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第三章 帝国留学と闇の里

〈143〉真実は、人の数だけあるのです

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残酷なお話です。




※ ※ ※





「ディート!」
 アレクセイが、目覚めたディートヘルムを見て、下唇を噛む。
「おまえという奴は、どこまで……!」
 握りしめた拳を振り上げ、殴る勢いだったが
「いや、……わしが悪かった」
 と項垂うなだれた。
「まーまー。ちょいと復帰まで時間かかるし、それからゆっくり話しーやー」
 ソファにだらりと腰掛けるナジャが言うには。
 
「ふう……そいつな、身体中の水分持ってかれててんけど、わいの術で無理矢理補給した状態や。油断は禁物。軍医がおるんやったら、定期的に見てもらってや。大丈夫とは思うけども、歩けるまで三日はかかるよって」
「分かった。助かったぞ……礼を言う」
 アレクセイが、ナジャに向き直って礼を言う。
「いやいや、わいやなくて。ご主人様がのー」
 ナジャは、手を力なく振ってそう返事をしたが、レオナはキッパリと
「いいえ。ナジャが頑張ってくれました。本当にありがとう、ナジャ君!」
 と彼をねぎらう。
「レオナ様……一体儂は、どのようにお礼をすればよろしいか……」
「お礼だなんて。ただ、私はこの留学で様々なことを学びたいんですの。できれば同じ学ぶ環境にいる方達とも、できるだけ仲良くしたい。それだけですわ」

 またお見舞いに来ます、とアレクセイと握手をして、ツルハ邸を辞した。
 

 ――その帰りの馬車にて。
 
 居残って、軍医の手配や大将業務の振り分けなどの、補佐を申し出たマクシムを置いて、レオナ、マリー、ジンライと共にナジャが珍しく乗っている(シモンは、馭者ぎょしゃ台)。
 それほど疲れたのか、とレオナが気遣うと
 
「ちょーっとな……嫌なもん見てもーてん」

 珍しく、迷っている。

「ナジャ、まず私が聞きましょうか」
 マリーが提案するが
「それも考えてんけどな……レーちゃんがあのボス猿を救いたいて、ほんまに思ってるんやったら……」
 とナジャはまた悩んだ。
「思っているわ」
「あんなあ、無視しとってもバチは当たらんし、言うとくけど、かーなり胸糞悪いで」
「でも……」

 
 ――正義感? お節介? 出しゃばらない方が良い?

 
「俺も聞きたいです。……前に悪い人じゃないと思うって、言ったじゃないすか? 気になるんすよ」

 ジンライが、背中を押してくれた。
 
「……はー。分かった。まずちゃんと調べてからや」
「うん……ナジャ君、ごめんね」
「んー?」
「無理、させて……」
「せやな」
 レオナの向かいに座ったナジャは、おもむろに覆面を取った。

「!」
「な!」
「え? ナジャさん、それはっ」
 
 その右眼が、真っ黒に染まっている。

「ちーと闇に魅入られすぎてな。後で解呪してくれるかいな」
「……」
「責めとるんやないで。レーちゃん。何かを叶えたい時には、何か差し出さにゃーならん。それを知って欲しいだけやで」

 いつも飄々ひょうひょうとしているナジャが、こんなに辛そうなのだ。

「ナジャ君……私は、何を差し出したらいい?」
 レオナの真剣な瞳にナジャは微笑む。
「せやなあ。美味しい食事と、膝枕でなでなで……」
「調子に乗るな」
 マリーが視線でナジャを刺す。
 
「ふふ、いくらでも、なんでもするわ!」
「あかんでレーちゃん、そんなん簡単に言うたら。わるーい男はな、がーっと食べちゃうねんでー」
 両手で襲うフリをするナジャの隣で、ジンライがぽつんと
「そっか……」
 と独り言を呟いた。
 そしてやがて目に力を入れて顔を上げ、正面を見据える。
 
「叶えたいなら、何かを差し出せ、って俺も思います。なんかずっと、すげーモヤモヤしてたんすけど、そういうことだ! ナジャさん、ディートさんのこと、俺も……見えたんで、俺なりに何ができるか、考えます。そんで、ディートさんにもちゃんと差し出させたいって、思いました」
「見え……たんか?」
「はい。結界から闇? が出そうで。触っちゃったんすよ」
「おま、あほう! 見してみい! あだっ」

 ナジャが隣のジンライの様子を見ようとして身体をひねり……肘をどこかにぶつけた。

「あー、大丈夫すか?」
「いだー! ええから手ぇ見せぇ!」
「はい! こっちっす!」
「んんんん」
「大丈夫すよ」
「見た目はなんともないが……少しでもおかしいことがあったらすぐに言いや。雷神の加護がある言うても、闇の力は恐ろしいんやで」
「わかりました!」

 タウンハウスに馬車が着き、シモンがその扉を開けると――

「はう! ナジャ様のご尊顔んんんん!」
「……あー、しもた」
「ああああ! かあっこいーーーー」
「あかん、蹴る気力ないわ」
「……では、失礼して」

 げしぃ!

「はあう! なんでえ!」

 マリーの遠慮のない蹴りで、シモンの悲鳴がタウンハウスの馬車止めに響き渡り、バサバサと鳥が数羽飛んでいった。

 レオナとジンライは
「「飛び蹴りだ……」」
 と馬車の中で戦慄していた。

 

 ※ ※ ※


 
「体調はいかがでしょうか。軍医を呼びましょうか」
「いや、寝ていれば治る」
「はい……」

 ミハルはベッドの上で、本を読んでいた。
 度々様子を見に来る執事には、同じ返事を繰り返す。

「全てを愛する、ね……」

 自身の父親は、オクタ・セナタスと呼ばれる元老院の終身議員であり、イゾラ聖教会の枢機卿、という帝国でもトップレベルの家柄。

 だが、家柄や権力とその人格は必ずしも同期しない、ということをミハルは身をもって学んできている。愛だの慈悲だのには、欲が伴うのだ、と間近の存在が見せつけてくるのだから。

 色素が薄い、とレオナが評した通り、彼は白髪に近い銀髪で肌の色も白い。その瞳はアイスブルーで、まるで宝石のよう、と周りからは言われている。
 浮世離れしたそのルックスは、信者たちや聖職者たちから敬虔けいけんを通り越してな信仰を集めるのに役立ち……エリーゼとオルガは勝手に暴走するに至った(とミハルは思っている)。

反吐へどが出る」

 思わずそんな独り言が漏れるくらいに、ミハルは消耗していた。
 同じクラスの学生たちですら、ミハルの視界に入ろうと必死で、彼が少し祈ったり、触れたりするだけで幸せそうな顔をする。衣服を脱ぎ捨てて、全てをさらしたい、と恍惚こうこつとした表情で身を捧げてくる信者たちすらいる。父はそれを全て受け止めるが、ミハルは優しく微笑んで、「よくできたね」と褒めるだ。

「この手に、言葉に、一体何があるのだか」

 ミハルはいつも、空虚だ。からっぽだ。

 だからあの燃えるような力をみなぎらせるディートヘルムのことは、嫌いではなかった。が。

「薔薇魔女……」
 あの、常に溢れあふれている何かが、ミハルは恐ろしい。

「頼むから、いなくなって欲しい」

 自身の欲を決して祈らない彼が、そう祈った――



 ※ ※ ※



「また、隠してしまわれる……」
 
 レオナに解呪してもらったナジャ。
 さすがに消耗してしまった彼女を寝かせ、しばらく様子を見て、寝息を立てたのを確かめてから、キッチンに水を取りに来た。それを執事のシモンに目ざとく見つかったわけだが、再び顔を隠していたので、残念な顔をされたのだ。
 
「なんやシモン」
「まだ信頼されてないのですね。がんばりますよー!」
「……ちゃうで。逆や」
「へ?」
「わいは、生きとったらあかんねん」
「え?」
「生きとるのがバレたら、えらごとやねん。せやから気にせんでええ」
「はう!」
「そんなことより」
「ディートヘルム様ですね」
「知っとるのか?」
「……ええ。『真実』は、陛下にしか伝えておりません」

 ナジャは、あったかいお茶よろしゅう、と言って、キッチンの適当な椅子に腰掛ける。シモンは、嬉々としてお茶の準備を始めた。

「シモンが、特務を辞めた理由、か?」
 腕を組んだナジャが、シモンに顔を向ける。
「おや、もう見抜かれましたかー。私もまだまだ」
 ニコニコしながら、湯を沸かすシモンは、穏やかだ。
「……いいのですよ、辞め時を探してましたからねえ」
「ボス猿と、なんの関係がある?」
「ディートヘルム様にはかつて、想い人がいらっしゃいました」


 とある伯爵令嬢。小さい頃からディートヘルムとは何度も会っていて、可憐な見た目に大人しい性格。常にディートヘルムの二歩後ろをついて歩くようなしとやかさ。ディートヘルムは、その彼女を大切に思い、将来は、と考えていたことは、周囲の目にも明らかだった。

 だが――

「中身は、魔性の女、でしたねえ」
「なっ」
「どうやらお家が傾いた時に、ね……胸糞悪いですが、サロンにはそういう『闇取引』もございましてね。ご令嬢に食指しょくしが動くやからもおるのです」
「そんなん、普通はイヤイヤやろう」
「ところがそうでもなかった。サロンでの客は、上客です。身分も高い。自分に女としての価値があり、大金が入る。快楽も得られる。悲しいことに、そうなってしまわれた。だがその家は、ディートヘルム様にも嫁がせたい。そのためには清廉でなくてはならない、が」
「アレクセイが、気づいたんやな」
「さすがですね。それとなく、ご縁談を潰すよう働きかけ、ディートヘルム様は激高されました。ご令嬢は、アレクセイ様がご存知ならば、とのです」
「それが、あれか」
「ええ。結ばれないならばせめて、とその令嬢はディートヘルム様をお誘いし、抗えずに応えてしまわれた。……やがて、ディートヘルム様に襲われた、純潔を奪われた、と金品を要求し始めました」
「はー」
「アレクセイ様は、支払って縁を切ることを選ばれた」
「ま、そうなるわな」
「それで終わりなら良かったのですが……」

 欲深いその一家は、執拗に金品を要求し続け、支払いを渋ると、挙句の果てにはディートヘルムの悪評を流し始めた。

「ディートヘルム様の耳にも、入りました」
「それはまた、きっついのう……」
「アレクセイ様は、誠心誠意対応しようとされたのです」

 悲劇は、そんな時にこそ起こる。

「その一家は、別の家も脅迫していました。サロンで得た情報を元に」
「寝所で口が軽くなる奴もおるからのー」
「ええ。そしてご令嬢以外、暗殺されました」
「へえ! 思い切ったもんやな」
「ディートヘルム様は、それをアレクセイ様の指示と思っております」

 なるほどな、とナジャは器用に覆面の隙間からお茶を飲む。

「それでなんでシモンが辞めるんや?」
「そのご令嬢、自暴自棄で皇帝陛下を狙いましてねえ」
「うわ」
「普通ならたどり着きすらしないんですが、よりにもよって、アレクセイ様の書類を捏造して、入り込んだんですよ。メイドとして」
「……誰か手引きしたな」
「はい。すぐに捕まったんですが、身ごもっていらっしゃった」
「!!」
「陛下がすぐに気づき、皇城の医者にみせたんですがね」
 シモンの眉が、動いた。
「……月の数からいって、ディートヘルム様のお子の可能性が高いと」
「な……んなもん、他にも」
「いいえ。彼女もまた、ディートヘルム様を愛してらしたのかもしれませんね。かのこと以降は、一切そういったことはなかったと」

 シモンが、ようやく背中の荷物を下ろした、というような顔をする。

「で、私が
「おま!」

 ナジャにも、それが言葉通りの意味ではないことは、分かった。
 恐らくシモンは、。そしてそれを最後に引退するぐらいに、心の傷を負った。


「いやー、もう女性はこりごりですよ!」
「シモン……」
「ふふ。陛下には感謝しております。アレクセイ様への忠誠心を果たし、灰になっていた私を拾って下さった。そして、レオナ様たちの純粋さや明るさに、毎日救われております」
「残酷やなぁ」
「ええ、欲というものは、様々なひずみをもたらします。それをレオナ様たちにどうお伝えすべきか、私には答えがありません」

 ふー、とナジャは大きく息を吐いた。

「今さらやけど、それ言うて良かったんか?」
 ぐ、とその拳を握る。
「そう警戒しないでくださいませ。隠密なら、口は堅いでしょう? ……私も、苦しかったのですよ。お許しください」
「そ、か。忘れさせよか?」
「くふふふ! お優しい! でも、抱えてゆきたいのです」
「分かった」


 ディートヘルムは、アレクセイを憎んでいるのだろう。愛する人と、金で別れさせたと。
 それを恨みにしたかつての愛する人に、悪評を流されたが、それを享受して、その通りに振舞っている。それが償いかのように。

 アレクセイは、彼なりに息子を愛している。守り続け、どんなに素行が悪くなろうと、見捨てていない。が、言葉が圧倒的に足りていない。

 その令嬢は、家に翻弄されて、金と欲に翻弄されて――正常な価値観はとうに失われていた。


「生きてるからには、生きにゃあかんからな」
 ごちそうさん、とナジャはカップを置いて――黒霧とともに、消えた。
 

「優しい隠密など、聞いたことがないですねえ」
 シモンは、それからしばらく、涙を止めることができなかった。



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お読み頂き、ありがとうございました!
久しぶりに、重いお話になってしまいました。

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