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終章 悪役は、幸せになる

39話 懺悔と告白 後

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「バジャルドを生涯幽閉し、彼の知識と力を一生国民のために役立てるよう、側で監視します。いかがですか」

 ハキーカの提案にオーブリーは頷きかけたが、はたと止まってアリサを振り返る。

「僕は……いいと思うんだけど」
「オーブリー。わたしもよ。だけど、わたしたちが決めることでもないわ」
「無論、裁可は陛下が下します。ですがこの件は私に全権委ねられている。必ずや説得してみせましょう」

 ハキーカはオーブリーから手を放し、アリサへ向き直った。

「バジャルドの元へ、連れて行っていただけますか」
「はい」

 アリサが同意すると、オーブリーは大きく息を吐いた。
 
「憂鬱だけど、ロイクも一緒に連れて行かないとだね。全然納得いってなかったもん。でもさあ、どう考えたってアリサの闇魔法なしに説明がつかないんだよね」
「げげ」

 たちまち苦い表情になったアリサを見て、ハキーカはいたずらっぽい顔で問う。
 
「もしかして、アル殿……ロイク様に男装のことは伏せていらっしゃる?」
「うっ」
「婚約者とお聞きしておりましたが」
「そ、そうですね……」

 改めて『婚約者』と言われたアリサが、落ち着かない様子でもじもじし始めるのを眺めつつ、ハキーカは顎に手を添え首を傾げた。
 
「トリベールに関わる商談ですから、当然ロイク様の同意ありきで商会長というお立場なのかと」
「いえその、内緒でして」
「ほう……ご存知のように見えましたが」
「え!?」

 驚いて声を上げたアリサの一方で、オーブリーは
「わーーーっとそのーーーーー」
 と慌て出し、
「ちょっと、オーブリー!? なに……え!?」
 アリサが動揺しはじめたところで、ハキーカが「はっはっは」と盛大に笑い声を上げた。

「これは失礼。では、私もその体裁ていさいでロイク様と接するようにいたします。さ、戻りましょう」
「ハキーカ様!?」
「ささ、被り物をどうぞ」
「えぇ……?」

 戸惑いつつアリサがウィッグと眼鏡を着けたところで、ノック音が鳴った。
 ハキーカが扉を開けると、クアドラド兵士を伴うロイクの姿があった。物騒な気配に、アリサは緊張を募らせる。

「失礼する」
「おや、ロイク様。ちょうどそちらへ行こうとしていたところでした。ご足労いただきまして恐縮です」
「ああ。アル、オーブリー、すぐに店に戻らねばならない。ニコから救援要請だ」
「え」

 ロイクがたちまち暗い顔をした。

「……捕虜の容態が悪化したらしい」
「すぐ行きます!」
「私も同行しましょう」

 ハキーカが、手早く薬草を鷲掴みにして麻袋へ詰め込むのを、オーブリーが手伝う。

 アリサたちは、バタバタと王宮を出てヨロズ商会の支店へ向かった。

 ◇

 簡易寝台を覗き込むようにしているラムジを横からニコが羽交い締めにし、ポーラはガラスの小瓶を両手で持ちつつ、涙ぐんでいた。

「ちくしょ、どうしたら良いんだっ!」
「ラムジ、触るな!」
「聖水、なくなっちゃった……ニコ……」

 寝台に横たわるのは、華奢で小柄な浅黒い肌の男――バジャルドだ。荒い呼吸を繰り返す彼の全身を、青紫の痣が覆っている。
 
「くっそ、やはり聖女でないと完全には解けないか」

 珍しく焦るニコの声に、
「さすが黒魔女の呪いだなぁ……」
 とラムジの体から徐々に力が抜けていく。
 ポーラが小瓶を逆さまにして、最後の一滴をバジャルドの口に落としたところで、いよいよラムジは床に両膝を突いた。

「せっかく、会えたのに……兄ちゃん……」

 絶望と共に肩を落とすラムジの背中へ、ナキが戸口から声を掛ける。
 
「お頭! 来ました!」

 バッと振り返る三人の目に、ロイクとアリサ、オーブリーとハキーカの姿が映る。ラムジが床に手のひらを突いて動けなくなる一方、ニコが冷静に状況説明を始めた。

「いきなり痣が広がり始めて、それから息苦しそうに。呪いを警戒して体に触れてはいません。聖水を少しずつ飲ませたんですが、痣の広がりを止められず……呼吸がかなり弱い」

 誰もが発言を躊躇う中、ハキーカが「ともあれ、私とオーブリー殿で対応を」と提案しながら袋から薬草を取り出した。白い葉を持つホワイトセージは、邪気払いのハーブとしてアリサの前世でも有名だ。
 だが――

「ハキーカさん。ハーブで侵食を抑えることはできても、呪い自体を祓うことはできないよ」

 オーブリーの言葉に、全員が押し黙ってしまう。
 オーブリーは静かにアリサを真正面から見ると、両手を取った。

「大丈夫。思う通りに。僕は何があってもずっと、アルの味方だよ」
「オーブリー……」

 その手を、ニコとポーラがそれぞれ上から握る。アリサの足元では、ラムジが床に両手を突いた姿勢をして見上げ、いつの間にかナキもその隣で同じ姿勢をしている。

「頼む、商会長! 助けてくれ! ……バジャルドは大罪人だ! けどっ、たった一人の、兄貴なんだっ」
「オイラ、何でもします!」

 言葉に詰まるアリサに、ロイクが優しい顔で告げた。

「……ぞ」

 その意味を悟ったアリサの息が、止まる。
 ロイクは、構わず言葉を続けた。

「だが、バジャルドを捕まえただけでは駄目だ。この国に蔓延はびこる問題は、織物貿易の障害になるばかりか、ラブレー王国との関係にも悪影響をもたらすに違いない。隣国の貧困は、治安維持にも経済にも不安材料でしかないからな」
「ロイク様……」

 きゅ、と下唇を噛み締めた後で――アリサは力任せにウィッグも眼鏡も脱ぎ捨て、まっすぐにロイクを見つめる。

「謝罪と説明は後で必ず」
 
 ロイクはそれを、愛おしげに眺めるのみだ。

「ああ」

 アリサはロイクへ深深とカーテシーをしてから、きりりと眉尻を上げた。
 
「オーブリー! 今から転移魔法陣を敷く! ラムジさん、あのペンダント、貸して!」
「っわかった」
「おう、持ってけ!」
「ハキーカ様は」
「ええ。なるべく抑え続けますが、もってあと半日でしょう」

 アリサは強く頷き、ニコに笑みを返す。

「また、一からやり直そ。ね!」
「望むところです」

 それを聞いたロイクは「やり直しなど必要ないが……この俺を見くびってくれたもんだな」と呆れつつ腕まくりをし、ハキーカの手伝いを始めた。

 すかさずオーブリーが
「ロイク! 綺麗な蒸気で、ハーブを炊くよ」
 と指示を飛ばすと、ロイクはにやりと口角を上げる。
「火魔法なら俺に任せろ」

 ラムジはロイクの勢いに呑まれしばらく動けなかったが、ハッと我に返ると叫んだ。
 
「お偉いさんがすることじゃねえ!」
「ラムジ。無駄口叩いてる暇あったら、井戸から水、汲んで来い。そっちのやつは、清潔な布を」
「っは! なんてお人だよ! 分かった!」
「ひゃいっ!」

 ディリティリオと共に、奥の小部屋で魔法陣を描き終えたアリサは、念のためアフタヌーンドレスに着替える。ポーラが急いで持ってきたのは、ウィッグと眼鏡を入れたカバンだ。

