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第二章 運命の出会いと砂漠の陰謀

〈73〉砂漠の王子6

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 ――公開演習まであと十八日。
 

 ゼルは、馬車襲撃の翌日昼頃に目を覚ましたが、衰弱していたため、食事と睡眠に集中させることとし、会話を始めたのはそのまた翌日である今日からだった。
 最初こそ『すまない』『迷惑をかけた』と弱っていた彼だが、食事と睡眠が取れたことで、徐々に元の生気を取り戻していた。
 
 幸か不幸か、学院の臨時休校――主立った事務官に、王宮から緊急招集がかかったのだそうだ。学院講師はほぼ事務官や事務官補佐が、兼任しているためである――によりゼルの休みは目立たなくなるだろう。ベルナルドは帰宅せず、フィリベルトが度々王宮に参内しているところを見ても、何かがバタバタと繰り広げられているに違いない。

「何も聞かないのだな」
 マリーと共に客室にやって来たレオナとシャルリーヌに、ゼルが困った顔で言った。
「まずは回復よ」
 レオナはゼルの顔色をうかがう。だいぶ血色は戻ってきた。
 マリーが、空になった朝食のトレイを持って部屋から下がると、ゼルは口を開いた。
「……俺には、ここまでしてもらう義理がない。返せるものもない」
 穏やかな口調ではあるが、シーツを痛いほど握りしめる拳に、心の葛藤が見てとれる。シャルリーヌが呆れた、と言葉を吐いた。
「私が言ったこと、覚えてないの? もう」
「……」
「友達には、頼りなさいよね」
「……友達というものがなにか、分からない」
 今度はシャルリーヌの言葉が、詰まる番だ。
「ゼル」
 レオナがベッドに直接腰掛け、ゼルの目を見て問う。
「例えば今、テオが何者かに襲われかけているとして」
 シャルリーヌも、その言葉に耳を傾ける。
「テオには、義理も返せるものもないから、何もしないの?」
「!」
「ゼルなら、反射的に手を貸すんじゃないかしら」
「……そう、だな」
「私やシャルだったら?」
「同じだ」
「ヒューゴーは?」
「あいつに助けはいらんだろ」
「じゃあ見捨てる?」
「……様子ぐらいは見といてやる」
「ふふ! そうよね!」
「そらどうも」
 いつの間にか、背後に立っていたヒューゴーとテオが、微笑んでいる。


 
 ――前世では、ぼっちだったけど。
 シャルが、教えてくれたのよ!
 側にいるだけでいいんだ、って。
 側にいたいんだ、って。

 

「私には、定義も理由もいらないわ」
 レオナがシャルリーヌに頷きつつ、ゼルの拳に自分の手を重ねると、シャルもそうした。ヒューゴーも、テオも。
「ただ、共にありたいのが友達、じゃないかしら」
 ゼルの目が見開く。
「あなたが私達のことを、そう思ってくれていたら嬉しいわ」
「……何もなくてもいいのか」
「いいわ」
「……俺はただの人間だ」
「だから何?」
 今度はシャルリーヌがゼルを覗き込んで、グイッと両頬をつねる。
「あなたのことが心配。ただそれだけよ」
「……ははは」
「起き上がれたみたいで、良かったです!」
 テオが言うと
「弱った獣みたいだな」
 とヒューゴーが茶化す。
「うるせえ」
 悪態をついた後、一瞬躊躇ってから
「聞いてくれるか? 俺の話」
 とゼルが言うと
「聞いてやる」
 ヒューゴーは即座に応えた。
「はは」 
 
 はー、と彼は大きく息を吐いた。
「長い割につまらん話だ。座ってくれ」
 両耳のイヤーカフを取り、彼はベッドのヘッドボードに、クッションを置いてもたれる。
 レオナとシャルリーヌは、置かれているソファに並んで座り、ヒューゴーはマリーが置いていったお茶セットで、手早く紅茶を淹れると皆に配り、自分はソファの袖に腰を預けながら飲んだ。
 テオは、簡易机とセットで置いてある椅子に、行儀よく腰掛ける。

「俺がアザリーの生まれで、母親が踊り子なのは話したな」
「ええ、私のお誕生日パーティの時ね」
 レオナが同意する。
「父親は現在のアザリー国王、ラブトだ」
「!」
「えっ」
「ゼルさん……王子……」
「九番目だがな」
 ヒューゴーだけが、冷静な顔をして話の続きを促す。
「アザリーの王女はもっと多いらしいな」
「ああ。俺も誰が姉で誰が妹か、把握していない。女はすぐに貴族や豪族の元へ嫁がされるからな。赤子でもだ。後宮に残れるのは、ほんのひと握りらしい」
「…………」
 レオナとシャルリーヌが絶句している。無理もない。
 
