14 / 45
第二章 悪役は、ひたむきに奔走する
12話 ターゲットは、明確に
しおりを挟む「信じたくはないが、母上いわくは、オーブリーの勘が当たっている」
宰相補佐官執務室に、苦悶の表情を浮かべたバルナバスが訪ねてきたのは、四の鐘の後だった。
手には、封筒が一通握られている。辺境領フォクトから早馬で届いたという手紙だ。
「そうか……」
応接テーブルで紅茶を飲むロイクは、眉間に深い皺を寄せた。
ヨロズ商会のメンバーは壁際に三人そろって立ち、テーブルに着くロイク、オーブリー、バルナバスの三人を見下ろす格好だ。
バニラの産地であり、赤色が象徴である隣国クアドラド王国は、香辛料と砂漠に生息するスコーピオ類の素材の産地で有名である。暑さに耐えうるクアドラド民は褐色肌が身体的特徴で、バルナバスの肌も母親から受け継いだものだ。王族と部族の集合体で成り立つ小国は、長年ラブレー王国と交易を続けてきた友好国のはずだった。
「国王の病に伴って、王太子サマーフ派と、魔術師バジャルド派の真っ二つに分かれているようだ」
バルナバスのその発言に、アリサは思わず言葉を漏らした。
「クアドラドにも、魔法使いがいるんですね……」
「ああ、魔術師といっても、ロイクやオーブリーのような魔法使いではないぞ。どちらかというと、占い師って感じだな」
「占い師?」
「そうだ。クアドラドは灼熱の国でな。生きるためには水、つまり雨が重要なんだ。だから天候を読めるやつが出世する」
「なるほど。教えてくださり、ありがとうございます」
西の隣国クアドラドとの国境は、バルナバスの出身である広大なフォクト辺境領が治めている。その東に位置するのがトリベール侯爵領とジョクス伯爵領で、北側がトリベール、南側がジョクス、と川で隔たれていた。今やトリベール領の所有権はほぼジョクスに渡っている。
顎に手を当て考え込んでいたロイクが顔を上げ、地を這うようなバリトンボイスを発する。
「……ようやく狙いが読めた。フォクトが挟み撃ちされたら、我が国は終わりだな」
その場にいた全員が、その発言に戦慄した。
「っ、そうだっ。その通りだ……!」
バルナバスの頑強そうな拳が、テーブルの上でぶるぶると震え出す。アリサは、漏れそうになった悲鳴を抑えるのに必死になった。
現状、ラブレー東にある王都を隣国のクアドラドが攻めようと思っても、補給の問題があった。
フォクト辺境領の西には巨大な山脈があり、地形でも隔たれているからだ。そこをジョクスと共闘して押さえられれば、辺境配備された強大な戦力を削ぐと同時に、補給線も確保できてしまう。攻め込まないにしろ、交易から支配にシフトすることも可能になる。
「母上いわく、サマーフ殿下はラブレーとの友好関係を維持したいと言っているが、バジャルドは国益を追求しろと息巻いているそうだ」
「ふむ。バルナバスの手に入れた情報で判断するに、ジョクスとバジャルドが結託しているのは間違いないだろう」
「魔術師を名乗るからには、魔法や魔力には精通しているんだろうね……」
テーブルにいる三人の話をじっと聞いていたアリサが、やがて絞り出すように言った。
「ジョクスがトリベールを取り込めたから……ただの勢力争いと思わせておいて……成功したから! ラブレー支配へっ、舵を! 切られたっ!」
眼鏡の奥にあふれてくる涙を、アリサは必死に奥歯を噛んで止めた。
例え女神の所業であったとしても、到底許せるものではなかった。月の女神ナルに似た存在を貶めたいのなら、対象はひとりだけにすればいい。国ごと巻き込むなど、どれだけの命を犠牲にするつもりなのだ、と怒りと悲しみで神経が焼き切れそうになる。
「アル、どうした!?」
振り返ったロイクが、アリサの様子のおかしいことに気づき、立ち上がろうとする。が、ニコが脇からアリサを支えるようにして、それを態度で拒んだ。
「……こういった大問題は、庶民には重すぎますよ、宰相補佐官殿」
「っ! その通りだな。薬物の出所を探るだけのつもりが、いつの間にやらだ。これ以上は危険すぎる。この件は、ここまでで良い」
もちろん安全が担保されるまでここにいればいい、とロイクが続けるその口を、アリサの叫びが止めた。
「嫌です!」
「アル、だが」
「関わるなら、最後まで!」
「危険だ」
「既に、危険です! 商会が襲撃されたということは、わたしたちは、知られてしまってます!」
「っ……」
それにはバルナバスが理解を示した。「周辺の護衛と巡回を増やすよう団長に嘆願しよう」と提案し、オーブリーも「魔導士としてここに詰めるよう、届け出する」と申し出た。
「ふたりとも、セルジュ殿下の護衛はどうするんだ」
「学院内では続ける。殿下には近衛が常時張り付いているから、問題ない」
「王宮魔導士もね……それより、アルたちの方が心配だよ。守ってくれる人、いないもん」
庶民の命は、何よりも軽い。オーブリーは暗にそう言及した。それは、アリサへの警告でもある。
「わかった。ここまで巻き込んだ俺の責任だ。三人とも、くれぐれも単独行動は控えろ。いいな?」
◇
『アリサ、闇の魔力漏れてる』
「ごめん、ディリティリオ。吸っておいて」
『いーけどネー』
学院寮の自室へ戻ってきたアリサは、とめどなく流れる涙をそのままに、ベッドへうつぶせに寝ころんでいた。涙だけでなく、魔力まで駄々洩れているのは想定外だが、もう我慢せず泣けるだけ泣こうと開き直った。
王宮敷地外へ出たと同時に、ディリティリオの魔法で姿を隠して男装を解き、しれっと学院寮へ帰る。アルの方は、ニコと同室の設定で、何か起きても「一緒にいました」と証言してもらうことになっている。
ようやくそんな環境に慣れてきたところで、このような衝撃的な事実を目の当たりにして、感情の波を抑えられなくなっていた。
「こんな試練? 運命? ひどすぎるよ……」
ラブレー王国が、紛争の危機にある。しかもそのきっかけが、自分の家――
