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第二章 悪役は、ひたむきに奔走する
6話 作戦会議
しおりを挟む「甘い、毒……」
「うん。これなんだけど」
貴族学院の休日である日の日、三の鐘が鳴る頃。ヨロズ商会にやってきたのは、第一王子セルジュの側近で王宮魔導士見習いのオーブリーだ。
奥の応接室に通され、ディリティリオが持ち帰ったブツを見ながら仮面舞踏会の様子を聞くと、もさもさとした濃い紫色の前髪をかき上げ、うーんと悩んでいる。
アリサはこの時、彼の目を初めて見た(いつも髪の毛で隠れている)。ぱっちりとした二重にふさふさまつ毛で青い瞳の、非常に可愛い顔をしていたので、密かに驚いている。むしろオーブリーが女装した方が良かったんじゃ? というセリフはかろうじて飲み込んだ。
「オーブリーなら、分かる? 負の感情を麻痺させて、しかも依存性があるような」
「僕の予想だと、ひとつじゃない。複数混ぜられている。焚いた煙を吸ったら効果があるように、調合してあるみたいだ……」
「調合ってことは……闇魔法じゃない?」
「そんなの、教会がそう言ってるだけだよ。薬草学だって立派な学問だと僕は思ってる。ちゃんと学べば、聖魔法に頼らなくたって多少の傷や病気は治せるのに」
「そんなこと言ったらダメだよ」
怪我や病気を治す『唯一の』聖女を抱える太陽神教会だからこそ、信仰を集めお布施を集め、権力を誇れるのだ。
「……そだね、アル。でも魔法研究を突き詰めるとさ、できることできないことの線引きを見極めたくなるんだよ。そうすると、教義の矛盾や穴に気づいちゃうんだ。おかげでホルガ―様には怒られっぱなしだけどね」
「筆頭魔導士の?」
「そそ。情けないけど、魔法研究って教会の援助に結構頼ってるらしくって。見つかったらやばいから、隠れてやっとけって」
「ふふっ。隠れてならいいんだ」
「ホルガ―様も、研究者だからね」
教会には、筆頭魔導士でさえ逆らえない。
アリサがその事実をしっかりと胸に刻んでいると、扉口からバリトンボイスが響いてきた。
「なんだ来てたのか、オーブリー」
「うん。遅いよロイ」
公爵令息に子爵令息がそのような態度を取るのは、普通ならありえないことだが、このふたりは二歳差の幼なじみだ。ヴァラン公爵領には金鉱山があり、昔は錬金術が盛んだったため、有名な魔法学校がたくさんあるらしい。ロイクからは、幼い時から学びに来ていたオーブリーと仲良くなったと聞いている。
「時間通りだぞ」
「そうだっけ」
はあと深い溜息を吐きつつ、ループタイを緩めシャツの一番上のボタンを外したロイクは、どかりとアリサの横に腰かけた。
「で。なんの話だ」
こっちに座るの? と動揺したアリサは、わたわたと慌てた。眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げ、被ったウィッグをさりげなく触り、男装に問題ないことを確かめつつ言葉を絞り出す。
「あああの、あの時掴んだ、ブツの話です」
「『バニラ』か。香料として珍しい植物じゃないぞ。熱帯地域でよく栽培されている。隣のクアドラド王国から仕入れているはずだ」
あのバニラの、と話をしているうちに、すっかりその固有名詞が定着してしまった。誰に聞かれても「菓子の話」と誤魔化せるのも良い、とロイクが言って。
オーブリーもその名称を受け入れ、頷く。
「うん。アルがダンスしたっていう男からこっそり手に入れたっていうコレ。バニラと毒物か薬草かを調合したものだと思う」
さりげなくディリティリオの存在を隠してくれたことに気づいたアリサは、そっとオーブリーに目配せで感謝を伝える。
「! 闇魔法の類ではないのか」
「魔法なら、今のコレに効果はないはずだよ。でも」
オーブリーは、小皿の中にある黒い小枝のような物のうち、一本をつまんで持ち上げ爪の先分だけ折り、手のひらの上に置く。
反対の手の指先に魔法で火を灯して手のひらへ近づけ、『バニラ』を一瞬で焼くと、ジッと音がして黒い煙が一筋だけ立ち上った。甘い香りを嗅ぐと、今話していたことがなんだかどうでもよくなり――いや、どうでもよくはないぞと慌てて思い直し――恐ろしい作用だ、とアリサは顔色を悪くする。
「ほら。たったこれだけでも。ね」
ロイクが腕を組み、眉間の皺を深くした。
「どういった人間が、作れるんだ?」
「僕みたいに魔法を極める途中で、魔力について追求しちゃう人、かな。薬草は魔力を持った植物っていう考え方もあってね」
「変人魔法使いか」
「うぶっふ」
ロイクの暴言に、アリサは思わず吹き出した。普段はあれほど威厳のある態度で仕事のできる宰相補佐官が、幼なじみの前だとただのハタチのやんちゃな男性になることも、初めて知った。
「ちょっとロイ、変人呼ばわりはやめてよ」
「事実だろう」
「んふふふふふ」
「んもー、笑わないでよ、アル」
「ごめごめ」
笑いすぎて出てきた涙を、眼鏡の横から差し入れた人差し指で拭っていると、ロイクがそれをじっと見つめているのに気付いた。
「? なんです?」
「なんでもない」
「アルの目の色が、気になるんだって」
「おい」
前もそんなことを言っていたな、とアリサは首を傾げながら尋ねる。
「知ってどうするんです?」
「どうもしない」
腕を組み、足を組み、ぷいっと顔を背けられた。
オーブリーは、それを見てクスクス笑っている。
「ロイクってほら。いじめっ子だから」
「あ~。なるほど」
「おい、なるほどってなんだ。納得したってことか?」
「はい。納得しました」
「なぜだ」
言葉に詰まるアリサを、「コンコンコン」と無遠慮なノックが救った。
「そろそろお時間ですよ」
ニコが、呆れた顔で扉口に肩をもたせかけるようにして立っている。それを見たロイクが心底嫌そうな顔をして、「分かった」と返事をしてから
「なあ。あっちの方がいじめっ子だろう」
と毒づいた。
「え? ニコは、優しいですよ?」
「ぐ」
「「ぶっ」」
それからものすごく不機嫌になったロイクは、次の『月の日』に『赤いダリアを一本』持ってサロンへ行く、とぶっきらぼうに告げた。
「わたしも行きます。今度は従者として」
「アルが? なぜだ」
「ちょっとあの男に仕掛けをしてあるんです」
「仕掛け?」
顎を撫でてやった時に、闇の印を貼り付けてある。シールのようなものだ。サロンなら、素顔を晒している。誰か突き止めるための、目印になるはずだ。
「ええと、わたしは嗅覚と勘が鋭い性質なんですが」
「ほう」
「ちょっとした目印をつけておいたんです。それで、奴の素性が誰か分かったらなって」
「! 見ればわかるのか」
「わかります」
「また報酬を追加しなければならないな」
「十分いただいてますよ……従者の服なら、たいして用意はいりませんし」
オーブリーが、それまでに『バニラ』の作用を無効化できるようなものはないか研究しておくと言い、証拠の物は、商会の金庫の中へしまうことになった。
ふたりを見送ってから戻ってきたニコが、商会長席のパーテーションの上から覗きこみ「サロンは危険です」と渋い顔をする。
「危険?」
ずるりとウィッグを取り、眼鏡も取ったアリサは、頭上でとぐろを巻き始めたディリティリオを撫でつつ、ニコを見上げた。
「ええ。男性の社交場というのは、アル様の想像以上に危ない場所です。何が起こるかわかりません。正直、俺は反対ですね」
「……ニコ」
「はい」
「危なくなったら、躊躇いなく魔法を使うわ」
「!」
書類整理をしていたはずのポーラが、いつの間にかアリサの側まで来ていて、木製のトレーを差し出した。上には、湯気の立つお茶の入ったカップが乗っている。
「ロイク様なら大丈夫ですよ。闇魔法を見ても、アル様のこと、嫌ったりしません」
ニコがあきれ顔でポーラを見やる。
「ポーラの勘、か?」
「ええ。ニコもそう思うでしょう?」
「うー……ま、アル様が戻って来なかったら、ヨロズ商会は俺が乗っ取りますからね」
アリサは、「ありがとう」と温かいカップを両手で受け取ってから、微笑んだ。
「乗っ取るも何も。その時は、あげるよ」
「嫌ですよ、めんどくさい。雇われの方が楽なんで、絶対帰って来てくださいよ」
「ふふ」
――なにが起きても、帰ってくる。それだけ、心に誓った。
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