「母は旅の踊り子だったが、運悪く国王に気に入られて、俺を授かってしまった。知らないと思うがアザリー王国は、創造神イゾラよりも、その息子の、太陽神シュルークへの信仰が厚い。黄金の瞳を持つ苛烈な闘神だ」
「ゼル……」
 レオナは思わず絶句した。黄金の瞳を持つ、その意味を一瞬で悟って。
「アザリーの男子は、十歳になると髪を切ることを禁じられる。十五歳の誕生日まで伸ばしたら断髪をし、太陽神殿に髪を捧げて闘神の加護を受け、成人になるまでの一年間は、神殿で修行をするという儀式があるからだ」
 そこでゼルはふう、と息を吐いて果実水を一口飲んだ。
 
「俺は海の見える小さな家で、隠れて育ったが」
 そして遠くを見やる。
「その太陽の儀だけはしてやりたい、という母の意向でな。極秘に神殿で儀式を行ったのだが、神官に運悪く見つかって、国王に報告されてしまった」
「えっ」
 思わず声を上げるテオと
「……なんということを」
 ギリギリと歯をきしませるヒューゴー。
「それから宮殿に攫われ、母と引き離すな、と懇願したら後宮に監禁されてな」
 辛い思い出を噛み砕くように、ゼルは続ける。
 
「国王が俺を宝だと言ったせいで、王妃や他の王子達から何度も暗殺されかけた。一人だけ味方だった隠密部隊の男が、かろうじて俺を逃がし――母が所属していた一座の出資者だった、コンラート伯爵が引き取ってくれたが、母までは無理だった」
 ぎゅうっと目を瞑るゼルは、苦しげに吐き出した。
「あとで迎えに来てくれればいい、と母は笑っていたが、王妃の執拗な暴力で、すぐに亡くなったと聞いている。国王は国王で、自分こそがシュルークの生まれ変わりだと言っていてな。折を見て俺の目を抉るために、引き取ったんだそうだ。宝を返せ、とな」
 とんだ茶番だろう? とゼルはまた目を開けて苦笑する。
 
「母も神官も隠密も全員殺された。俺はただの人間なのにな。これは呪われた瞳だとしか思えない」
「ゼル……」
 レオナは、否定をしたかったが、何も言葉が出て来なかった。その代わりに再び彼に寄り添って、その手を握る。
 ゼルは、微笑んでそれを握り返した。
 
「せっかくマーカムまで逃げたのだから、何もかも忘れて、学生として楽しもうと最初は思っていたんだが……徐々にアザリーの影を感じてな。怖くてたまらなかった。だが、レオナ」
 はた、と目が合う。黄金と深紅。
「薔薇魔女の呪われた瞳を持つ公爵令嬢なら、理解してもらえるかもと……今更だが、すまない」
「何が?」
「……とにかく無我夢中で、嫌なことをしてしまった時もあった。すまなかった」
「んー? 特になかったわよ?」
「ははは! それだけ強い番犬がいたらそうかもな」
「おい、それって俺のことか?」
 ヒューゴーが歯を剥き出しにして威嚇する。
「他に誰がいる?」
「おーおー、売られた喧嘩は買うぜ」
「……なあ。お前は俺を排除したいのではないのか」
「ん?」
「随分と威嚇されたからな。なのに助けたいと言うから驚いた……」
「お前、さては馬鹿だろ」
 ヒューゴーの唐突な悪口に、ゼルがぽかんとした。
「それとこれとは話が別だろーよ」
「……どういう意味だ?」
「単純に、レオナ様につく悪い虫をたたき落としてただけだ。それとお前の人格は無関係」
 ゼルは何度か瞬いた後に
「……ははは!」
 愉快そうに笑ったので、ヒューゴーが凄む。
「ってわけで、とりあえずその手をのけろ」
「これぐらいいいだろ?」
 ゼルがニヤリと笑って、見せつけるようにレオナの手ごと持ち上げる。
「だめなの?」
 とレオナもキョトンとそれを受け入れる。
「ぐ」
「はいはい、私も私も」
 シャルリーヌがもう一方のゼルの拳に手を置くと、ヒューゴーは半目になった。
 
「あの、僕」
 気づくと今度はテオが何やら思い詰めている。
「どした?」
 ヒューゴーが気を取り直して優しく問いかける。
「ゼルさんの話、聞いても良かったんでしょうか……」
「おい、ここにも馬鹿がいるぞ」
 ゼルがなぜかヒューゴーをけしかけた。
「はー、ったくお前もかよ! ゼルが話したんだからいいに決まってるだろ」
「僕は、ただの、なんの力もない、子爵家の」
 泣きそうなテオに
「ばーか」
 ヒューゴーが言い捨てる。
「さっきの話聞いてなかったのか? 定義も理由もいらないってことは、身分もいらねーだろ」
「僕! 僕も! 友達ですか!」
 ぎゅうっと目をつぶったテオの肩が。震えている。
「愚問」とヒューゴー。
「愚問ね」とシャルリーヌ。
「愚問だな」とゼル。
「テオったら」とレオナ。
 皆が温かい目でテオを見ている。
「う、う、ぼ、僕、ゼルさんが心配で、でも何も持ってないし、何も出来なくて、うう、ううう」
 ポロリ、ポロリと大粒の涙が彼の頬を伝う。
 
「テオ」
 ゼルがレオナとシャルから手を離し、ベッドからよろりと立ち上がる。
 ゆっくりと歩み、テオの膝に手を置いてから、床に片膝をついた。テオが驚きのあまり目を見開いて、固まった。
「ありがとう。テオの思いやりと気遣いに心を救われている」
「でで、殿下!」
「俺はただのゼルだぞ?」
「あうっ」
「あはは、ゼルが殿下って! 全然似合わなーい!」
 シャルリーヌが大笑いをした。
「「確かに」」
「おいお前ら……」
 苦言を呈そうとして立ち上がったゼルが、おっとっと、とバランスを崩したので
「大丈夫ですか、殿下」
 とわざとキリッと言いながら、腕を支えるヒューゴーだったが
「ぶふ」
 堪えきれず吹き出す。
「おいこら……言わなきゃ良かった……」
「今さらだな」
「「ねー」」
「はあ。ま、改めて……ゼルヴァティウス・アザリーだ」
 
 皆に向き直り、彼は真摯な表情で続ける。
「助力に感謝すると同時に、巻き込んでしまい申し訳なく思う。正直アザリーが何をしてくるか分からんが」
 ヒューゴーの腕を離して、ゼルは深深と頭を下げた。
「こうなったら、どうか生き残るために力を貸してくれ。よろしく頼む」
「もちろんです!」
 テオが真っ先にガッツポーズを取った。涙を拭った拳が光っていた。残りの三人も、もちろん、と強く頷く。
「まずは現状把握だな」
 とヒューゴーが言うと
「体調の回復も大事」
 とシャルリーヌ。
「もうそろそろお兄様が王宮から戻られるはずよ。情報収集しましょう」
 レオナが言うと
「俺のことは、皆が信頼できると判断した人間になら、話してもらって構わない」
 ゼルが覚悟の決まった顔で告げた。
「お前の兄は、キレ者すぎて苦手だがな」
 いっそ清々しいほどの開き直りが、ゼルらしくて、レオナは嬉しくなった。



 ※ ※ ※

 
 
「ジャンルーカ、エドガーの様子はどうだ」
 ブルザーク外交官サシャとの同意が済んだ、演習約定に署名を済ませて、休憩がてら紅茶を飲みながら、アリスターは信頼を寄せる近衛筆頭に尋ねた。
「は、自室にて課題に取り組んでいらっしゃいますが……その」
「……進級には不適格かもしれないな」
「残念ながら。初年度の基礎を、ないがしろにされていましたので」
「あの女子学生とも?」
「は。離れる気はないと。友人を奪う気か、と逆上されました」
「はあ。頭が痛いな。本当は今回の大使との謁見にも、同席させた方が良かったんだろうが」
「おすすめは致しかねます」
「分かっているよ。だがアザリーの王子からは、王子同士親交を深めたいと言われていてな……」
「まいりましたね」
 
 ジャンルーカは第一王子に対してすら、歯に衣を着せないもの言いだ。長い付き合いであるから許されているが、他の者であれば、下手をしたら物理的に首が飛ぶ。だからこそアリスターは、この正直で優秀な近衛筆頭を信頼している。
「鷹狩りあれば、何とかなるか?」
 王族が招く鷹狩りは、マーカム王国では伝統的な男性の交流行事である。
「……及ばすながら、お側にはべらせて頂きます」
「苦労かけるな、ジャン」
「勿体ないお言葉です。私の力が及ばず大変申し訳なく」
「それは違う」
 アリスターは、ジャンルーカの目をまっすぐ見つめると、否定した。
「甘言ばかり聞き入れるのは、奴自身の素質だ。本来であれば、王族の自覚でもって対処すべきことであるし、そのように学んできたはずだ」
 そしてふー、と深く息を吐いてから続ける。
「目が届かずすまないが、ジャン以外にあれを止められるものは、いないのだ。引き続きよろしく頼む」
「……はっ」
 
 ジャンルーカは最敬礼をし、第一王子の執務室を出た。
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