13 / 45
第二章 悪役は、ひたむきに奔走する
11話 宰相補佐官の憂鬱(ロイクside)
しおりを挟む「ロイク様。こちらの書類の不備ですが、時系列の伝達工程そのものに欠陥があるかと。指揮系統と報告の流れに齟齬があります。抜本的な変更を要求します」
「! それは宰相閣下へ稟議をかけよう。稟議書は」
「こちらに」
「……ああ。そうだアル、あの予算案だが」
「ロイク様のご指摘通り、誤りがありました。再計算しまして、修正案がこちらです。検算願います」
「助かる」
「それから、ニコが王宮中庭の警備体制に不備があると指摘を」
「あー、それは騎士団長へ稟議を」
「稟議書は、こちらです」
「……」
「ロイク様、ロイヤルミルクティーをお淹れいたしましたよ。添え物は、アップルパイです」
「ありがとう、ポーラ」
「はい!」
――快適すぎる……!
ヨロズ商会から、宰相補佐官執務室付き事務補佐としてアルたちを採用して、数日が経つ。
さすが小規模とはいえ商会を三人で商っていただけはあり、言わずともかゆいところに手が届く働きっぷりだ。書類はもちろん、身の回りの世話やお茶菓子のタイミングまで、全てががっちりとハマるとはこのことか! とその快適さに毎日感動している。
山ほど積みあがっていた書類はみるみる減り、今は過去の記録の整理にまで手を伸ばし始めた。
「おい、アル」
「はい?」
「文字や計算はもちろんだが、仕事の仕方はどこで学んだんだ?」
「えーっと、独学……です?」
特に商会長のアルは、基礎学力だけでなく知識の豊富さや教養、応用力に目を見張るものがある。正直、商会長などという身分ではもったいない。すぐにでも文官として正式雇用をしたいぐらいだ。
それと同じくして、彼の出自が気になった。なぜなら――
「今日はアップルパイですのね!」
「……またいらしたのですか、エリーヌ様」
すっかり聖女であるエリーヌ・アゼマ男爵令嬢に懐かれているからだ。きっかけは、教会に提出する成績報告書の内容を見てやったことだが、それ以来質問がある度に、こうしてこの執務室に来るようになった。貴族の慣例や所作にも造詣が深いことに、内心非常に驚いている。
「だってぇ……修行して疲れちゃったから……ここのお茶もお菓子も美味しいしぃ。それにね、あのね、アル。お手紙の書き方でね、ここどうしたらいい……?」
書類確認をしていたアルは手を止め、眼鏡を人差し指でくいっと持ち上げると、テーブルに着いたエリーヌの脇から手元を覗きこむ。
「殿下のお茶会へのお礼状ですか。ええと時候の挨拶と」
「じこう?」
「ああ、お茶会というのは、交流の機会ですから。あの時このお花が綺麗でしたね、とか、あいにくの雨でしたが会話が弾んで、とか。その時の思い出を一筆入れておくと、楽しんでもらえたのだなと相手に伝わるでしょう」
「そっか! いちごが美味しかったの」
「食べ物をいきなり書くと、下品ですから。天気やお庭の様子を書くことをお薦めしますよ」
「んーとんと……あの赤い花、なんだったのかな……」
彼はすっと本棚に近寄ったかと思うと、一冊の分厚い本を取り出し、元の位置に戻る。
「草花図鑑なら、こちらに」
すっかり執務室にある本の種類や位置まで把握しているのだな、と感心した。
「! ありがと! ごめんね、わたくし、頭が悪くて」
「いいえ。頭が悪い方というのは、説明しても分からない方のことです。エリーヌ様は、全て覚えていってらっしゃる。学んでいなかっただけですよ」
「!!」
「使って覚えて、分からなかったら調べればいいんです」
「うん!」
「素直でいらっしゃるのは、とても素敵なことですね。殿下もお喜びになることでしょう」
「がんばる!」
いつも憂鬱な顔で歩いていると噂の聖女が、薔薇色の頬で嬉しそうに微笑む。
セルジュの婚約者になれという教会の圧力が非常に大きかったことを、ここでの雑談で初めて知った。
アルはその気持ちに寄り添い、周囲ではなくエリーヌ本人がセルジュを慕っている事実を大切にすべきだ、とこうして話を聞いてやっている。
それから、もう一人入り浸るようになった人物がいる。
「お、アップルパイだ!」
「またいらしたのですか、バル様」
「おう、ニコ! 今日こそ手合わせ願おう」
「お断りします。痛いのは嫌いです」
扉を開けて出迎えた、ふわふわの天然パーマで薄茶色の髪の好青年が、とび色の瞳を伏せて困った顔をする。
上司として、助け船を出してやろうと口を開いた。
「バルナバス。ニコを困らせるな」
「ぐぬぬだってなぁ」
ニコの所作から只者ではないと察したバルナバスが、こうして性懲りもなく訪ねてくるのだ。
「俺には、相手の歩き方で大体の強さが分かるっていう特技があるんだ。ニコは、相当強い」
「ハズレです」
「逆にアルは……ほんとに男か?」
本棚の前で資料を探していたアルが、心底嫌そうな態度をする。
「はあ? どうせこの通り華奢ですよ、すみませんね。まったく騎士って無神経な生き物なんですね」
「げげ。そう怒るなって。とりあえず、俺にもアップルパイ!」
ポーラが苦笑しながら、バルナバスを見上げる。
「バル様、お飲み物はチャイになさいますか?」
「気が利くなぁポーラ。そうしてくれ!」
「かしこまりました。お座りになってお待ちくださいませ」
上機嫌になったバルナバスがどかりと座った応接テーブルでは、アルに礼状の書き方を教わり終えたエリーヌが、綺麗な所作でティーカップを持ち上げていた。
細かな仕草に気品を持たせられたら一層素敵ですよ、とアルに言われてここで練習している。その成果が出ている。
「エリーヌ嬢、今の飲み方はよかった」
