた者もいるだろう。しかし今日の静夜は無言で受忍などしなかった。彼は恐れを知らない透徹した瞳と理性的思考から生まれる言葉を武器に、正面から彼らに立ち向かった。

「もし迦楼羅と俺を黄泉に突き出して戦が回避され、あなたたちの気が済んでも、それは一時のかりそめの平和に過ぎず、黄泉は今度は久遠を捕まえるために次の侵攻の準備に取りかかるでしょう。アグニや火天などの紛い物とは格が違う、永久煌炉で量産された迦楼羅の本物の複製を持つさらに強大な軍勢がこの地を襲い、久遠を捕まえた後、あなたたちも全員永久煌炉に放り込むか死ぬまで働かせるかして原礎を滅ぼすーーそれが現実です。あなたたちはそれを諾々として受け入れると?」

「うっ…!」

「…そんな…!」

彼らは忌々しげに歯ぎしりしながら渋々黙った。鬱屈した悪感情が吐き出され、発散され、熱量が下がる。

(もし俺が本当に黄泉に捕まってしまったら、また悪事に加担させられる前に俺は迦楼羅を鞘に封印して自分で自分の命を絶つ…迦楼羅の複製は絶対に作らせない。だがここは、最悪の結果を示し怯えさせてでも人心を動かさなければ結束は図れない…)

彼らの良心に訴え、自身の罪業と死の恐怖すら逆手に取って新しい機運に変えなければ切り抜けることのできない、それほどの危機なのだ。

静夜はおもむろに列を離れて歩き、久遠の隣に立った。そして群衆のひとりひとりに向け、口調と言葉を少し和らげて彼は語りかけた。

「ただ、勝算はまだ十分にあります。立ち上がる人がひとりでも多ければ、その分だけ望みも大きくなります。その存在に勇気づけられる人が必ずその周りにいますから。天地神煌と迦楼羅の力、そして皆さんの力を結集してまだしも望みのある戦をするか、それともそれらを黄泉に差し出して一時の猶予を経た後により絶望的で不利な戦に挑むか、あるいは最初から諦め従容として死に臨むか?誰しも守りたいものや叶えたい願いがあり、けして死に急ぎたいわけではありますまい」

広場を埋め尽くした聴衆は水を打ったようにしんと静まり返った。言葉こそなかったが、皆、閉ざした口の奥の自らの心の中にそれぞれの取るべき道を模索し、決定しようとしていた。自分を奮い立たせ腕を撫す者、眉間に深い皺を刻みじっと考え込む者。目を潤ませて感情を堪えている者もいる。

「今、この迦楼羅を凶器と言われましたが、俺たちにとってこれは利器でもあります。敵にとっても死をもたらす凶器であり、喉から手が出るほど手に入れたい利器ですが。これを使うか使わないかは皆さんの判断次第、思いのままです」

静夜は久遠の隣からさらに数歩前に歩み出る。背中の迦楼羅の柄に手をかけながら。

「迦楼羅が真価を発揮すれば、俺はあなたたちと同じ煌気の効験を得、久遠や永遠を助けて最前線で戦うことができます。諸刃の剣であるこの迦楼羅を無用の長物にするか、あるいは無二の武力とするか…勝算を高める可能性のある剣がこの手の中にある今、どうか俺に迦楼羅を使って戦うことを許していただきたい!」

このとき静夜は迦楼羅をさっと抜き放ち、最後列の者にも見えるよう高く掲げると、次の瞬間軽々と翻してその切先を地面にぐさりと突き立てた。

今日初めて迦楼羅の抜き身の剣身を見た聴衆たちはたちまち騒然とし、その黒々と妖しく濡れ輝く業物、同胞たちの血を浴び煌気を喰ってきた毒牙に釘づけになった。

「あれが…迦楼羅…!」

「なんて禍々しい…それに不思議なほど美しい…」

その魔性に心を奪われ、またそこに渾然一体として宿る多くの人々の苦痛や懊悩、情念や妄執の影を感じ取り、食い入るように迦楼羅を凝視していた彼らの視線は、やがてその魔剣を使いこなす資質を世界でただひとり受け継ぐ人間の若者の方に移っていった。

誰もが棒立ちになり声を失くしている中、無言に徹していた十二礎主の中から俄が沈黙を破って静夜を擁護する意見を述べた。

「煌狩りと訣別してから静夜は実戦では仇敵である養父の明夜を討ち取ったときのたった一度しか迦楼羅を抜かなかった。そして彼は手にかけた同胞たちを埋葬し、悼み、釈明することなく笞刑を受けている。それはどういう意味であるか、そこに彼のどのような思いがあるか、今少しだけ処罰感情や私見を排して冷静に考えてみて欲しい」

静夜は俄を見て軽く顎を引くしぐさで彼に感謝を表し、再び聴衆を見渡した。

「確かに俺は許されない罪をいくつも犯しました。真実に目を塞ぎ、悪魔の教育に魂を委ね、忘恩を通り越して叛逆の行為に手を染めた…しかしこの目の曇りを払い光の射す世界に連れ出してくれた人たちがここにいます。その人々が未曾有の危難に見舞われようとしている今このとき、呪縛からの解放と庇護に報い、罪を償い、皆さんのために戦いたいのです」

自らの背負う罪責にも正々堂々と立ち向かい、まったく臆したり怯んだりしない静夜の弁舌は見開かれた人々の目に小さな炎をひとつずつ灯して広がっていく。横に立って聴きながら聴衆たちの様子を観察していた久遠は確かな手ごたえを感じていた。

(いいぞ、静夜…おまえのそういう正直で肝が据わってるとこが僕は大好きなんだ…)

「それから、俺の愛するかつての同志たち。…どうか聴いてくれ」

静夜は声の調子を変え、優しさと厳しさが同居する瞳を人間たちに注いだ。

「おまえたちは今や客人や流民ではない、皆がここをふるさとにする同胞のひとりだ。もし助けられた恩を返し、同胞たちとふるさとを守りたい気持ちがあるなら、再び剣を取って俺とともに戦え!!」

『…!!』

人間の若者たちは聴くにつけみるみる目を見張り、拳を握り、足を踏ん張った。暁良と耶宵、それに静夜の部下だった者たちも顔を輝かせて彼を見つめている。

「ただし、これは出陣を強制するものじゃない。もはや戦うことを望まず人間としての当たり前で穏やかな暮らし、あるいは新たな旅の空に生きたいと願う者は、気に病む必要はない。戦が始まって道が塞がれ身動きが取れなくなる前に支度をしてここからできるだけ遠く離れ、無事に生き抜いてくれ。その決断を責める者はいない」

静夜が言い終わるまで待ちきれずに若者たちは我先にと挙手し声を張り上げた。

「静夜さんが戦うなら、僕は戦います!」

「俺も戦います!」

「私も!!」

「我々人間も、今こそ星への忠義と恩返しのためにともに戦います!!」

「…ありがとう」

静夜はようやく頬を少し綻ばせた。そして今一度、原礎たちに問いかけた。

「皆さんは彼らの決断を理解し、受け入れますか?」

それは訪れるべくして訪れた決断の時、原礎と人間、被害者と加害者が手を取り合うことができるかどうかの分岐点だった。風も、呼吸も、時間すらも止まったかのような一瞬の静寂に包まれたのち、誰かが拳を思い切って突き上げた。

「憎しみよりも友情を!」

それを皮切りに同意の拳と激励の唱和があちこちから次々と沸き上がった。

「償いではなく協力を!」

「偏見よりも理解を!」

「我々は勇気ある人間の戦士たちを歓迎します!」

ワアアアアアア!!団結と感奮の歓声が広場全体をどよもした。静夜の覚悟の決まった潔い訴えが人々の心の琴線をかき鳴らした結果だった。暁良は胸が熱く膨らむのを感じながらその光景を眺めていた。

(さすがだ…長らくしこりのあった二つの集団を見事にまとめ上げ、士気を鼓舞した。やっぱり静夜さんの言葉には特別な力がある)

周囲を見回すと原礎たちの顔は希望と勇気にあふれていて、表立って批判や文句を言う者はいなくなっていた。

「衷心より感謝します。我々人間一同、慈悲深き原礎の皆さんに忠誠を誓います」

静夜が迦楼羅を鞘に収め、一礼して後ろに下がると宇内はうなずいた。

「これで決まったな。ではこれから具体的な話に移る。武器や術で戦える者、前線には出られないが結界の敷設や偵察、治療や戦備品の管理、老人子供の世話といった補助的な仕事のできる者は今日のうちにそれぞれの礎主の居所に集え。戦闘や後方支援のできない者も恥じることはない。大森林の最奥で守られる者たちは我々の最愛の同胞、最後の希望だ。それでは各自自分に何ができるかをよく考え、行動するように」

演説会は終了となった。宇内と十二礎主、それに久遠と静夜と彼方は円になってこの後の段取りの打ち合わせに入り、原礎と人間たちも皆思い思いに散らばり始める。だがすぐに大門の中に入っていく原礎や住処に戻る人間はむしろ少なく、大多数の者は広場に残って親しい仲間や家族と寄り集まり、真剣な面持ちで自分たちはどうすべきかと熱い議論を交わしている。

小さないくつものその集団に紛れ、暗く病んだ目つきで遠巻きに静夜を睨みつけている原礎たちがいた。ついさっき静夜に舌鋒でさんざんやり込められた者たちだ。

「…あの男、図に乗りやがって…!おかげで俺たち、大恥じゃないか!」

「永遠を虐げ、今度は久遠をたぶらかし、宇内様や十二礎主にまで取り入って、何様のつもりだ?」

「同胞殺し、たかが人間風情が…!覚えていろ…!!」

しかしこのときは彼らは目立つ言動は一切せずに群衆にするりと身を没し、姿を消した。
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