「アル様、こちら念のためお持ちになってください」
「ありがとう、ポーラ!」

 そうしてアリサは、移動魔法で単身、ラブレー王国へ戻った。向かった先は――

 ◇


『うーん。やっぱオイラたち入れないヨ。さすが聖女の居るところだネ』

 ラブレー王国王都にある、太陽神教会の前だ。

「ディリ……良いかな」
『後悔しないなら、良いんじゃないカナ』
「ふふ。そうよね」

 アリサはこの世界に生まれ変わって、トリベール侯爵家の再興を目指して生きてきた。仲間に恵まれ、それが叶い、隣国の貿易にも関われるのは幸せだ。

 けれどもそれらを全て捨てなければならないかもしれない。

 そうまでして、バジャルドを救う必要はあるのかと、答えは見つからない。

「……でも、やらない後悔より、やる後悔。よね?」
『イヒヒ~アリサらしいネ~』

 キッと顔を上げたアリサは、門前で参拝の人々を迎え入れるための神官へ、言付けする。

「聖女様へ、火急の用件にて商会長が会いたがっていると、お伝えください。王宮中庭でお待ちしていると」

 宰相補佐官の婚約者として王宮へ入ることを許されているアリサは、聖女と初対面をした場所を選んだ。必要があれば王太子であるセルジュも同席できるだろうとの配慮からだ。

 芝生の上の白い石畳を歩いてガゼボの屋根の下に入り、柱に手を添え花壇を眺めるアリサは、内心激しく焦っている。一刻の猶予もない。
 
「あら? アリサ様? ごきげんよう」

 きらめく光のオーラをまとうラブレー王国の聖女、エリーヌは、ピンクブロンドの髪を揺らしながら一人で歩いてきた。エリーヌは、アリサに気づくと立ち止まり、軽く膝を曲げ挨拶をした。白絹に銀糸の刺繍が入ったローブ姿で、神事の途中だったか、とそれを見たアリサの胸に罪悪感がわく。
 
「ごきげんよう、エリーヌ様。おひとりでいらっしゃいますか?」
「え? ええ。友人が困っていると聞いて、急いで参りましたの。こちらでと言われたのですけれど、間違えたかしら……」

 アリサは、品良く会話ができるようになったエリーヌを微笑ましいと思う。この国の聖女として、王太子妃として、毎日がんばっていることを知っているからだ。

「いえ、合っています」

 それを今、裏切るような気持ちになり、口の中を苦い唾液が覆っていく。

「聖女の貴方様のお力を、今すぐお借りしたい」
「え、と……」

 戸惑うエリーヌの視線が泳ぐ。アリサは、逃がさないよう矢継ぎ早に言葉を続ける。
 
「聞いてください。バジャルドを捕まえました」
「な!」
「ですが、わたくしの呪いにより瀕死です」

 みるみるエリーヌの表情が険しくなる。
 
「……まさか、救いたいと仰るの?」
「ええ。命を助け、罪を償わせたい」
「償いなら……」

 聖女としては、とても『命で』とは言えない。
 かろうじて口を噤んだエリーヌに、アリサは眉尻を下げる。
 
「……とにかく。アルの名前を騙ってまで呼び出すだなんて」
「事態は急を要するのです」
「それでも」
「どうか、聖女のご慈悲を」
「嫌よ! そんな、悪い人なんかのために」

 アリサは、すうっと大きく息を吸う。
 それから、なるべく低い声で吐き出した。

「エリーヌ様。あなた様は、この国の聖女でいらっしゃる。慈悲深い、尊い存在であるべきです」
「なにを言っ……え? その、言葉」

 エリーヌの目が、見開かれた。
 目の前でアリサは、ポーラから託されたカバンから、ウィッグと眼鏡を取り出し、着けて見せる。

「アル……貴女が、アルなのね……」
「……はい」
「そう……」
「騙して、申し訳ございません。ですが」

 エリーヌの翠の瞳には、溢れんばかりの涙が溜まっている。

「アルのためならば。慈悲を、祈りましょう」
「エリーヌ様!」
「懺悔は、後で聞くわ。どこに行けば良いの?」
「こちらへ、祈りを込めてください」

 アリサが取り出したのは、太陽のペンダントヘッドだ。

「まあ、素敵ね。それに、力を感じる……これなら、黒魔女の呪いを解くこともできそうだわ。神官服のままで良かった」

 エリーヌは石の床に両膝を突き、祈り始めた。その額の前に、アリサはペンダントを両手に乗せて掲げる。

「愛と太陽の女神、テラよ。慈悲深く愛情あふれる光よ。全ての呪いを、傷を、病を癒せ」

 目を閉じ祈り続けるエリーヌの内から溢れる真っ白で清浄な光が、魔導具に吸い込まれていった――
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