「つーらーいーーーーー」
両親は気づいていないに違いない、とふたりの顔を思い浮かべる。のんびりとした領地で、羊飼いや綿花栽培、織物ギルドを監修することで経営を行ってきた。温厚で真面目な人柄が、アリサは好きだった。
世情に疎く、正直者。善良な心根を、ジョクス伯爵家につけいれられた。
「くやしいーーーーーー」
枕に顔を埋めて防音対策をしつつ、泣き叫ぶことしか、今のアリサにはできない。
その横で闇の魔力をシュウシュウ吸いつつ、ディリティリオはのほほんと言った。
『アリサ、味方いっぱい』
「ずび。え? ぐし」
『ニコとポーラ。ロイクとオーブリーと、バルナバス……エリーヌも』
「聖女様は、どうかなぁ。ずびび」
『今までの子は、ずっとひとりだった』
「ディリ?」
『オイラの魔力、補充できなくなって……死んだ』
ぶふー、と大きく息を吐いてから、ディリティリオがアリサの頭頂に顎を置いてくつろぐ。蛇のくせに暖かいのは、魔力を吸い込んだからか。
「……あなた、もしかして……ずっと」
『だいじょぶだよ。アリサが今まで頑張ってきたから、みんないる。助けてくれるヨ~』
暖かい、より、熱い。
『敵が分かったら、倒すだけダヨ。でしょ? オイラを誰だと思ってるノ~?』
闇の精霊の怒りがふつふつと伝わってきたアリサは――笑った。
「やっぱり、闇の権化じゃん」
『こんなに可愛いのに~イヒヒ~』
「そうだね。お金を返すんじゃない」
そして、がばりとベッドから体を起こした。
「ジョクス伯爵家を、倒すっ!」
『イヒヒヒ~~~~』
――黒魔女と闇の精霊という、この世界で最も恐れるべき存在が、敵を明確にした。その、瞬間だった。
22
お気に入りに追加
277
あなたにおすすめの小説
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】
小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。
他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。
それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。
友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。
レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。
そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。
レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
【完結】婚約者に忘れられていた私
稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」
「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」
私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。
エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。
ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。
私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。
あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?
まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?
誰?
あれ?
せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?
もうあなたなんてポイよポイッ。
※ゆる~い設定です。
※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。
※視点が一話一話変わる場面もあります。
わたしの婚約者の好きな人
風見ゆうみ
恋愛
わたし、アザレア・ミノン伯爵令嬢には、2つ年上のビトイ・ノーマン伯爵令息という婚約者がいる。
彼は、昔からわたしのお姉様が好きだった。
お姉様が既婚者になった今でも…。
そんなある日、仕事の出張先で義兄が事故にあい、その地で入院する為、邸にしばらく帰れなくなってしまった。
その間、実家に帰ってきたお姉様を目当てに、ビトイはやって来た。
拒んでいるふりをしながらも、まんざらでもない、お姉様。
そして、わたしは見たくもないものを見てしまう――
※史実とは関係なく、設定もゆるく、ご都合主義です。ご了承ください。
転生したらただの女子生徒Aでしたが、何故か攻略対象の王子様から溺愛されています
平山和人
恋愛
平凡なOLの私はある日、事故にあって死んでしまいました。目が覚めるとそこは知らない天井、どうやら私は転生したみたいです。
生前そういう小説を読みまくっていたので、悪役令嬢に転生したと思いましたが、実際はストーリーに関わらないただの女子生徒Aでした。
絶望した私は地味に生きることを決意しましたが、なぜか攻略対象の王子様や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛される羽目に。
しかも、私が聖女であることも判明し、国を揺るがす一大事に。果たして、私はモブらしく地味に生きていけるのでしょうか!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる