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第二章 運命の出会いと砂漠の陰謀

〈116〉私も、新しい道への第一歩なのです 後

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「レオナ」
 ルスラーンが、とても真剣な顔で見下ろしていた。
「……少し、話したい」
 こくり、と頷くと、ルーカスが無言で、脇の小部屋に案内をしてくれた。本来ならば密室に二人きりは良くない。が、ルーカスは黙って微笑んでくれた。

 中に入ると、ゲスト用のちょっとした控え室になっていて、簡易テーブルと椅子が備えられている。


 ぱたり、と扉が閉じられると、ダイニングの喧騒けんそうから離れて、静寂な空間になる。
 二人は無言で、向かい合わせに腰掛けた。
「ルス、あの」
 静けさに耐えられず、レオナが口を開くと
「……すまない」
 ルスラーンが絞り出すように言った。拳を膝の上で、ぐ、と握りしめていることが分かった。
「自分が、これほど情けないと思ったことはない」
「そんな!」
「聞いてくれ」

 何度かまばたきをして、改めてルスラーンを見つめるレオナは、彼の瞳が揺れていることが分かり、息を飲んだ。
 
「……はい」
「まずは先日、学院の廊下で、失礼な態度を取ったことを謝罪したい」
「いえ! あれは」
「ゼル君のため。だろう?」

 レオナは、目を合わせることが出来ずに、ただ頷く。
 
「うん。頭では分かっていた。けど、その……俺と約束したのに、と、思って……あー、情けないが、嫉妬した」
「しっと」
「ああ」

 ――しっと?
 今、しっと、って言った!?

「もちろん誰と何をしようが、レオナの自由だし、婚約者でもない俺に、止める権利はない」


 ――こ!?
 こここ、こんやくしゃ!?


「俺のただの狭量きょうりょうだ。許してくれ」
「ゆ、ゆゆ許すも何もないですわ!」
「……怒ってはいないか?」
「ないです! 怒るだなんて!」
「そっか……良かった」
 
 ふにゃり、と笑う顔が、レオナの心臓を貫く。
 
「それからダイモンイチゴのこと、ありがとう。まさかあの会話からこんなことが実現するとは、思わなくてだな、すごく驚いた」
「あの、無断でごめんなさい! ジーマ様からも色々ご協力頂いて」
「マジか! あの親父……」
「ルスが忙しかったから、ですわ!」
「いや、言い訳にならない。本当に情けないな……こんなんじゃ、選んでもらえない」

 ぎり、と歯を噛み締めるルスラーン。
 
「? 選んで?」
「あ、あーいや。本当に嬉しかった。感謝しているし、フィリベルトともしっかり話して、今後どういうことが出来るかも考えていきたい。また色々聞かせて欲しいし、俺からも提案できることがあれば、したいんだが、いいか?」
「もちろん! とっても嬉しいですわ!」
「うん……こちらこそ。それから、その……」

 ほんの数秒躊躇ためらった後、ルスラーンは、まっすぐレオナを見つめる。
 
「ブルザークへ行くのは、さ」
「……はい」
「皇帝陛下と、その将来、あー、何か」

 レオナは首を振る。
 
「今は、留学することだけ決めましたの」
「そっか……うん。応援、したいんだ。本当に」
「ありがたく存じますわ」
「うん……だが、その」

 じ、と紫が、射抜く。
 
「正直――寂しいな」
「っ……」

 ――し、しし心臓止まるっ!
 だだダメよ、勘違いしたらダメよ、友人として、よ!
 レオナ! あなたは、公爵令嬢よ!
 
「まあまだ先だろ? 約束通り休みが取れたらさ、どこかに行こう」
「え、ええ」
「レオナ。改めて、本当にありがとう」
「そんな! ただ、私は」

 ――あなたのために、なんて言ったら、引くかな。
 どうしよう。わかんない。

「私は?」

 ――わかんないけど、言いたい。
 恥ずかしくて、顔が見られない。けど。
 
「ルスの、ために、その、少しでもお役に立ちたくて」
「……」

 えっ? 無言!? 
 やっぱり引いちゃった!? よね、えーん!

 恐る恐る顔を上げると、目がまん丸で驚いているルスラーンが居る。
「俺のため?」
「……はい。ごめんなさい、勝手に色々、その……」
「……っっ」
 
 テーブルの向こうで、ルスラーンは頭を抱えてしまった。
 
「ルス? あの」

 やはり困らせてしまっただろうか、とレオナが不安に思っていると。
 
「っしゃ!」

 急に、ガッツポーズをされた。
 
「へ?」
「っっげー、うれし!」
「へっ!?」
「俺のためとか! すげー嬉しい!」
 
 ば、と顔を上げて、くしゃりと笑う。
 
「やべー! 自惚うぬぼれるぞ、俺!」

 途端に素の、やんちゃなルスラーン。
 先程までの近衛騎士の威厳は、どこかへ吹っ飛んでしまっている。
 
「うぬぼれ?」
「んんん、なんでもねー!」

 レオナは、少年のように笑う、この、漆黒の竜騎士と呼ばれ、恐れられてすらいる人を見て
「ふふ。可愛い」
 と。思いが口から漏れてしまった。
 
「へ? 俺が?」
「あっ」
 慌てて手で口を塞ぐが、遅かった。
 
「うーん? 女性には、顔が怖いとか、冷たそうとか、何考えてるのか分からないとかは、良く言われるんだが……可愛い、って初めてだなぁ」
「へえ。女性には。一体何人からかしら?」
「何人? そんなの数えたことはない……あれ? 俺今、責められてる?」
「大層おモテになるようで! 良かったですわね!」
「は? 違うぞ? 悪口だろ!?」
「違いますう!」
「ええ……わかんねーし……えっ、なんで膨れてんの? 俺またやらかした!?」
「嫉妬ですう!」
「しっ……は!?」
「ふーん!」
「ふーんて、……あー、可愛いのはそっちだろ」
「かわっ!?」
「はは。可愛い」
「ちょっ、からかってるでしょ!」
「ちげーよ!」
「どうですかねー!」
「レオナ」
「なによ!」
「マジだって!」
「なにが!」
「だー! もう!」

 コンコン

「「!!」」

「そろそろ、お時間ですよ」
 お互いに、ゼーハー息をするぐらいに興奮していた二人を、ルーカスの冷静な声が、止めてくれたのだった。
 


 ※ ※ ※

 

「おー? しょんぼりしちゃって、まあ」
「……」
 レオナ達が、ルーカスの案内で別の部屋に入った頃。
 ジョエルは、シャルリーヌの手を引いて、壁際の休憩用の椅子に座らせた。
 その隣によっこらしょ、と腰掛け、足を組むと、シャルリーヌに問いかける。

ねてんのー?」
「うるさい……」
「ちょっとー、僕これでも副団長よー?」
「しってる……」

 ジョエルは、眉を下げて肩をすくめる。

「なんとなく、分かってた感じー?」
 シャルリーヌは、うつむいたまま。
「ほんで、レオナが言ってくれるのを待ってたー?」

 図星を突かれた。
 シャルリーヌは、下唇を噛む。
 ジョエルは頭の後ろで手を組んで、壁にもたれた。

「ほんで? 水臭いって、責めたいのー?」
「ちがうわ!」
「じゃあ、何ー?」
「……ずっと側にいたのに……」

 クラスルームでも、図書室でも、食堂でも。
 学院での好奇の視線に晒され続けたレオナ。
 ゼルやヒューゴーと親しくしたなら、女子学生達からねたみの視線が刺さる。
 テオやジンライと話せば、庶民にまで手を出す、などと、不思議なくらい、本当に下世話なことばかりで。
 どれだけ心を摩耗したのだろうか。
 自分達のお陰で学院生活が楽しい、と先程は言っていたが、本当だろうか? と疑ってしまう。

「私は……」
 なんなのだろう、この気持ちは。
 自分でもよく分からない苛立ちを抱えて、シャルリーヌは、膝の上で固く手と手を握り合わせる。
 それを見てジョエルは一つ、溜息をつく。
 
「マーカム王国民にとって薔薇魔女は、おとぎ話だった。でしょ?」

 シャルリーヌは、ジョエルの横顔を黙って見つめた。
 隠れてはいない右目が、空を貫いている――何か別のものを捉えているように。

「けれども、身近に存在してしまった事実を、学生達は受け入れられないんだろう。あの瞳もそうだけれど、魔力量も隠せていない。どうしても表に出てきてしまっているからね。――恐ろしいんだろうな」
「そんな! かといって排除するのは違うでしょう!?」
「シャルには、確固たる地位がある」

 ちら、と目だけでシャルリーヌを見て、また視線は空に戻る。
 
「小さな頃から共に過ごした『レオナの親友』っていう、ね」
「……」
「皆が子供の頃から、恐ろしい存在として語り継がれてきた存在がさ、実際にクラスルームにいるとして。膨大な魔力を持つ、権力も相当な公爵令嬢。僕なら怖いけどなぁ」

 シャルリーヌは、ようやく腑に落ちた。

「私……分かっていなかった……ただ、周りが悪いと……」
「ふふ。さすがシャルはかしこーい!」

 ジョエルが無遠慮に、シャルリーヌの握りしめている拳を、その手のひらでぼんぽん、として――そのまま優しく握る。
 
「まー、何されても黙ってるレオナが、一番悪いと僕は思うよー。それはシャルも、そう思うでしょー?」
「……ええ……でもレオナはそういうの、達観してる」
「そだねえ。僕はねえ、時々、レオナは違う世界から来たんじゃないかなーって感じるよー」
「え?」

 ま、そんなわけないけどさ、とジョエルは笑う。

「だって、僕らと目線違う時って、ない?」
「ある……」
「だからさー、多分、僕らが想像つかないことを考えて、決めたんでないのー? あんま深く悩まなくて良いと思うよー。じゃなきゃ、公爵令嬢が婚約もせず他国へ留学だなんて、思いつかないっしょー!」
「はあ、それはほんとにそうね」

 婚約もせず。
 ローゼンでなければ、大問題である。

「諦めちゃって、ないよね……」
 
 シャルリーヌは、思わず呟いた。
 何気なく、自分の拳の上に乗っている、ジョエルの手の甲を見る。よく見ると、いくつも切り傷のあとがある。
 
「んー?」
「レオナ。恋愛結婚」
「ぶふ! 留学して距離離れても、変わらず好きってことなんじゃなーい?」
「あ、そっか」
「僕らは、ひたすら応援するだけ、だねー」
「ふふ」
「お? やっと笑ったー!」
「だって。バレすぎよね」
「うん。二人ともバレすぎだねー。知らぬは本人ばかりかー」
「なのに……」
 シャルリーヌは、切なくなる。

 
 ――好きなのに、離れるだなんて。
 私には、無理だわ。
 

 ジョエルに視線を移すと、いつの間にかジョエルもシャルリーヌを見つめていた。
 途端にかかっ、と頬が熱くなる。

「なに見てるのよっ!」
「えぇー! ひどーい!」
「うるさい! なによこの手ぇ! どけて!」

 ばちん、とジョエルの手の甲を叩く。
 
「いたぁっ!」

 さすがに、ジョエルのその声で
「おい、大丈夫か?」
「おやおや」
 ラザールとジャンルーカが気づき、近寄ってきた。
「大丈夫です!」
「えぇ……僕の手なんだけどー?」
「いいの!」
「いーけどさー。さ、夜遅いから、僕がバルテ家まで送るねー」

 よっこらしょ、と立ち上がり差し出されたその手を、シャルリーヌはつい意識してしまい――

「? シャル?」
「な、なんでもないわ!」

 取るのを無駄に躊躇ってしまったのだった。

 

 ※ ※ ※


「もちろん、あのような事件の後で、橋渡しをお願いするのは、無茶で無礼なことだと分かっている」
 
 タウィーザは、ゼルとともにベルナルドに対し、再度協定についての話をしていた。最後のお願い、といったところだ。
 
「だが今は……アザリーは本当に国としての瀬戸際に立っていると言っても、過言ではない」
「そこまで暴露しても良いのですかな?」
「信頼を得るためには、腹芸などしない」
「ふ。懸命です、殿下」

 ベルナルドは、この若い王子に厳しくも温かい言葉を投げた。

「国は、一朝一夕いっちょういっせきでは変わらないでしょう。ですが、その一歩が重要です。変革には血が伴う。お覚悟は、おありかな?」
「ベルナルド殿。言うまでもない。この命を賭けて」
「ならばローゼンは、殿下の技量を見極めた上で、後ろ盾にもなりえるでしょう。但し」
「ただし?」
「利は、きっちり頂く。良いですかな?」
「ははは! さすが剛腕の呼び声高き、氷の宰相!」

 二人は、がっしりと握手を交わした。

 ゼルは――

「俺にはこのような外交などできないが。なにか役に立てることがあれば、その」

 ゼルなりにその葛藤を、ベルナルドにぶつける。

「ゼル君。今の君にできることは、君の責務を果たし、闘神の名を汚さない人物に成ることではないかな」
「責務……闘神……」
「難しいことは、一人で抱えず。いつでもローゼンを訪ねると良い。レオナが留学した後でも、ね」

 ぐ、とゼルは肩に力を入れて、深く礼をした。

「ありがたく」

 

 ※ ※ ※



「ねえ、行くの? ジンも」
「う……たぶん」
「そっか……」
「テオ。ごめんな、良くしてもらってるのに」
「そんなの。気にしなくて良いんだよ」
「でももし帰って来たら、恩返ししたい」
「恩なんて感じなくて良いよ――その代わりさ、手紙書いてね」
「! ぐす、もちろん!」

 ジンライにも、それが『ずっと友達でいてね』と同じ意味なのは分かった。

「泣き虫は、我慢しないとだね」
「ずび、うん。ずば」
「うくくく。鼻水で返事とか」
「ぶはへ」
「きったな!」

 笑いながらテオは、ジンライにハンカチを差し出す。
 そして――
 
「ジン、僕もね。決めたことがあるんだ」
「……そか、ついに」
「うん」
「大丈夫?」
「うん。決めたから」

 テオの目の強い光を、ジンライは眩しく思い。

「ずっと、応援する。ぐすす」
「ありがと!」

 二人で、笑った。
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