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第三章 悪役は、華麗に抵抗する
20話 黒魔女の本領
しおりを挟む「オーブリーッ!」
怒鳴り声をあげつつサロンの地下室へ乱暴に入ったアリサは、首を巡らせながらその姿を探す。
建物内に人影は見当たらない。冷たく埃っぽい空気を吸い込むと、喉がひりりと痛んだ。
「叫ばなくても、聞こえてるよ~こっち、こっち!」
どこかのんびりした声は、最も奥のブースから聞こえてくる。ダミアンが暴れた場所だ。
以前とは違い、室内ではたくさんのキャンドルに火が灯っており、それほど暗さを感じない。
駆け足で向かうと、涙を浮かべたポーラが口元を布で縛られ、後ろ手に背もたれごと縛られる姿勢で椅子に座らされている。その傍らにオーブリーが立ち、そしてその左横にローテーブルを囲むように置かれた三人がけソファには――コラリー・ジョクス伯爵令嬢が我が物顔で座っていた。
アリサは肩で息をしながら、ローテーブルを挟んでオーブリーと相対する。
「ポーラを! 離せ!」
「やだよ~」
「んまぁ、なんですのその恰好? 平民の殿方みたいですわね。はしたない」
アリサが『アルの服装』であることを見咎めたコラリーが、品のない赤い扇を開いて口元を隠す。そういう自分は、趣味の悪い黄色のドレスで着飾っている。赤と黄色がまるでキャンドルみたい、とおかしなことを考えるのは、まだ現実感がないからかもしれない。
「なぜあなたがここにいる」
「なぜって? いやだわ~。トリベールは我がジョクスのものでしょう? この際はっきり伝えておこうと思って、アリサ・トリベール。王太子妃となるわたくしに仕えたいなら、這いつくばって礼を尽くしなさいな」
「くだらない」
「なんですって? わたくしの采配で、あなたの今後の人生が」
「なんにも知らないのね。御前会議で、セルジュ殿下の婚約者は、エリーヌ様に決まった。トリベールは、ロイク・ヴァランが采配することになった。ジョクスは廃爵、宰相閣下は収監」
「あっはっはっは!」
コラリーは扇でゆったりと顔を仰ぐ。
「妄想甚だしいこと! 頭がおかしくなったのかしら?」
「おかしいのは、お前だ。自分の兄が捕縛されたことすらも知らないのか」
アリサはもう、口調をとりつくろわない。そして、オーブリーから決して視線を外さない。
「そんなデタラメ」
「デタラメじゃない。王宮に照会すればいい。兄と会えるかは、知らないけどね」
「……なによ! 全然、つまらないじゃない! 黒魔女が這いつくばるのが見られるっていうから、来てやったのに。オーブリー! どうなってるのよ!」
「あっはっは。いやぁ、貴族のご令嬢なのに、下品なんだねえ」
「まったくよ! 下品な黒魔女を、さっさと排除なさいな!」
「ええ~? しょうがないなぁ」
オーブリーが両腕をゆっくりと広げると、黒ローブの前合わせも開いた。
首に何重もじゃらじゃらとかけられた、天然石や金銀宝石のネックレスが見える。両手首も同様だ。
「!! ディリ! ポーラを守って!」
『わかったヨ~』
ディリティリオが離れ、ポーラの腕を這いあがったのを確認しつつ、アリサは闇の結界魔法を唱える。黒い霧の魔法を応用させ、空気を遮断するものだ。
濁った視界の向こうで、オーブリーがニタニタと何かを唱えたのが分かった。
「イエーナぁ」
「うぐ」
途端に首をぎゅっと握られたような感覚になる。窒息する。視界が真っ赤に染まっていく。
「くろ、まじょを、呪う、だなんて」
ぐぐ、と奥歯を強く噛みしめる。
「なめ、たもの、ね……カース!」
ポーラが、涙目で首をぶんぶん振っている。何かを訴えている様子だと気づいた。必死で体を揺すり、顎でアリサの左横を指している。すると、腰掛けていたコラリーの目から、いきなり力が失われた。
「あぎゃ……?」
「え!?」
「アハハハハハ!」
呪いを返したというのに、オーブリーは楽しそうに笑っているだけだ。その代わりに左にいるコラリーが、眼球が飛び出そうなほど目を見開き、震える両手を持ち上げたかと思うと、無言で泳ぐように宙を搔いている。それからぐりんと白目を剥いて、腰から崩れ落ちるように横倒しになった。
ディリティリオが、ポーラの背後から叫ぶ。
『身代わりの術ダッ!』
「!!」
アリサはすぐに魔法の手をゆるめるが、コラリーは倒れたまま微動だにしない。
「やったあ! 人殺しだあ!」
「そ、んな……」
「ねえ、どんな気分? 魔法で人を殺すって。ねえねえ。ねえ、ねえ!」
きゃきゃ、とはしゃぎながら飛び跳ねるオーブリーの、首のネックレスがじゃらじゃらと音を立てる。
「ね。楽しいでしょ! 楽しくない? もっと僕とたくさん、殺そうよ!」
濃い紫の前髪が、ふわりふわりと宙に巻き上がる。
アリサは倒れたコラリーを見て茫然となり、ゆっくりと首をめぐらせ、はしゃぐオーブリーが視界に入ると――
「ぶふ! あはははは!」
突如として、爆笑した。
「あ、やっぱり楽しいよね!」
「あはははははは! おっかしー! ばっかみたい! あはははははやばいー!」
腹を抱え、涙まで流して笑い続けるアリサを、笑顔で見つめていたオーブリーはしかし、だんだんいらついてくる。
「いつまで笑ってるの?」
「だって! おっかしくって。あっはっはっは! あーっはっはっはっはっは!」
その間、ディリティリオはポーラの縄と猿轡をほどき、闇の霧で包む。
「もう人質なんていらないからいいよ~。ねえアリサ。僕と一緒に、これからも人を呪っていこうよ」
「……そうね」
アリサの頭には、ディリティリオが戻ってきていた。
やがて黒髪の中にうぞうぞと何匹もの黒蛇が生まれたかと思うと、ウネウネと立ち上がりはじめた。いくつもの赤い目がオーブリーを見つめ、シャーッを牙と長い舌を見せ、威嚇する。
「うわあ、すごいなあ。黒魔女の本領発揮だ!」
ニタァとアリサは笑ってみせる。
「ダークネス・マインド」
オーブリーが、黒蛇の口から放たれる黒い魔力に包まれた。
「え」
「さあ。悪夢と共に眠りなさい……バジャルド」
「!」
驚愕に目を見開いたオーブリーは、ひきつった笑いを見せた。
「な、あ? あれ」
ぶるぶる震えだす身体は、自分では制御できないようだ。
「あはぁ……だめだったか~……ざぁんねん!」
ぼん! と大きな黒い煙が打ちあがったかと思うと――姿は掻き消え、後には黒いローブだけが残されていた。
「ま~たねぇ~」
無邪気な子供の声が、天井を這うように聞こえたかと思うと、シンと静寂が訪れる。
「逃がさない! どこまでも、追いかけるっ!」
アリサは唇を噛みしめキッと宙を睨んでから、ポーラに駆け寄った。
「ポーラ! 大丈夫!?」
「私は大丈夫です! この方、どうしたらっ!」
「っ、闇魔法を喰らってしまった……なら」
『聖女を呼ぶしかないネ。けど、大変だあ。出られるカナ』
次々と倒れるキャンドルが、布地の張られた椅子やソファに火をつけ、燃え広がり、テーブルや壁の絵画に飛び火していく。
「くっ……これも狙ってたわけねっ」
わざわざ呼び出すからには、何かあると思っていた。
「火の回りが速い!」
『んん~? なにか、聞こえなイ~?』
コン、コン。
コン、コン。
「! ポーラ、ここで待ってて!」
「アル様!?」
アリサがロイクとともに潜入した日、給仕たちは眠らせたダミアンを裏へ引きずっていった。つまり、バックヤードがあるはずだ。アリサは走って見当をつけた場所へ近づくと、魔法を唱えた。
「アブ・ソーバー!」
闇で炎を吸い込みかき消すと、黒焦げの扉が現れた。音はやはり、そこからしている。
真鍮のドアノブに手を掛けると、ジュッ! と音が鳴る。熱によって一瞬で手のひらが焼けただれたのだ。
「いっ! ……いま、開けるから!」
だが構わず力任せにドアノブを下ろし、肩を何度も叩きつける。身体ごとぶつけ、またぶつける。
「くっそ! ごほ、ごほ」
ロウの焼けた煙を深く吸い込み、喉が潰れかけている。
扉はたわむものの、なにかがつかえているようで、なかなか開かない。
「闇魔法で、あと何ができる! 扉を壊すにはっ」
大体が精神に干渉したり視界を塞いだりするだけで、物理的な力は期待できそうにない。
「精神……魔力……魔力譲渡なら! ――オーブリー! そこにいるんでしょ!? 水魔法、得意なんでしょ! 魔力、渡すからっ! ゲホッ、ゴホッ」
室温が上がり、気道や肺が焼けるのを感じる。背後のふたりを気遣う余裕も、もはやない。
「おねが、い……」
アリサは、確信している。
今まで共に過ごしてきた親友が必ずそこにいて、助けてくれるはずだ、と。
『イヒヒ~これを見て、テラはどう思ったか聞きたいよネ~』
悠長にクネクネダンスをする黒蛇の一部が、扉の下を這っていくと、ほんの少しして――
バシャ!
扉に前のめりにもたれていたアリサの頭頂が、水で濡れた。
「つめた……」
――そうして、意識を失った。
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