「ほんと? 嬉しいっ!」
公爵令息でありセルジュの側近でもある俺が褒めれば自信に繋がる、とアルに頼まれて声を掛けるようにしたら、なぜかこの部屋にいる全員の体調が良くなるのだ。疲労回復、気力充実、である。
部屋の端でオーブリーが「わー! 聖女の祝福だ~すごーい」と口の周りにアップルパイの食べかすをくっつけたまま、笑っている。
なるほど、聖女の恩恵だったのか、と腑に落ちる。
温かい空気と、談笑に満たされた部屋。
皆の様子を見ているだけで、胸の中まで、ぽかぽかと暖かくなる気がする。――アルがいなければ、こうはならなかった。
「ロイク様? 何か問題でも起きましたか?」
「ん? ああ、いや」
「そうですか。何かあればいつでも」
「ありがとう。アル」
「……どういたしまして」
俺自身「ありがとう」を言う回数が、格段に増えたことを実感する。
今までの人生よりも、この数日で言っている回数の方が上回るに違いない。
(これが無くなったら……)
冷えた執務室の空気の中、理不尽な要求や謀に孤軍奮闘していた過去を振り返ると、うすら寒い思いがした。
(……憂鬱だな)
にぎやかな応接テーブルを眺めながら、執務机でロイヤルミルクティーを飲む。その脇では、アルが綿密に書類のチェックをしながら、意見を言ってくれている。
この時間を楽しんでいる自分に、自分でも驚いた――
20
お気に入りに追加
277
あなたにおすすめの小説
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】
小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。
他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。
それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。
友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。
レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。
そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。
レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
【完結】婚約者に忘れられていた私
稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」
「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」
私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。
エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。
ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。
私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。
あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?
まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?
誰?
あれ?
せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?
もうあなたなんてポイよポイッ。
※ゆる~い設定です。
※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。
※視点が一話一話変わる場面もあります。
わたしの婚約者の好きな人
風見ゆうみ
恋愛
わたし、アザレア・ミノン伯爵令嬢には、2つ年上のビトイ・ノーマン伯爵令息という婚約者がいる。
彼は、昔からわたしのお姉様が好きだった。
お姉様が既婚者になった今でも…。
そんなある日、仕事の出張先で義兄が事故にあい、その地で入院する為、邸にしばらく帰れなくなってしまった。
その間、実家に帰ってきたお姉様を目当てに、ビトイはやって来た。
拒んでいるふりをしながらも、まんざらでもない、お姉様。
そして、わたしは見たくもないものを見てしまう――
※史実とは関係なく、設定もゆるく、ご都合主義です。ご了承ください。
転生したらただの女子生徒Aでしたが、何故か攻略対象の王子様から溺愛されています
平山和人
恋愛
平凡なOLの私はある日、事故にあって死んでしまいました。目が覚めるとそこは知らない天井、どうやら私は転生したみたいです。
生前そういう小説を読みまくっていたので、悪役令嬢に転生したと思いましたが、実際はストーリーに関わらないただの女子生徒Aでした。
絶望した私は地味に生きることを決意しましたが、なぜか攻略対象の王子様や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛される羽目に。
しかも、私が聖女であることも判明し、国を揺るがす一大事に。果たして、私はモブらしく地味に生きていけるのでしょうか!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる